日清戦争時の福神漬の史料
国立公文書館デジタルアーカイブ
アジア歴史史料センターで検索
明治28年9月30日資料作成
大倉喜八郎が福神漬300樽を寄贈している。
『留守第4師団より大倉組より献納福神漬の件』
大倉組支配人田邊甚三郎より福神漬献納の件
献納品の儀に付き申請
目下遼東半島に駐屯しある野戦師団将校以下一般へ『東京名産福神漬300樽』献納の儀
大倉組支配人田邊甚三郎より別紙の通り出願い致し候に付き、ご認可相成るべく申請候なり。追って本文は野戦師団へ交渉致すところ、受領の儀承諾する旨申し越し候間添え申すなり。
明治28年9月30日
留守第4師団長事務取扱 阿部基行
陸軍大臣 候爵 大山 巌殿
御願 日清事件に付き御出征軍隊御滞陳已に久し
解説 明治28年9月は既に日清戦争は終わっていた。明治28年3月30日停戦。第4師団とは大阪城に師団本部があった。候爵は公爵の間違いか。明治28年時において『東京名産福神漬』として知られていたのだろうか。300樽とはどのくらいの量だろうか。
今までの多くの資料が示すのは『福神漬』は缶詰が初期の容器であったが大倉喜八郎の献納したものは『樽』となっている。そして大阪の師団に贈呈していて、すでに全国的に『東京名産福神漬』となっていて、軍隊の公式文書にも普通名詞となっていたのだろう。大倉喜八郎は大倉財閥の創始者として知られている。
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明治28年9月30日資料作成
大倉喜八郎が福神漬300樽を寄贈している。
『留守第4師団より大倉組より献納福神漬の件』
大倉組支配人田邊甚三郎より福神漬献納の件
献納品の儀に付き申請
目下遼東半島に駐屯しある野戦師団将校以下一般へ『東京名産福神漬300樽』献納の儀
大倉組支配人田邊甚三郎より別紙の通り出願い致し候に付き、ご認可相成るべく申請候なり。追って本文は野戦師団へ交渉致すところ、受領の儀承諾する旨申し越し候間添え申すなり。
明治28年9月30日
留守第4師団長事務取扱 阿部基行
陸軍大臣 候爵 大山 巌殿
御願 日清事件に付き御出征軍隊御滞陳已に久し
解説 明治28年9月は既に日清戦争は終わっていた。明治28年3月30日停戦。第4師団とは大阪城に師団本部があった。候爵は公爵の間違いか。明治28年時において『東京名産福神漬』として知られていたのだろうか。300樽とはどのくらいの量だろうか。
今までの多くの資料が示すのは『福神漬』は缶詰が初期の容器であったが大倉喜八郎の献納したものは『樽』となっている。そして大阪の師団に贈呈していて、すでに全国的に『東京名産福神漬』となっていて、軍隊の公式文書にも普通名詞となっていたのだろう。大倉喜八郎は大倉財閥の創始者として知られている。