年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

歴史問題から

2014年06月30日 | キムチ

 

キムチは食品なので政治や歴史問題には影響されないと思っているが昨今の数字を見ると他の漬物とは違うことを実感する。

渡来の古代史-国のかたちをつくったのは誰か 上田正昭著

この本で日本書紀が成立したときから、帰化人=投化人という概念が出来たようだ。それ以前の日本に流入した人達と区分けが出来るようだ。つまり日本書紀が出来たときに日本という国が意識されたという。と同時に中国と朝鮮を区別するようになったようだ。日本に流入した人は圧倒的に朝鮮半島の人が多かったようだが中国は尊敬し、朝鮮は見下す意識がこの時代に生まれ、今でも残っているという。

 キムチも今和風が好まれているのもこのような日本書紀成立後の深層意識から来ているのだろうか。

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キムチの数字

2014年06月29日 | キムチ

 

業界紙の報道によると一昨年の北海度での漬物事故で低迷していた浅漬けの売り上げがようやく回復してきているという。しかし中身を詳細にみるとキムチはまだ前年比で低迷している。

 その理由として数々説明しているが甘口キムチの飽きもあるかもしれない。今は白菜にとって不順な天候のため原料白菜が高い。そのため無茶な特売は出来ないだろう。キムチは冬がおいしいので夏はタイ系の辛みのある漬物が食べたい。

 日本に於いて、キムチの新規顧客の獲得はあの国の政治家・報道機関が変わらねば当分無理のような気がする。

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統計の月

2014年06月28日 | 築地市場にて

 

毎年デ-タ収集依頼の件数が増えている気がする。収集したデータは都合よく解釈され政治行政に反映されるのだろうか。戦争中に食の科学の発展をももたらしたのは飢餓から来る配給の無駄を減らす工夫だったという。今の農林水産関係のデータ収集はどんな目的があるのだろうか。

 このごろ雇用関係の調査依頼が増えた気がする。人手余りから大幅な不足に変わったようだ。デフレ対応の企業から人が急速に流出しているようだ。

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かに缶詰

2014年06月27日 | 福神漬

『蟹工船』の社会史 小林多喜二とその時代 浜林正男著から

いつも図書を借り出している中央区中央図書館は江戸時代の土佐藩中屋敷跡で坂本竜馬等の滞在していたところであったがその隣に築地警察署がある。戦前作家であった小林多喜二が築地署で虐殺されたことでも有名であった。

派遣労働者の問題から小林の本『蟹工船』が数年前よく売れたことから気にしていたが福神漬の資料調査と関係なさそうなので築地署の隣を通るたびにまだ『蟹工船』を読む気はしないと念じつつ通過するのが習いだった。

今缶詰の歴史を再び調べているうちに、日本の缶詰産業が軍隊用から始まり輸出品として発展した歴史があることを知った。特に北太平洋で取れた水産物の輸出は重要産業だった。漬物の福神漬は今では缶詰のものは市販に出回ることは少ないが戦前は大量に出回っていた。この間の事情が浜林さんの本からようやく理解できるようになった。

大正12年7月、三菱商事の会議室で缶詰協会の会合があった。三菱商事が水産缶詰を取り扱う事となったのはロシア革命の影響があった。『三菱商事史』

この続きはもう少し調べてから。

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容器文化ミュ-ジアムで

2014年06月26日 | 築地市場にて

東五反田にある容器文化ミュ-ジアムに缶詰の歴史を確認するため行ってきました。ラムネを入れた[きゅうり壜]の実物を始めて見ました。日本の容器文化の展示は少ないように思えます。日本には容器の文化の上に加える包装の文化がある。

 缶詰の初期の展示は少なく、近所と思われる味の素食の文化センタ-まで歩いて行きました。清泉女子大の坂を上り、本立寺の脇に出て、文化センタ-まで10分ほどでしょうか。センタ-では缶詰の本を数冊読んで事実確認をした。どうやら日本に出ている缶詰の歴史は一冊の本から引用しているように思えるくらい記述が同じである。缶詰協会の本[日本缶詰史]が基本資料のようだ。

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6月も今日で終わり

2014年06月25日 | 築地市場にて

 

昨日7月の日程を書き込むため、カレンダ-を更新した。あと今月は数日あるが気分は6月が終わった。今年の梅雨は夜間が比較的寒く過ごしやすい。梅が豊作だと先安感があって動きが鈍い。

 市場の休みの日に日本戦があるので、のんびり観戦も今日で終わる。6月の毎週水曜日休みも終わる。そして今年も半年が終わる。

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築地市場のトイレの掲示

2014年06月24日 | 築地市場にて

 

築地市場の中のトイレには都民の模範となる行動を取るようにと書いてある。都議会ヤジ事件で都民の見本となることの怖さを感じる。一昔前なら問題とならない事も時代が変わって問題となる。そして技術の進歩で言い逃れの出来なくなって、さらに日本の国際化で海外にも知れ渡って内々の処理であいまい決着とすることが出来なくなって混乱する。

 ごみを捨てるにも分別がドンドン厳しくなって市場内の再処理施設で出来た廃プラの塊がよく目立つ。

これからウィンドウズXPのパソコンを数台処理業者に頼んで捨てる。築地川に捨てるわけには行かない。

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[はな子とアン]のカレ-ライス

2014年06月23日 | 築地市場にて

 

NHKの[はな子とアン]」のところでカレ-ライスを食べるところが出ていた。この時期銀座付近ではカレ-ライスが出ていたが添え物として福神漬がまだ出ていない。時代考証としては正しい。カレ-ライスに一般的に福神漬が付くようになったのは昭和の始めの大阪・阪急百貨店の食堂から始まるという。

 一般に普及するのが日露戦争後で大陸に備蓄されていた軍隊用食品の安価な放出から始まる。

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「はなと子アン」を見ていて

2014年06月22日 | 築地市場にて

京橋の印刷史

明治14年に東京府知事に設立願いが出た「活版印刷営業組合設立願」には京橋区(今の東京都中央区の一部)に28の印刷工場があって、この工場経営者はほとんど旧武士階級であった。当時の銀座は報道機関が集中していて、その周辺に印刷工場があった。

 柳原白蓮事件があった明治の末でも印刷業界は比較的旧武士階級にとって良い仕事であった.。江戸時代に無かった仕事を作り出した武士は明治になっても比較的重宝されたようだ。今はパソコンで大方の文書は印刷できるので印刷業界は大変な時代である。明治のころは活版印刷業は本当に尊敬されていた時期であった。

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株主総会の季節

2014年06月21日 | 築地市場にて

 

3月決算のところが今株主総会の時期に当たる。一応終わった身としては気楽な時期である。今年はバランス的には税務調査があるのでそれが終わらないと決算終了とならない気がする。豊洲新市場完成まで650日を割ったので来年の今頃は種々の慣れない引っ越しの見積もり依頼で混乱しているだろう。

 朝から築地市場内の冷蔵庫解体の重機の音がしている。新大橋通りのトンネル工事現場では掘削工事が始まったようでダンプカーが粘土を積載して出てゆく。意外と早く青果門まではトンネルが出来るだろう。築地川の仮設道路も着々と進んでいるようで塀越しに音が聞こえる。静かな場内と外国人観光客で賑わっている場外市場と格差は激しい。

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夏至一日前

2014年06月20日 | 築地市場にて

 

明日は夏至でようやく日の出の時間が早くなることが終わる。梅雨だから夏至は晴れなければ意識しないが晴れれば日差しがまぶしい。冬至には新年の期待があるが夏至はこれから本格的になる暑さがあるのであまり気にしない。梅が豊作になりそうなので増量販売の企画が増えてきた。二年連続の豊作で漬け込みタンクが一杯になるのを避けるためである。

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ジャガイモ

2014年06月19日 | 築地市場にて

岩手をつくる人々 森嘉兵衛著

岩手県水沢出身の高野長英のことの別の角度から見た本だった。高野が参加した尚歯会は天保の飢饉の対策のための会合として発足したようだ。ヨーロッパではアメリカ大陸から来たトウモロコシとジャガイモが飢餓対策の食物となった。日本では飢餓対策の食物としてサツマイモが普及したが、ジャガイモはなかなか普及しなかった。

 イギリスの隣にあるアイルランドがジャガイモの普及で飢餓の心配から開放され人口が増えたという。しかしジャガイモの病気で大不作となり、困ったアイルランド人が新大陸アメリカに移住をするようになったという。江戸時代の北日本でもう少し早くジャガイモが普及していたら日本の食文化は今と違っていたかもしれない。

 しかし米を重視する日本では明治になっても米作を重視し、ついに今では北海道まで米の産地としてしまった。

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652日後

2014年06月18日 | 築地市場にて

 

ヒマに任せて休市日にあと何日で平成28年3月31日になるか調べてみた。652日だった。この日が豊洲新市場の建物完成予定日となっている。それから何日したら、市場の開場になるかはまだ解らない。全国の農林水産関係を巻き込むドタバタが始まるのが目に見える。また500日になるのが今年11月中旬であるという。この頃には基礎工事も終わって一部は鉄骨の組み立てが始まっているかもしれない。豊洲周辺の建築工事のすごさは語り草になりそうだ。

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前に読んだ本から

2014年06月17日 | 福神漬

 

黒船来航以前の海外情報収集のことを書いてある本を読んでいたとき、吉田松陰が黒船を見るため浦賀に行ったとき、町の噂話の記述の中に砲術指南の下曽根金三郎が切腹の場所と思われた寺院を清掃するように指示したと言う話があった。浦賀奉行戸田伊豆守氏栄は昌平坂学問所で幕府の歴史を編纂していたので、過去の史実から切腹の準備をしていたと思われる。過去の史実とはフェ-トン号事件で切腹した長崎奉行の想定したのだろう。もし浦賀でペリ-の圧力に屈せず砲撃戦となったら、彼我の武力装備の差を知っていた浦賀衆の敗北は間違いなかった。この武力装備の差は下関戦争で後に証明された。

 戸田氏栄と下曽根金三郎はどの様な関係だったのだろうか。ここに嘉永3年10月末に江戸で撲殺された高野長英の関係が関わってこないと後の自由民権家花香恭次郎の養子の縁組の合理的説明が出来なくなる。

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業務多忙につき

2014年06月16日 | 福神漬

 

仕事が忙しいのに図書館の予約を入れすぎ、また本を読む。岡本綺堂の劇作集に「長崎奉行の死」というのがあった。これは文化5年(1808)に長崎に侵入したイギリス船の事件を取り扱った劇である。

 いつか福神漬の話を取りまとめなければならないと思いつつ資料が少しずつ集まっているので書き出しが決まらない。しかし最近はフランスのナポレオンのことから書いていったら良いのではないかと考えるようになった。そもそも福神漬は缶詰に入れて発展した経緯がある。缶詰はナポレオンの保存が利く食品のアイデア募集から始まる。

長崎に侵入したイギリス船フェ-トン号は長崎にいると見られていたオランダ船を拿捕する目的のあった威力偵察をした。当時のオランダはイギリスのフランス支配下の敵国とみなされていた。

 フェートン号事件で島原の乱以後の約200年続いた海禁政策が破綻した。そして長崎から静かに対策が始まった。福神漬の諸々のエピソ-ドの由来を探ってゆくと、フェ-トン号事件が始まりの始まりかもしれない。

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