年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

野菜の肥料史 江戸期

2006年03月31日 | 宅老のグチ
江戸時代は始めは大開墾の時代であった。しかし、開墾したばかりの土地は作物が育たなくて、肥料を必要としていた。当初は入会地で刈敷き(草・落ち葉)を利用していたが江戸の人口の急増によって、食料増産のため色々な肥料(刈敷き、下肥・人糞尿、堆肥・厩肥、すす・灰、ぬか・油粕、石灰・貝殻、ちり・ごみ・あくた、干し鰯・鰯肥、海藻、泥肥・沼土・壁土・土肥・川砂)が必要となった。特に野菜の肥料として適していたのは下肥だった。
 大根栽培で大量に必要な下肥は下掃除をした上、金銭や作物との物々交換であった。下肥の価格は幕府も農民にとっても重要視され、たびたび引き下げを行ったが効果はなかった。

入会権
入会権は民法第263条.264条規定されていて、ある一定の地域に住む人々が、一定の山林、原野などの収益を共同で上げる権利。主には、肥料を積んでおいたり、家畜飼料や燃料に用いる草をとるなどに利用されている。
 江戸時代、地域の資源を管理し、守ってきたのは村である。たとえば入会地の草は刈敷として重要な肥料源でありました。一定地域の住民が特定の山林や原野から、家畜用の草や燃料用の薪を採取するなど、共同の収益を得る慣習上の権利。民法は物権の一つとして認めている。入会権は地域住民全体に帰属していて登記することは出来ません。個人は山林などの入会地を使用して収益を得る権利があるが、地域の慣習に従い、入会地内の持ち分を勝手に譲渡することなどはできないとされる。
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