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ファンタジーなど

基本的に、いろいろなことの変なとこに突っ込みます。

汚れ落としに爪楊枝を必要とする品物はやめて欲しい

2021-09-21 02:42:47 | 日記・エッセイ・コラム
昔から思うことです。

台所、風呂、トイレで思うのです。

爪楊枝を使わないと汚れが落とせないようなもの・箇所は作らないで欲しい。
これ一点ですが、この請求が通らなかった。

 食器は、薬品で汚れを落とすことができるようですが、薬剤にドップリ
 漬けないと汚れが落ちません。
 それも完全では無く、汚れを削り取るような処置も必要なようです。
 これも、ブリーチのような薬剤で結構処置できるようです。
 食器類は、大きな容器に浸けることで処理できます。

 問題は、それが出来ない設備です。

トイレや風呂や台所の設備が、それに該当します。

台所は、電気・プロパン・他の努力もあって、多分、これ以上発展する
余地は無い程に発展しました。
トイレ、風呂は、これ以上発展しない技術のはずです。

嗅覚が鈍感になる原因はコロナに限らない

2021-09-14 08:00:46 | 日記・エッセイ・コラム
産経抄が、「新型コロナウイルスの後遺症として嗅覚障害を
訴える人が目立つ」と書いています。

嗅覚障害は別の原因でも起きます。
私の場合は、40年弱x毎日40本以上の喫煙が原因と思います。
禁煙してから10年を越えますが、嗅覚は元には戻りません。
なお、味覚もほぼオンチ状態で、これも元には戻りません。
~劇辛料理も、三十年前には苦もなく食べられるようになって
 いました。地獄ラーメンとやらも、麺をすすって食べる人
 初めて見たと、店主に言われる始末。見回したら同僚達は、
 麺が唇に触れないように苦労しながら食べていました。

喫煙経験のない妹は、昆布、イワシ、カツオなどは
匂いだけや、一嘗めだけで何が入っているかがわかります。
また、肉の違いも匂いだけや味だけでもわかるようです。
私は、肉の違いは、匂いや味ではサッパリ判別できず、生肉の
見た目で少し区別できる程度です。~牛と豚だけですけど。
~なぜか鯨肉は食べてすぐわかりますが、匂いまではわかりません。

ニラやセロリ、パセリ、ピーマンなど本来クセがある筈の野菜も
サッパリ分からずになっています。
ついでに他のハーブも数種類植えていますが、これらもサッパリ。
~うまくないとわかるだけ。
ショウガ、ネギ、ミョウガ、シソ、ダイコン(オロシ)などが、
生で食べて少しわかるかな。(匂いは、ほとんどわからない。)

産経の記事にあるように、カレーやコーヒーの匂いもほとんど
感じなくなっています。
初カレーは中学時代にSBカレー粉で母が作った肉無し野菜カレー。
初紅茶は高校時代に同級生宅から譲られたオレンジペコ。
初コーヒーは大学浪人時代に買ったネスカフェのインスタント。
たいした思い出ではないようです。

喫煙しすぎないようにしてください。
~各自お調べください。私では限度がわかりません。
嗅覚、味覚が鈍感になったら食の楽しみが半減以下です。

昭和の開拓の話

2021-08-17 04:13:56 | 日記・エッセイ・コラム
樺太から引き上げ北海道の鉱山住まいの後、
開拓に入ったようです。
最初は、今の、秋田県鹿角市八幡平村トロコ。
(トロコはアイヌ語のようです。)
~こんな国立公園になるような地域で農業が
 できるって考えた役人はバカです・・・

温泉由来の硫黄の採集が経済的になりたって
いるあいだだけは、生活できました。
朝鮮動乱が終わったから?硫黄の需要も無く
なり農業はハナから無理。(林業の需要は
ありましたから、伯父が握りましたw)

次が、秋田県由利郡矢島町谷地沢の西に
無理やり作った谷地沢西という開拓。
ここは、第2次大戦中の馬の放牧場でありました。
高さ2mにみたない土塁というか土を持った壁を
延々と作って囲いを作り、その中に馬を放牧=
放置していたようです。この成果は、地元
(距離は10km程)の方も知らないようでした。
放牧場だったんだから開拓にできると考えたんで
しょう。お役人は。
 (当時の冬の積雪は、0mから4mまで。冬期の
  馬小屋と世話人がいなければ無謀な話ですが、
  馬小屋がどこにあったのか誰も知らなかったw)

さて、矢島(ヤシマと濁りませんw)町の問題は、
産業が無いのです。農業による産出しか無いのです。
父親は、春夏秋は開拓、冬は東京に出稼ぎという行動を
とりました。
一応町で人口1万はいましたので市場はありました。
母は、鶏卵+何かの野菜と頑張りました。野菜は、いろいろ
頑張りましたが、生計を支える程には至りませんでした。
結局は、父の出稼ぎが生活を支えたのでした。
 (母に言わせると、最低限のお金しか送ってこなかった、
  全部遊びに使ったんだろうと。酒飲めない、バクチ好か
  ない父でしたので、女遊びか?)

覚えている野菜は:
 菜種(自家用油で終わった)、ゴマ(自家用油で終わった)、
 大豆(自家用油と豆腐用)、小豆(毎年の自家用分)、
 ソバ(毎年完全に自家用分)、落花生(1年で終わったから
 失敗だろう)、麻(自家用に麻の実を使うだけに終始した、
 麻の実入りミソ炒めはうまかった、これも無許可栽培だった
 かもだが、麻縄作って自家使用していた。ハッパ?いぶして
 吸う?煙いだけ!羊や牛馬のエサにしたことも無い)、
 タバコ(できが悪すぎた、背丈が1mにもなれないのだから。
 婆ちゃんの使用分も賄えなかった。婆ちゃんが死んだ後、作る
 のを止めた。植えていた場所も外れだったから無許可栽培だっ
 たかもね)、
 陸稲(自家用でしかありえない。小6の修学旅行で、真っ黒に
 近い白米を持参して恥ずかしかった記憶が)、
 水稲(丘陵地に水田を作るのはムズく自家用分で終わった。)
 結局の所、売るだけの量は作れなかったのでした。
 ~街まで片道10kmの歩きで、毎日収獲するような野菜は
  無理だとわかりますよね?

売れたのは鶏卵だけでした。(毎週100個を越える卵を担いで
 売りに行かされたのでしたw)
さて、60年前の鶏卵の価格。分かりますか?
10円以上ですが15円に届いたことは多分無いです。
今の鶏卵価格・・・どれだけ経っても、安い。
ただし、元の西川議員が活を入れたといばっていましたから
少しは値上げできたようです。

で、3度目の開拓が現住所です。もっとも、土地は隠居様の
土地になっていたため、畑名目が300平米に足りず、
近くの土地を畑にするよと言って合わせて買うことで入手
したのでした。
 ~その土地、未だに原野でありまして、死んだ兄からの
  名義変更ができなかった理由でもあります。
父は、農業を続ける気は全く無く、宇都宮に住みたがって
いましたが、義兄に逆らえなかったようです。
~父の義兄は最初のトロコで近所に同時開拓しましたが、
 早い機会に、今住む近所に再開拓で入りました。
~同じ金額で宇都宮に家買えたんだとぼやいてました。
 お墓は、父の義兄が嫁に出た娘達のために確保して
 いて譲ってくれなかった。
 ~結局は娘達の誰も墓を作らなかったし、孫達も作らな
  かった。
  この地区のお墓、南向きと西向きが混在してゴチャ
  ゴチャの雰囲気に。
 ~墓は隣の地区からわけてもらい、そこに作った。
  こちらは、すべてが南向き。

さて、同じ樺太、コノトロ村からの開拓者も世代がすべて
代わりました。最近、私の下の世代の跡取りも、無くなり
始めました。
牛肉や牛乳に賭けた開拓も、借金を解消できないまま
終わるようです。
借金をなんとか解消できた家もあります。燐家は、牛と牛舎
と借金を知人に継承して貰って逃れたようです。知人には
赤字を利用できる理由があったということでしょう。

今回無くなった家の次男は東京に生活基盤があります。
入院中の母がいます。多分、破産にして終えるのでは
ないかと思います。死んだ長男は、今飼っている牛を
全部売って、家土地を売っても借金を消せないと言って
いましたから。
~長男は独身のままでした。

父の義兄の家は、今は孫娘の世代です。で、食えない家
3軒をまとめて牛乳をやっています。当然、借金だらけです。
当初の契約からしたら、全家の借金は昨年あたりでゼロと
いうことになっているようですが、契約期間がうん十年と
いうのが実際だったようです。

オフクロの味のこと

2021-06-14 00:34:40 | 日記・エッセイ・コラム
オフクロの味って、まず伝えられるのが
娘か嫁のはずなんだけど・・・

我が家の場合、長男以外には伝わらな
かったようです。その長男も、嫁にも娘
にも孫娘にも伝えないまま、母より先に
逝きました。

母が残した記録は、農事記録だけ。いつ
芽が出た、花が咲いた、いつ撒いた、
植えたという記事だけ。先祖伝来らしき
料理のレシピなどは全く残しませんでし
た。残したのはTV番組のレシピだけでし
た。

我が家独特というか母独特と思えるもの
に次のようなものがあります。

冷や汁:妹によると、煮干しを細かく切
り刻むことしかさせられなかったようで
す。味は独特です。市販されている冷や
汁数種とは、全く違う味です。妹に言わ
せると味が嫌いといい、試す気も無いよ
うですw兄が生前一度再現して食わせて
くれましたが、秘訣も何も教えてくれま
せんでした。その頃の母は、認知症も
進み、レシピを聞くのも無理でした。

豆腐:20年前までは大豆を入手する度
に木綿越し豆腐を作っていました。家で
も育てていました。(枝豆で食べるのは
制限されていましたw)固めるには硫酸
マグネシウムを使用。妹が、薬局に買い
に行かされ、書名捺印していたそうです。
使う理由は、塩化マグネシウムでは豆腐
が苦くなってイヤだから。
(自家製の豆腐で、腹がゆるくなった記
 憶は全くないです。)
(作る度に近所に配りました。お返しは
 大豆でした。近所も期待したんですw)

キナコ入りコンニャク:高知県のある地
域限定の食品かもです。曾祖父・曾祖母
から父母までの全員が高知県ですから。
20年前に、コンニャク育てを含めて甥
に投げました。甥とその嫁は母より先に
他界。甥の娘が受け継いだようですが、
姉妹や息子娘達には、キナコ入りの味が
受けないようで、今は普通のコンニャク
しか作りません。コンニャクを固めるた
めの薬は、コンニャク製造会社に頼み込
んでわけてもらう一択のようです。薬局
では買えなかったということでしょう。
現在市販されている炭酸ナトリウムでは、
できあがりが違い、柔らかいコンニャク
を作るには向いているようです。キナ
コ入りコンニャクは、コンニャクほどは
やわらかくないのです。箸で挟んでもプ
ルプル感はゼロ。色は完全な茶色・褐色
です。切った面も粒々感たっぷりです。
お湯で暖めてから、生味噌を付けて食べ
ます。味的には、特記することはありま
せん。見た目と歯の感触以外には、味噌
味しかないというものですから。年末か
ら正月に掛けての季節食品でした。
現代っ子には、無理だな~

甘酒:母はコウジを買って自作すること
にこだわりました。酒粕で作る甘酒は、
こんなの甘酒じゃないと拒否していまし
た。妹も、味がまったく違うといいコウ
ジ屋が始めた店のドリンクを奨めるので
す。~私、味オンチに近くなっていて違
いがわかりません。ダシに、昆布・イワ
シが入っていてもわからないほど。妹は
香りでもわかると言います。

漬物:農協の漬物セットの味が勝ったの
でしょう。地域全体が、どこに行っても
同じ味の漬物がでてきます。昔は家伝来
の味を競い・誇るために出していたはず
なのにw 今は、お菓子や地元産の名物
饅頭しか出てきません。

小豆:認知症になるまでは植える処から
粒アンコ・ボタ餅を作るまで自作にこだ
わっていました。味オンチのせいか、市
販品との違いは全くわかりません。
妹も違いを認識していません。

別件:兄の娘が、ミソニンニクのレシピ
を知らないかと聞きに来ました。兄独特
の味のようです。母が作った記憶もあり
ません。娘によると、ちまたのレシピの
味とは全く違うもののようです。兄が
結婚するまでにいた、秋田県花輪市か
京都市のまかない料理で覚えた味と推定
されます。兄には、これだという料理の
レシピを習う・覚える趣味があったよう
ですが、残念、誰かに伝えて作って貰う
気までは無かったと。

振り子時計のこと

2021-04-07 11:13:50 | 日記・エッセイ・コラム
アニメの擾乱(以下略)の第一話に、チラっと
振り子時計が登場します。

しかし、振り子の動きが倍速以上に速いのです。
チクタクチクタクのリズムのようです。
動いている振り子時計を目にしたことが無い
世代が大勢をを占めちゃったんですね。

 振り子は教えなくなったのかな?
 昔は、振り子を長くすると、振れる時間が遅
 くなるとか、少し大きく振っても時間が変わ
 らない位は習った。振り子の重心がどうのこ
 うのまで習ったかは記憶に無い。

ネジ巻き式が廃れちゃうのは仕方が無いとして
も、電池で動く振り子時計というのも昔からあ
るんですが、カッチンカッチンの音を出さない
タイプは味気ないです。今は鳩時計のジャンル
で売られているようです。
電池式のアナログ時計の方が一般的かも~25
年越えても壊れませんしね。
 (注意:電池で動くアナログ式の目覚まし時
    計は、使用を勧めません。時計職人の
    退職で、時報設定の針の滑り止めの意
    義や知識が霧消したようですから。)

40年以上昔に、旧家屋に住んでいた時に、
兄が子連れで遊びに来たとき、振り子式の
柱時計を見た子供達がビックリしていたの
が面白かった。その子達の子供達の時は、
新家屋なので振り子式時計は目にしていな
いはず。