年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

過剰品質から

2013年05月31日 | 築地市場にて

梅干しは本来保存食で昔は,と言っても20年ほど前は1年以上保存ができる食品だった。今は調味味付けした梅干しが主流となって塩分が少なくなり,傷むようになって、賞味期限も短くなった。
 スーパーの陳列棚も冷気が入っているようで、購入した消費者も梅干しの特色も知らず冷蔵庫で保存しているようだ。塩分を抑える競争から、添加物だらけの梅干しとなって久しい。昔ながらの梅干しを食べるとびっくりするくらい塩辛い。体が塩分を受け付けないようになったようだ。
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関東梅雨入り

2013年05月30日 | 梅干

梅の季節入り。そろそろ新聞の青果物相場欄に梅が現れる。どうやら今年は3年連続不作とはならないだろう。梅仕事を準備している人も国産へ転換する年になるのだろうか。輸入のシソは昨年の1ドルが100円以下のときに日本に入っているので安いシソは最後となるだろう。国産のシソは香が良いが少ない農薬だと虫がいるときもある。中国産のシソの虫は人力で取り除いているようだ。
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ギターとたくあん2

2013年05月29日 | タクワン
不連続の連続
ギターとたくあん-堀威夫流不良の粋脈
村松友視著
作家村松友視と静岡県森町とは縁がある。森町出身の鈴木藤三郎を調べていたとき、村松梢風 ( むらまつ しょうふう )の名前を知った。

村松梢風(本名・義一)は1889年(明治22年)、森町飯田に生まれました。慶応大学中退後、雑誌・新聞の編集に従事した後、作品を発表して大正・昭和にわたって活躍、すぐれた業績を残し、1961年(昭和36年)その生涯を閉じました。享年72歳。直木賞作家の村松友視氏は梢風の孫にあたります。
さて本題の「ギターとたくあん」だがタクワンがどうやら吉川英治「宮本武蔵」の影響か沢庵和尚と宮本武蔵のことが史実としてみていた様で、そこに井上ひさし「ムサシ」の舞台が絡まっていたことのことが書かれていた。変な展開で虚実の虚のほうが多い本だった。ただ印象として堀威夫さんの作ったタクワン漬けを村松友視さんが食べた印象が書いてあったかは記憶がない。
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明治文芸と薔薇 中込重明著 再び読む7

2013年05月28日 | 福神漬
世界を取り入れる
明治の文明開化で江戸は東京となり、比較的異国との交流がある横浜等の交易港についで西洋文明の刺激を受けた東京は西洋文明の影響が早いほうだった。上野下谷はそれでも庶民の町であったから、西洋文明を受け入れることに抵抗があり遅れていたように今では見える。
 上野公園で開催された明治10年第一回内国勧業博覧会で、特に「勧業」の二文字を入れ出品物の中から殖産興業推進に繋がるものを選んだようだ。欧米からの技術と在来技術の出会いの場となる産業奨励会としての面を前面に押し出していた。缶詰が出品されたかどうかは不明だが明治10年10月22日が「缶詰の日」の由来となっている。
上野公園の観光客をあてにしていた池之端酒悦主人は博覧会で缶詰を見たと思われる。上野戦争で荒廃した門前町は工夫して生きるしかなかった。江戸時代には3軒あった香煎茶屋は酒悦のみ生き残った。
世界という言葉は今意味していることと違ってどちらかというと「世間」という感じの使われ方をしていた。いまの世界の意味と同じような使われ方をしていたのは「万国」という。万国博覧会はその名残となる。
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市場の開業時間

2013年05月27日 | 築地市場にて

都知事が金融市場の開始時間を2時間早め、東京が世界で一番早い市場となる提案をしたようだ。築地市場の夏の早い。金融市場でもコールセンターの問題が解決したならば実現可能だろう。今の銀行窓口が比較的すいていて昔の窓口混雑はあまりない。
 どこかで合理化のため混雑が増えているところがある。
このところの証券会社の活況は人手の不足を招いているようだ。虚を突かれた活況はどこまで続くか不明で設備投資する気分が定まらない。
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明治文芸と薔薇 中込重明著 再び読む6

2013年05月26日 | 宅老のグチ

日本国の逆襲 小林恭二著
借り出して読んでいる本だがどこからの引用だったか記憶が消えた。今のパロディだと解るが時間が経ってしまうと何処にパロディが隠れているか難解になってしまうかもしれない。
 少し前渋谷にギャルなどと呼ばれた少女がいた。彼らの仲間内の会話は外部の人にわからぬようにし言葉が作り上げた。今時間が立ってしまうと成長した彼女らが以前の録音してあった会話を聞いても即答できないものがあるだろう。普遍的でない言葉は消えやすい。
 それでもこの本が何のために借り出したが一週間たったがまだ解らない。
今1ドルが100円程だが2008年8月頃は1ドルが107円でユーロが150円程だった。当時の記憶がない。
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ホリプロのタクワン

2013年05月25日 | タクワン

タクワンのエピソードを調べてゆくうちに、大手芸能事務所サンミュージックプロダクションの創業者で代表取締役会長の相澤秀禎(あいざわ・ひでよし、本名与四郎=よしろう)氏が死去したというニュースがあった。市販のタクワンが気に入らず自宅地下にタクワン部屋を作り、文字通り手作りのタクワンを作っていたと思い出し相澤さんかと思っていたら記憶違いでホリプロの堀 威夫さんだった。 
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明治文芸と薔薇 中込重明著 再び読む5

2013年05月24日 | 福神漬
洒落や諧謔を好むのは、生き残った生粋の江戸文人の誇りであったと篠田鉱造は「明治百話」の中で言っている。明治文芸の薔薇60頁
 福神漬の周囲で起きていたことをなんとなく今は次のように感じる。江戸文人である梅亭金鵞が洒落とか比喩とか皮肉れ過ぎた言い回し使って、さらに缶詰に入れた漬物という、当時としては高価な漬物となってしまっていて下谷の庶民とは縁遠い漬物に「フクジン」と命名しても商品名の中に比喩や暗示の対象となる事柄との連結がわかりにくく、さらに政府による言論弾圧を避けるため、裏事情の説明も外部になされず、今日に至っているのではないのだろうか。大方明治22年から26年頃にほとんどの関係者が死去したため、文献にも残らず今日には「フクジン」の洒落や比喩、暗示、諧謔の対象が不明となってしまった。
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バタバタの休市日

2013年05月23日 | 築地市場にて
みずほ銀行東京市場内特別出張所で暇つぶし。判子(ハンコ)が欠けたので改印したのだが結構時間がかかるようでお金が動かせない。使っていない銀行カードの暗証番号を忘れることも発見する。10年以上前の暗証番号はどうしても思い出せない。又届け出して変えなければいけない。これでパスワードの異なるのが10以上となってしまった。ボケたら大変。少しカードのリストラも考えなければならない時期となったようだ。
 市場内銀行の下で消火訓練のサイレンがウルサイ。実際のホースの先から水が出ているが少し東京が渇水気味なので形だけの放水のように見える。築地市場内を通る環状2号線工事の関連で隅田川での最下流の橋となる部分の橋脚工事のミキサー車がドンドン通っている。ガランとした場内に角々に交通整理員が配置されいるが人もいないのでスムーズに進んでいるように思える。築地市場は時間が止まっているが世間はかなり動いているようだ。
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明治文芸と薔薇 中込重明著 再び読む4

2013年05月22日 | 宅老のグチ
しゃれ判者
明治26年11月12日 入谷の鬼子母神(真源寺)で「諸君洒落ル会」なる催しがあった。「兼題」から洒落を作って提出、そこで優秀作を決め、宝前に掲げる会だった。このような趣向は江戸時代の俳諧にもあったような気がする。
 この鬼子母神であった会には根岸に近かったかもしれないが根岸党の人々が多く参加していた。またしゃれ判者の歌舞伎評論関係の人や小新聞(庶民の読者としている)関係の人が多かった。「根岸党」と「やまと新聞」の人が多いともいえる。

しゃれ 洒落は明治の東京では今より意味が深い。江戸の文化を知らない人達が東京に集合し、政権を主導していた。しかし末端の実務を行っていたのは旧来の江戸東京に住んでいた人達が行政を行っていた。また東京に居残った庶民も田舎者として明治政府を嫌っていて、西郷びいきが良い例で霊地である上野の地に銅像が建てられた。屈折した心情から洒落を理解することが明治東京人の誇りでもあった。
洒落の福神漬命名は今でも理解されず、政権弾圧のから逃れられたかもしれない。福神漬の命名時期は自由民権運動が過激となった時期である。福島事件は福島人の仕業と明治政府は弾圧したが唯一東京士族であった花香恭次郎が一番人気があった。福人という洒落は今でも誰も知らないかもしれない。
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明治文芸と薔薇 中込重明著 再び読む3

2013年05月21日 | 宅老のグチ

坪内逍遥が明治18年4月に出版した『小説神髄』は福神漬の関係資料を調べているとき、同時期だなということでその存在はすっかり忘れていた。しかし最近梅亭金鵞が明治16年に再刊した『七偏人 : 妙竹林話』はなぜこの時期に出版されたのだろうか疑問だった。七編人の本には上野不忍池周辺での滑稽話で香煎茶屋の話が出てくる。この本の評判を聞きつけた池之端の香煎茶屋『酒悦』主人は売れ行きが伸びていない漬物缶詰の命名を梅亭金鵞に依頼した。落ち目の戯作者だった梅亭が単純に七福神めぐりから漬物の商品名にしたとは思えない。
高校の日本史とか大学の文学史でも江戸時代の洒落本、人情本、戯作本は女子供の読み物で今の文学者から見ると無価値のように見ている。明治の20年代まで広範囲に読まれていて広く出版文化を支えていた。


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明治文芸と薔薇 中込重明著 再び読む2

2013年05月20日 | 宅老のグチ

通の条件
夏目漱石と落語
夏目漱石は落語を愛していた。しかし家族の述懐にはほとんど落語の話は出てこない。中込重明氏によると文筆業の漱石が落語について評論をしなかったのは落語通であったゆえであるという。明治の当時の通人の条件の一つに従っているという。中村幸彦氏は「歌舞伎通は歌舞伎役者と歌舞伎研究家の中からは出ない。」(中村幸彦著述集第五巻)という理屈だという。
 首くくりの松 牛込(今の飯田橋駅付近)辺りの土手の松のことが出ていた。この松は鶯亭金升の「明治のおもかげ」にも出てくる松である。飯田橋は麹町二番町にも近く、鶯亭は母からこの話を聞いて記憶していたと思われる。喰違門(くいちがいもん)の松は今の上智大学付近らしく、明治の中頃の落語では「首吊り」のところと知られていた。どの松が噂の松に当たるかは当時の人に聞くしかない。

 また脱線調査となってしまった。漱石は根岸の正岡子規の家に関係がある。福神漬も漱石の好物として英国行きの荷物の一つになっている。(東北大学図書館所蔵品より)



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明治文芸と薔薇 中込重明著 再び読む1

2013年05月19日 | 宅老のグチ
この本の題となっている「薔薇」についての記述が始めの章にある。今はバラ色の人生と表現していてどちらかというとバラは好意的な花だがどうやら江戸時代には薔薇(バラ)と茨(いばら)は同一視されていて花よりトゲのほうが強調されていたという。
 薔薇と茨について本草関係の書物を取り上げてあって、福神漬の中に入っている(なた豆―刃豆)のとき調べた本と同一だった。
 明治のバラは西洋文化の象徴となっていた。桜は日本でバラは西洋となったのは鹿鳴館の頃からという。日英同盟が成立した明治36年頃出版された本で日本の国花が「桜」となった時、英国の「バラ」を意識していたという。
江戸時代以前から日本にあったバラが漢字であるのがやっと納得できた。

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中国と日本の悲鳴

2013年05月18日 | 築地市場にて

中国の漬物原料を扱っている業者から、日本が買ってくれないと悲鳴をあげている。急速な円安は製品価格転嫁の出来ない業者が買うのを控えて、国産に転向しているようだ。同じ商品で価格を変えるには国産原料使用で国産品に変更し、対応することとなる。急激でどこまで下がるか解らない円安と中国農村部のインフレと人手不足は中国産漬物原料の強気となっているが日本の業者は買い控えで時間を稼ぎ、中国以外の国へ原料産地を移転させるしかないように見える。
 また従来の中国産漬物を何時まで同じ価格で販売するか日本の漬物業者の悩みでもある。
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深夜バスを築地市場へ

2013年05月17日 | 築地市場にて

東京都が24時間都市を目指して深夜バスを計画しているようだが築地市場への深夜の交通手段がなく、ぜひとも一番早く深夜バスを開通させて欲しい。仕事に出る手段が多様となる。しかも前日に飲んでも安全に出勤できる。また築地市場の寿司屋は24時間営業の店が多数あって、朝5時過ぎではほとんど開店していて好みの飲食店が選べる。独特の雰囲気は他の世界にない築地の市場食堂。昭和の香りがまだ残っている。
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