年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

不謹慎とは思いつつ

2011年11月30日 | 福神漬
今日の検索ランキングを見ていたら、セクハラ関係が上位であった。
幕末、鳥羽伏見の戦い後、大垣藩で右往左往したのは藩重臣小原鉄心だけでなく藩主の戸田氏正も大変だった。結局藩主が人質のような形で官軍方になった。この結果が岩倉具視の子女極子と氏正5男氏共が婚約した。戸田家はまだ幼かった極子を江戸時代と違った洋風で社交的な教育を行い、鹿鳴館の華となったという。江戸時代は奥さまという言葉が示すように高貴な女性は人前に出る事はなかった。従って、明治になって社交の場に女性が出ることに慣れていなかったので芸者さんが妻となる必要性があったという。この極子が明治20年の鹿鳴館で伊藤博文にレイプされたと報道され、新聞弾圧となった。この件を調べたのが福島の自由民権運動を弾圧した三島通庸であるという。事実関係はどうだか不明だが少なくとも明治20年代の風俗界では結構な話題となったと思われる。明治の30年頃までの日本女性のファッションリーダーは芸者さんであった。当時の上野周辺の男達は福神漬を酒のつまみとして芸者とうわさ話をしていたのだろうか。
 明治18年に下谷茅町で亡くなった岩崎弥太郎の枕元にあった金庫には芸者の写真が多数あったという。
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除染情報

2011年11月29日 | 築地市場にて
福島県の生産者から食品の放射能状況報告書が届いた。もちろん放射能は不検出となっている。伊達市辺りは8割程除染が進んでいると言う。山林等は含まれていないかどうか不明だが一般市民の生活部分はある程度生活不安が無くなる状況になったのだろうか。
 連日のように東京都から干しキノコ類が汚染されて出荷停止の情報が届く。地域限定なのでどの地域が安全なのかは今では専門家しかわからなくなっているだろう。
 今日の新聞では伊達市のコメから放射能検出とある。田畑の除染は進んでいないから、この様な数値が出ても驚かない。汚染は意外と不平等で偏りがあるようだ。
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清涼飲料の日本化の本から

2011年11月28日 | 福神漬
ビジネスの生成―清涼飲料の日本化  河野昭三著から
サイダーの本からこの本に辿りついたのだが著者の改定版のコメントの中に清涼飲料の歴史の本なのにペリー来航の部分が多く、本の中に占める割合が多いと書評があったが著者はこの部分が必要であると書いてあった。
 福神漬の由来を探ってゆくと、明治16年から18年頃に梅亭金駕がなぜ福神漬と命名したのが単に江戸時代から上野周辺で盛んであった七福神めぐりから命名したと考えるには疑問点がいくつか出てくる。やはり福神漬の由来を語るには少し前の時代から書くのが良い気がする。明治の中頃までは維新前後の混乱をどの様に対処したかの話となる。

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江馬細香詩集 『湘夢遺稿』

2011年11月27日 | 福神漬
江馬細香詩集 『湘夢遺稿』
大垣藩の小原鉄心の序文があるという江馬細香の詩集を図書館で読む。この本は明治3年に出された詩集を読みやすくした本だった。日本三大女流詩人の一人と言われる江馬細香の漢詩を初めて読んだ。和歌に相聞歌というのがあるが漢詩で日本人がラブレターというものを書いていた人があったとは驚く。三従無の一生涯を江戸時代に宣言していたとは大変だっただろう。
 さて問題の小原鉄心の序文は中身から判断すると江馬細香の周りで趣味的に詩文をやっていた気がする。鳥羽伏見の戦いで一時幕府軍として参加した大垣藩を彼の人間関係から官軍(西軍)と幕府に心情的に傾く大垣藩論をどのように説得したのだろうか。またこの官軍に寝返ったことが大垣の人達や二本松藩の人達に当時はどのように伝わっていたのだろうか。二本松市史では鳥羽伏見の戦いの情報は徳川慶喜が江戸に戻った頃、二本松に伝わり、幕府方の勝利と一時伝わっていると記述されている。東北諸藩は京都が遠く、情報が少なかったようだ。
 大垣藩から二本松丹羽長国に嫁いだ大垣藩戸田氏正の娘のもとには和解の要請はなかったのだろうか。あっても二本松には小原鉄心のような人物がいなかったのだろうか。新しい二本松市史ではこの時代の二本松藩に対して実に厳しい見方をしている。房総で異国船警備の任にあったっていたにも関わらず、戦国時代の兵装備で幕末を迎えたという。戊辰戦争の戦火で二本松市は長い間荒廃した。そして心の傷は明治の二本松周辺の人の中に残っていた。福神漬命名の周囲を探っているとこの様な事例が多い。
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紅葉が遅れていて

2011年11月26日 | 築地市場にて
日テレ前の第一京浜国道のイチョウはまだ青々していて、節電協力の天候になっているのだろうか。白菜が前年の半額ほどのゴミ値(キロあたり30円以下=白菜は15k単位なので450円以下)というくらい暴落していても鍋需要が弱い。売れているのは塩麹関連だけで一時のラー油ブームのようである。築地の場外市場の最近新店舗が増えてきて、少し雰囲気が変わってきた。隅田川の桟橋撤去工事の順調に進んでいて何ら混むこともない。あの程度の工事範囲で市場の業務に差し支えると騒いでいる人は現築地市場再建工事では工程さえ示すことはできないだろう。どこか新木場の貯木場を埋め立てて移転するしかないだろう。
 年末の築地の混雑の大部分は駐車場に置荷があるためである。今年はミカン・大根・白菜の置荷はまだ目立っていない。うまく出荷調整ができているか大田市場に注文が行っているのだろう。市場はいつも競争の世界である。
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味付け物

2011年11月25日 | 築地市場にて
やっと花嫁のれんの漬物話が終わったようで、一時はどんな展開になるか心配だったがうまく塩の少ない漬物話でまとめたようでクレームも少ないと思う。しかし実際はドラマの筋書きの通りに漬物を作って良い味が出ても漬物とはいえず、味付け野菜となるだろう。野菜料理の一種とも言える。最近再び発酵というものが見直され、塩糀とか糠が見直されているが手間暇がかかるので不景気な時にはいいだろう。
 花嫁のれんで作った漬物が一般の人達に認められて、表示の問題まで行くのは時間がかかる。
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ラムネ黒船渡来説

2011年11月24日 | 福神漬
ラムネ黒船渡来説
三ツ矢サイダーの本を読んでいたら、河野昭三さんという人の説があった。業界紙と業界には持ちつ持たれつの関係があって、食品の由来をおかしくするためのビジネス宣伝の類である例があるという。食品、飲料の故事来歴には怪しげな情報がつきものであるという。
食品の文献はある程度普及してから記述が出るので、曖昧さや記憶の誤りがあるので注意しなければならないという。
 河野氏によると食品の由来話はそのまま定説を信じるなということだった。そこで三ヶ条「要再調査の法則」があるという。
第一条 いかにもそれらしいエピソードは疑え
第二条 肩書きだけで名前がでない記述は疑え
第三条 疑いが出たら現場に行け 

「要再調査の法則」の法則に従って調べよう。
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なぜ三ツ矢サイダー

2011年11月23日 | べったら市
なぜ三ツ矢サイダーは生き残れたのか
-夏目漱石、宮沢賢治が愛した「命の水」125年-立石勝正著
やっとこの本でラムネがコレラという病気に効果があるという迷信があったということ事実であった事が解った。炭酸水が胃腸病に効いて胃潰瘍の漱石も炭酸水を愛用していたという。
 大航海時代に積み込む水は炭酸水でないと腐敗するので積み込む水は炭酸水だったという。さらに炭酸水は殺菌力があるという。この炭酸水にレモンが入るとラムネとなる。これが明治10年代末頃のコレラ流行時にうわさがでてコレラ予防薬として日本にラムネが普及した。
 べったら市のサッカリン話はようやく決着がついた。
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生姜の作付

2011年11月22日 | 築地市場にて
どうやら生姜ブームということで南九州では生姜の作付が増え、またキャベツも震災後作付が増えている。放射能のリスク回避と言われている。また芋焼酎(いいちこ)の新工場向けの芋の作付が増えているという。
 ただ牛肉が酷い状態で生産者がやる気をなくしているという。TPPの問題以前である。ここ毎年想定外の天候・事故があって、生きている事が不思議と思う。年末は絆消費とかで例年より高価な食品で家族と過ごす正月になると予想されている。高価なおせちの予約は順調だが日本産のクリを中国に輸出して栗きんとんにしている商品が放射能の件で中国が日本産のクリの輸入を認めず、中国産のクリだけで商品を製造するので栗きんとんが不足するという。一時は中国産は農薬の問題で嫌われていたが今では日本産が放射能の問題で嫌われている。
 来年の初セリでマグロはどんな価格となるのだろうか。
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江馬細香

2011年11月21日 | 福神漬
江馬細香-化政期の女流詩人 門玲子著
残念ながら漢文の素養が無いので、幕末明治にかけて活躍した大垣藩小原鉄心伝を読んでも中味が解らず、口語約の小原鉄心伝は大垣の図書館にあるようだがそこまでは今は出張出来ないので何か良い手段はないかと考えていたところ、江馬細香という女流漢詩人と小原鉄心は交流があったようである。そこで江馬細香関連の本を借りる事となる。頼山陽とその夫人と江馬細香との関係は今でも評論が割れているようで最近では愛人ということの見方が多い。この辺の事情は福神漬の経緯には関係ないと読み飛ばしていたがどうやらペリーが浦賀に来た時、対岸で眺めていた人達の中には江馬細香周辺の漢詩人関係で交流があったようである。
 浦賀で異国船の兵力を見た小原が大垣藩の体制を変化させた事がようやくわかった。しかしこの本でも鳥羽伏見の戦いで当初幕府方について、後に小原の尽力で藩論を変えた事に心の中にしこりが残っていると書いてあった。幕府に対する「裏切り」をどう明治に入って処理したのだろうか。会津の人達のようにならず大垣の人達は一時の裏切りを忘れ去ったのだろうか。
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花嫁のれん2+

2011年11月20日 | 築地市場にて
ようやく花嫁のれん2で漬物の話となってきたようである。塩分の問題の話となる。漬物業者の塩分をよく説明したのでどのよな筋書きとなるか気にかかる。一寸前は沖縄が長寿日本一だったが今では長野県が一位となってきた。その理由として沖縄の人達が米軍払い下げの缶詰でゴーヤチャンプ―をつくるので脂肪分が昔より多くなり寿命が短くなったという。また長野県は塩分を控え、健康管理をした結果であるという。漬物業者の塩分は昔と違って温度管理や加熱殺菌の技術の進歩で随分塩分が少なくなっている。あの塩分の多いと思われた梅干しも今では3%程のものもあらわれた。
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大阪弁

2011年11月19日 | べったら市
暇に任せて辞書サイトを見ていたら、大阪弁のなかに「べったら」と言う言葉があった。やはり大阪の言葉だった。東京では大阪朝日新聞が東京に進出するまで「浅漬」という名称でべったら市が行われていたようである。
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古漬けのジャズ

2011年11月18日 | 築地市場にて
11月17日の日本経済新聞にジャズの古漬けとあった。河合良一さんの文章は「長年、一つのジャンルを続けていると古漬けのような味わいになってきたのではないかと思っている」日本のジャズ演奏を長く続けると日本の古漬け味がしみ込むのだろうか。
 オリンパスの問題も塩漬けの不良資産を闇に捨てることに失敗した様である。
 最近韓国ドラマを見ているがキムチよりクチ漬けの方が多い気がする。キムチ離れなのだろうか。
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築地市場の岸壁に囲いができた ヘイ!!

2011年11月17日 | 築地市場にて
隅田川にある船舶停泊用の岸壁が環状2号線隅田川橋の橋脚工事のため、囲いができた。東京都は休市日に着工すれば良いのに豊洲移転反対派の弱体状況をテストするように平日午後着工する。さしたる影響もなくヘイ工事進行中。震災後の暇さ加減ではど真ん中の工事でも物流動線は混乱しない気がする。
 期待していた日本食輸出も放射能の影響で12都県産は制限を受けている国が多く期待ができない。以前目立っていた香港向けの積み出しコンテナが築地で見かける回数が少なくなった。 今年は気分が寒そうである。
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畑わさび

2011年11月16日 | 築地市場にて
東京都から福島県南相馬市の畑わさびの放射能数値で出荷制限の案内が来た。畑わさび(根)とは何だろうと調べると西洋わさびらしい。主として業務用のわさびに使用されていて畑で栽培しやすい品種らしい。しかし、日本では古来の品種と呼び方で混同しているようである。水わさびとか沢わさびとか呼ばれている日本古来のわさびでも畑で栽培して葉を食するところもあるようでそこでは畑わさびと呼んでいるとあった。そして西洋わさびを山わさびと称している地方もあるという。福島県南相馬は西洋わさびだと断定してよいのだろうか。
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