矢島(ヤシマ=濁らないことに注意)町は秋田県の、今は由利本荘市に含まれています。
幕末は矢島藩(多分、ヤジマハンと濁る)です。
その町の今は花立牧場となっている土地のさらに先に谷地沢と呼ばれる集落が
あります。一方は南由利原(ミナミユリハラ=由利徹とは全く関係がなかったようです・・・)、
方や冬師(トウシ)へ分かれる手前にあります。
矢島小学校の分校は、その分岐から少し南由利原側に進んだ処にありました。
春夏秋は、小1から4年までの1クラス(複々式と言います。複式は2学年を扱います)。
もちろん、先生は1名だけで、他には誰もいません。
これって、基本的には、学業の予定の1/4をこなせれば、妥当ってことになりそうです。
4学年を教える先生は一人なのですから、全員が一緒にできる学科はせいぜい音楽とか
図画くらいです。体育も一緒にしても、結局年長者が年少者の面倒を見る時間になるの
です。一緒にできるのは、ドッジボールとか跳び箱のような器具を使う位だったでしょうか。
人数が圧倒的に足りなくて(転校した1年生時、1~4年で6人しかいない)、ソフトボール
どころか3角ベースボール?も無理なのでしたw
先生が1学年の相手をしている間、他の3学年生は基本的に自習みたいになるのが必然
ですが、先生も結構頑張っていました。私の3つ上に長女、1つ上に次女、3つ下に長男が
いましたから、頑張ったんだと思います。算数は、5年生進級までには全部をマスター
させるよと全員できましたをめざしたのかも。
九九は全員が学年関係なくやらされていました。手を抜かれたのは、算数以外の全部って
とこでしょうか。
おっと、共通でできるのがありました。道徳です。高学年は重複するかもですが、そこは
複々式学級の先生、多分、良くおわかりです。
冬は、5-6年生の1クラスと中学1-3年生の1クラスが追加されます。
(冬期開くのを冬期分校と言います。谷地沢から本校まで、車道で測ると7kmあったのです。
谷地沢から、私の家までが2km、一番遠い家が3kmでした。
通学は、すべて徒歩の時代です。自家用車が存在しない時代です。
除雪は無理な地域ですから、今は、冬は全員が、本校に宿泊するそうです。
小1からだそうです。なんか、都会人より絶対に強くなりそうですw
なんかの行事の度に小学校に泊まり込みましたw卒業式、海水浴、入学式などですね。
小6の時、卒業式練習で、ズック忘れて行って、代表なのに靴下だけでペタペタ歩いて卒業
証書受け取りに行ってこれは見た目がまずいって、担任が急遽ズックを買ってくれたという
のがありました。このズックなんと、高校卒業後までも使えたという優れもの。
中学校はどうなのか聞かなかった・・・私の時は全員間借り・自炊だったけど。)
冬期分校を受け持つ先生は、ほとんど今で言うアルバイトに近く、教員免許は持って
いるけど、採用枠が空くのを家業手伝いで時間つぶしをしていたというお坊ちゃん
がたです。
冬期で雪深い山中です。やりたいことは、もちろん、スキーです。当時のスキーは子供の冬期歩行
道具になっていましたから、全員が参加可能なのでした。
なので、吹雪かない日は、ほとんどスキーなのでした・・・
で、スキーができないほど吹雪いた日の、5-6年生の授業のほとんどは、同一課題で、
できた者は来いって方式でした。ほとんどは数学問題だったので、簡単だったのです。
5年生が、6年生より先に答えに行っていいのかというのがありましたw
(そもそも、5-6年生に、なんで、同一問題を出して済ますんだというのもありますw)
で、トップ2の一方が答えを出しに行った後ならいいみたいとなり楽にw
(トップ2は、佐々木と高木ですw。すみませんけど、先生の娘はレベル外ですw)
(中1~3の冬期分校は経験していません。中1から間借りして本校に通ったからです。)
で、同じ地域から出た卒業生で、中学は、冬期分校という方もいっぱいいます。
全員、つつがない生活を築き、つつがない生活を築いています。
(すみません。同じ開拓の先輩・後輩の誰とも、今は連絡が途絶えています。
妹は、結構パイプを維持しているようです。
妹の知人範囲でも、誰も問題を起こしていません。)
とにかく、長くなりましたが、手抜きされたにもかかわらず、問題を起こしたと聞こえる方々は
存在しません。
かなりの手抜きの教育でも問題は起きなかったのです。
かなり手抜きされた教育でも、私は電通大に入り卒業し、弟は中央大に入って卒業したのです。
まあ、私は、大学生活を維持できるかの確証を得るために一年浪人したのですけど。
千葉大は無理のようだと判断して、入学をやめ、電通大は、今の状態なら、続けられるとして
入学したわけです。
弟は、その結果により浪人する必要なく私より経費の掛かる私立に現役で突っ込んだわけです。
(結構、それなりに、弟には援助要請されたのでありますが)
幕末は矢島藩(多分、ヤジマハンと濁る)です。
その町の今は花立牧場となっている土地のさらに先に谷地沢と呼ばれる集落が
あります。一方は南由利原(ミナミユリハラ=由利徹とは全く関係がなかったようです・・・)、
方や冬師(トウシ)へ分かれる手前にあります。
矢島小学校の分校は、その分岐から少し南由利原側に進んだ処にありました。
春夏秋は、小1から4年までの1クラス(複々式と言います。複式は2学年を扱います)。
もちろん、先生は1名だけで、他には誰もいません。
これって、基本的には、学業の予定の1/4をこなせれば、妥当ってことになりそうです。
4学年を教える先生は一人なのですから、全員が一緒にできる学科はせいぜい音楽とか
図画くらいです。体育も一緒にしても、結局年長者が年少者の面倒を見る時間になるの
です。一緒にできるのは、ドッジボールとか跳び箱のような器具を使う位だったでしょうか。
人数が圧倒的に足りなくて(転校した1年生時、1~4年で6人しかいない)、ソフトボール
どころか3角ベースボール?も無理なのでしたw
先生が1学年の相手をしている間、他の3学年生は基本的に自習みたいになるのが必然
ですが、先生も結構頑張っていました。私の3つ上に長女、1つ上に次女、3つ下に長男が
いましたから、頑張ったんだと思います。算数は、5年生進級までには全部をマスター
させるよと全員できましたをめざしたのかも。
九九は全員が学年関係なくやらされていました。手を抜かれたのは、算数以外の全部って
とこでしょうか。
おっと、共通でできるのがありました。道徳です。高学年は重複するかもですが、そこは
複々式学級の先生、多分、良くおわかりです。
冬は、5-6年生の1クラスと中学1-3年生の1クラスが追加されます。
(冬期開くのを冬期分校と言います。谷地沢から本校まで、車道で測ると7kmあったのです。
谷地沢から、私の家までが2km、一番遠い家が3kmでした。
通学は、すべて徒歩の時代です。自家用車が存在しない時代です。
除雪は無理な地域ですから、今は、冬は全員が、本校に宿泊するそうです。
小1からだそうです。なんか、都会人より絶対に強くなりそうですw
なんかの行事の度に小学校に泊まり込みましたw卒業式、海水浴、入学式などですね。
小6の時、卒業式練習で、ズック忘れて行って、代表なのに靴下だけでペタペタ歩いて卒業
証書受け取りに行ってこれは見た目がまずいって、担任が急遽ズックを買ってくれたという
のがありました。このズックなんと、高校卒業後までも使えたという優れもの。
中学校はどうなのか聞かなかった・・・私の時は全員間借り・自炊だったけど。)
冬期分校を受け持つ先生は、ほとんど今で言うアルバイトに近く、教員免許は持って
いるけど、採用枠が空くのを家業手伝いで時間つぶしをしていたというお坊ちゃん
がたです。
冬期で雪深い山中です。やりたいことは、もちろん、スキーです。当時のスキーは子供の冬期歩行
道具になっていましたから、全員が参加可能なのでした。
なので、吹雪かない日は、ほとんどスキーなのでした・・・
で、スキーができないほど吹雪いた日の、5-6年生の授業のほとんどは、同一課題で、
できた者は来いって方式でした。ほとんどは数学問題だったので、簡単だったのです。
5年生が、6年生より先に答えに行っていいのかというのがありましたw
(そもそも、5-6年生に、なんで、同一問題を出して済ますんだというのもありますw)
で、トップ2の一方が答えを出しに行った後ならいいみたいとなり楽にw
(トップ2は、佐々木と高木ですw。すみませんけど、先生の娘はレベル外ですw)
(中1~3の冬期分校は経験していません。中1から間借りして本校に通ったからです。)
で、同じ地域から出た卒業生で、中学は、冬期分校という方もいっぱいいます。
全員、つつがない生活を築き、つつがない生活を築いています。
(すみません。同じ開拓の先輩・後輩の誰とも、今は連絡が途絶えています。
妹は、結構パイプを維持しているようです。
妹の知人範囲でも、誰も問題を起こしていません。)
とにかく、長くなりましたが、手抜きされたにもかかわらず、問題を起こしたと聞こえる方々は
存在しません。
かなりの手抜きの教育でも問題は起きなかったのです。
かなり手抜きされた教育でも、私は電通大に入り卒業し、弟は中央大に入って卒業したのです。
まあ、私は、大学生活を維持できるかの確証を得るために一年浪人したのですけど。
千葉大は無理のようだと判断して、入学をやめ、電通大は、今の状態なら、続けられるとして
入学したわけです。
弟は、その結果により浪人する必要なく私より経費の掛かる私立に現役で突っ込んだわけです。
(結構、それなりに、弟には援助要請されたのでありますが)
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