長年感じていた事が少しすっきり。
子供と関わる大人達の子供とのやりとりで、ずーーーーーーっとね、なんか違和感があったことがありまして、でもうまく言葉で説明できない何かだったんです。
それがふと、今日 閃くように、これか!と自分の中でようやくわかった事がありました。
この違和感とは。
英語での大人と子供のやり取りで時々見聞きする事が多いかな。
一見、子供をしつけているように 見え、聞こえるのですが、なんかね、違うの。
変な言い方をすると、ズレてるというか、安っぽいというか。。。
それは、私自身が心がけているアプローチとその方達との注目する視点の違いにあるように感じました。
例えば、片付けの時間に「自分でやろうとしていたこと」を「別の子がやってしまった」
この状況に対して自分でやろうとしていたAが代わりにやってしまったBの事を叩いたり、押してしまい、Bが泣いてしまった。
この場合、Aにとっては 「自分でこれを片付けようと思っていた」事があった。
BはAがそう思っているとは知らず、目の前にあったそれを片付けの時間だから片付けようとした
二人とも片付けようとしていたんです。
どちらかに相手を傷つけようとする悪意もない。
でも不適切と判断される点は「AがBを叩いたり、押してしまった事」
この状況が起こった場合、私ならまず状況を可能な限り把握する事を努めます。
お話ができる年齢であれば「どうしたのか。何が起こったのか。何がしたかったのか」双方に聞くと思います
でこの場合 Aに対し「自分でこれを片付けたかったんだね」とその子がやろうとしたポジティブな行為と考えに共感を示します。
その上で「そういう時は、Bに『これは僕が自分で片付けたい』と伝えたらいいと思うよ」と、叩く、押す以外で、相手に自分の気持ちや意見を伝える方法を伝えます。
そして、そのAの考えや気持ちはBにも伝えます。その上で「でもBも片付けようと思っていただけだし、叩かれたり、押されたのは嫌だったよね。痛かったよね。ごめんね。」と伝えると思います。
そして、Aが叩いてしまったという行為に対して、自分でも謝れるようであれば そこは「ごめんね」が言えるととても良い。
それで双方納得すれば(大抵納得する)、おしまい。
私が違和感を抱く接し方は
まず、状況をきちんと把握しようとせずに、不適切な行為のみに注目し、それについて不適切な行為をしたと見られる子のみに「叩くのはよくない。押すのはよくない。なぜなら。。。。」と、グダグダ説教を始める接し方だと感じました。
子供自身も「あ!しまった。。。」って気がついてる事が多く、特に同じような事で何度も注意をされている子達は「また注意される。。。」とネガティブな気持ちが膨らむ様子が表情からも感じられます。
この後者のアプローチは、一見 不適切な行為を指導しているように見聞きできるのですが、私が抱いた違和感は「一方的な指導」で、そこに「その背景にある、子供の気持ちや考え」が尊重されていないからなんだ。と、急にすっきり解決。
先週から近所のキンダーガーテンに実習に行っていて、今回はとても尊敬できる先生方に恵まれ、最後の実習をここでさせてもらえることがありがたい。と感じています。子供達との接し方も自分にも近く、とても共感できるし、私が感じた事もすんなり相手に伝わり、この方達と一緒に仕事できたらいい環境つくれるだろうなーと感じる先生方に恵まれました。
が、先週一度だけ、代行の先生が入った日があり、代行の先生だからというわけではなく、その方の クラスメイトとトラブルを起こしやすい子への接し方に すごく嫌な感じを受け、あ。。。でも知ってるこの感じ。。。 私が時々出会う違和感。
で、今日になり、なんとなくそのアプローチや、その時の子供の表情などを思い出していて、急にすっきり。
ネガティブな部分のみ注目して、繰り返し同じような事言われたら、くどいよね。 私も嫌になっちゃうなー。そんな風に言われたら。
その時トラブルになっていた子もね、いいところもたくさんあるの。親切にしたい気持ちも行為に出てる事もあるし。優しいところもあるし。そこをね、あえて見つけて本人に伝えるようにしています。嬉しそうな表情見せてくれるし、担任の先生達も同様にその子の良い部分もきちんと把握されているのを感じます。
不適切な言動を注意する前に、状況や気持ち、考えを把握しようとしたり、理解を示すことは、小さい子達だけでなく、中高生相手でも大切だと私は思っています。
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