トシの旅

小さな旅で学んだことや感じたことを、
まとめるつもりで綴っています。

亀のいる駅、JR津山線亀甲駅

2017年02月05日 | 日記

駅舎から亀が首を出しています。個性あふれる駅舎で、全国に知られるJR亀甲(かめのこう)駅です。JR岡山駅と岡山県北部の中心都市にあるJR津山駅を結ぶJR津山線にある駅です。

”みまさかノスタルジー”です。平成28(2016)年4月2日に、岡山デスティネーションキャンペーンの一環としてデビューした観光列車です。JR岡山支社管内のディーゼルカー(DC)は赤色で塗装されていますが、これは、かつての姿を復刻した色彩になっています。現在は、快速列車”みまさかノスタルジー”として、岡山駅と津山駅の間で、1日に2往復が運行されています。

”みまさかノスタルジー”は、キハ4747とキハ471036の2両編成です。これは、津山寄りの車両キハ471036号車の内部です。窓側にあるテーブルの前に、外側に向かって座席が設置されています。両側にありましたので4席が窓に面していました。また、”みまさかノスタルジー”の窓際にあるテーブルにはかつて着いていた栓抜きも復元されています。デスティネーションキャンぺーン中には、岡山駅の(津山線が発着する)9番ホームには、瓶のコーラを買うことができる自動販売機も設置されていました。

JR津山線には、玉柏(たまがし)駅、金川(かながわ)駅、福渡(ふくわたり)駅、神目(こうめ)駅、誕生寺(たんじょうじ)駅に亀甲駅とおめでたい名前の駅が並んでいます。そのため、”みまさかノスタルジー”が生まれる前から走っていた快速列車は”ことぶき”という名前になっていました。「おめでたい」から命名されたのだそうです。この日の朝、思いついて亀甲駅を訪ねてみることにしました。岡山駅発8時44分の津山行きの各駅停車で出発しました。キハ402006号車。ワンマン運転の単行のディーゼルカーでした。県都である岡山駅から津山駅に向かう列車ですが、「上り」の列車になっています。

出発から1時間余、9時57分に亀甲駅に到着しました。亀甲駅は、久米郡美咲(みさき)町にあります。美咲町は、”平成の大合併”により、平成17(2005)年に誕生しました。合併前、久米郡には5つの町がありました。旧久米町は住民投票で津山市と合併する道を選び、旧久米南町は、旧御津郡建部町(現在は岡山市)との合併を検討していましたが、最終的には単独町制を選択し久米郡久米南町のまま継続となりました。残る旧中央町と旧旭町、旧柵原(やなはら)町は合併し、久米郡美咲町になりました。新しく町民になる人たちに公募し、選考委員会を経て、「美しく咲く」という意味をもつ「美咲町」となったのです。美咲町ホームページによれば、平成28(2016)年12月末現在、人口は14,869人の町になっています。

同じ美咲町にある小原(おばら)駅から3.6kmで、亀甲駅の駅舎の前にある1番ホームに到着しました。亀甲駅は、2面2線の駅でした。通常はこのホームに、上りも下りも停車します。2番ホームは行き違いの時だけ下り岡山方面行きの列車が停車することになっています。きっぷは、列車内の料金箱に入れて下車しました。山間部のおだやかな雰囲気の中にある駅でした。

これは、2番ホームです。跨線橋を降りたところにあった待合いのスペースです。雨をしのぐ屋根の下にベンチが4脚置かれていました。

小原駅・岡山駅方面です。1番ホームから2番ホームへは跨線橋で渡ります。

これは、2番ホームの津山駅寄りから見た駅舎です。寄棟の北側の屋根のほとんどを覆うような亀の頭が見えました。

これも2番ホームから見た亀の頭の部分です。眼の中に時計がはめ込まれています。水玉模様も見えます。なかなか愛嬌のあるデザインになっています。

2番ホームの跨線橋の登り口から見た駅舎です。屋根には亀の甲羅のような模様がついています。岡山文庫の「岡山の駅舎」(河原馨著・日本文教出版株式会社)によれば、駅舎は「鉄骨造平屋建、寄棟造りカラー鋼板横葺き」なのだそうです。

これは、跨線橋から見た小原駅・岡山駅方面です。2番ホームから出る列車はこの先で1番ホームから伸びる線路に合流し小原駅に向かって行きます。

跨線橋から見た津山方面です。1番ホームがまっすぐ津山方面に向かって延びています。1番ホームに上下線ともに入線するというのが納得できる構造になっていました。

ホームから駅舎内に入ると、すぐ「ありがとうございました」という明るい声が・・。入ってすぐ右の事務所におられた駅スタッフの女性の声でした。亀甲駅は簡易委託駅になっています。駅の業務のうち、近距離乗車券の販売など一部の業務だけを個人または法人に委託している駅です。駅舎内には大きなテーブルが置かれていました。

実は、亀甲駅に来たら絶対に見てみたいものがありました。そのため、駅舎からすぐに外に出ました。駅舎を出て右側に久米郡商工会の建物がありました。その前にあった掲示板にめざすものが書かれていました。「亀甲岩」です。「亀甲駅」の名前の由来となった岩です。さっそく訪ねることにしました。

駅への取付道路を歩きます。すぐに、左右に走る通りに出ました。正面の突きあたりの建物は美咲町の庁舎です。美咲町庁舎は、旧久米郡中央町役場だったところに置かれています。

通りの左側のようすです。昭和の雰囲気を残す商店街が続いています。JR津山線は、基本的には、江戸時代に備前の国の岡山城下と美作の国の津山城下を結ぶ津山往来を引き継いだ国道53号に並行して走っています。津山往来の街道沿いには、宿場町や在郷町の面影を残すところが数多くあります。

庁舎にあった「花と自然と笑顔のある町」の標識です。自然にあふれた町で、幸せに生きている人々の姿が浮かんできます。

旧街道に戻って、右側の津山方面に向かって歩きます。通りの左側にある白い2階建ての「ふれあい亀太郎ロビー」の建物の手前を左折し10メートルぐらい進むと「美咲町第2庁舎」に着きます。右折して進みます。

右側の歯科医院の建物の先に、岩が見えました。ありました! 「亀甲岩」です。これだけは見て帰りたかったのです。

「昔、ここで行き倒れになった巡礼の旅人がいました。哀れに思った村人は、この地に葬り、ねんごろに供養したといいます。すると、月の青い夜、巡礼者を葬ったあたりから、大きな岩が弘法大師の尊像を乗せてせり上がってきた」と伝えられています。この岩の姿が亀の姿に似ていたので、「亀甲岩」と呼ばれるようになったそうです。

駅舎に戻りました。駅舎に向かって右側に置かれていた亀の像です。

駅舎の左の「JR亀甲駅」のロゴの下にあった亀の像です。JR津山線は、明治31(1898)年に中国鉄道が開通したことに始まる鉄道です。町のシンボルである「亀甲岩」から命名された「亀甲駅」もそのときに開業しました。現在の駅舎が建設されたのは、平成7(1995)年8月でした。駅舎を亀の形に改修したり、駅の内外に様々な亀のモニュメントを設置して、特色ある駅舎に生まれ変わりました。そして、昭和62(1987)年の国鉄分割民営化により、JRの駅になりました。
 
駅舎内です。正面の右のドアの向こうは「まちかど図書館」。午前8時30分から午後6時まで利用できるようです。その左には「亀甲駅舎内 定食 MICRO」。まだ、“CLOSE”、になっていましたので、スタッフの女性にお聞きすると「お昼には開店していますよ!」とのこと。おもしろかったのは図書室の手眼の通路にあるプラスチックの容器(写真の右下の部分にある2つの白いケース)に、「生きた亀」がたくさん入っていたことです。

駅舎の中は掲示物でいっぱいです。小さな博物館という雰囲気です。

これは、駅舎内に掲示されていた、開業当時の駅舎の写真です。見えにくいのですが、駅舎の下におられる人はみんな和服を着ておられます。明治の香りがする写真です。

駅前にあった観光案内です。山里の棚田と卵が写っています。美咲町でよく知られているのは、棚田と、西日本最大の養鶏場があること、そして、卵かけごはんだそうです。特産品としては、米、なし、ぶどうだそうです。

大垪和西(おおはがにし)の棚田の写真です。JR亀甲駅から車で20分ぐらいの、標高400mのところにあり、850枚の棚田が、360度すり鉢状に広がっています。明治時代から昭和20(1945)年頃までに開かれた棚田だといわれています。旧旭町にある小山の棚田とともに、「日本棚田百選」に認定されています。ちなみに、岡山県からは、この2ヶ所以外に、隣の町、久米南町にある北庄(きたしょう)の棚田と上籾(かみもみ)棚田も「日本棚田百選」に認定されています。

卵かけごはんの案内「黄福物語」です。美咲町の棚田から収穫したごはんでつくる卵かけごはんがよく知られています。この町の出身で、明治時代に活躍したジャーナリスト、岸田吟香が愛好し全国に広めたといわれています。

駅スタッフの女性の明るい声に送られてホームに出ました。ホームにいた亀です。3匹が向かい合っていました。

JR亀甲駅は駅舎が亀の形をしていることは知っていましたが、駅舎の中や周辺の風景を見たのは初めてのことでした。駅舎内にぎっしり並んだ掲示物や数々の亀の像、まちかど図書館や定食屋さんも取り込んだ亀甲駅は、豊かな自然と産物に囲まれて生きる地元の人たちの思いが詰まった駅でした。「花と自然と笑顔のある町」に住む人たちの豊かな心を感じる駅でした。





最新の画像もっと見る

コメントを投稿