年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

野田キッコから

2013年04月30日 | 福神漬

伝統的な食品でも自家製の方が多かった食品は流通の問題はほとんどなかったが酒など製造技術の熟練が必要な食品は販売網を握っている問屋制度が江戸時代発達し、明治になっても引き継いでいた。この中では消費地に近い問屋の力が強く価格決定力を持っていたようである。又様々な広告等により販売促進活動も問屋の力が大きかった。野田キッコの記事から昭和25年のブランド復活宣伝を行えるだけの伝統食品の中で資金力があったところが今でも食品業界で残っている気がする。
 福神漬は漬物の中で醤油漬の一部分である。醤油業界の変化にどこかで振り回されている結果となったのを感じる。古い体質の残っている伝統食品流通は製造メーカーの新規販路の開拓は新しい商材の発掘となる。そこに於いて既存の特約店制度の反発を回避する余地を見出した気がする。福神漬は明治の漬物で醤油にとって新しい需要である。明治の缶詰技術は未熟で醤油を使った缶詰(大和煮)などはこの一例かもしれない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

放射能情報

2013年04月29日 | 築地市場にて

東京都から食品安全情報が再び増えてきた。露地物の山菜類が比較的に100ベクレルを越えているのが多い気がする。でも昨年の検出された農産物より少ない。自然に数値が落ちている。やはり廃炉には40年というのは安全に処理するための時間かもしれない。
 今の築地市場に入っている山菜類は安全でどちらかというと地方の産直市場から基準値を超えた放射能汚染農産が発見されていたようだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

天気予報から

2013年04月28日 | 築地市場にて

GWの週間予報で途中の仕事日が雨らしく予報が当たるのだろうか。行楽には日程的に良い気がする。今までの記憶でGW前半か後半の連休で雨が降っていた気がする。地方営業をしていた頃、連休が終わると水田の田植えが終わって、水田が薄ミドリ色に変色しているのが季節の変化としてみることが出来た。
 兼業農家にとって連休は田植えの始まる時期となる。高齢農家が多く、後どのくらいこの風景が残るか解らない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

激安誤認

2013年04月27日 | 宅老のグチ
激安誤認
冷凍食品の特売広告が批判されていた。定価の半額と特売されている広告である。今は冷凍食品にも賞味期限があって、小さな小売店の冷凍食品のとり扱いが消えてしまって、メーカーが希望する価格で売ることが見かけなくなった。この結果定価というものが意味を成さなくなってしまった。
 優良なスーパーはこのことに気がついていて、通常価格からの割引と宣伝しているが、昔からの慣れで半額特売となっているところはメーカーの希望価格で売っていることがないことを隠していたと同じである。これは家電でもあった。
 価格コムとアマゾン価格が虚偽の特売価格を消してゆく時代が来るかもしれない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

野田キッコとは誰なのか

2013年04月26日 | 福神漬

食品業界の専門誌である『食品新聞』の最近の記事で『野田キッコ』という言葉を知った。
今では醤油業界の最大企業であるキッコーマンが戦争の混乱で日本国民にブランド名が忘れつつあった。戦後の物不足の時代は物があれば売れていた時代で日本国民が
ようやく飢餓の危機を脱出する見込みのついた時期が昭和25年頃であった。この時期にキッコーマンがブランドの市場調査をしたところ忘れられていたという。そこで野田キッコという女性を宣伝名として使ったようだ。
昭和16年から昭和24年までの統制経済の中では基本的には配給の時代で食品を選ぶことができなかった。その影響は深刻で市場調査の結果がキッコーマンというブランドが8年の統制経済で忘れ去られた。昭和25年の戦前からある食品メーカーの宣伝の急増はこのような記憶から失われたブランド危機があったという記事となっている。これは戦前の卸による特約商品の宣伝が消え、食品メーカーの消費者へのダイレクト宣伝活動となってゆくことになった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

東スポの前身と言われる『やまと新聞社』

2013年04月25日 | 福神漬
やまと新聞社が京橋三十間堀にあったころ
鶯亭金升の『明治のおもかげ』を読んでいたら、『やまと新聞』というのがあった。この新聞は明治19年に創刊された『小新聞』で警察ネタを取り上げていた新聞を継承したもので市井の記事や花柳界の記事を扱っていた。
 三面記事といわれる社会で起きた事件を面白おかしく書いた記事で新聞読者の興味をそそるように書いていた。このやまと新聞の精神が今でも『東京スポーツ』という夕刊紙に引き継がれていることは興味深い。やまと新聞の編集局では条野採菊、岡本綺堂、榎本破笠、長井金升の四人、別室には福地源一郎が主筆して記事を書いていたという。
条野採菊は日本初の日刊紙『東京日日新聞』の創刊者の一人であり、後に歌舞伎との関係は深い。つまりやまと新聞の三面記者は歌舞伎記者ともいえる。
 榎本破笠は榎本 虎彦でもあり、一時、歌舞伎座の立作者(脚本家)でもあった。
1887年(明治20年)、21歳のときに文学を志して和歌山から上京し福地源一郎(福地桜痴)の書生となったという。この時、池之端御前といわれた桜痴の貸家と思われるが同じ敷地内に新婚の鶯亭金升が住んでいた。
 岡本綺堂は半七捕物帳とか明治期歌舞伎の貴重な資料となっている『ランプの下にて』の著者として知られている。従って全てはやまと新聞の事件記者は歌舞伎と関係していた。福神漬の創製者酒悦と歌舞伎との関係はどこから始まるのだろうか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

震災備蓄食の賞味期限切れ

2013年04月24日 | 宅老のグチ

中国四川の地震で家の中で保存して缶詰の賞味期限を確認する。賞味期限を過ぎているのが何種類かあって,急遽食べて処理することになる。結構期限が切れているにも関わらずおいしい。初めて食べたのだがパンの缶詰は時間が1年ほど前の賞味期限だが食べることが出来る。今の日本の生産者は賞味期限の設定が安全安心を優先し、さらに賞味期限を短く設定することによって、廃棄処理を加速する商策をとっている。
 期限が切れているということより、備蓄食としての缶詰はもっと長い賞味期限が設定でき、可能ならば保存期限の明示も必要かもしれない。食品ではないが消火器も性能期限があって、入れ替えを行っても、容器が劣化し破裂することもある。
 正しい情報開示が保存食には要求されるかもしれない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

噂は事実だった

2013年04月23日 | 築地市場にて

築地市場に勤め始めた頃、市場で万引きスリなどを行った犯罪者が見つかると東京都の警備員は警察官が駆けつけるまで犯人を保護するという話を聞いていた。今回の包丁振り回し事件でやはり保護していたようである。市場で日頃貯まったストレスで市場内関係者が犯人に一回ずつ蹴っても瀕死の重傷となる。
 築地市場での犯罪は命がけである。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

包丁事件のユーチューブ画像を見て

2013年04月22日 | 築地市場にて

今は昔と違って、携帯電話に画像を保存する機能があって小さな事件でも画像で見ることが出来る。包丁振り回し事件もその一つで多数の人によって画像を撮っていたことがわかる。ただ金曜日の8時頃は一日の中で車の動きが一番活発な時間にも関わらず、大混乱が起こっていないのが今の築地の低迷を示している。独立系の小さな料理店、小売商の急速な減少は市場の混雑を緩和している。食の情報誌によると大阪中央卸売市場会計は大幅な赤字が続き累積金額が多く大変なようである。東京は今のところ神田にあった青果市場が大田に移転した時の跡地売却したときの金が残っているので少しは安心できるが何時まで持つかはわからない
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

築地市場の包丁事件

2013年04月21日 | 築地市場にて

19日午前7時ころ、築地市場内でマグロ包丁を持って騒いでいた年寄りがいた。マグロ包丁と言っても築地市場内の人なら知っているが日本刀より長い。外部の人から見れば銃刀法違反の包丁である。市場内には外部の人には法律違反となる仕事がいっぱいある。フグの毒処理等はこの例かもしれない。
 さて目撃者の伝聞から、犯人が騒がれ逃走しようとしたところ水産部の元気な人がターレーで犯人の乗っている車にぶつけて逃走阻止したという。ターレーは戦車のようで力強い。間もなく警察官が来たようで騒動は収まった。最近芸能人が築地市場に来ても食傷気味で立ち止まる人は少ないが今回の事件は久しぶりの捕り物で立ち寄って見物する築地で働いている人が多く混雑していたという。
 包丁を持って騒いでも築地では逃げない。右翼の街宣車が築地市場に入って,中の人にいたずらされ黙って逃げたのを見た。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

寒い築地で

2013年04月20日 | 築地市場にて

天気予報を見ないで、家を飛び出し薄着で後悔する。寒い築地市場で薄着は目立つ。ちょっと前まで20度を越えていたのに10度を上回る温度とは体がついてゆくのやっとである。どこかで静養しなければならない。 
 ぼうっとしていたら、いつの間にか新大橋とおりの築地市場と汐先橋間の工事が進んで三井造船前の歩道を歩いてゆくことが出来るようになった。車道を見ると工事の途中が見えてどこの下がトンネルとなるのがよく解る。片側2車線だろう。
 ここでの仕事は移転時期の発表の段階ではないが後1000日程度だろう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

南天と梅干の実

2013年04月19日 | 梅干

江戸落語の祖といわれる鹿野武左衛門の話を知った。元禄6年頃コレラがはやり、梅干と南天がよく効くという風説があった。さらに馬が話したという噂も出た。噂の出所を追及した奉行所は鹿野武左衛門を噂の出所の一部とみなし流罪にしたという。すでに元禄期でも梅干が胃腸関係の病気に良いと知っていたようである。ところで南天はどうしてコレラに効くという風評が出たのだろうか。

出典 講談落語考 著者名 関根黙庵著
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

サツキの季節だった

2013年04月18日 | 築地市場にて

昔、新橋から築地市場への通勤道で歩道には色々な花のある樹木が植えてあった。それが環状2号線工事で撤去され、季節を感じることが出来なくなった。電通前や朝日新聞のところに残っている緑がやっと過去といっても1年ほど前の歩道のミドリを思い出す。そういえば銀座の柳を移植したのもめっきり少なくなった。新大橋通りの地下では今どのような工事が行われているのだろうか。新大橋通りの変化が激しく、過去の記憶が薄れてゆく。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

築地4丁目がきれいになって

2013年04月17日 | 築地市場にて

晴海通りの築地4丁目交差点付近の工事が最終段階に入って歩道も見違えるようにきれいになった。あと少しで終わるのだが綺麗さと反比例してターレー等の放置取締りが厳しくなるだろう。だんだん回りが綺麗になって築地市場が取り残されてきたと感じている。場外市場の中心にあった小田原橋の撤去工事も行われていて、跡地の駐車場で豊洲移転後をにらんで小さな築地市場が開業するという。
回りが動いているのに築地市場が止まっている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

京橋郵便局で15日

2013年04月16日 | 築地市場にて
仕事が途切れたので郵便貯金の残高証明をとるため京橋郵便局に行ったところ長い列があった。ATMが少ないせいか都市銀行と比較すると長い行列だった。確か店舗数の多い郵便局は手数料が安いので地方でおろすときは安い。金利のない今は引出手数料がばかにならない。やはり年金引出は郵便局となるのだろうか。年金の口座獲得は郵便局が一番熱心だった気がする。
 漬物の郵便局の通信販売はどうなのだろうか。TPPで郵貯が攻撃されたがやはり地方では金融機関として強いと思う。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする