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JR岡山駅からJR宇野線で3分、JR大元駅に着きました。かつて、この駅から岡山市南部の工業地帯に向かう鉄道がありました。岡山県や岡山市、汽車製造など岡南地区の企業によって設立された、岡山臨港鉄道(以下「臨港鉄道」)です。昭和26(1951)年から、昭和59(1984)年に廃業するまでの34年間にわたり、貨物や旅客輸送を担っていました。
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臨港鉄道のルートです。昨年(2015年)、岡山市立南公民館で開かれた臨港鉄道の回顧展のときに掲示されていた地図で、許可を得て撮影させていただいたものです。
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大元駅の東側の高架下です。現役時代の臨港鉄道は、国鉄宇野線のホームの東側から出発していました。
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大元駅前に展示されていた、臨港鉄道時代の大元駅舎です。駅舎の左側のあたりに臨港鉄道の線路がありました。
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地図の上(北)が岡山駅方面です。臨海鉄道は、大元駅では宇野線の下りホームの反対側から出発していました。出発してしばらくは、宇野線と平行して進んで行きますが、やがて、宇野線は右にカーブして離れていくことになります。
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臨港鉄道の旧泉田駅付近までの線路跡は、遊歩道の「臨港グリーンアベニュー」として整備されています。
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緑にあふれた散歩道です。散歩やジョギングをされている方、犬を連れた方や通学の高校生の姿にも出会う道になっています。
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歩き始めてから20分ぐらいで、岡南新保駅(開業時は臨港新保駅)跡が見えてきました。昭和26(1951)年の開業当初にはなかった駅です。「大元駅の次の岡南泉田駅までの距離が2.3kmと長いから」ということで、地元からの要望で新設され、2ヶ月遅れて開業しました。
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ホーム跡です。岡山港駅に向かって右側にホームがありました。大元駅から1.4km。駅員のいない無人駅だったようです。きれいに改修されています。線路跡には、軌間1067ミリのレールも復元されていました。
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天井から吊り下げられている駅標も、整備されたときにつくられたものです。
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信号機を模した「からくり人形」もつくられています。
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岡南新保駅を出たところに残されていた、踏切の警報機。駅の出口にある、道路との交差点で使われていたものでしょうか。左右に一つずつありました。
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線路跡を出ても、臨港グリーンアベニューが続きます。その先で、国道2号線の高架をくぐります。
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冒頭にあげた路線図の岡南新保駅と次の岡南泉田駅付近です。岡南泉田駅は、この先の国道30号線付近にあったようです。岡南新保駅と岡南泉田駅間は0.9kmだったようです。
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さらに、進みます。右側に「岡山臨港 泉田基地」の倉庫が見えて来ました。「岡山臨港」は、臨港鉄道の運営会社を引継いだ会社です。
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これは、国道30号線の高架です。ここで、グリーンアベニューは完全に終わりました。この先、線路跡は市道に取り込まれている区間になります。大元駅から岡山港に向かう下り列車は、岡南泉田駅の手前でタブレット交換をしてから駅に進入するようになっていました。当時の写真を見ると、待合室の建つホームの先に高架橋が写っています。位置関係からすると、国道30号線の高架だと思います。岡南泉田駅のホームは、高架よりは大元駅寄りにあったように思われます。もちろん、引き込み線などの設備はさら南にの延びていたのでしょうが・・。
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国道30号線の高架を越えた先のようすです。臨港鉄道の線路跡は、市道に取り込まれていました。
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先程の地図の「泉田駅」のマークの下(南)に道路がありますが、それが、写真の道路にあたるようです。高架からこのあたりまでが、岡南泉田駅ということになるのでしょう。
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これは、道路脇にあるお宅の庭にありました。枕木でつくられた「泉田駅跡」のモニュメントです。見つけた時に、嬉しくなってしまいました。
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次の岡南福田駅までの路線図です。岡南福田駅は、開業時は「臨港福田駅」といわれていましたが、昭和35(1960)年に改称しました。大きく左(東)にカーブするルートになります。さて、昭和43(1968)年に、臨港鉄道の貨物輸送は年間29万トンを越え、過去最高を記録しました。しかし、旅客輸送は、40万人を割り込み、その後も下降を続けます。5年後の昭和48(1973年)には、旅客列車は朝夕の4往復だけになっていたそうです。
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市道に取り込まれた線路跡を歩きます。5分ぐらいで、岡山県立岡山芳泉高等学校の脇を通ることになります。昭和49(1974)年に開校した、比較的新しい進学校です。朝夕4往復の運行に沈んでいた臨港鉄道は、新設校に通う生徒の輸送のため、一時、1日12往復まで息を吹き返しました。しかし、昭和53(1978)年にはふたたび削減されることになります。臨港鉄道で通学する生徒は、岡南泉田駅から歩いて通っていたはずです。
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岡山芳泉高校の広い敷地に沿って歩きます。臨港鉄道は、1970年代に入るとモータリゼーションの飛躍的な発展により、旅客輸送に続き貨物輸送も不振を窮めるようになりました。倉庫業や不動産業など経営の多角化を推進しますが、ついに、昭和59(1984)年12月30日をもって廃業ということになりました。
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地元の方のお話では、臨港鉄道は市道の歩道部分を走っていたようです。この付近は、旧児島湾の干拓地で、臨港鉄道は干拓時の堤防上に敷設されているそうです。岡山芳泉高校のグランドを過ぎる頃から前方に岡山南ふれあいセンターの建物が見えるようになりました。
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線路跡は、岡山南ふれあいセンターの脇をすり抜けた後、現在、ふれあいセンターの第2駐車場になっている広場を進んでいました。
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その先の樹木で覆われているところに、用水の樋門がつくられていました。その真ん中に、写真のような構造物がありました。レール材でできているようなのですが、かつての線路跡であれば嬉しいのですが・・。未確認です。
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<追記>
現在、岡山南ふれあいセンターからの廃線跡は公園整備事業が進行中でした。雑草は刈り取られ、かつて、水路の上に残っていたレール材の構造物は撤去されていました。その上に橋がつくられていました。(2018年11月20日再訪)
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その先で線路跡は相生川を越えます。前方にみえるセメント会社の工場は、臨港鉄道の現役当時からすでに建てられていたそうです。
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さらに進みます。「岡山臨港 福田倉庫」です。今も現役で活躍しています。臨港鉄道の岡南福田駅の写真には、いつもこの建物が写っています。岡南福田駅は、倉庫前付近にありました。開業時には「臨港福田駅」でしたが、昭和35(1960)に岡南福田駅と改称しました。岡南泉田駅から2.0km。この駅も干拓当時の堤防の上に設置されているそうです。駅には行き違いの設備があり、貨物と手荷物の取扱いもやっていましたので、駅員が常駐していたそうです。ホームは岡山港駅に向かって左側にあり、2つの会社へつながる専用線もありました。
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路線図です。臨港鉄道は岡南福田駅から、さらに、並木町駅(当初は臨港藤田駅、岡南藤田駅を経て並木町駅となる)、岡南元町駅、南岡山駅とすすみ、終点の岡山港駅まで通じていました。
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岡南福田駅からの線路跡は当時と変わらない広さで残っています。2車線の通りの左車線が線路跡でした。(ご指摘をいただき、修正しました。2018年11月20日再訪)
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路線図の「藤田駅」(正確には「岡南藤田駅」)は、昭和53(1978)年から「並木町駅」に改称されています。並木町駅は、路線図では、広い道路の手前にあります。道路脇のお宅で草取りをしておられた方にお聞きしますと「スロットのお店の裏の方にありましたよ」とのことでした。2車線の道路をさらに歩きます。その先、正面に、スロット店がありました。臨港鉄道は、スロット店の三角形の設備があるところに続いていたそうです。(ご指摘をいただき、一部修正しました。2018年11月20日再訪)
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<追記>スロット店の右側の道を迂回して進みます。途中の民家で庭掃除をしておられた女性にお話しをうかがうと、「臨港鉄道の跡地はスロット店の裏の住宅になっているところです。住宅はほぼ2軒ずつ並んでいますが、その2軒の間に線路がありました」とのことでした。(2018年11月20日再訪)
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<追記>この写真は、少し先から、臨港鉄道の跡地に2軒づつ建てられた民家を、スロット店の方に向かって撮影しました。民家の間を、かつて臨港鉄道は走っていたようです。もちろん、住宅は臨港鉄道の廃止後に建てられたものです。(2018年11月20日再訪)
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<追記>「並木町駅は、この次の信号のある交差点を左に進んだところにありましたよ」と、おうかがいした女性は言われていました。(2018年11月20日再訪)
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<追記>女性がおっしゃっていた「信号のある交差点」です。(2018年11月20日再訪)
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交差点で立ち話をしておられた女性お二人にお尋ねして「ここが、駅跡です」といわれたのが、この建物があるところでした。
交差点を左折してすぐのところにありました。「駅舎は通って来た通りの方に向かって建っていた」そうです。
並木駅も干拓時の堤防跡に設置されていました。並木町駅の前身の「藤田駅」は、児島湾の干拓を遂行した「藤田組」に因んでつけられました。比較的早く開けた地域に置かれた駅でしたので、ここで多くの乗客が下車し、この先の駅に向かう乗客は少なかったといわれています。(ご指摘をいただき、一部修正しました。2018年11月20日再訪)
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住宅地の中を歩きます。途中でお会いした人も「線路跡は完全に住宅地になっていますから・・・」とおっしゃっていましたが、線路跡は左側の住宅の中にありました。右側に、岡山市立福島小学校が見えてきました。
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前方の左右の道路の向こう側に、静態保存されている青いディーゼル機関車が見えてきました。岡山臨港の本社のようです。とすれば、その手前のわかば歯科医院のところが、次の「岡南元町駅跡」になるはずです。昭和43(1968)年に「岡南元町駅」として開業しました。路線図の「南岡山駅」を貨物専用駅として、「岡南元町駅」を旅客・小荷物取扱駅として、機能を分けるために新設されたそうです。昭和48(1973)年に岡南元町~岡山港間の旅客営業が廃止されてからは、すべての列車の終起点になりました。貨物駅となった南岡山駅は、ここから300mぐらい先(南)にありました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/13/f2/05299d1f4b3258b9e4e6448b17cfd9ff.jpg)
わかば歯科医院です。この建物の後方が線路跡にあたります。
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岡山臨港倉庫運輸、岡山臨港の本社です。かつて、臨港鉄道で活躍した102号ディーゼル機関車が展示されていました。開業時に、汽車製造製の101号(20トンの2軸の機関車)の増備車として、昭和28(1953)年に汽車製造でつくられました。還暦を過ぎていますが、きれいな姿で臨港鉄道の雰囲気を伝えてくれています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4d/1b/3356c6a7435ad2cd1773041ec7043d1a.jpg)
岡山臨港の右脇の岡山臨港の私道を通って南岡山駅跡に向かいます。岡南元町駅と南岡山駅間は0.3kmです。すぐ川を渡る橋が見えました。この奥が南岡山駅跡です。臨港鉄道の開業時には「汽車会社前停留場」と呼ばれていました。クラレ、工業、大建工業など岡南地区の工場に専用線が敷設されていました。昭和35(1960)年に汽車会社が撤退したとき、南岡山駅と改称されたそうです。展示されていた102号機関車はここの工場で製造されたのでしょうか?
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3e/db/b9f0ffce3270e762f2213a4bd78e801b.jpg)
この先、終点の岡山港駅まで路線が延びていましたが、路線跡は、岡山臨港の倉庫群に替わっています。丸正製粉の工場の脇の広い道をさらに南に歩きます。突き当たりを左折したところにある南岡山駅の延長線付近です。このあたりが岡山港駅跡ではないでしょうか。かつての岡山港駅の写真に写っていた山が、送電線のある山にそっくりですから・・。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7f/a8/1ae5d6814fc994b72f1c67bbde6ef0d2.jpg)
現在は撤去されていますが、線路は岸壁まで続いており、対岸の北浦に向かう渡船が出ていたそうです。岡山港駅付近には、現在も、「北浦渡船場」というバス停が残っています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3f/01/a23b39e22ad6cc282ce0366558b1feb7.jpg)
振り返って南岡山駅方面を撮影しました。臨港鉄道の線路跡は、目の前の建物のある部分のようです。南岡山駅から1.2km、大元駅から8.1kmのところにありました。この駅は、岡南元町駅が終起点となった、昭和48(1973)年に廃止されています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/19/9a/1977755eaf190d0c5094b334ef155276.jpg)
これは、児島湖と海水を隔てるように締め切った「児島湾締切堤防」です。途中の横断陸橋から岡山港駅方面を撮影しました。道路の左側に空地が見えます。ここは「鉄道敷設用の用地」だったといわれています。国鉄等が、西に迂回している宇野線の短絡線として、臨港鉄道を国有化し、線路をこの部分に敷設して宇野港に向かう四国連絡の優等列車を走らせることを検討していたため、空き地のまま残しているそうです。
岡山臨港鉄道は、岡南地区の工業地帯からの貨物輸送を主に担った鉄道でした。旅客輸送も行っていましたが、モータリゼーションの進展により、昭和59(1984)年、34年間にわたる営業に終止符を打ちました。線路跡の一部が遊歩道として整備されていますが、多くは道路や住宅に取り込まれていて、線路跡をたどるのはかなり難しいことでした。
>岡南福田駅からの線路跡は当時と変わらない広さで残っています。
この写真の道路ですがこちらは線路脇の側道ですので
線路自体は右に見える2車線道路の左車線のほうです。
そこからスロット屋の屋根にある逆三角形のところに続いていました。
並木町駅は写真に写ってないですが少し右にある英会話教室の建物が駅舎跡地に建ったものです。
本文の中でご紹介させていただきます。
また芳泉高校の横の遊歩道が線路跡でなく、道路の方が線路跡になります。同様に、「ふれあいセンターの第2駐車場になっている広場」も「水路の上に残っていたレール材の構造物は撤去されていました。その上に橋がつくられていました。」も線路跡でなく道路の方が線路跡になります。
実はこの橋、横から見ると、臨港鉄道の鉄橋の上に道路橋が建設されたのが分かりますw
これもグーグルストリートビューでご確認下さい。
便利な時代になったものです。
中国精油へ渡る橋がありますよね。
CHUSEIという看板がある右側を良く見ると、キロポストが残っているのが分かりますww
これもグーグルストリートビューで確認できます。
本当に便利な時代になりました。
この記事を読んで、非常に懐かしく思いました。
ありがとうございました。