goo blog サービス終了のお知らせ 

トシの旅

小さな旅で学んだことや感じたことを、
まとめるつもりで綴っています。

蔭凉寺の「水墓」の話

2011年01月02日 | 日記
岡山市の西川筋と新京橋から西に向かう旧2号線が出会う、瓦橋の交差点の近くに、蔭凉寺という寺があります。
境内にある「水墓」は縁結びに御利益があるとして、若い女性の信仰を集めています。

その水墓は、参道の突き当たりにある石像の三重の塔です。

延宝元(1673)年11月27日、岡山藩士水野定之進は、朋輩の安宅彦一朗を切ったことで、蔭凉寺で切腹しました(説明によれば、享年22歳だったようです)。水野家の従僕七助は、主人定之進の菩提を弔うため、この寺の一隅に住んで、当時の庶民の飲料水であった西川の水を濾して、城下で売って歩いたそうです。

こうして少しづつ蓄えたお金で、主人の七回忌にこの三重の供養塔を建立したといわれています。

 君ゆへに 身を黒々と染めなして
       朝夕声をからす鳴くなり  

説明には「七助の狂句」と書かれています。カラスの黒と「真っ黒になって働いた」と「カラス」と「声をからす」を掛けていて、狂句らしい作品ですが、自分のことを誇るような句を、七助は自分で作ったのでしょうか?どうも、彼の生き方からすると、違うような気がしてなりません。

後年、岡山藩主池田綱政は七助の行いをたたえ、出身地(現赤磐市山陽町馬屋)にちなむ、「馬屋三右衛門」の姓を与えたといわれています。


この蔭凉寺は、「寛永9年、当時の岡山藩主池田忠雄の師である江山和尚隠栖の寺として、忠雄が建立した寺院です」。
(ご指摘により訂正させていただきました。)

江戸時代には、西川にかかる八ノ橋から九ノ橋まで、100メートル近い敷地を持っていました。

お恥ずかしいことですが、長年岡山市に住んでいたのに、この話をまったく知りませんでした。町を歩いていると、こういう収穫が時々あって得した気分になります。



最新の画像もっと見る

2 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

コメント日が  古い順  |   新しい順
訂正をお願いします (蔭凉寺)
2012-03-09 17:06:35
蔭凉寺の小住です。御来山の上、ブログにてご紹介賜り、恐縮に存じます。良くお調べになっていて感心致しました。
1点だけ、ご訂正頂けたらと思います。
弊寺は寛永9年、当時の藩主:忠雄の師である江山和尚隠栖の寺として忠雄が建立した寺院です。なので寺紋も旧岡山池田の横揚羽です。(國清寺など、旧鳥取池田は揚羽蝶を正面から見た輪蝶です)
以上、よろしくお取り計らいください。  合掌
返信する
申し訳ありません (tosi)
2012-06-09 11:04:43
ご指摘ありがとうございました。コメントのチェックが大変遅れて、本日初めて拝見しました
遅くなってしましましたが、本日訂正いたします。ご迷惑をお掛けしたこと心からお詫びもうしあげます。
返信する

コメントを投稿

サービス終了に伴い、10月1日にコメント投稿機能を終了させていただく予定です。