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火星の人


アンディ・ウィアー 小野田和子訳     早川書房

 山で遭難して生還した話を書いてもSFとはならない。ところが火星で遭難して生きのびる話はSFだ。このようにSFには、いつかSFでなくなるSFといくら年月がたとうとSFであるSFの2種類あるのではないか。
 火星に人類が普通に行き来できるようになれば、この作品もSFではなく冒険小説となるであろう。で、時計の針をずうっと進めて、火星に行き来できるようになったとして、この作品を読んだとしても非常に面白いことは想像できる。この作品は冒険小説としても優れているといってもいいわけだ。
 時計の針を元に戻せば、火星にいった人はだれもいない。だから、この作品で書かれていることはすべて作者の想像で書かれたわけだ。「講釈師、見てきたようなウソをいい」というが、この講釈師をSF作家に代入できる。この作品の作者ウィアーもまるで火星を見て来たように書いている。もちろんウィアーはウソをついているわけではない。最新の観測、研究によって得られたデータを元に、火星の風景を極力リアルに描こうとしている。幸いなことにウィアーのその努力は実った。この作品の読者は、雪山で遭難して生還した人の話を聞くがごとくに、火星で遭難した人の話を聞くことができるだ。極めて優れたSFは、読んでいる最中はSFを読んでいるということは意識しないことがある。この作品も、そのような極めて優れたSFである。
 話は極めてシンプル。事故で一人火星に取り残されたマーク・ワトニーが、救援が来るまで火星で生きる話。残された資材、機材、情報を活用し、知恵と工夫の限りをつくして、地球とは全く違う環境で地球人が生き残る。なんども絶望的な危機に見舞われる。それでもワトニーは絶対にあきらめない。
 三つの視点から描かれる。ワトニーの視点、ワトニーの仲間で地球への帰還途上の火星探査船ヘリオスの船内、そして地上のNASAのスタッフ。目的はただ一つワトニーを生きて地球に帰す。
 地球に残されたワトニーの家族は出てこない。だから余計な愁嘆場はない。火星にあるのは薄い大気と砂嵐と赤い大地だけ。それ以外には何もない。ワトニーは生きる、ワトニーを助ける、それ以上もそれ以外も、この小説は書いていない。それでも非常に面白い。
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