年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

講談 巷談

2013年01月31日 | 宅老のグチ

講談(こうだん)とは、日本の伝統芸能のひとつ。
一回も寄席に行ったこともないので講談のことを書くことは気が引けるのだが福神のことを調べてゆくうちに「講談師-見てきたような嘘をつき」の心境となってくる。
 さて今は天保年間から嘉永にかけて浦賀と東千葉(通常東総地方)との関係を調べている。このようなことを小説で書いたのは故山口瞳さんの「巷説天保水滸伝」である。山口さんは個人的関係から幼少のときから飯岡の助五郎に関心があって、悪人説を信じてはいない環境にもかかわらず、調べれば調べるほど悪人となってしまった助五郎を書いた未完の小説となっている。その後の展開は書けなかったようだが大原幽学とか高野長英との関係を交えたら面白い展開となっただろう。
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分裂休市

2013年01月30日 | 築地市場にて

今日の築地市場は青果部が休みで青果門の通路は閉まっていて正門等の他の門しか入れない。昼過ぎきた築地場外の問屋さんが暇だったという。来月も20日は変則的な休みで3月にもある。水産と青果の休市日が異なるのが拡大するのだろうか。
29日中央図書館の帰りに築地警察を通ると資産家殺害事件の逮捕者を撮影するため報道関係者の脚立が林立していた。ご苦労さん。
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肥前唐津より古書

2013年01月29日 | 築地市場にて

余り寒いのでネットで古書を検索していたら、明治屋さんが昭和10年に発行していた食品事典が唐津の古書店で売っていた。この本は国会図書館でマイクロフィッシュ化されていて実物は見ていない。色々調べていて戦前の日本で食品専門の事典では唯一頼りになる本と見ていた。早速申し込み本日入手する。昔のコンサイズ英和辞典くらいの大きさの本で明治屋さんの意図として、店員に持たせ顧客の問い合わせに対応すべき携帯できる本としたようだ。昭和30年代にこの事典は再刊行しているが戦後の食品事情もあり、大幅に品目が増加していて昔の食品事情が探れない。当分寒さしのぎでこの本を読むこととなる。
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だめもとのチャレンジ

2013年01月28日 | 築地市場にて

停電の築地市場でやはり例年のようにトラブル。昨年は動いたプログラムがソフトを修正したため、本番ではドットプリンターが稼動しなかった。どうやら設定が変わってしまったようだ。色々な手段を使ったが動かずついに停電終了までだめとあきらめたが最後にだめでもともとということで900Vしか出ないインバーター発電機で1100Wのレーザープリンタを動かすことにした。カタログデータでは常時電力が700W程度を期待して動かした。動いた。結局3時間遅れで業務終了。今回の件で非常時の対策がまだ不十分ということが実感する。トラブルはまた楽しい。
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江戸時代後期の東総地域社会

2013年01月27日 | 福神漬
大原幽学と飯岡助五郎-遊説と遊侠の地域再編 高橋敏著
以前、花香恭次郎を探るべく、ほぼ近いところにあった大原幽学記念館に行ったことがある。そこで学芸員から高野長英の花香家とのことを調べる人があると聞いた。
 高橋さんの著書によると、江戸時代後期の東総地域社会は、鰯の豊漁に沸いた九十九里漁村は好景気による放蕩が蔓延し、幽学が定住した長部村の名主の訴えた状況では明和年には40軒あった戸数が天保元年に24軒となり、うち23軒が妻子に農業を任せ出稼ぎに行っていたという。
 東総地域の社会変動を巻き起こした原因は紀州から醤油醸造技術の伝播、関西漁民の房総へ移動したことによる地引網漁が伝えられたことが原因で、関西で木綿栽培が大量の干鰯需要をもたらし、東総地域は好景気となっていた。好景気は人手不足を招き、他国から出稼ぎ人の流入を招いた。ここに他国から大原幽学と飯岡助五郎が住み着いた原因となる。治安維持が弱体し、商品貨幣経済の発展が米作農家を衰退させていた。
 千葉県飯岡は与力給知の村で下級幕臣の組与力と旗本長井氏の二給支配だったという。千葉船橋八木谷を知行地にしていた長井五右衛門昌言と飯岡を知行地にしていた長井氏とはどのような関係があったのだろうか。
嘉永2年大原幽学は増大した門人のため、改心楼という建物を作った。嘉永3年3月に完成したという。この年高野長英は万歳にいたことになる。強大な改心楼は関東取締役出役の疑念を招き,捜査が始まったと思われる。嘉永3年高野が万歳村に比較的滞在が短かった原因は大原幽学への内探索が始まっていた時とほぼ同時期となる。
 
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毎年のこととはいえ

2013年01月26日 | 築地市場にて

今年も明日の停電の準備で一日が終わる。一回目の日は予期せぬ不手際でここ二回ほど失敗している。晴れれば少しは明るいのだが、気分は暗い。これに稀だが雨とか雪となるとますます気分が滅入る。無事一回目が終わると次回の停電は雨が降ろうが雪が降ろうが何も心配は要らない。慣れというものは恐ろしい。そして次年も停電があることを忘れる。
 築地市場停電が終わると春となる。二月から梅便りとなる。
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郷土室便り

2013年01月25日 | 築地市場にて
郷土室便り 5号(昭和49年7月)中央区京橋図書館
嘉永4年、佐久間象山の砲術塾が深川から、築地に近い木挽町5丁目に引っ越してきた。この年に吉田松陰が佐久間の塾に入門した。安政元年吉田松陰が下田でアメリカ密航失敗によって、密航を煽ったとして佐久間の塾が閉鎖となった。わずか3年の塾だった。
深川にあった佐久間の塾は木挽町以前の塾だったようだ。ここ当分郷土室便りを読んで、ここに所蔵されている本で明治5年前後の南茅場町の姿を探りたい。与力だった原胤昭の住まいがあり、三菱が東京の地所を南茅場町18に得たのも明治3年頃で、さらに三遊亭円朝が茅場町薬師堂境内にあった宮松亭に出演していたのが明治2年から5年までのことで花香恭次郎がこの地で商人見習いをしていた時期が明治4年頃である。

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与力給地が気になって

2013年01月24日 | 福神漬
南町奉行所与力だった原胤昭の与力給地が気になって、京橋図書館郷土資料室へ行く。南北江戸町奉行所の与力給地が元禄年間以後に香取郡内に給地があったという。与力給地の管理役として、村名主が選ばれ、給地世話役をしていたようだ。安中藩の世話役をしていたと思われる花香家は明治維新後、南茅場町の元与力の敷地を購入したのだろうか。三菱が東京の土地を支店として取得したのが明治3年頃の南茅場町18番地であった。江戸での酒物流の中心地であった所を売却せざるを得ない状況にあったということなのだろうか。蒸気船による運行は比較的安定していて酒商売としてのうまみがへっていたのだろうか。この明治の初めのころは江戸(東京)の人口は武士が消え、人口が半減していたという。つまり酒の消費量も減っていたし、戊辰戦争の戦費を賄うため、酒に対する税金が重くなったり、新規酒造に参入することが可能になったり、時代の変化の激しいときでもあった。いずれ今でも茅場町にある清酒『白雪』さんの歴史を調べる必要があるだろう。
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休市日は雨漏り修復工事

2013年01月23日 | 築地市場にて

先日の雪が解ける過程で屋上駐車場に貯まった水が漏れ出してきた。市場の施設課に電話して工事となる。天井が高いので高所作業車が必要なため休市日しか工事が出来ない。後3年ほど現状維持でいかねばならない。
工事の終わった後、荷物の延着に気が付く。所によって雪の影響があるようだ。日本は広い。
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伊勢たくわんの試食

2013年01月22日 | 築地市場にて
伊勢たくわんの試食
伊勢に出張した社員より、地域特産漬物として認証された伊勢たくわんを試食する機会があった。糠を軽く洗い落とし、包丁で切るのだがちょっとウンチクのある話をした。たくわんは二切れ。一切れと三切れは縁起が悪いといわれていた。一切れは人を切る。三切れは身を切る。つまり切腹することを意味するという。こんな由来があるのは沢庵禅師が創ったという言い伝えだが定かでない。
 社内に糠の香りが充満し、昔の味が口の中に広まりご飯が欲しくなった。
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T1グランプリが終わって

2013年01月21日 | 築地市場にて

20日に東京タワーで漬物のイベントT1グランプリが終わった。会社の入り口に張ってあったポスターもようやく撤去し、冬の陽光が入るようになった。大寒ということで寒さが厳しい時期だが今年は昨年より寒く、青果物がすでに高価格となっていて世間で騒いでいる。しかし、デフレ脱却ということで円相場に注目がいっているようでガソリン価格改定が気になってくる。
 節電のため、冷蔵庫の電源を止める提案をしようと思う。今晩、また雪という。当たるかな。
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停電リハーサルの失敗

2013年01月20日 | 築地市場にて

来週日曜日の築地市場全面停電のため、パソコン起動の練習を行うが一年ぶりの作業で忘れてしまっていて、見事に失敗。あと一度ほどリハーサルをやらないと不安である。機器の設置は行ったが実際真っ暗で寒さが厳しいときにうまく行くかやってみなければ解らない。
ホンダのインバータ発電機はテストすることに時間がなく、明日へ先送り。
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中途半端で

2013年01月19日 | 築地市場にて

東京都の来年度予算の概要が発表されて、これで正式に築地市場の移転が延びた。本来の予定では来月頃一部の施設が着工となるのが一年延びたと言うことになる。ということは消費税が5%の時代から10%に時代になるということになる。長い間使用できる物品の前倒し購入計画も不要となる。そんな訳で移転準備担当者決めも自然と延期となり、暇な正月明けとなる。
 政権交代で10月から見ると15%ほどの円安となり1ドル90円ほどとなった。来月にある中国旧正月明けの人件費の高騰が日本の食材にどのような影響があるのだろうか。デフレ気分が残っている日本では量目の変更でごまかすしかないのだろうか。
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新島八重から

2013年01月18日 | 福神漬

新島八重から新島 襄の経歴を見る。そうすると彼は安中藩の藩士の子として江戸で生まれている。安中藩はどこかで福神漬の資料を読んでいたとき出てきたなと思っていた。しばらくして福島事件被告人花香恭次郎の裁判調書を読んでいたとき、花香恭次郎の養父花香恭法の経歴が安中藩士から幕府の御家人となったようなことが書いてあったと思い出した。
 明治になる前、今の千葉県干潟の地域は100年ほど安中藩の領地であった。今の銚子付近の幕末の領主は幕府直轄地とか安中藩地、御家人、町奉行所与力同心の知行地などが混在していて、治安維持が現地に住んでいる人に任せていたようだった。このことが『天保水滸伝』『大原幽学』を生み出した原因である。幕末時には金銭のやり取りで士族になった例もある。安中藩に花香家は金を貸していたのだろうか。
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会津本

2013年01月17日 | 宅老のグチ

ある明治人の記録-会津人柴五郎の遺書 石光真人編著
柴五郎の遺書を読み始めた。五郎の兄である柴四郎は東海 散士『佳人之奇遇』の作者と知られているが、実際は高橋太華等が加わって創った政治小説であるという。根岸党の重要な人物である高橋の経歴は今でも不明な点が多い。それは戊辰戦争の中で二本松藩士の子として生まれた経歴から来ている。福神漬で福島人の心の屈折がどうなって居るのか解らない。今でも福島の地域の人達は戊辰戦争の後遺症が残っていて、それぞれの地域の対立とか身分に寄る立場のから一律に語る事は出来ない。石井研堂とて郡山の商人の子であったから複雑な戊辰の事情の影響の中にあった。明治事物起源『缶詰の始まり』の石井の記述も何か別のことを語りたい事があったと感じてきた。
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