仕事の道楽化

 仕事が道楽になることを目指しています。

故人に対して「お悔やみ」ではなく「批判の声」を上げる人に、違和感を感じる。

2022年02月02日 | 修養

 石原慎太郎氏の訃報を聞いた。

 日本の行く末を真剣に案じてくださっていた方だと思う。

 心からお悔やみ申し上げる。

 石原氏の発言は、攻撃的だけれども、その底には、日本の行く末を案じるという強い気持ちがあった。

 また、これまでの先人の努力を無にしてはならないという思いもあった。

 話題になった記者会見は多いが、中でも印象に残っているのは、靖国参拝に関する記者会見である。

 

 靖国神社を石原慎太郎氏は参拝していた。

 それは東京都知事時代も変わらない。

 参拝するのに「公人か私人か」と聞いて来た記者への逆質問には、心を打たれた。

 

 「君はどっちなんだね。私が参拝するのに賛成か反対かね。」

 

 (記者は「私人としていくのは自由ですが、公人としていくのはどうかと・・・」と、答える)

 

 「どうやって肩書きを外すんだね。」

 「バカを言うな。君のお父さん、お母さん、曾祖父さん曾祖母さん、命懸けでこの国を守って来たんだよ。」

 「近代史を知らないから、そんなバカな質問をしてくるんだ。」

 

 攻撃的な物言いをするので、敵を作るのだろうけれども、その根っこには、常に日本の行く末を案じるという気持ちがあった方である。

 

 今回の訃報を受けての反応に、人間性を見る思いがした。

 

 大変驚いたのだが、お悔やみの言葉ではなく、故人への批判の言葉のみを述べている方がいる。

 野党の一部の方や評論家の方々である。

 社民党副党首や法政大法学部教授の方々などである。

 

 「亡くなった方に対しては、まずお悔やみの言葉を述べるべきだろう」と、私は思うのだが、こういう方々の感覚は、そうではないらしい。

 

 

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