雫石鉄也の
とつぜんブログ
昭和残侠伝 死んで貰います
監督 マキノ雅弘
出演 高倉健、池部良、藤純子、山本麟一、中村竹弥、長門弘之、荒木道子
男二人に女一人という図式の映画はいろいろある。「冒険者たち」のアラン・ドロン、リノ・バンチュラ、ジョアンナ・シムカス、「スターウォーズ」初期三部作の、ルーク、ハン・ソロ、レイア、「緋牡丹博徒」の藤純子、若山富三郎、高倉健(or菅原文太)などなど。いずれも、女を頂点にして、男二人を下の角にした二等辺三角形という構図だ。ところが、本作の場合、男の高倉健を頂点に、下の角に女の藤純子と男の池部良という構図になっている。しかもこの三角形、二等辺ではない。男二人の辺の長さが、男と女の辺の長さより短い、いびつな形の三角形となっている。この二等辺でない三角の図式が、本作の男の映画としての美しさを醸しだしているのだ。
花田秀次郎は料亭の息子だが、ぐれてヤクザもんになっている。賭場でのいざこざで袋叩きにあって、イチョウの木の下で苦しんでいる所を芸者見習いの幾江に助けられる。
秀次郎は人を斬って服役。懲役している間に父は死に、関東大震災で義母は盲目になり、妹も死ぬ。ギャンブル依存症の妹の亭主がお店の旦那になっていた。こんな店を支えていたのは板長の風間重吉だった。
出所した秀次郎は、正体をかくし店で板前として働く。一人前の芸者になっている幾江とも再会する。旦那が悪い親分にだまされて店の権利書をとられる。それを取り戻しに行った良い親分が殺される。あとは例によって、秀次郎と重吉の男の道行き。
花田秀次郎、風間重吉、幾江。この三人の結びつきで、秀次郎と重吉の結びつきが最も強いのは冒頭で記した通りだが、女の幾江は、この男と男の関係に嫉妬するわけでもなく、だまって二人を死地に行かせる。そこには女が口をはさめない/はさませない、男の世界があるのだ。本作は(というよりこのシリーズは)男の美しさを堪能する映画なのだ。
高倉健と池部良、二人の男の美しさと、それを引き出す触媒の役目を果たしつつ自分自身も美しい藤純子。なんとも美しい、ある種美術工芸品のような映画となっている。
コメント ( 4 ) | Trackback ( 0 )