年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

戦争前、漬物業は軍需産業だった。

2011年09月30日 | 築地市場にて
来客があって、昔話となる。漬物の歴史は古いが生業として成り立つのは京都と江戸のような都市であった。自給食材である漬物は金銭で購入することはほとんどなく文献に現れる記録は贈答品。納税の物、神社仏閣等の門前の市に販売していたという記録しか見当たらない。従って今でも連綿と続く漬物屋は江戸時代から続く京都のなら漬屋さんだろう。酒造業者や味噌屋・醤油屋が漬物を売っていた記録があるが本業の余業と言うべきで漬物が本業だったということはない。
 明治になって。職業としての軍隊ができ漬物を金銭で購入する事となった。また都市において寄宿舎、工場の寮等に金銭で購入した漬物を提供するようになった。この様な経過を経ているので都市をのぞくと戦前から続いている漬物業者の歴史を見ると日本各地の軍隊に納めたことから発足し、戦後軍隊が無くなり、一般人に販売することから漬物業が発展したという。
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塩分だけで

2011年09月29日 | 築地市場にて
DASH食で血圧を低下
ある会合で配布された書類を見ていると (DASH食)という言葉があった。何かと思えばアメリカで今はやりの食事方法であるという。在来型の日本の高血圧予防が限界になり、その理由として味噌・醤油・漬物のような旧来の日本食が減り、高脂肪プラス高塩分の加工食品摂取によって高血圧になっているのではないのだろうかということである。
 今の市販されている漬物の塩分は少ないものでは血液の塩分濃度(約1%弱)に近いものがある。梅干しなどは昔は15%から20%程の塩分だったが今では3%程のものもある。熱中症対策で水分だけでなく塩分の摂取が昨年から強調されてきた事は良い事なのだろうか。
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平成24年築地市場休市カレンダー

2011年09月28日 | 築地市場にて
やっと昨年より10日ほど遅れて市場のカレンダーがやってきた。1年の開市日数は274日で青果部は273日となる。今年より1日開市が多いのでどうしたものかと比較すると2月がうるう年で29日まである。1月18日水曜日は青果部が休みです。8月は14.15・16日が休みです。12年の休市でいつもの年の休み方と異なるのは5月の連休で3日が開市で4・5・6と3連休となります。
後は築地市場協会の市場カレンダーの更新待ちです。


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小西酒造の白雪ビル

2011年09月27日 | 福神漬
首都高速の箱崎インターのそばに壁面に影絵の富士山を書いてあるビルがある。清酒の『白雪』のビルである。この付近は江戸時代関西からの下り酒の扱いが多かった土地だった。茅場町にある小西酒造の事は知っていたが、福神漬の歴史を調べてゆくうちに何か縁がありそうである。明治3年11月に三菱商会(当時は九十九商会)が南茅場町18の土地を小西惣兵衛から買収したという。小西惣兵衛と言う人物は小西酒造の関係者ではないのだろうか。
 小西酒造の歴史を見ているといやでも阪急・小林一三・北浜銀行岩下清周との関係が目に付く。あのサッカリン混入事件が無ければどの様な白雪・小西酒造の発展となったのだろうか。

少し大阪・伊丹市史を見ていると小西惣兵衛はどうやら幕末に小西家の東京店に同名の人がいる。明治3年頃は明治新政府の財政が厳しく当時の富裕産業と見られていた酒造業から税金をとろうと画策していたようである。あまりの厳しい税制度で明治初期に酒造業は一時半減したという。三菱と小西家との関係は酒の輸送関係だけだったのだろうか。また同時期に南茅場町にあったと言われる花香恭法の商店はどこで何を商っていたのだろうか。
 
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墨田区緑図書館にて

2011年09月26日 | 福神漬
両国駅付近にある墨田区緑図書館にて岩崎弥太郎日記を読む。どのような理由か都内では都立中央図書館と緑図書館に蔵書がある。なぜだか気になって緑図書館に向かう。9月場所を開催しているのか図書館内に力士の姿があった。
 さて岩崎弥太郎日記をなぜ読む必要があったのかというと従来の岩崎弥太郎伝カら漏れている芸者さんとの関係を書いてある長崎時代の日記を読む必要があった。これは後に福神漬が芸者さんのルートで拡販された経緯があるからである。

九十九(つくも)商会から三菱商会へ
明治3年11月九十九商会東京店として日本橋区南茅場町18のところに東京店を設ける。この土地は小西惣兵衛から買収したものだった。明治7年4月には三菱商会の本社となったと思われる。南茅場町の土地は17番から21番地まで三菱が買収した。日本郵船が発足時本社を南茅場町としたのはこの様な理由がある。
 南茅場町に九十九商会が東京店とした頃同じ町内には江戸時代から原胤昭が居住していたし、花香恭次郎が同時期に南茅場町内の商家に勤務していたようである。
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4千両

2011年09月25日 | 福神漬
しせんりょうこばんのうめの【四千両小判梅葉】

歌舞伎狂言。河竹黙阿弥作。明治18年(1885)11月東京千歳座。江戸城御金蔵破り事件を脚色したもの。
人足寄場史
 山本次郎氏によると歌舞伎で牢獄を写実的に描いたものは「四千両小判梅葉」と「安政奇聞佃夜嵐」との2つしかないとある。四千両は黙阿弥が田村成義に取材したもので、牢獄内の様子や町奉行のことを五代目菊五郎に教えるなどして影の力となったという。この上演時期は石川島監獄から逃走した赤井景韶が処刑された時(明治18年7月27日)から間もない時期に上演されている。福神漬命名時期に代言人(今の弁護士)田村成義が何をしていたのだろうか
 戦後に上演されている安政奇聞佃夜嵐は4千両の筋を巧みに取り入れた作品になっているという。
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なまず どじょう ねこ

2011年09月24日 | 福神漬
なまずは鯰、どじょうは鰌、ねこは猫と明治時代にはある人達を表していた。特にナマズはそのヒゲから高等役人のことを比喩し、猫は服部撫松によって芸者とされた。ナマズは團團珍聞によって判任官のことを比喩していた。判任官は明治憲法下の下級官吏の等級であった。
 新橋芸者を猫と名付けたのは服部撫松だが今の新橋芸者は猫とと言うより芸術家ということになるだろう。ただこの芸の中身の深さは今ではわからない。
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キャバクラの領収書

2011年09月23日 | 築地市場にて
築地市場場外市場の人と台風の被害について会話した。築地4丁目の料亭『新喜楽』の住所表示の標識が台風ではがれ落ちた。この事から最近の新橋料亭の話となって『民主党の政治資金の領収書はキャバクラの領収書だから築地の景気は良くならない。』と言っていた。妙に納得してしまった。
 今和装業界は大変な状態になっていて、和服を着る機会が結婚式とか成人の日しかなく、最近の若者はレンタルで済ますのでますます和装需要が消えている。『新喜楽』でもときどきデパートの上得意のために着物の展示会を行っているようである。どこも必死で不景気と戦っている。
夕方芸者さんが和服で出動する姿を見ると頑張ってほしいと思う。
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今年二度目の帰宅困難

2011年09月22日 | 築地市場にて
15号台風で今年二度目の帰宅困難となった。最近交通安全対策で早めに電車をとめるようになってきた気がする。台風の風に影響のないと思われる地下鉄も乗り換え出来ず、乗客が駅にあふれて止まってしまった。21日の新聞で都下の不動産価格の下落が少ないのは地盤が安定していると言われていたがやはり郊外は交通手段の選択肢が少なく、すぐに帰宅困難となる。
 22日の天気はよく、築地市場の雨漏り修理で設備課は忙しいだろう。節電明け商戦が23日から始まるがどこまで消費者の財布は緩むのだろうか。まだまだ築地市場場外は震災前の混雑とはなっていない。
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台風でヒマなので

2011年09月21日 | 築地市場にて
どうやら今夜関東地方に台風15号がやって来るようで12号で被害を受けた紀伊半島で被害が拡大することの無いように祈る。
 今日の読売新聞でスカイツリーのそばの魚屋さんの記事があった。都内の魚屋さんの減少は激しく、これから生き残ってゆく魚屋は鮮魚を販売するのだけでなく調理し、飲食を提供出来るところしか残らないだろう。スーパーで切り身の魚しか知らない消費者が増えるにつき、鮮魚店は減少し、魚屋の店主はスーパーの鮮魚部門の労働者となってしまったようである。それでも元魚屋さんのため目利きは良いのだが次第に人材は枯渇するだろう。安価な回転すしの繁昌している様子を見ると今は目利きより価格が優位で食文化が長い不景気によって変化しているようである。築地市場は元気がないのは先行き不透明のためで、不景気のせいではない。終戦直後はもっと厳しかったと聞いている。しかし戦争が終わったことで生き続ける事に必死だったようである。悪い事が出尽くさないと希望は無いような気がする。原発増税先送りは目先の希望のようだが今の税収状況を見れば増税必死であるので増税見送りでも悪材料出尽くし感が無い。
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明治十手架 山田風太郎著

2011年09月20日 | 築地市場にて
サルマタの直熊
原胤昭の銀座十字屋で働くようになったサルマタの直熊という人力車夫は小説の設定では高野長英の縁者の子孫ということになっている。なぜ小説という虚構の世界に原胤昭と高野長英が結びつく事にしたのだろうか。この小説の設定に山田風太郎は何か信念を持っていたのだろうか。
 明治初期を舞台とした警察物の小説には原胤昭が出てくるのが比較的多い。彼の人生を変えた福島事件はやはり「福神漬」の命名に関して縁がありそうである。

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築地市場の差蓋(さぶた)

2011年09月19日 | 築地市場にて
東京都からの業務連絡
東京都から回覧が回ってきた。築地市場内を貫く環状2号線の準備工事が始まるのでよろしくという文面だった。隅田川に架かる橋の橋脚をつくる工事の妨げになる岸壁を移動させる工事が始まるようだ。漁船が築地市場に接岸するところには『第二差蓋から第三差蓋にかけて工事のため9月中旬より駐車禁止』となっている。
 差蓋とはあまり聞きなれない言葉だが水門のふたのようである。確か3月11日は津波のため築地市場の差蓋を閉じた気がする。いつもの台風の高潮予防のため水門を閉じる放送があるがあの時は本当に危機感のある場内放送だった。
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メール漬

2011年09月18日 | 築地市場にて
どうやら新しい漬物が出来たようだ。メール漬け。商品の内容。時たま必要でおいしいものもあるが概して不用なものが多い。興味期限は比較的短いが残存期間は長い。不用意に廃棄すると後始末が難しい漬物である。後味の悪いものもあるが適切な食べ方をすれば体に害はない。しかし時には腐敗するようなものもありウィルス除去のためワクチンを投与する必要がある。この場合は友達にも伝染する。
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優先順位

2011年09月17日 | 築地市場にて
時勢の変化で食品に求められている要素の順位は目が回るように変化している。3月11日以前は考慮することもなかった放射能の数値が今は一番だろう。中国農産物の農薬問題と日本産の放射能の問題は今では放射能の方が問題把握の優先順位は高い。
 アメリカからの情報ではアメリカに輸出する食品の中に含まれている成分だけでなく、生産物の流通経路の把握も必要となるらしい。しかし保管場所とかは変動が激しく記録は可能だろうか。これも日本での放射能問題から来たのだろうか。バイオテロ対策で登録された食品の運用はアメリカではうまくいっているのだろうか。
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ライブレストラン『BLUE MOOD』

2011年09月16日 | 築地市場にて
9月初めからから内装工事をしていたレストランが出来た。築地市場の隣のビル1階でキューバンカフェの跡地にレストランが出来る。9月17日と言うから明日オ―プンとなる。まだ築地と言うと市場のイメージが強いのか汐留の夜とあった。隣の三井造船新社屋工事もビルはほとんど完成し、樹木を植えたりしてそろそろ工事フェンスが撤去されるだろう。最近の建設工事は着工すれば予定通り完成する。工程表が良く出来ているので多少の天候異変では酷く遅れないようである。

 
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