風に吹かれすぎて

今日はどんな風が吹いているのでしょうか

微妙さ

2006年03月03日 | 雑感
なんか今日はやけに寒いですね。
ぼくがそう感じているだけなんでしょうか。
今風邪を引くわけにはいかないんで、今日は早く帰ろうと思っていますが。

あさって、あるところで展示会があり、その翌日早朝にはロンドンへ出発します。
ちょっとスケジュールに無理があるんですが、そういう流れなので仕方がありません。
展示会というのはその前後にあれやこれやとやることがたくさんあるわけです。
商品を始め、什器、人員、ローン会社の手配や、様々なものの受け取りや送り出し、鑑定書を取ったり、
指輪のサイズを直したり、売り上げを集計し、メーカーに送金したりとなかなか気を抜けません。
ですから、展示会の翌日からいなくなるというのは、いろいろな意味で冒険です。
じつのところ、あんまり心配していないんですが。

それから昨日も夜更けに目が覚めたので、PCに向かってロンドンの古物商に持っていく資料を作成しました。
われながら、なかなかいいものが出来たなぁーと感心しました。
ここのところやむなく働き者です。

で、今気が付いたのですが、もともとの働き者ってそんなにいないのかもしれないなということです。
事の流れに押されて、働き者に仕立て上げられているのかもしれません。
ということは、今までのぼくは事の流れからまったく外れていたと言えるではありませんか。
ま、そういうことなのでしょう。←アッサリ認める

百円ショップで買った柿ピーを食べながらこれを書いています。
あるドイツ人が日本に来た時食べた柿ピーにほれ込み、本国に帰っても定期的に送ってくれと言ってきていたのを思い出します。
ぼくの経験から言いますと、納豆は別として、味噌汁と海草が駄目な欧米人が多いです。
味噌汁は彼らからすれば独特の臭いがするのでしょう。
その独特な臭いで、われわれ日本人は食欲を湧かせるのですが。
海草を嫌いというのは意外ですが、それを食べる習慣のない人々にとっては、海の屑を食べているような感じなのだと思います。
別に旨みがあるわけでもないし、ぬるぬるするし。
あと、生卵も苦手です。
ロッキーが牛乳に生卵を入れて一気飲みしていましたが、あれは欧米の人には笑うシーンだったのだと思います。
刺身はたいていの人は食べますが、その旨さを理解してはいないような気がします。
日本食として外せない刺身というものを食べてみているという感じの人が多いです。

マツタケの土瓶蒸しの精妙な味が彼らに分かるとは思いません。
分かれという方が無理があります。
ガーリックだのスパイスだのバターだのをふんだんに使って、肉とソースとの濃い味同士のバランスを楽しむ民族と、
シイタケだの昆布だのといった微妙な出汁の香りを楽しむ民族の味覚が一緒であるはずかありません。

この日本文化が常に主張してやまない「微妙さ」というのが、なかなかあれです。
例えば、陶器を取ってみても、マイセンなどの西欧の陶器は美に入り細に入り技術を凝らし、華やかで明朗です。
ところが日本で評価される焼き物というのは、侘びやさびとなって、一見無骨そのものに見える楽の黒茶碗などが珍重されます。
でも、こうも両極端に違う文化だらこそ、お互いに理解を示し、尊敬できるのかもしれません。

でも、あれですよ、みなさん。
縄文土器というのはとてもパワフルでシュールで独特の世界を持っていますよ。
なんか現代文明が持っている規範を逸脱しちゃっています。
生命とダイレクトに繋がっている力強さがあります。

というわけで、今日はこの辺で。