2020年3月19日 第一刷 です。
結構改めたようですが、まだまだ足りません。
P14:朝鮮半島から渡来人によって水稲農耕や青銅器・鉄器などの金属の
道具がもたらされたことで~縄文から弥生に変化する。
1:このあたりは、旧常識をかきましたということか。
でも、正したのは、水稲農耕の開始時代だけです。
2:四大文明にも触れていますが、四大文明を言うのは、今や日本だけだ
そうです。シナの地に、黄河文明より1000~2000年古い長江文明が
あったというだけでも四大文明を謳っうてどうよ。
そうそう、四大文明の全てが、今や完全に砂漠です。砂漠に至って
滅んでしまった文明を持ち上げるのってどうよという議論も。
3:縄文の米自体は、その痕跡が東北でも見つかっています。東北では
縄文時代の水田などの遺構が見つかっていないため陸稲では
ないかと推測されています。
P20:縄文人と弥生人の復元された顔の件
4:発掘にあたる方々は、骨の周辺の土などを払いのけて掘り出して
います。頭の骨の側には、毛髪や皮膚・肉が変質した物質が付着
しているはずなのですが例外なく落としてしまうのです。
骨だけにしてから、すさまじい思い込みで、肉・皮・毛・髪の色も
形も付けているのが実際のようです。
お願いです。土のかたまりのまま分析して下さい。化学成分で
少しはわかるはずなのですから。
5:日本人の顔は、多分ほとんどが食の変化で、大きく変化しています。
平成間際の子供達の顔も、親たちとは、かなり違っていると思います。
なお、明示時代に日本を訪れた欧米の人たちが残した日本一般大衆
の写真を見ると、ほんとに、これ日本人かと思う顔ばかり。通常残って
いる貴族や侍だった人たちの顔とは、まったく人種が違って見えるの
です。食い物が、かなり違っていたって事なんでしょう。
ついでです。江戸時代の人の絵で、全身これ毛だらけという感じの絵
(例:P161)も出てきますが、今こんな毛深い人いるでしょうか。
要は、食い物の変化で人種が違って見える程に顔や姿が変わるって
ことです。
6:何度も書いたように、渡来人なら、自分たちの言葉を持ってきます。
これが数人以上のグループを作り、支配者にもなれるなら、その言葉を
後世にも残せるだろう。でも、一つとして残せていない。
記紀時代の渡来人も、朝廷内部に入り込めても、言葉は残せていない
ようです。
秀吉の朝鮮出兵で連れ帰ってきたとされる高麗人の茶碗職人達も、
他の地域に言葉を広めることはできなかったようです。
おっと、戦後の日本に残った方々も半端な数ではありませんが、言葉を
残せていませんね。(食品も、ずっと後で、どっちかというと本国からで
しょうね。)
日本語に影響を及ぼせるほどの人数の渡来人は、来たことが無い
というのが結論になるかと。
P36:聖徳太子がいないことにしたのは、一部の学者達の反乱。
7:この反乱は、その後、否定されて収まった筈だが、このグループは、
反乱グループに属していたらしく、新常識にする気満々。
肖像については、メガネ掛けられないよという声もあり(鼻などが
問題)、デッサンが狂った絵です。
P125:火縄銃は点火してから発砲するまでの時間が銃によってまちまちで
8:火縄銃の仕組みを誤解しているようです。
火縄は、導火用に撒いた火薬に火を付けるためのものですから、燃や
しっぱなしです。短くなったら、引っ張り出して調整するというものです。
導火用の火薬は、撒いているので、風や雨に弱い。つまり屋外では使い
にくいのです。火縄も雨には弱いです。
(最初の戦国自衛隊の映画で真田幸村がヘリコプター相手に火縄銃を
使えなかった理由も風だそうです。)
P204:西郷の銅像は、当初から似ていないことが知られていたから今更
です。
反逆者の銅像が作られるようになった理由の方が面白いのでは。
近代版の平将門、菅原道真かと思ったこともありました。
結構改めたようですが、まだまだ足りません。
P14:朝鮮半島から渡来人によって水稲農耕や青銅器・鉄器などの金属の
道具がもたらされたことで~縄文から弥生に変化する。
1:このあたりは、旧常識をかきましたということか。
でも、正したのは、水稲農耕の開始時代だけです。
2:四大文明にも触れていますが、四大文明を言うのは、今や日本だけだ
そうです。シナの地に、黄河文明より1000~2000年古い長江文明が
あったというだけでも四大文明を謳っうてどうよ。
そうそう、四大文明の全てが、今や完全に砂漠です。砂漠に至って
滅んでしまった文明を持ち上げるのってどうよという議論も。
3:縄文の米自体は、その痕跡が東北でも見つかっています。東北では
縄文時代の水田などの遺構が見つかっていないため陸稲では
ないかと推測されています。
P20:縄文人と弥生人の復元された顔の件
4:発掘にあたる方々は、骨の周辺の土などを払いのけて掘り出して
います。頭の骨の側には、毛髪や皮膚・肉が変質した物質が付着
しているはずなのですが例外なく落としてしまうのです。
骨だけにしてから、すさまじい思い込みで、肉・皮・毛・髪の色も
形も付けているのが実際のようです。
お願いです。土のかたまりのまま分析して下さい。化学成分で
少しはわかるはずなのですから。
5:日本人の顔は、多分ほとんどが食の変化で、大きく変化しています。
平成間際の子供達の顔も、親たちとは、かなり違っていると思います。
なお、明示時代に日本を訪れた欧米の人たちが残した日本一般大衆
の写真を見ると、ほんとに、これ日本人かと思う顔ばかり。通常残って
いる貴族や侍だった人たちの顔とは、まったく人種が違って見えるの
です。食い物が、かなり違っていたって事なんでしょう。
ついでです。江戸時代の人の絵で、全身これ毛だらけという感じの絵
(例:P161)も出てきますが、今こんな毛深い人いるでしょうか。
要は、食い物の変化で人種が違って見える程に顔や姿が変わるって
ことです。
6:何度も書いたように、渡来人なら、自分たちの言葉を持ってきます。
これが数人以上のグループを作り、支配者にもなれるなら、その言葉を
後世にも残せるだろう。でも、一つとして残せていない。
記紀時代の渡来人も、朝廷内部に入り込めても、言葉は残せていない
ようです。
秀吉の朝鮮出兵で連れ帰ってきたとされる高麗人の茶碗職人達も、
他の地域に言葉を広めることはできなかったようです。
おっと、戦後の日本に残った方々も半端な数ではありませんが、言葉を
残せていませんね。(食品も、ずっと後で、どっちかというと本国からで
しょうね。)
日本語に影響を及ぼせるほどの人数の渡来人は、来たことが無い
というのが結論になるかと。
P36:聖徳太子がいないことにしたのは、一部の学者達の反乱。
7:この反乱は、その後、否定されて収まった筈だが、このグループは、
反乱グループに属していたらしく、新常識にする気満々。
肖像については、メガネ掛けられないよという声もあり(鼻などが
問題)、デッサンが狂った絵です。
P125:火縄銃は点火してから発砲するまでの時間が銃によってまちまちで
8:火縄銃の仕組みを誤解しているようです。
火縄は、導火用に撒いた火薬に火を付けるためのものですから、燃や
しっぱなしです。短くなったら、引っ張り出して調整するというものです。
導火用の火薬は、撒いているので、風や雨に弱い。つまり屋外では使い
にくいのです。火縄も雨には弱いです。
(最初の戦国自衛隊の映画で真田幸村がヘリコプター相手に火縄銃を
使えなかった理由も風だそうです。)
P204:西郷の銅像は、当初から似ていないことが知られていたから今更
です。
反逆者の銅像が作られるようになった理由の方が面白いのでは。
近代版の平将門、菅原道真かと思ったこともありました。