年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

昔の感覚で一つ年をとる

2022年12月31日 | 宅老のグチ
今は満年齢だが小さい頃は正月になると一つ年を取る感覚があった。プチ贅沢で気分が一新となり、正月の空気も違うと感じた。まるで雪の降った後の街の静けさで、年末繁忙を乗り越えた気持ちがあった。
 75歳を過ぎると、高齢者本を激しく読んでいるが、どの本もチョット自分の感覚と違っていると感じる。どこがその違和感というのは、著者が記述する世界は平均の世界で、確かにデ―タ的には正当性があると思う。しかし感覚が違うのだ。
 平均健康寿命というデ―タがある。厚生労働省の調査だが、令和元年時点で男性が72.68年、女性が75.38年となっていて、平均だから男性の73歳で自立して生活できないとか、死去した人もあるということ。それに平均寿命の数字があって、男性は9年近く自立してないで生きることになる。そこに介護の問題が入る。
 このことが平均という言葉と数字のトリックがあって、ただ自立して生活できるという言葉の定義がそれぞれの解釈で生きている感覚がある。今年101歳で亡くなった母は介護の認定の時は元気にふるまうことをしていた。見栄と家族は見ていたが良くあるようだ。女性が化粧すること似ていて、元気だと、ボケていないと介護の認定の時に行うようだ。今から思うとまだぼけていない時にデイサ-ビスの仲間の老人たちと情報交換していて、要介護3になると施設入居に入れる可能性が増すことを知っていたかもしれない。
 高齢者本はあくまでも著者の見解で、個別の事情は考慮されない。そしてすべての問題が死で解決するとは限らない。そこから次のドラマが発生する。介護が良かったか不満だったかの満足度は誰も知らない。なぜなら当人の感想は死で記録がない。従って介護者の自己満足となる。死に目に会って満足するのは生きている人。もしかすると当人はもっと頻繁に来てと思っていたかもしれない。

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今年の進歩

2022年12月30日 | 宅老のグチ
二年続いたコロナ騒動も、大正年間のスペイン風邪のように何も効果的対策が無くても、自然免疫で終わりそうだ。どこに効果があったというのがまだ検証できそうにもないが情報が操作され、恐怖感を煽った事実は残る。
 2月のウクライナ戦争も識者の見解と別に少なくともダラダラ続く気がする。世界の自由貿易が崩壊し、分断された世界になって、テロが普通になる気がする。ドロ-ンの技術が進歩し、工場等のテロも予想される。
 街を年末に歩くが、門松の設置するところが激減しているように思える。しめ縄も中国製でネット情報では稲わらでなく、見栄えのある草という。安さと量を求める量販店は祈りなど不要なコストと思える。また文化が消える。
ただ新しい文化は不適切なところから生まれる。多くの官製文化は自然消滅の文化となる。

 長寿に対する不安感が増す時期に来たようだ。中国のゼロコロナからフルコロナの変換はある意味で適切かもしれない。
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万両巻きを買いに神楽坂へ

2022年12月29日 | 宅老のグチ
正月のおせち漬物で今では絶滅しそうな漬物を購入するため、大江戸線牛込神楽坂駅で降りて向かった。大江戸線のA3出口から駅そばの神楽坂5丁目交差点で駅から見ると右折し、上り坂を30Mほど行くと、近江屋という細長い店舗がある。中に入って万両巻きがあるかと聞くと目の前にあった。1本100円。自家製という。
 写真で大きさがわかりにくいのでボ-ルペンを入れて撮影。味は正月の楽しみ。普通なら甘い酢漬けである。
 昔と言っても15年ほど前は名古屋の㈱アサダという会社が正月用の漬物として玉椿という名称で万両巻きを売っていた。多くはおせちのセット会社用だった。中国での人件費が安い時代で出来た。今はカタログから消えたようだ。ということは自家製の漬物しか無理ということになる。大根を薄く切って糸昆布で大根を巻く。手作業で多分意味することはお金が万金貯まるということか。
大根、かぶを桂むきにして奉書巻きのようなもの。
 年中販売できない縁起物というので、桂むき以外は機械化できないし、仮に機械が出来ても稼働時間が短く採算が採れない。多分近江屋さんの家族が造るのを止めたら、東京では文献しか残らない気がする。
 味はやはり甘い酢漬けだった。
近江屋 新宿区神楽坂5-32 
もう100年の歴史のある小さな地元の惣菜店。
シルバ-パスを使って行く価値があります。
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想い出作り 江の島 波静か光る海

2022年12月28日 | 宅老のグチ
記憶の中で江の島があるようだ。暮に孫との思い出作りで江の島へ行く。今回は車。前の江の島行きは大船から湘南モノレ-ルと江ノ電で帰りはJR横須賀線だった記憶がある。目的は江の島の洞窟と鎌倉大仏、鶴ケ丘八幡宮となる。
 
今までの記憶では江の島のエスカーという有料のエスカレ-タ-に乘ったことがないので乘る。結構わかりにくいので係員に料金の内容を聞いて購入。高いと一瞬思ったが、後で体力弱者にはよかった。 
 スマホのデ―タでは32階登ったことになる。1階は3Mなので約100M登ったことになる。ほぼ江の島の頂上にエスカーで昇り、そして下り登りして、最後に江の島の反対側の洞窟まで降りる。当然帰りは昇りとなる。キラキラと太平洋が波静かで光輝く。
 江の島は身体障碍者には優しくない観光地で高齢弱者は少なく、恋の聖地のような施設ばかりだった。ここは独り者には身障者扱いと感じる。季節は冬なので土産物屋は昔と随分違っていた。江戸時代の浮世絵と同じ形の富士山が見えていた。
 鎌倉大仏は江の島から7K程度で、江ノ電の鎌倉高校前駅にはマンガと同じ風景を撮るため多くの人がいた。大仏では異国人が比較的に多く鎖国解禁と感じる。江の島には日本人がほとんどで、コロナ鎖国解除を感じなかった。
 大仏まで津波が来たことを思い出し、鎌倉のハザ-ドマップを調べるとほぼ鎌倉駅付近は全滅だろう。鶴岡八幡で安全安心祈願。
 本日の歩行距離12000歩、高低差32階
 財布の中身が減り、最後に賽銭は50円玉となった。いつもは5円でご縁、無い時は10円、重縁、今日は前に来ていて生きてこれたので御重縁、つまり50円。

三浦半島の観音崎灯台の側に先の大戦の戦没船員の碑がある。
 「安らかに眠れ わが友 波静かなれ とこしえに」の碑文が刻まれている。 
 太平洋は今は静かだが、永遠に続いてほしい。
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悲しい知らせ・ アマゾンより遅配の連絡

2022年12月27日 | 宅老のグチ
年明けの国立劇場の改築前の最後の公演を見るため、安い3階席のチケットを取ろうとしていて、ふと気が付いて、耳の聞こえが悪く声が聞こえないので収音器か補聴器を使った方が良いと考え、アマゾンでソニ-の収音器を手配した。最初の配送予定では27日頃だったが25日にメールが来て、1月中旬になったようだ。これではテスト稼働してから遠山桜天保日記の観劇はリスクがある。聞こえないかもしれない。1階席はまだ残っているが高い。困ったもんだ。
 今年のクリスマス寒波で正月のおせちセットの混乱が予想される。何年か前の通販で事前の写真と違う物とか欠品ということで大騒ぎとなった記憶がある。おせちは遅れると悲惨だ。
 コメントで知らせてくれた、神楽坂の近江屋という店で正月限定ということで 所でまだ万両巻き(玉椿)のおせち漬物が売っているか見て購入したい。何しろ都内の小売店行きはシルバ-パス利用で行けば交通費は掛からない。
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多摩川歩行53Kの7 府中本町駅東京競馬場口より小田急登戸駅まで

2022年12月26日 | 宅老のグチ
府中の東京競馬場の有馬記念開催日に行ってみたいと思っていて、多摩川歩行と組み合わせ、10時45分に府中本町駅の競馬場口より多摩川是政橋へ向かう。駅から30分で是政橋に着き、川崎寄りの多摩川右岸を歩き出す。登戸までスマホのデ―タでは36M登ったようだ。土手道を行ったり橋の下や工事を避けて、上ったり下ったりした。
 どうやら学校が冬休みでグランドでスポ―ツをしている学校が多かった。野球が多いがラグビ-の練習をしている所が2か所あった。多摩川左岸の東京都より歩きやすい。国立市あたりは普通の道路の部分があって危険を感じた。やはり日曜日はスポ―ツ自転車が多い。
 登戸あたりで、河川地が学校の私有地と明示されていて、柵で囲われていた。かなり大回りとなった。今は冬ということで雨が少ない時期に土手の整備を行われている。
 本日のデ―タ 
21000歩 歩行速度 1K 13分程度の速さで歩いた。さすがに1K12分30秒だと汗が出て、服を一枚リュックに入れた。
 距離は12K程度の歩きで3時間ほど歩いた。小田急登戸駅は乗り換え経験はあるが乗車は初めて。どこが改札口か迷った。
 京王線の多摩センタ-行きの線路が多摩川に架かる橋で、対岸の京王閣競輪場の建物を見て、丁度有馬記念を思い出し、多摩川沿線はギャンブル川と思った。1JR川崎駅は競輪、地方競馬、調布は競輪、府中は競艇、競馬場。
JR南武線は多摩川の河砂利輸送から始まり、今では関東で上位の混雑路線である。
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父の命日はクリスマス

2022年12月25日 | 宅老のグチ
12月25日の早朝に父が亡くなった。67年前となる。
だからクリスマスは長い間祝ったことはない。当然キリスト教信者には無縁だった。ところが福神漬の調べごとをしているとキリスト教と付き合うことになる。不思議な感覚。
 タクワン漬はどちらかというと神道か仏教となる。茶道からタクワン漬が普及したこともあって禅宗系の知識が必要となる。さらに香の物という言葉から香道の知識も必要で、初期の香道で嗅覚のマヒをリセットするため味噌漬系の漬物を使ったようだ。言葉の始まりから香の物となったのは想像だが高級感を出すためだろう。
 良く漬物の文献として引用されるのは延喜式と言われる。養老律令(りつりょう)に対する施行細則を集大成した古代法典 で贈答品とか献上品のリストに漬物が出て来る。しかしそれらの漬物が一般の食生活とは想定できない。なぜなら庶民の文献がない。奈良等の文化財の発掘でも食品のモノは少ない。穀物類しか出てこない。だからと言って漬物が無かったとは言えない。塩分が必要で保存食を造るには一番簡単な方法が塩漬である。
 明治の漬物 福神漬はやはり旧幕臣のネットワ-クから始まり、それが缶詰に入り、日清戦争から先の大戦までの軍需食品として一般の家庭に入った。旧幕臣はキリスト系で行く先を見つけた人が文献に残る。
 築地4丁目の所に新喜楽という料亭がある。年二回芥川賞・直木賞の審査がここで行われる。明治の初めに大隈重信が料亭になる前に同じ場所で住んで、いた時があった。これが築地梁山泊と言われた。明治3年頃の出入りしていた人物 伊藤博文・渋沢栄一・五代友厚・山口尚芳・前島密・大江卓等で明治の骨格を議論していた。その前の江戸時代は幕臣戸川家の敷地だった。5000坪もあったという。新政府に没収された戸川残花の屋敷だった。『旧幕府』は明治三十年代に刊行された雑誌 で戸川残花が編集者となっている。築地銀座は結構キリスト教の発祥地となっている。
 参考資料
油売る日々 明治の文人 戸川残花の生き方
 目時美穂著
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(東京都中央区図書館)郷土資料室で豊洲移転の本を読む 群盲巨象を評す

2022年12月24日 | 築地市場にて
2022年12月に東京都中央区区役所の地下というべき所に京橋図書館があって、区役所移転計画に伴って図書館が移転した。この郷土資料室は地下の地下にあって、京橋(銀座地区の商人)の記憶の霊安室と思いながら、司書さんに質問しつつ、本を出してもらっていた。たいがい無人で声を出して会話しても大丈夫だった。ただ閉架で気になる本に検索と会話では出ないもどかしさがあった。こんどの本の森ちゅうおうは郷土資料の大部分が開架で探しやすい。
 そこで時間が経ったので、都営浅草線宝町駅から歩いて十数分で着いた。前は慣れないのでもう少し時間がかかった。今回は一応2時間の滞在でテーマは築地移転問題のその後の検証ということで本を探した。
 結論から言うと、群盲巨象を評す状態だった。《多くの盲人が象をなでて、自分の手に触れた部分だけで象について意見を言う意から》凡人は大人物・大事業の一部しか理解できないというたとえ。
 多くのテレビの豊洲移転報道を見ていると、何かピントがずれていて、結局一部は正しいが移転反対派が考えた築地ブランドの棄損ということにはならなかった。移転費用の高騰をもたらしたのは移転懸念派の功績で、利益を上げたのは東京ガスとゼネコンだった。一回の工事であわよくば世界中に汚染土壌除去工事の実績宣伝となるはずだった。ところが3種類の汚染土壌クリ-ン化方法は失敗した。3種類の方法によって、工事区分がなされ、談合のようにゼネコンが落札した。さらに地下空間を騒いで、また工事ということでおいしかっただろう。移転の遅れで不要な工事の発生と費用が発生した。これらは築地移転 反対派の意見だけ重視し、共産党の失敗でもある。時代の流れで江戸時代の仕組みを続けようとする人たちの支援を誤った。結局移転を促進するおとりとして、東京オリンピック招致となり、2兆円近く東京都の資産が消えた。豊洲移転費用を加えると3兆は超えるだろう。その結果コロナでオリンピックはほぼ無観客で協賛した業者の広告効果がゼロ以下となってしまい、さらに談合疑惑もあって、今では誰も東京オリンピックの経済効果を語る人はいないと思われる。そんな宴の後の評論はまだ中央区の郷土資料室にないように思える。
 


徹底追及築地市場の豊洲移転   -崩された「食の安全・安心」-  
赤旗編集局著   日本共産党東京都議団監修

赤旗編集局の丹念な取材でいかに東京都が築地を移転させたい気持ちの変遷が良く見える。ただ取材先が築地市場の労働者の声が偏っていて、400億円捨てた築地の再開発工事の中断を分析せず、ただ業者間の工程折衝が困難ということで逃げている。
またTVのコメて―タ-がJRの工事のようにできるといっていたが、一斉移転しかできないことを誰も書かなかった。一部ずつの工事で再建するということは引っ越しが何回もあるということで、慣れた得意先が消えるということもある。それは水産仲卸の基盤の弱い業者は移転には賛成できないだろう。大手の仲卸は場外に拠点を設けていて、移転しようがしまいがどちらでもよかった気がする。
 結局今でも豊洲市場から汚染物質が出ているが都内の消費者が影響を受けた話が出ていない。それよりは移転間際のネズミ報道の方が驚いた。築地市場内で働いている人でネズミの大きさと多さは常識でそれを報道されて驚かれるとまた驚く。この件で赤旗編集局の扱いは少ない。ネズミ報道をすると移転促進すると思っているのだろうか。豊洲移転後に渋谷のネズミ報道があった。どうも渋谷のネズミは常識だったようだ。

 取材者の結論から出た取材加工報道で豊洲移転後に汚染があるのに市場経由の汚染食品は被害者はまだ見つからない。どうして豊洲市場で働く人の健康問題を問題を赤旗は報道目的にしなかったのだろうか。地下の汚染が出れば毎日10時間以上市場の空気を吸っている人の健康を害する方が先に発生すると赤旗編集局人は思わないのだろうか。
 今のコロナの初期は中国で武漢の市場が封鎖された。細菌汚染の方が市場の一番重要な問題である。そこに群盲巨象を評すという言葉を思い出す。一部は正しいが全体が正しいとならなかった。まだこの築地移転騒動の分析の本が出ていないようだ。 
 






















監修  
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今日は何日、何曜日という高齢者運転免許の試験問題

2022年12月23日 | 宅老のグチ
若い人は何とも思わないと思うだろうがこれが高齢者の講習の認知症の試験問題で出て来る。普段は気にしないが今度の一時転居で、届け出の書類に月日を書くが、あるところでは和暦(昭和・平成・令和)などを書く。あるところでは西暦で書く。すると今日の日にちが仕事をしていないので忘れ、たまには銀行員に聞くこともある。普段は日にちより時間を意識していて、試験問題ではデジタルでなくアナログの時計版を書く問題もあった。
 これから高齢者が増えれば増えるほど、認知症の話題が増え、さらに商売の種として認知症の危険性の煽り行為も増える。
 この対策としては早めの情報収集とどこが金もうけの手段として老後不安を煽っているか注意する必要がある。人それぞれに人生観があって何時かは人は消える。
 昨日は一日間違えて、平成の天皇誕生日と勘違いした。
間違ったことは認知症の始まりかもしれない。
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4年前は祭日だった

2022年12月22日 | 宅老のグチ
令和になって4年。平成の12月23日は天皇誕生日で今年のカンダ-では3連休となる。しかし今は令和で祭日ではない。昭和のこの時期寒波が来て大変だった想いがある。平成の年末3連休はいつも物流状況と天気を考え、発注していた記憶がある。
 昨日買い物に行った量販店では紀文ブランドの伊達巻が並んでいた。25日のクリスマスセ-ルが終われば一気に量販店が正月モ-ドに入る。昔の話と言っても40年ほど前の昭和の年末はまだ正月行事があって、正月の買い物におせちが重要視されていた。これが変わったのがス-パ-が年中無休となり、買いだめする必要が消え、さらにコンビニの発達で24時間食品が間に合うようになった。そこで消えた食品もかなりある。漬物に関しては酢蓮、万両巻き、ちょろぎ、菊花漬などはごく限られた店しか並ばず、デーパ-ト等のおせちにしか入っていない気がする。それぞれの商材には由来があって詳しく語られる人も少なくなった。洋風おせちでは正月気分がおかしくなる。
 長寿が普通となって、今は長寿に伴う介護の方が問題でどこの国も解決策は見当らない。なぜなら前例経験がないからと、普遍的データがまだ不足している。その上介護を受けた人の満足さが死ということで不明で、仮に途中で満足していても最後の満足度は誰も知らない。終わりよければすべて良しとはならないのが介護のようだ。
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何も新規なことが起きないと思っていたが

2022年12月21日 | 宅老のグチ
年末のこの時期は日本は予算編成で忙しく、欧米はクリスマス休暇で閑散前となり、ウクライナロシアは凍結戦争中で静かだろうと予想していたがいきなり日本は一番この時期として寒波による輸送の乱れが生じている。年末商材は他の季節と違って年越しするとゴミに近くなる。まして最近の量販店は従業員の福祉ということと、新卒学生に年中無休でないことを強調する。いまや若者は金より休暇の方がよく、量販店は高齢女性の働き場のように思える。
 今日はいきなり1ドルが130円程度になり、海外の反応によって129円台もありうる。あれほど騒いだ151円の話題も消えつつある。
 ブレの波が大きいが日本の政治は支持率が低くても無理な政策を通そうとしている。やはり故安倍晋三国葬儀 がすべてを変えてしまった。弔い選挙で勝ってしまって、良かれと思った政策が揚げ足取りの追求で破綻している。与党も野党も紙の領収書で過ごし、コピ-代がかかるかと言って油断していたようだ。今はスマホで画像を取れば費用も時間もかからない。さらに共有すれば付き合わせも簡単である。紙の世界の人はDXの進歩を知らないようだ。今は画像・音声付が証拠として必要で費用も安い。いまだに行政関連は紙とハンコ。
 従って年末だからと言ってインパクトのある情報が出ないといえない。
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遠山の金さんを求めて

2022年12月20日 | 宅老のグチ
2023年1月の今の国立劇場で最後の出し物の中に遠山桜天保日記が上演される。そこで福神漬調査の中で南町奉行だった時期の不可解なお裁きで気になっていたので調べなおした。この芝居は明治26年11月の上演で竹柴其水が取材創作したもので、戦後にも上演されて、最後の上演は2008年に三宅坂国立劇場であった。
歌舞伎文化の救世主と言われる北町奉行時代の遠山景元(金さん)が最後の演目として選ばれたようだ。新国立劇場の構想では何かコロナの影響からか劇場維持のため上層階はホテルのような施設を入れ運営が安定されるように計画となっていて、雰囲気が今までと変わる気がする。官庁街にかぶくという気風に会う施設となるのだろうか。

 遠山桜天保日記で、おもとが『只今は押上の最教寺の後ろに方に、一人で暮らしています。』
 このセリフが舞台の筋の脈絡から外れいていて、何か其水の思惑があると思い、墨田区の曳舟図書館で資料を出してもらったが、関連性のある文献は見当らなかった。タダ出された明治期の最教寺の地図には隣接して大雲寺という寺院があった。そこで業平3丁目の所へ行く途中の道路標識に大雲寺(役者寺)跡というものが目に付いた。この大雲寺は関東大震災以後、今の江戸川区瑞江に移転した.1931年。都営新宿線瑞江駅で降り、10分弱で大雲寺にたどり着いた。この地域は区画整理が出来ていて、わかりやすい。大雲寺は瑞江の葬祭場の前で、一度得意先の葬儀で行ったことがある。瑞江葬儀所は、東京都江戸川区春江町にある東京都が運営している火葬場である。1938年昭和13年より。ちなみに都営新宿線瑞江駅開業が 1986年(昭和61年 )それまでは江戸川区でも僻地だったおもわれる。
 大雲寺の山門の前に江戸川区教育委員会の役者寺の説明文があって、歌舞伎役者の墓地が多いとあり、そして説明板には墓地の位置まで明示されていて、五代目尾上菊五郎の墓に参拝できた。どうやら墓石が破損していて、どこかの震災の影響があると感じた。関東大震災ならば移転まで墨田区で保管されていたのだろう。
 その後シルバ-パス利用で同じく都営新宿線菊川駅A3出口に出て、駅前の道路地図を見て確認し、遠山景普・景元と長谷川平蔵の屋敷跡の丸山歯科医院に行く。東京都墨田区菊川3丁目16−13。駅からの 距離は100Mもない。歯科医院の前にやはり墨田区の教育委員会の説明版があった。帰途にA3出口の前にバス停を見つけ行く先確認したとこと京成東京スカイツリ-駅に行く都バスだった。今日の工程は全部シルバ-パス利用なので交通費は無し。
なお今度の国立劇場遠山桜天保日記の主役は尾上菊五郎である。次の新国立劇場のこけら落とし公演でまた遠山桜天保日記が上演されないのだろうか。

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75からサ-ドライフ、85から90まで4thライフ、91からは儲けもの

2022年12月19日 | 宅老のグチ
75歳からのサードライフ  -後期高齢者の心・身体・死生観-宮崎 雄二著
2019年7月
 インド仏教の話があって、高齢の人がガンジス川周辺を歩き回るという。これを遊行というのらしい。日本で遊行と名の付いた寺院がある。藤沢の東海道脇の遊行寺で一度訪問したことがあるが普通の寺院であった。遊行(ゆぎょう)とは、主に仏教の僧侶が布教や修行のために各地を巡り歩くことらしい。 
今多摩川河口から上流の羽村取水場まで53Kを歩行する企画の半分以上歩いた。土手道歩行でアップルウオッチの数字で1Kmを13分から14分で歩いている。これは不動産業界の歩行速度1分80Mより少し遅い様だ。道理で朝の通勤時間に歩いているとハイヒ-ル靴の女性に追い抜かれる。やはり仕事をしていないので急ぐ歩き方をしていない。歩行速度を1Kを12分台にすると汗が出てきて、服を脱ぎたくなる。川風が寒く感じるときでも12分台は1時間で5Kの歩行となる。
 この歩行速度が遅くなると急に体力が落ちるという高齢者本があった。相関関係があるという。横断歩道の幅と高齢者の歩行速度を考慮して信号時間を決めているという。本当かな。信じられない。
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消え物.  劇場での観劇

2022年12月18日 | 宅老のグチ
芝居等で舞台上で本物の食べ物を消え物と言うようだ。自宅転居で家が狭くなり、物を買えば同じ容積のモノを捨てねばならない。今回の転居の先には介護施設への入居も考慮しているので、ツイの住処の広さはせいぜい6畳一間くらいしかないと感じる。そこに私物のモノを保管するとなるとはぼ何も増やせないことを実感する。
 家人が日フィルの年末のコンサ-ト(第九)のコンサ-トへ行った。3年ぶりというがどうも戻ってきた時に話したがベート-ベンの第九は合唱が命なのにマスク姿で歌っていたという。本当なのか信じられない。あれだけの多人数ならばコロナ・オミクロン型は簡単に練習中から感染拡大となる。何か劇場に行くことは演技者も観客も連帯でオミクロンに対抗する行為と感じる。家人の出かけるときの言い訳で3年蟄居し我慢の限界にきて出かけたようだ。
 来年の国立劇場の遠山桜天保日記のチケット購入決断が出来ていない。コロナの感染拡大が続いていて、無理して行かなくてもいいと思いと、後15年は遠山桜天保日記の再演がないと思う気持ちもある。今生の見納め。年末は亡くなった人の懐古の時期でもある。
 もうネット予約開始して数日たつが初日以外はチケットが残っていて、さらに歌舞伎以外の落語等が12月の席が余っている。やはりコロナ感染が高齢者は怖いのだろうか。
 関西の阪急電車の梅田発の終電が11時台になるようだ。電車の込み具合の減り方も激変している。チョット前の勝ち組も対処を誤れば負けになる。2022年は間も無く終わる。
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遠山桜天保日記の押上の最教寺 まだ1件落着ならず。

2022年12月17日 | 宅老のグチ
墨田区の中央図書館的存在の曳舟図書館で2022年1月上演の中でセリフで出て来る押上の最教寺のことを調べた。今はこの寺が関東大震災で杉並に移転し、さらに環状7号線に敷地がとられ、八王子に移転した。従って最教寺の史料は本所区史でもほんの数行しかない。曳舟図書館の司書さんに出してもらった文献では押上の切絵図では最教寺と大雲寺が並んで描かれている。墨田区業平3丁目付近の地図では業平公園の隣に大雲寺(役者寺)跡と表記されている。またこの区画に相撲部屋の友綱部屋が書かれていて、現地に行ったら大島部屋だった。これまた調べると、2022年2月1日に変わったようだ。これでは道路の地図の変更も間に合わない。大島部屋の隣の業平3丁目集会所の所に墨田区教育委員会の説明版があって、大雲寺には歌舞伎役者の墓があって、それゆえ役者寺と言われていたようだ。最初の竹柴其水作遠山桜天保日記の上演は明治26年のことでその当時は押上の最教寺と大雲寺は並んで建っていた。やや最教寺の方が敷地が広い。江戸時代は身分の差別が残っていて想像だが最教寺の方が大雲寺より格上と感じる。曳舟図書館でやっと探し出してくれた最教寺の文献の中に蒙古襲来の文献があった。また大雲寺の説明版には尾上菊五郎の墓があったという。これも調べると江戸川区西瑞江に関東大震災以後に移転したようで、歌舞伎役者墓碑群 - 江戸川区指定史跡、平成18年3月28日告示 となっている。尾上菊五郎の墓は初代.3代.5代.6代の墓があるようだ。
 今回の国立劇場さよなら公演の出し物として天保の改革で歌舞伎が窮地に追い込まれ、遠山金四郎の活躍で歌舞伎が今日まで残ったということで恩人とされています。天保の時代の記憶がない戦後に初演から50年経って上演されたのですが松竹大谷図書館で見た台本ではどれも押上の最教寺のセリフがあります。
 これにて遠山桜天保日記のセリフ、押上の最教寺の調査は1件落着となりそうだが、竹柴其水の五代目尾上菊五郎への忖度かもしれない。本当は押上の大雲寺としたかったかもしれない。まだ落着しそうもない。
五代目 尾上菊五郎1844年7月18日(天保15年6月4日)- 1903年(明治36年)2月18日)
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