年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

初荷

2006年12月31日 | 趣味としての漬物
今から50年も前の話ですが大晦日の遅くまで集金していて元旦は休みで2日に初荷です。ささ竹に初荷と書いたのぼりを付けて得意先を年始回りします。勿論祝い酒が出るので当然酒酔い運転でした。未成年であっても正月は酒をなめさせられました。オート三輪自動車の荷台にまで人が乗って秋田から出稼ぎの人と一緒に寒さに震えながら回っていました。一番の楽しみは色々な所でお年玉をいただくことでした。今は築地市場でもめったに見られ無く、勿論振る舞い酒もなくなりました。当時は今と違って酒酔い運転の規則は厳しくなく、めったに飲めない酒を正月だからと言って飲んで運転してました。車の性能が悪く、道路も砂利道が多く。スピードも出ず、信号や渋滞もなく今と変わらぬ時間で用が済みました。
 年が明けたらいよいよ福神漬の話しになります。調べていくと一般に知られていない話がありそうです。何ヶ月続くことやら。

 毎年1月5日築地厚生会館にて築地市場の主な幹部が集まり賀詞交換会が行なわれます。ここにて大体東京都の市場運営方針が市場長によって語られます。豊洲市場へどう向かうのでしょうか。
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バナナと梅干

2006年12月30日 | 趣味としての漬物
東京都中央卸売市場史によるとバナナは戦後のある時期は販売方法が問題となっていて、かなりのページを占めている。バナナの自由化によって価格下がり、バナナと交代して台湾から梅干がバナナの輸入業者によって日本に入ってきた。
野菜の輸入はこんなことから始まります。
昔が学校の教科書の逸話でオランダの話として次のような話しがあったと言う記憶があります。ある時、堤防からちょろちょろと漏水しかけていたのを少年が見つけ、その穴に自分の指を突っ込んで決壊を防いだという話しです。
 昭和30年代は外貨が不足していてなお1ドル360円の時代で海外から野菜の輸入などは全く考えらなく日本で採れない特殊な青果だけが入ってきていた。その中で塩漬梅干の輸入が始まったのは台湾バナナのおかげと言ってよい。堤防の小穴(梅干輸入)は時間が経って野菜輸入の拡大という大穴となってしまった。これには農林水産省の政策のミスで加工用の野菜促進より生鮮野菜の産地保護(単価が高い)を優先したため、加工野菜の業者が数量を確保するため海外原料に向かい、更に品質向上につれて生鮮のまま日本に入ってきた。
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築地場外市場の寺

2006年12月29日 | 築地市場にて
築地本願寺 除夜会12月31日その年最後の法要が勤められ、除夜の鐘がつかれる。今年もその案内の看板が出ました。
 携帯電話の宣伝のため、築地本願寺の建物はピンク色の照明で浮かび上がり,敷地内にはピンク色の透明シートで覆われた巨大なテントが設営されていてその中で何かイベントありました。パリス・ヒルトンと言う人が来ていたそうです。そのテントが撤去されたら、28日は年末の築地市場内外の超大混雑の中で松竹という会社の社葬が築地本願寺で行なわれていました。車で来た人は通常より凄い渋滞であせったでしょう。

築地場外市場のホームページを見ると江戸時代は場外市場の位置はすべて築地本願寺の末寺と墓地だった。従って場外市場の建替え等の建設工事が始まると決まって人骨が出てくる。当然大騒ぎとなる。場外市場は築地本願寺と関係が深い。今『もんぜき』通りは『門跡』通りということです。つまり『もんぜき』は本願寺の管長の俗称です。

築地3丁目には 築地本願寺は新大橋通り、善林寺、法重寺は晴海通り沿いにあります。
築地4丁目の場外市場内にある 圓正寺(えんしょうじ) 稱揚寺(しょうようじ) 妙泉寺(みょうせんじ)。
ごちゃごちゃした場外市場に寺院があることは昔門前市があったということを思いだされます。
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柳生宗矩と沢庵漬の関係

2006年12月28日 | タクワン
柳生宗矩と沢庵和尚
19年1月10日NHK『その時歴史が動いた』の放送予定でどう描かれるか?

柳生宗矩は、徳川家康に見出される。徳川の敵を倒すため幕府成立初期に大名統治政策作った。
 親族や門弟を諸国の大名のもとへ剣術指南として送り込み、内部情報を収集するkことを宗矩がしていて世間一般には悪役として描かれている。同様に大徳寺で面識のあったと思われる千宗旦(せんのそうたん)は、千利休の孫で、宗旦の子供が現代まで続く表千家、裏千家、武者小路千家の祖である。当時は茶道師範も各大名の内部情報を収集するための手段の一つにになったと思われる。特に島原の乱にはあったと思われる。
柳生宗矩は、京都大徳寺の禅僧・沢庵と交流があり三代将軍家光の政策顧問として活躍した。そして、徳川政権成立後も続いた豊臣恩顧の大名との統治策はいわゆる外様大名が沢庵禅師に接近するきっかけを作ったと思われる。沢庵の『大名好き』と当時から言われたのはこの辺から出てきたのかもしれない。
 沢庵漬と言う漬物は沢庵禅師の創始と言われるがその名前が今も残っているのは柳生宗矩・千宗旦・沢庵禅師との交流と徳川幕府の大名制御政策とそれに対する諸大名の情報収集ために沢庵禅師に近づき沢庵漬が普及したと思われる。
 
結論 沢庵漬は外様大名等のゴマスリの結果今でも名前が残っているのであって、もし柳生宗矩・千宗旦・沢庵禅師の交流がなければ沢庵漬と言う名でなく単なる干し大根の糠漬となっていたでしょう。なお品川にある東海寺は遠州流の武家茶道で知られる小堀遠州がかかわっています。
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築地場外市場ツマ屋通り

2006年12月27日 | 築地市場にて
築地市場が変わらぬ混雑の報道されているが他の市場は市場外流通に押されてどんどん専門食の店が消えて良い物はますます築地市場・場外市場にしか手に入らぬことになってきて、更に他の市場が衰退してゆく。地方市場はいわゆる物流センター化されていて市場と言うより荷物の仕分け場所となっている。
 築地6丁目の場外市場の中で一般の人を相手にしないで商売している一角がある。密かに『ツマ屋通り』と呼んでいる。サシミの『ツマ』や『わさび』の専門店が並んでいる。此処には観光客も少なく場外市場らしい風景が見られる。何かと規制の多い場内に比べると自由な場外市場は商材の変化が激しく、店舗の変身も激しい。ワサビの専門店が成り立つのも築地だからでしょうか。
そろそろ築地場外市場は横浜の中華街や月島のモンジャ街のように寿司屋街となってしまうのだろうか。
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ミカンの高値と野菜の安値②

2006年12月26日 | 築地市場にて
築地市場の青果部の売り上げデータを見ると野菜が高いと果物が安い。野菜が高いとどういう理由か果物が安い。
 消費者がスーパー等で購入する食品のなかに野菜が最初で安いと予算があまり果物に向かうのだろうか。量販店のバイヤーは安値競争をしているがほんとに消費者は安値を喜んでいるのだろうか。昔と違って、余計な食品を購入すればもったいないからといって食べれば糖尿病となってしまう。捨てれば資源のムダとなってしまう。
 前の景気の良いときの消費者は安い野菜を購入しても同じ店で他の商品を買ってくれた。しかし、今は専門店があり、節約した金は海外旅行とかブランド商品の購入に消える。安い商品しか売れず、利益の高い商品は他のルートに消費者の金銭・時間が流出する。その極端な例として、携帯電話の料金がゲーム代金やカラオケルームの競争者となる、携帯電話のためにバイトしたりしていて目の前にいてもメールしている。
 昔と違って欠品していても他の店があるし、困ることではない。欠品ロスをなくすため、商品の画一化が進んで店舗の個性が消えている。つまり昔の本屋さんは個性があったが大型書籍販売店が増えたり、コンビニで雑誌が販売されるとどんどん町から消えた。しかし、今では大型の書籍店は広すぎて新刊本を探す手間がかかり、ネットで購入する方には配送料がかかるが探す時間や電車賃を計算しても書籍店で取り寄せより早い安い。今の子供はマンガを発売日当日朝5時にコンビニで購入し、学校に行くまでに読んで他の子供に販売する。今の子は早起きは苦手だから需要が生じる。
 書籍もネットで図書館の情報が入るから、予め確認してから向かうので非常に効率が良い。
 安値ために将来を考えず競争していて、気が付いたら国土(農地)・人心が荒れている愚はなんとか避けたい。
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ミカンの高値と野菜の安値①

2006年12月25日 | 趣味としての漬物
今年の築地市場の青果部はミカンの高値で(昨年と違って)ミカンの置荷が無く、駐車場が確保されているので例年と比較して頗る順調。
有効貯水量と野菜の豊作
有効貯水量とは、ダムでためることができる水量のうち、実際につかえる水の量。この言葉は使える。野菜の有効消費量。捨てられていない本当の野菜の消費量。食料を自給自足すれば年金を減らされても何とかなるか?

棚田
国土保全 
《保水機能》 大部分の棚田は、河川や溜池を水源とする灌漑施設をもっています。日本では、国土の70%を占める山地に降った雨は、自然のままだとすぐに海へ流れ込んでしまいますが、棚田や山林は雨水をすぐに流出させず、迂回、滞留させる役割を果たしています。ちりも積もれば山となる。
漬物も天候が順調で品質の良い野菜が豊富にできた時、漬け込んでおいて出荷調整する役目があります。

《洪水調整機能》 棚田は「小さなダム」として洪水調整の機能を果たします。日本の棚田は山間部にあり総面積も大きく、大雨などの時には普段より多く水を溜めることができます。棚田の貯水可能容量も当然多く洪水調節容量は有効貯水量と考えるとかなりの量です。
 過剰生産となった野菜も農家がみんなで漬け込みすればかなりの量となり、定年帰農の人たちが野菜造りをし、漬物にしてもかなりの量となる気がする。

《地すべり防止機能》 棚田は地すべり地に拓かれていることが多く、耕作放棄されると乾燥し、亀裂が生じて地すべりを引き起こすことがあります。棚田を耕作し続けると地すべりを防止する効果があります。
今、農家は高齢化していて使われない畑が多く定年帰農の人たちに使われたほうが国土保全のためによい結果となる。
 今年は大根・白菜が豊作で価格が暴落して産地では廃棄処分しているそうです。大根・白菜の一番美味しい季節は11月からです。それなのに価格が大暴落しています。食べてください『旬の野菜』。
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漬物の五季

2006年12月24日 | 築地市場にて
漬物には一年で5季がある気がする。春は3月3日のひな祭りから始まり5月の連休明け一週間が過ぎる頃まで、夏は長くて9月の半ばまで、秋は最低気温の10度を一度割る頃まで。大体11月一杯まで、冬は12月から3月3日まで。そしてその間に12月25日から12月31日までが正月と言う季節がある。今は年中無休の店が多くなったので買いだめする必要がなくなったがそれでもごみ収集が休みだとか会社が休みで空気が清んでいてそれなりの正月気分が出る。築地市場で働いていて12月の大混雑が終わって12月30日はセリがなく、一年の挨拶を終えて無事に帰宅できるとほっとする。しかし、正月商材が寒波等の不測事態があってクレームがあると憂鬱な正月となってしまう。今は暖房が利いているので商品が作り貯めしすぎると腐敗することがある。正月前に商品が傷むと交換できず苦労する。
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つきじ・つきぢ・築地市場 いちば・しじょう

2006年12月23日 | 築地市場にて

大江戸線は築地市場『つきじしじょう』駅。
東京臨海新交通臨海線「ゆりかもめ」市場前『いちばまえ』駅です。
つきじ 地下鉄日比谷線築地(つきじ)駅
また銀行の読み方もまちまち。
みずほ銀行築地(つきぢ)支店店番:015
東京中央市場内(とうきょうちゅうおういちばない)特別出張所 店番:622

三菱東京UFJ銀行築地(つきぢ)支店店番:025

三井住友銀行築地(つきじ)支店店番:625

つきぢ田村 料理店の名前
つきじ植村 料理店の名前
 どうも呼び方のルールはなさそうです。なお気になるのは「ゆりかもめ」市場前駅は(市場)と言う名称の前に豊洲とか新築地とか変更になるんでしょうか。つまり豊洲に移転の時期に例えば『豊洲市場駅前』とかに変更するんでしょうか?

おまけ 三菱東京UFJ銀行中央市場支店 店番:204 この支店は大阪市にあるのですが呼び方は『ちゅうおういちば』



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天気予想 今年は雨が多い12月

2006年12月22日 | 築地市場にて
一年で一番天気が気になる日が近づきました。
暮れの25日の夜は一年で築地市場が雑踏する日です。クリスマスセールが終わり年末の品揃えに向かいます。三浦大根が築地市場に入るのもこの日です。ナマス用として最適な大根で今では幻の大根です。三浦は今青首大根が主流で昔ながらの一本2キロ以上ある太い大根は暮れの一時期しか築地市場へ入りません。日本各地の積雪情報が気になります。いわゆるクリスマス寒波と称するものです。高速道路が積雪によって拘束道路になるのが一番心配である。荷物が遅れ行方不明になるのもこのころが多い。破損等の品痛みが多いのもこの時期の特色で気が抜けない。日本各地の正月の風習の差が気になる時期でまた変化が感じられる時期である。平成の新しい習俗が生まれていて気がつかないのかもしれない。日本各地の商品の過不足の連絡調整が始まる、暴騰暴落が起きるのもこのころの特色。今年は雪より雨か。
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ふぐ除毒所

2006年12月21日 | 築地市場にて
築地市場の本場内にふぐの防毒所があります。ふぐ調理師組合の事務所もあります。関東では関西に比べてふぐの料理店は少ないのですが築地近辺では勝鬨橋たもとの“天竹”が知られています。一度ふぐのフルコースを食べました。大阪にては“てっちり(ふぐちり・フグ鍋)”の代わりに“てっさ(フグ刺し)”を食べました。
東京都事務所のあるところに築地市場衛生検査所あり、その廊下の壁に日本におけるふぐの各種の模型があります。北陸地方にはふぐを糠漬したものがあります。昔の日本人は猛毒のふぐの肝を捨てずに工夫して食べるとは恐ろしい食い意地です。
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波除神社前にて

2006年12月20日 | 築地市場にて
日曜日の午前、築地市場は年末前の一時の静けさ、波除神社の前で若い板前さんが神社に向かって大きな声で誓詞を読み上げていました。歩道にはしめ縄等の処分の物がありました。築地にはまだこのような習慣があります。日曜にもかかわらず築地場外の混雑はだんだん酷くなっていてこのままでは年末の状況は恐ろしい混雑が予想されます。警視庁の機動隊の出動も例年のことですが築地の混雑は祭礼の警備と違って通常の業務と一時的な消費者との区別が難しいのです。
『年に一度位築地に来て安く良い商品を買うのは難しい』
最近の土曜日の場外市場は10万人の人出があると言ってます。その内築地市場で働いている人は何処で美味しい食事を食べれば良いのでしょうか?1時間も並んで待つ食事は築地の食事ではない。『美味い・早い・安い』吉野家の精神だよ!!
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築地市場のノロウイルス対策

2006年12月19日 | 築地市場にて
東京都の食品安全担当からメールが来ました。
築地市場・都職員から各会社の従業員へ連絡
最近の若い人は新聞やテレビのニュースは知らないので回覧するため印刷掲示。
12月14日

ノロウイルスによる感染性胃腸炎等の流行について (要注意)
現在、ノロウイルスによる食中毒や感染性胃腸炎が全国的に流行し、都内でも、高齢者施設やホテル等での感染事例が報告されています。
ノロウイルスは、感染力が非常に強く、ごく微量でも感染します。
これまでにも、ノロウイルスに感染した食品取扱者を介して食品が汚染され、その食品を食べた人々が感染したという事例があります。
ノロウイルスによる感染症は、ウイルスが手指や食品(ウイルスに汚染されたカキなどの二枚貝の生食など)を介して口から身体に入ることにより感染します。感染から発症までは24~48時間で、主な症状は、吐き気、おう吐、下痢、腹痛です。通常、これらの症状が1~2日続いた後、治ります。

 市場関係者においては、次の予防対策を徹底し、自らがノロウイルスに感染しないようにするとともに、物品を取り扱う際には、手洗いなど、基本的な衛生管理を徹底するようにしてください。

○ 作業や食事の前、トイレの後などには、必ず手洗い(石けんを使い十分にこすり洗いをし、水で洗い流す。)を行う。
(これにより、手についたノロウイルスは大幅に減少します。)
○ 加熱が必要な食品は中心部まで十分に加熱し食べるようにする。
○ おう吐や下痢等の症状がある市場関係者は、物品を直接取り扱う作業を控えるようにする。

ちなみに築地市場のトイレには以前から薬用石鹸らしき物が付いています。
 
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築地市場まえ国立ガンセンター病院

2006年12月18日 | 築地市場にて
築地市場正門前に国立がんセンター病院があります。此処の最上階に食堂があり真下の築地市場と豊洲市場を越して首都高速晴海線の工事している所まで良く見えます。豊洲市場へ乗り入れします。ガンセンター病院は元海軍病院の跡地です。いつも見上げているのですがガンセンター病院の上の食堂から築地市場を見ると下界の混雑がわかります。
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海上保安庁海洋情報部は築地市場のとなり

2006年12月17日 | 築地市場にて
日本における(海図等の)海洋情報の業務は明治4年に始まり平成18年には135年の歴史があります。築地にある海軍の歴史です。戦争前のピーク時には職員4800名を数え敷地は新大橋通りと今の首都高速に挟まれている所でした(中央区築地5丁目3)現在の海上保安庁海洋情報部庁舎と朝日新聞の部分が海軍水路部でした。驚くことに今はないが関東大震災まで築地市場正門前の交差点に以前経緯度の基準点を示す位置表示があったということです。新大橋通りの工事に伴い移転し築地市場内に旗山の石碑があります。これも海軍の歴史遺産です。築地(旗山)で経緯度の測定がおこなわれました。築地市場正門、北緯35度39分50秒,東経139度46分4秒でしょうか、
海洋情報資料館の公開は毎週水曜日 13時~17時(祝日及び年末年始を除きます)地下鉄大江戸線築地市場駅すぐ(朝日新聞となり)海図も売っています。
「旗山」記念碑東京都中央区築地5-2-1 東京中央卸売市場内魚河岸水神社内にあり5の日に公開しています。築地市場内の牛丼の吉野家付近の神社内。


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