年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

砂糖と土産

2006年03月06日 | 趣味としての漬物
江戸時代は砂糖がまだ貴重な時代で贈答品や献上品として用いられ、初期は輸入品であった。16世紀までは、中国、シャム(タイ)、カンボジア等から輸入していて国内では全く生産していなかった。国産品が増えてきたのは17世紀には入って、1727年八代将軍吉宗はサトウキビの栽培を奨励し、各地に砂糖の産地が出来る。和糖の始まり。ぜいたく品であった砂糖は次第に日本各地の名物に砂糖を使用した菓子類を生んだ。庶民が口にするのはハレの味で行事の時か、旅に出たとき食える。寺社の門前にある茶屋の茶受けとしてアンを用いた菓子を口にして広まった。旅の情報紙として挿絵と文章の入った地本や引札(商家や商品を広告する刷り物)が発達し旅先で名物を食べたりする事になった。菓子の類が名物から土産になったのは交通手段が発達してからである。
明治時代に不平等条約の開国によって砂糖の関税が抑えられ価格が暴落し、砂糖を使った甘味が庶民まで行き渡った。砂糖の歴史は糖業の歴史であり、国の経済・財政・徴税政策の歴史である。そのことを理解しないで、食品の一つととらえたととき、理解に苦しむ歴史となる。東京・中央区の“べったら市”の歴史を調べるとその意味が解る。

最近、甘いもの離れで観光地において各地の土産として漬物の土産が増えてきているのは高齢化社会を迎えてみやげ物業者の努力の賜物である。塩分を押さえ、他の観光地にない商品開発した結果である。

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