年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

7月30日梅干しの日 730 難(7)が去る【申】。さる年の梅干

2024年07月31日 | 梅干
漬物業界に入って、長いのに申年の梅干しという言葉を聞いたのは20年程前の事だった。江戸時代の申(さる)年に病が流行り、梅干しを食していた人が難を逃れたという言い伝えから始まる。申年自体は12年に1回ほど回ってくるので、もっと早く知っても良いはずなのになぜか知識として知らなかった。ある年の梅干しの包装に縁起の良い申年の梅干しと書いてあり、その由来とかの記述があった。
 縁起物といわれる申年の梅の中でも、60年に一度の甲申年の梅は特に縁起物中の縁起物という宣伝文句。最近の甲申年は平成16年・2004年です。今の梅干しは塩分控えめになって、長期保存食の役目が終わり、賞味期限が設定され、保存食の役目が終わりました。商品によっては塩分3%程度のものがあります。この塩分低下は調味料の添加でもたらされていて、保存料の使用はされていません。これは梅干し業界の協定で保存料不使用が梅干しという表示の絶対要件となっているからです。従って保存料不使用という広告で梅干しと名乗ることは違反となります。
 梅干し自体の塩分は15%を超すと保存性がまします。そして20%を超すとほぼ管理が良ければ長持ちします。多くは甕入りで保存されていました。多くの塩分が多い梅干しの味が良いと言われるのが3年物から5年ものです。それはクエン酸と塩分のバランスが良い時間です。市販されているのは通販しかないようです。多くの梅干しの宣伝文句では昔ながらの梅干し。着色料は赤シソの葉、自然塩。15%以上の塩分。
 しかし5年以上たつと、梅の表面に梅干しから出た塩分が再結晶し、白いカビのようなものが出ます。これは業界用語で白カビと言われ、商品価値が減ります。本当にカビの様に見えます。ある時小田原の業者が台湾から輸入した梅干を放置していた所、白カビが出て、お湯で白カビ化した塩分を取り除いて、販売しようとしましたが、表面は塩分が消え、中がしょっぱい梅干し状態でした。これでは販売できないので鰹節にシソの葉を混ぜ、白カビ除去のかつお梅干しが出来ました。この混ぜる梅干しは皮が固い台湾産梅干しです。今のエキスの調味かつお梅干しは梅の皮の破けやすい紀州の梅です。
 多くの失敗から再利用の工夫が始まります。梅干しにハチミツを混ぜる工夫があった時は驚きました。
 
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7月29日 しちふく 福神漬の日

2024年07月30日 | 福神漬
数年前に日本での福神漬最大出荷数の製造者 新進が申請し、7月29日が福神漬の日となった。このことはカレ―ライスの夏場需要に合わせて制定された経緯がある。
 福神漬の命名由来には七種類の野菜とあって、一番最初の時は3種類から始まり、上野・谷中界隈の七福神巡りから、七種類の野菜となり、福神漬となった。ここの野菜の内容は時代によって異なり、今では貴重なマツタケも入っていた時代があった。特にその中でナタマメという野菜は、これが入っていない福神漬は偽物と見なしても適切である。
 ナタマメは江戸時代初めに中国から日本に来た野菜である。見た目は野菜とは思えない。一応薬用の用途で入ったのだが今でもその効用ははっきりしない。牧野博士の薬用植物で効能が書かれているが、漢方薬として使われている様子が見えない。何か口臭予防の効能をうたっているものがあって、使って見たが値段の割に口臭が消えた感が無く、二度と買わなかった。でも今でも口臭予防の効能を出している歯磨きがある。
 さて福神漬には公式と言うべき、国の定義がある。日本農林規格 JASで今のネット検索で出て来る規格は二回目の規格改定時である。
 ふくじん漬け 農産物しょうゆ漬け類のうち、だいこん、なす、うり、きゅうり、しょうが、 なたまめ、れんこん、しそ、たけのこ、しいたけ若しくはとうがらしを細刻し たもの又はしその実若しくはごまのうち5種類以上の原材料を主原料とし漬け たものをいう。

 ふくじん漬けは大分類上では農産物しょうゆ漬け類に含まれ、特に生産量が多いためと、中に入る野菜の規格がまちまちだったため、特に制定され、関東の業者の意向が反映されていた。しかし時代の変化で野菜の生産量の変化で、改定時に最初に材料として含まれなかった、キュウリが入ってしまった。これは江戸時代に徳川の家紋に似ているキュウリの切り口が嫌われていて、下品の野菜と嫌われていて、幕府の初物規制を逃れ、幕末には多く品種改良と栽培普及があった。しかし福神漬の由来から、徳川幕府の上野寛永寺絡みで、酒悦の福神漬にはキュウリは入っていないし、関東の福神漬生産者はこの故事を知っていて、普通はキュウリを入れない。今の表示規定で量の多い上位の数種の野菜なので、キュウリを表示しているのが少なくなった感がある。やはりカレ―ライスの付け合わせで、刀豆ほど目立たない。
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 35度超えの天気予報で

2024年07月29日 | 宅老のグチ
朝新聞を取りに行き、気温と空を見る。予報の裏読みで出かけないと判断。この暑さは高齢者にはつらいし、まだ学校の夏休みが始まったばかりで、下手に救急車騒動となれば、検査の餌食となって、10日間は格子の無い留置となる。昔なら病室へ見舞いが入れていたが今はコロナの新型が再度の蔓延中で、ワクチン接種が自己負担という報道があって、不要な訪問はきらわれる。
 新聞報道で、今年の夏の日本人の国内旅行が節約で減る傾向があるという。それでも朝から異国人観光客が電車内にいて、いつも座れる席が奪われる。渋谷のスクランブル交差点での撮影とハチ公との記念写真。そこから上から眺めるビルの屋上も予約制。そのうちJR新宿駅の朝の通勤ラッシュ時の体験ッア-もありそうだ。行列と短い時間の乗降は他の国では経験できない体験で、基本的にただの体験。入場料が掛からないし予約もいらない。
 今日の予報で40度というのがあった。これで出かけない。でも昨日は大田区の昭和の暮らし博物館へ行った。思わぬ出会いがあった。8月に何か大学生の学芸員の実習生が来るという話で、様子を伺った。叔父の沖縄での特攻の本がアメリカから届いて、英語なので読めない。そこでグ-グル翻訳を提案されたのだが、辞書を引きながら読んでも肝心の所が理解しにくい。日本の戦闘機の機種判別の用語があって、何かオスカーと読める。アメリカ映画の祭典のオスカー賞のようなのだろうか。そうなるとゼロ戦はどの様な軍事用語なのだろうか。
 いまウクライナの戦争中で初期の無人攻撃機をカミカゼドロ-ンと日本の新聞が書いていた。でも今は自爆型ドロ-ンと書いている気がする。クレ-ムがあったのだろうか。カミカゼ特攻は人が搭乗していて敵に突っ込んでいった。文献を読んでいた時、日本は最初の神風特攻隊をジンプウと読んでいて、途中から米軍がカミカゼ攻撃と言っていて戦果と恐怖心をあおる効果と認識し、攻撃名をカミカゼと呼称を変更したように見える。いつからかはわからない。
 この様な話を昭和の暮らし博物館で雑談していた時、一人の高齢の女性が本を持ってきた。チラッと読むと、戦後にアメリカ軍人と結婚し、最近日本に戻ってきていて、その経験を本にした様だ。そこで会ったばかりの人にLST808の著者とコンタクトを取りたいとお願いした。どうも軍歴から硫黄島・沖縄戦にも参加していたようだ。
 色々な偶然がまだ続いていて叔父の霊は生きている自分にいたずらしている。また昭和の暮らし博物館の人の支援会員の本を読んでいる。南方の戦地で憲兵として活躍し、その活躍から敗戦後にB・C級戦犯に問われ、親切にしていた現地の人の証言で死刑を免れて、日本に帰ってから生まれた子供が著者だった。まだまだ偶然が続いている。
 記憶する戦争 東谷 仁著 やはり死の間際に生きた証を残したいという気持ちが生まれる。そこから子孫が書くか書かないかの判断を迫られる。
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気になる映画 90歳何がめでたい

2024年07月28日 | 宅老のグチ
ふと暑くて出かけることが減り、家でテレビと思っても。作為的な世間知らずのテレビ業界の劣化で、ユチュ-ブ動画の日本礼賛動画を見ている。これも制作支援者の意向があって、出て来る人が白人系美女子が多く、不完全な日本語で純日本人高齢視聴者(日本語しか話せない)を満足させている。景気回復の様子があって、ホームレスの人も空き缶回収業も競争が少ないように見える。
 色々な異国人の動画からの情報で日本人の気が付いていないのが、日本は天災の多い国で、天気情報の隅に地震情報がある。1日のデ―タでも体感しない地震が結構あって、揺れている。この体験は桜の開化の様に多少のずれがあるが地震は運が良くない(かなり語弊がある)と体験できない。また鹿児島県の桜島の噴火は始まると定期的に見ることが出来るがこれも運の問題となる。音なしで桜島の方に噴火による雲が上がり上昇して行く。普通は音が聞こえない。鹿児島県民は慣れていて、噴火の煙も灰が自分の方に降ってこないと気にしないと感じる。
 今は東京は異国人観光客に占拠されていて、特にコロナ前の中国本土人が激減していて、浅草等の観光地の旗振り行列が少ない。あっても放し飼いの動物。動きが遅くキョロキョロ。7月26日はコロナ明けの本格的となる隅田川花火大会の日で100万人の人出となる予想だが先週だったか足立の花火大会は始まる20分前に雷雨の予報で中止となった。多大の中止による損害があった。これも兵庫県明石市の花火大会での事故死事件の教訓から主催者の判断だろう。多くの教訓は事故の裁判の判決から決まる。多くの死から記憶の記録を残す。
 90歳。何がめでたい。という映画を観る予定を立て、さらにひと工夫する。多くの高齢男性が暇つぶしでギャンブル場に行く。ギャンブル老人と一緒のバスに乗る。平和島ボートに隣接する映画館。多摩川競艇、江戸川競艇は眺めていた。一時ボ-トが廃れていて、今はネットでファンは安定したようだ。平和島は開催日にはバス便が多く、非開催日は陸の孤島の映画館。
 映画を観た後に高齢ギャンブル人と共に無料バスでJR大森駅まで帰る。無料は最強。お金を使わない高齢者の脳を刺激して使わせる仕組みは何処から来たのだろうか。中国の不況を脱出するには公営ギャンブルが必要と思う。これこそ管理中国の本領が出る気がする。ギャンブル・宝くじは人生の終わりのヒトのささやかな夢。最近のニュ-スでタイ国で無年金者へ、外れの無い年金宝くじ計画が行政の段階で承認されたという。どのような制度か気になる。新聞の評価では失敗するという。でも自分は日本で余裕のない40代と低年金の女性の人に希望を与える制度かもしれない。でも自分はギャンブルはしない。理由は才能が無いということに尽きる。負けてばかりではやる気が出ない。ギャンブル中毒の人は最初は勝った人だろう。
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混沌とした時代の報道の標準化

2024年07月27日 | 宅老のグチ
 紙媒体の報道が絶滅危惧というか情報品質の劣化で、時には虚偽報道、事実の確認無き報道など不祥事が散見出来る。これも昔なら時間がかかって追及できないが今は画像と音声というのが残っていると検証が早い。その検証もAI技術が進歩して、偽造も簡単の様に見える。
 明治期の新聞はまだ読み書きできる人と新聞というのが割と高価で今の掲示板というような施設を明治政府が支援していた。紙の新聞購入者も回して読んでいたようで、発行部数よりも読者(文字を読める人からの伝聞で)は多かった。始は政治経済情報からはじまり、読者の気を引くような市井の様子の報道、そこから犯罪報道になり、芸能情報となる。読者層の拡大には漢字にルビを付けて読みやすくしていた。印刷の活字が今でも小さいのにそこからルビとなればもっと小さい活字が必要となる。どのようにしていたのだろうか。木版印刷は多くの木版を作る人を要し、さらに刷る枚数も少なかった。そこで金属の活字で印刷するようになると、出版部数が伸び、販売価格も低下し、価格の低下で情報流通が増えた。そこで新しい仕事が増えた。
 今強制的というか地球温暖化という、体感する気候の変動と空気の汚れが、自国だけでなく他国に行くことで、共通の概念が形成され、その加害者が交通となっている。車と飛行機。
  地球温暖化で家人が外歩きの位置情報途絶を怖がっている。ところが歩き時間はエアコンと離れているが電車バスはエアコンがある。特に都営浅草線浅草駅に設置されているエアコンの空気吹き出し口の冷気は低い温度で、一気に外で体温が上がっても、次の電車の待ち時間が苦にならない。極楽極楽。

 今から思うと不景気の時の日本・東京のテレビ報道で築地の番組が多かった。それは東京と言うことで、経費が掛からないし、仕事柄タレント言われる人がいても、しばしば来ていて、そこで眺めていては時間切れで配送が遅れる。そのため野次馬警備費用が少なくて済む。中国の百度という検索でランクの上位に出て来る話題が、政府礼賛記事が減りつつあって、孝女・孝子礼賛記事が目立つ。どうも中国日本人学校襲撃事件で犠牲になった女性が日本人の評価が高いため、中国として評価を上げたようだ。汚染水の問題でも、中国政府の意図に反して、中国人が日本で寿司を食べている。そして不都合なのは違法に他国経由で中国に入っていた日本産食品が消えて、品質差があるようだ。世界の日本食というレストランの数は中国がダントツの1位という。台湾・韓国も日本産水産物規制しているが福島沖で中国船が漁獲しても中国産となる。同様な産地表示は世界共通となる。でも管理は日本だった。いまは完全にノルウェ-に負けている。これは高齢漁業者と補助金狙いの日本の仕組みが漁業の衰退を招いてしまった。とにかく漁港が多いし、工夫が足りない。最低賃金が50円アップという報道でどこかの県知事がこれでは零細業者が耐えられないと言っていたが間も無く他の県からの人さらい業者がやってきて、動きやすい若い女性・男性をかっさらって行くだろう。そこで仕方なく日本より貧困国の移民に頼ることとなる。これはバブル少し前に築地市場で経験した。いい人材は動く。若い人は未来がある。田舎の老人支配国には未来を語る人が少ない。
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台風3号の進路予想を中国と日本とに差がある。

2024年07月26日 | 宅老のグチ
台風3号が今中国大陸に上陸していて、まだ中国本土の報道が出ていないが多大な被害があると予想される。少し前にこの台風をチェックしていたら、この時はまだ台湾に上陸する前で日本と中国の台風3号の進路予想は同じだった。それから3号が台湾上陸寸前に夏台風の迷走があって、そこから中国と日本の針路予想が違ってきた。中国の予想では、大陸に上陸後、まっすぐ北京の方向に向かっている予想図だった。ところが日本の針路予想ではどちらかと言う北上より、西向きの方向で、中国にとって一番不都合な方向に進路が予想されている。なぜ不都合かと言うとこの地域ッは少し前に堤防決壊し氾濫した長江と洞庭湖があって、さらに長雨で三峡ダムの放水が最大限放水中で、そこに台風の雨が加わると、洪水を招く放水もせざるを得ない。日本の川は海まで近いので台風の進路を見ながら事前放水することが可能だが、中国のダムはどちらかと言うと電力確保のダムで洪水調節のダムにはならない。
 従って事前の台風の進路予想を北京方向にして、重慶方向に向かっていった時、三峡ダムの放水を過度にして、再度の洞庭湖反乱を招いても、台風の進路が変わったということでごまかすことが可能となる。言論統制の中国でこの様な見方が日本の天候予想屋が見ている。結果は間も無く出る。この洪水のニュ-スは検閲中国の限界のお試しとなる気がする。どこの国でも役所は責任の所在をあいまいにする。

 オリンピックが始まったが時差があるので、タイパと言われる方法で記録確認後に時間差でネットで見る。何か京都のニュ-スで市内の高級ホテルが空いているという。鴨川の土手に歩いている姿が見えない。京の夏は盆地の気温で体感温度は50度もあるだろう。この時期は貧困旅民が京を激安で動き回る。どうも伏見稲荷は午前6時頃から無人の千本鳥居で一人占め写真が流行っていると見える。

 予約していた本が届いたメ―ルが来た。HINT-POTの福神漬の記事の違和感から引用文献で東京出版の岡田哲編 食べ物辞典をかりだした。  
 やはりこの本から香煎の文が出ている。福神漬の由来等には缶詰の事を書かないと記事がおかしくなる。上野公園の水産博覧会の開催日時が、引用のミスで年代が間違っている。そこから酒悦の創製年月日が狂ってくる。
 第1回水産博覧会は1883年(明治16)3月から6月に及ぶ100日間,東京上野公園内で開催された。ここで缶詰の製造機械が展示された。近所の池之端酒悦主人がこの缶に漬物を入れ工夫し商品にしたが売れず、戯作者の梅亭金駕に相談し、七種の野菜を入れ、七福神巡りから福神漬と命名した。時期のはっきりした文献はまだみつからいが明治18年から20年の頃と思われる。
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25日超早朝の急展開 忍野八海にお賽銭箱設置願い

2024年07月25日 | 宅老のグチ
午前2時に目覚ましをセットして、NHKプラスというアプリでパリオリンピックのサッカ-を見る予定だった。ところが起きたのが2時30分でアプリを見ると、何か試合でもめ事があって、ビデオで日本選手がかかとを踏まれていた。何か相手の選手たちが愕然としていて、点差が1対ゼロで日本が優勢で、また寝てしまった。それから二時間ほど経ってまた起きたら、ネットニュ-スで5対ゼロ。さらに円相場が155円台の初めに上昇という。これは円安に賭けていたFXの人達へのブラックサ-ビスかもしれない。さらにドイツ首相がハリスが次期大統領になる確率が高いという。そんなニュ-スに加えて、トランプ側のニュ-スが手のひら返しの悪い話が多くなった。まずテスラのマスク氏のトランプの献金が報道よりすくない。さらに副大統領候補のバンス氏の過去の言動が酷すぎる。これは今までの副大統領の役目以上に、高齢トランプの弱点と見なされつつある。やはり80代の大統領の責務を真面目に考える人が増えた気がする。
日本で確トラと見ていた人たちの見直しが始まる気がする。今度の急展開は日本では考えられないことだがやはりアメリカでも選挙ということに議員たちは担ぐ神輿の威光を気にしていると見える。そこから日本はヨロズの神から、何でも良いように見える。
 さらにネットニュースで日本の最低賃金が50円上がるという。これは職を移動できる若い人が動き始めていて、スマホゲームで無料にするための宣伝動画で求人系が増えている。特に目立つのが看護師・介護系と感じる。日本の人口の様子も見えてきて80万人ほど減ってしまった。そこから異国人居住者が増えて、差し引き50万人ほど減った。しかし異国人は若いので労働力が減っていないという。ここに円高が加わると、合法的な残留者が増える気がする。英語の不得手な日本人が急拡大している、欧米系の観光客用の一時ビザ拡大がありそうだ。
 円相場もあるが日本の文化はモッタイナイ精神でこれに反する行為は入国忌避としても良い。中国検索の大手でキレイな水で有名な忍野八海の池にコインが1Mも積み上がっている話題があった。ここは飲み水ではないがゴミ捨て場でもない。忍野八海の池に鳥居を作って、お賽銭箱にコインを入れるように誘導して、ご利益は富士山神社のお札というアイデアが地元に欲しい。鳥居の位置はスマホ写りの良い所が望ましい。山梨県の人達の工夫が必要。やたらと水底を清掃することは好ましくないと感じる。集まったお賽銭は池の美化の用途に使うと良い。宗教でないので問題は無いと感じる。これもヨロズの神の御利益。お賽銭箱は数か所あっても、宗教でないのでバチはあたらないし、混雑緩和となる。
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hint-potの福神漬

2024年07月24日 | 福神漬
グ-グルアラ-トに福神漬を登録した。するとメ―ルが来てhint-potの情報で神田のカレ-店巡りの異国人が何か気になるものがあるという。その記事は福神漬と言うことで、ライタ―さんが短くまとめたものだった。多くのカレ―本に福神漬が書かれている。しかしあくまでもカレ―の記事が主体であるために、本格的に踏み込めない。調べると調べるほどその事実関係の背景確認が必要となる。一番基本の文献は池之端の酒悦さんのHPだがこれにも検証できない事実があって、書くことのが出来ない部分がある。しかし検証できないからと言って、記事にしないと読者が納得できないと思うだろう。多くの読者は漬物のような食は事実関係の検証まで要求していないので今までの通説で、最後に一言加えて逃れる。その言葉は 諸説ありますが 。この言葉が乱発しているテレビ番組がある。NHKのチコちゃんに叱られる という言い訳過多の放送である。多くの食の世界で検証できるものが少ない。特に年代は味や意匠等の変化、改良が激しく、日々変わってそこ。そこでブランド名を変えて行くときもある。この時は記録があって検証しやすい。酒悦の福神漬でも多くの食の辞典で明治18年創製説が出ている。しかしこの原本と言うべき出典がまだ見つからない。言い伝えでは明治10年頃から上野の地が公園化し、徐々に行楽客が増えてきて、商材の工夫で生き残った酒悦主人が香煎茶屋から他の商材開発をしていたという。香煎とは茶懐石の飲み物で、この商材をひと工夫し、高級感のある漬物を提供していった様子が見える。最初は3種類の野菜から始まって行った。所が持ち帰りを要求されても当時の液体の洩れない容器は樽か陶器しかなく、重くて不便だった。
 そこで上野公園で開催されていた水産博覧会に出品されていた缶詰を見て、漬物を缶詰に入れることを思いついたようだ。ここから池之端の酒悦の店舗には缶詰入りの福神漬が店頭で今でも販売されている。
 しかし缶詰に入れたことで高価となり、販売には苦労したようだ。このあたりの販売苦心の話はカレ―本に書かれていない。少し考えればわかるのに戦後生まれのライタ―達はプラスチック容器しか福神漬は見ていない気がする。びん詰は比較的残っていている。それでもプラ容器に比べると高い。びん詰の利点は賞味期限が長いので海外需要がある。

また多くのライタ―さんが書き漏れていることがあって、このことを記事にしないと福神漬という漬物が法律用語となっていることの説明が出来ない。酒悦主人は福神漬を普及させるためあえて商標登録をしていない。酒説の福神漬という名称で今は登録されている。ちなみに今の日本で福神漬の最古の商標登録は日本橋の国分の日本橋漬で大正の初めの登録となる。多くの福神漬の缶詰ブランドが日本缶詰協会の缶詰時報の広告欄で見ることが出来る。
 福神漬の由来とかの記事で缶詰を書いていないのはライタ―の手抜き記事と言うことになる。ちなみにhint-potの福神漬 この記事の文献として野菜および園芸 第86巻9号を読むため都立中央図書館で借り出し読んだが、これは香煎のというものの文献で、ネットで調べると京都祇園にある原了郭いう香煎の老舗しか日本には存在しない絶滅寸前の味ともいえる。酒悦は今は香煎は扱っていなく漬物佃煮の店となっている。
京都東山区祇園の原了郭は「祇園香煎」の名で知られる香煎の老舗で創業の由来が赤穂の討ち入り関係者と言うことになっているが、野菜および園芸の記事では、もっと古い時代にさかのぼれるという。多くの食の老舗は普通は創業時を古く書くことが多い。所が原了郭の店は忠臣蔵の方をとっていたようだ。多分多くの同業者があって、ブランドとして忠臣蔵のほうが良いと思ったのだろう。
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80歳も目先となれば

2024年07月23日 | 宅老のグチ
間も無く80歳になる。75歳を過ぎると4捨5入で80歳となる。若いうちは自己都合で、年齢の切り捨て、切り上げ、4捨5入で適当に使っていた。所が混んでいるバスに乗って、若い人に席を譲られた。自分自身も後から来た、高齢不自由人に席を立って譲ったこともある。その様な時は、自分はまだ若い、譲る気力があるという気持ちが残る。
 バスの後部座席に乗って、小野の小町の事を想った。百人一首のカルタの顔の絵が無い。これは札を見ている人の美女という概念が時によって変わっていて、カルタのような長期に使える絵は顔が無いほうが良いとなったという。バスの後部座席の前に女性が座ると、スマホで暇つぶししているので、座る前の顔の記憶が無い。動き出すとスマホから目をあげると、きれいなうなじが見える。でも顔の記憶が無い。バスが停車し、その女性が降りる時に顔を見て、イメ―ジと違った顔があって、スマホを見ていた方が良かったという経験もある。80歳は人生の終わりに近い。男性平均寿命は83位なので普通なら健康寿命から介護の初期となる。
 2025年の団塊世代が75歳になって、医療保険制度が苦しくなっている感じがする。6月に来た、後期健康保険料の負担金額、住民税、介護保険料の改定通知、そして最後となりそうな後期高齢者保健証。これには該当者に負担割合が記載されていて、医師の過剰診療を招くという気持ちがある。マイナンバ-なら、精算時に負担割合が判るはずで、後期高齢者健康保険証に負担割合が1割、2割、3割と書いてあれば、患者を生かしておく意欲が出る気がする。アマゾンが調剤薬局大手と提携したという。これも待ち時間等を考えると、進化するだろう。道理で薬学部の人気が下がっていると感じる。そのうちウ-バ-等の配送業者の薬の配送もあるだろう。
 デジタルサービスの発達している中国で飲食のデリバリ-が停滞気味という。その理由の解説で激安飲食店に収入不安の人が向かっているという。労働者・学生が配送費用のない安価な飲食店に行くという。これはデフレの日本でも過去あって、神田等の大学の学生食堂に一般人が節約で入っていたこともある。味より量。この様な報道は日本化を嫌っている検閲中国の検閲漏れでもある。そのうちに寮生活をしている大学構内に卒業生が不法滞在する事例もありそうだ。日本で有名なのは京都大学の吉田寮だろう。京都大学 吉田寮は、京都大学吉田キャンパス吉田南構内にある現存する日本最古の学生寄宿舎。築100年を超える木造校舎。これは裁判しないと地震で倒壊時に補償問題が出る。住むには命がけ、自己責任。大学の自治。ここに住んでいる寮生は福井の原発に地震が無いと思っている人だろう。阪神淡路震災で吉田寮は崩壊しなかった。これは奈良の塔より耐震性がある。耐心性と書くべきなのだろうか。この建物をみたことはないが築地と同じようにネズミが住んでいる気がする。ネズミがいる限り吉田寮は安泰となる。80歳近くとなればこのくらいの妄想しか出ない。これも35度の暑さのせいだろう。
 安さは全ての困難に向かえる。これが許されるから日本が長期のデフレで激安日本人となってしまった。無責任な評論家が確トラで1ドル200円、500円と言っている。動けぬ日銀がトラの出方待ちとなる。阪神のトラは今年は半身不随のようで、パインアメも値上がり必至。
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もののあわれ(物の哀れ) 熱帯夜の夜に秋を想う

2024年07月22日 | 宅老のグチ
エアコンの効いている夜に寝苦しい時、パソコンの時事メ―ルが届き、バイデン撤退の文字、ハリス副大統領を指名とある。名誉ある撤退を選択したと見える。先の戦争で日本の指導者はこれが出来なかった。広島・長崎をはじめ多くの無駄な命を戦争継続で失った。
変わり身の早い世界で古老の頑張っている所が苦しく見える。特に東アジアの国は転換が遅く感じる。日本の最低賃金の話で、これ以上上げたら経営が破綻するという企業の経営者の声があった。今苦しい中国では多くの破綻報道があるが、それ以上の起業の話もあって、何とか成り立っている感がある。バブル崩壊後の商売で他社より高いものは値引きしますという宣伝があった。これは今から思うとデフレを長続きさせた、不法な宣伝とおもう。利益を出すため労働者の雇用条件を下げ、生き残った。でも低賃金と言うことが円安・コロナ明けで海外からの異国人が激安日本と言うことで混んでいる。これは敗戦後の日本の様子と似ていて、進駐軍(中国・韓国・台湾・フィリッピン・タイ・インドネシアを除く)観光客に日本の観光地が占拠されつつあって、そこから低賃金のホテル清掃労働者が逃げていて、日本人経営者が嘆いているニュ-スがあった。これも間も無く低賃金で働いている、社会的評価の少ない仕事から日本人が消える前兆である。この経験は自分が築地で働いていた時、バブル時にどんどん築地から真面目な労働者が消えていった。インフレでも食の世界は消費者の許容価格というのがあって、値上げが出来ない。消えた若い労働者の代わりに高齢日本人と不法入国の中国・バングラ・イラン人によって築地が回っていた記憶がある。彼らは仕事場では騒がないし、彼らがいないと体力のない日本人高齢者では数十キロもあるマグロをセリ場から仲卸店舗まで運べない。その後にバブル崩壊があって築地に仕事の無い若い人が戻ってきた。今再び人手不足の時代が始まるがやる気のある人をはたらかせるには夢と希望と高給でしか繋ぎ止められない気がする。
 どうも長期低迷のリセット・再起動の時期が来たようだ。これに対処するには体力しかない。知力があってもいまのDXの進歩は早すぎて、勝ったと思うと弱点を探して負けとなる。

 方丈記‣徒然草になぜか惹かれる。本居宣長の本を読み始めた。もののあわれ・まだ夏が始まったのに気持ちは秋の夜長。ハリスは誰を副大統領候補にするのだろうか。
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荒川区史を眺めていて

2024年07月21日 | 宅老のグチ
小説家吉村昭の書斎を模した施設が東京に2か所ある。一つは荒川区中央図書館と三鷹市に今年出来た施設である。荒川区の日暮里で生まれた吉村は年表から戦時中に転居するまで日暮里に住んでいた。従って震災・戦災の話は良く聞かされていて、特に戦災には当事者の経験も加わる。
 荒川区史によると、上野の寛永寺が創建され、家光の代から徳川の墓所としての地位が上がり、寛永寺の東側に寺領地が広がっていったようだ。それゆえ地元の人は寛永寺に対しての恩顧を感じていたようだ。当然の様に荒川区の人と寛永寺の人との交流があったと思われる。
 家光時代から、寛永寺の格が上がり、西国に波乱があった時に、東国の地で天皇に縁のある人を擁立する思惑が出て来たようだ。初代の輪王寺宮は守澄親王(後水尾天皇皇子)でタクワン和尚の事件(紫衣事件)が思い出されます。そして最後の輪王寺宮は福神漬の命名伝説の中心人物です。紫衣事件についてはタクワン漬の歴史で記述する予定ですが東京都品川区にある品川歴史館の学芸員と私の見解は一致していてタクワン漬の創製者は沢庵ではないと思っています。
 さて荒川区の区史で戦前の発行の区史は薩長史観(皇国史観)による記述から彰義隊の戦争の部分は今のような彰義隊よりの記述となっていない。遠慮気味の記述となっていて、戦後の区史では彰義隊敗退後の無念さを自由に語っている様子が見える。
 日本人の歴史観は輪王寺宮(北白川宮能久親王)をどのように評価するかによって、皇国史観(薩長史観)に汚染度が計ることが出来るとおもう。皇国史観を否定している左翼史観もこと輪王寺宮の評価は薩長史観と同じように見える。
 九段下駅に隣接する昭和館4階の図書室に能久親王御事蹟という表題の本が2種類ある。一つは台湾教育委員会の出版で、もう一つは陸軍の偕行会の有志の人達の評伝である。どちらもほぼ同一の記述であるが取り上げ方が異なる。そこに森鴎外の能久親王御事蹟が加わる。表面上は3種類あるように見えるが森鴎外は小説家と知られていたので本の編纂者の様に見える。実際は名義貸しと思われる。
 能久親王の事蹟で一番問題になるのが上野戦争時の輪王寺宮の京都方に対する態度をどう記述するかの問題となる。陸軍有志はこの問題を覚王院義観の一人に責を負わせ、暴走し、彰義隊の戦争に導いたという記述となっている。今の幕末史では西軍には幕府を壊滅させる意図があって、静岡での妥協はあり得ないという意思で統一されていたことが知られている。

 戦前は皇国史観によって荒川区の人達の彰義隊戦争を残念に思っていて、それが爆発したのが明治20年代の東京開府300年のイベントからである。皐月晴上野朝風という竹柴其水作の歌舞伎興行も大成功だった。序幕は上野寛永寺の寺の鐘の音から始まり、上野公園で開催されている博覧会の終了のベルの音で終わるという演出だった。鐘の音は平家物語を模している。諸行無常を表す。明治20年になればもう幕府に戻ることは無いという明治政府の自信ともいえる。


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歯医者の待合室で新聞を読んでいて

2024年07月20日 | 宅老のグチ
色々な新聞が購読部数の激減で、夕刊廃止記事が気になる。歯医者の待合室で普段購読していない新聞を読んで思うことがあった。予約制なの待ち時間が減り、雑誌を読む人はあっても新聞は読まない。見かけるのは図書館の高齢男性。
 どうして土曜日の夕刊は廃止しないのだろうか。週休二日制となって、土曜日の電車はすいている。その日の夕刊の記事の精彩が無いことを感じる。土曜夕刊を廃止し、月一回の月曜日の新聞休刊日を無くしたほうが良い気がする。もうネットの時代で月曜日の月一回の休刊は惰性で動く日本の象徴と感じる。特に日曜のスポ―ツイベントで休刊の日に当たって、夕刊では月曜の話題がネットで知っている人しか伝わらない。
 歯医者の待合室で読んでいたのは朝日新聞で白井さゆりさんという人の日銀審議員時代の回想だった。消費税の増税・駆け込み需要・その後の景気の見通しの見解が異なっていた。今でもこの回想が通じる世界であれほど政府がばらまいた給付金の効果か感じられないのは政府の上層部と官僚の思考の弱さがある。
 日本国による最底辺の人達の見下し感は今でも国民に残っていて、政府への信頼はタンス貯金となる。このタンス貯金の出動も度々国によって騙された。一例をあげるとNTT株の上場で上場取引日に売却した人以外は長い間塩漬け株だった。10万円金貨もやっとウクライナ戦争でお宝となった。今の統計で日本の金融資産の大部分が高齢者が持っていて、投資に動かないという。つまり投資に向かっていないというより損をさせた歴史でもある。国債の増発で給付金を出しても、政府の宣伝は詐欺師の声の様に聞こえ、使うことなく貯金が増える。使う人は生活困窮者と毎月の安定収入のある人で非正規労働者は消費に回せず貯金か返済に回す。

 渋沢栄一の新札で早く動いたのは詐欺師と紙幣交換の機械。でも自分は新札が欲しいわけでない。触りたいだけである。その詐欺師の報道も今は少ないと感じる。タンス貯金が物価上昇で減っているのだろうか。中国での大きな会議が終わった。何も新規の経済対策というものが出ていないという新聞報道。そうだろう中国が日本のバブル崩壊後の長期低迷で日本を研究したというが日本がことごとく経済対策を失敗した事例で何も役に立たないことを実感したようだ。良いと思う経済対策でも下層日本国民の政府不信感を消し去ることは出来ない。それでも野党に投票できないのは現実を知らない高学歴・親ガチャ野党議員で生活保護の人から議員になった人がいるのだろうか。日本は議員になるのは金がかかる。
 小池都知事のカイロ大卒疑惑で、何故これにこだわるのだろうか。中卒で議員という人はいないのだろうか。日本国民という資格の方が重要とおもう。
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98歳の人の免許更新

2024年07月19日 | 宅老のグチ
考え事しながら歯磨きしいて、その後に歯間に挟まった、物を糸ようじで取り除いていたら、金属の物がとれた。慌てて曜日確認して、あさイチで歯医者へ行く。これで今日の予定は全部変更となる。通っている歯医者はこの程度の歯の治療は2回で終わる。その後一回は全体の歯の様子の点検で終わる。
 1週間たって、歯医者へ行く日が来る。この頃1年に一回くらい歯の欠損がある。緩んでいるのは暇つぶしの糸ようじが悪いのか。
 暇な日常でも雑用があって、その雑用でも考える。新紙幣が発行され、すでに2週間ほど経っていて、生活費をクレジットカ-ドでなく現金と思い、銀行に行って引き出したが、出てきた紙幣はくたびれた福沢諭吉だった。ふと思ったのだが新紙幣自体は王子の印刷博物館(お札と切手の博物館)、日本橋の銀行博物館で見ている。だが触っていない。どこへ行ったら出会うことが出来るのだろうか。時間が経てば渋沢栄一に触れる時期も来るだろう。500円の新貨幣はまだ財布に滞在時間は短い。使えない両替機がありそうで入ったら出来るだけ使ってしまう。
 そんな雑念で暇つぶしししていたら、ネットニュ-スである人が98歳で運転免許更新していて、ネット人が返納コ-ルが出ている。自分としては今運転免許を返納すると、いま中国・アメリカ・日本でカテゴリー4まで来ている自動運転車に乘れなくなると思っている。自分は羽田天空橋駅付近での完全自動運転バスに乗って、経験している。自動運転による駐車支援もすでに存在する。
 高齢者運転の、逆行・暴走はあることは否定しない。しかし過疎地の生活には100歳でも車が必要となる。この辺りは中国からやってくるだろう。多分日本では命の補償問題で無理だろう。人権意識の少ない国の技術開発が進む。日本は先の敗戦でアツモノに懲りて、ナマスを吹く国になってしまった。もしかすると中国の研究者は人工子宮とか豚に人間を産ませる研究をしている人もありそうだ。すでに最貧国で女性の腹を借りて産ませている事例もある。

 酒を飲んだら車は乗るな。同様に運転不安なら免許を持っていても極力乗るな。重い車は高齢運転者には戦車と思え。軽い車なら相手の損傷も軽い気がする。
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地域史を読みに麻布十番へ

2024年07月18日 | 宅老のグチ
曇天の日に都立中央図書館へ行く。麻布十番駅から歩いて行くが、この頃の麻布十番付近の変化は激しい。商店街自体はさほどの変化は昼間には見えないが、図書館へ行く道すがらの変化は激しい。いつの間にアルゼンチン大使館の回りが建築工事だらけとなり、保育園が出来て、大使館前に出来る低層マンションは超高価格のような感じがする。バブル時のドムスブランドがあって、10億のうわさも聞こえる。大使館が多く、常時警察官が巡回していて、治安は良さそう。有栖川公園周辺は道路の拡張があって、樹木が伐採されている。それでも緑は多い。久しぶりにセミの声が聞こえた。間も無く梅雨明けとなる。35度の気温が普通となり、異国人観光客が東京にさらに増えそう。

箕作省吾 この名前が岩手県水沢市史(今は奥州市)に出て来る。江戸時代に西洋の地図を日本で最初に紹介した人。でも記憶では箕作という名前は岡山県の方の人で、思わず経歴を読んでしまった。地方史は学校等で郷土の偉人として紹介される。従って内容には正確性があって、時間というもので評価されている。彼の両親が亡くなり、つてを頼って江戸に向かいます。そこは蘭学の世界でした。東京では水沢(奥州市)という地名は聞き慣れない地名で岩手県の平泉の奥にあります。今年の初めにJR東日本の激安新幹線乗り放題チケットで東北新幹線水沢江刺駅へ行き、高野長英記念館を訪問しました。新幹線の駅と水沢駅(東北本線)との間は歩いてゆくには大変と思いバス便で行くと、大きな川がありました。北上川です。これが岩手県の水運と情報網と言うことが水沢市史によって理解できます。当然北上川下流は仙台藩なので、学問上の交流もあったようです。
 箕作省吾は、西洋医学を学び、シーボルトにも会い、幕府天文台につとめ、医学書や地理書の翻訳にあたっていました。箕作阮甫先生に蘭学を学んでいた省吾は、その才能を見込まれて三女と結婚し、養子となりました。その夫婦に生まれたのが箕作 麟祥です。学者の家系となった箕作家はどの様な家庭教育だったか気になります。
 次に図書館地方史で千葉県干潟町史と飯岡町史を読みました。特に飯岡町史の附編で天保水滸伝で知られる飯岡助五郎のことが詳細に学問的に書かれていて、飯岡の人々がいかに講談・浪曲師によって伝えられる飯岡の悪評に反論しているか興味ある事例でした。
 江戸時代の飯岡は幕府の支配が乱れていて、しかし醤油産業と干し鰯の漁業の盛んなとこで、どちらも通年の仕事でない時期があって、今の感覚だと第三次産業の盛んな町で、賭博や遊郭等があったようです。そこに大原幽学という農村指導者がやってきて、農民の生活改善を行いました。これに反発した博徒が大原幽学に難癖をつけ、訴訟に持ち込みました。丁度黒船が来た時で、訴訟の決着が長引き、江戸での訴訟費用が多大になり、幽学は判決後に自決します。農民が賭博の誘惑に負けたのです。
 正義は時間と運で負ける時があります。

  






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予定の無い日に予定を作る

2024年07月17日 | 宅老のグチ
降水確率と雨雲レーダーでの雲の動きを見つつ、今日一日の行動を決めるが雲の動きが外出には不向きの時は自宅蟄居。そこでやらなければいけないリストの中で気になる案件・・運転免許の更新・・すでに常時運転することが無くなって、最近ではもう一月も運転していない。埼玉へ行く時はシルバ-パスで王子まで行ってJRに乘る。松戸方面はJR金町までシルバ-パス。もう本所吾妻橋駅の位置も把握した。浅草は今は異国人が多すぎて、京都の人達の難儀も理解できる。ただ京都と違って浅草に宿泊する人が多いと見えて、駅そばの大型ロッカ-に預ける人は少なく、街をガラガラ音を出してホテルに向かう。さすがに仲見世の混雑の中を荷物と共に歩く人が少ない。京都の動画を見ていると市バスに荷物と共に動いている風景が見える。東京の都バスには稀に荷物と一緒に観光客が乗ってくるが本当に稀である。まして郊外を走る民営バスは日本人高齢者しか平日昼間に見かけない。
 さて高齢者講習の予約が前回の3年前の仕組みが少し変わって、その原因の解説動画を見た。やはり制度改革のきっかけは、池袋事故という。あの事故の後は自分には関係ないと思っていて、今度の鮫洲の試験でかなり変わった感がある。3年前の事前勉強というか予習で64枚の絵を覚えよう、記憶しようと頑張ったがいざ試験になると、不要な絵が思い出され、正解率が下がった。かなり採点時間がかかったと思われ、試験終了後に不安だった。所が今回の試験は各自のタブレットで解説を聞き、納得した時から試験が始まる。一斉開始した前回と異なる展開で進む。10問回答した時、次の回答でかなずち、カナヅチで迷った。そこで次の回答に向かい12門回答し、記憶が消えた。すると時間があるのにタブレットに終了という文字が出て、顔を上げたら、係の人に試験場から出るように指示された。試験の改革で時間短縮となった。
 その後の説明で教習場の予約に向かうのだが、混み具合が不明で金曜日に電話したが受付終了とのこと。不安となる。多くの高齢者が運転免許の更新を断念する理由の一つに教習予約の困難がある。先送りしていた予約が時間切れで終わる。自分自身でも今は車に乗らないので75歳の運転免許更新費用はほぼ1万円強かかる。コスパの悪い更新だが農業とかの人は100歳でも必要である。
 もの考え方を変えて、病院で認知症の検査をすると、脳ドックに誘導され多大な費用と不安が残るし、さらに次の検診も必要となる。これが運転免許の更新なら費用は1万円で3年間の保証付きとなる日本人証明書。マイナンバ-は認知症には対応していない。免許証か考えようによっては健康証明書。
 タバコを吸わない人に保険が優遇されるのがあったが、普通の自動車保険では無事故割引があって事故無しで半額位になった記憶がある。もし健康に留意する人や企業が介護保険割引等で誘導すれば効果がある気がする。多くの病気は健康診断の継続で判明する。

 自宅蟄居の暇な日に、9時15分に前回の高齢者教習を受けた教習場に電話する。1回目は不通、チョット間を置いて二回目に通じる。前回の講習記録があってすぐに予約が終わる。8月に講習が終われば、更新の眼鏡検査まで体調を整えるまで。築地での健康診断で緑内障の予兆があって定期に検査しているがそれも運転免許更新時に眼科に行っていて、進行はあるが失明までは時間がありそうだ。
 90歳になれば日本人の半分は認知症という。そうすると親族に誰かが認知症になっている。次回の免許更新で寿命の尽きる年齢となる。ソロソロ自由が丘駅の街を歩いて外れにある「九品仏 浄真寺」の焔魔堂でお賽銭をあげ、お告げを聞いてみたい。この仕組みは神社のおみくじのような仕組みで日々異なるお告げがある。
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