風に吹かれすぎて

今日はどんな風が吹いているのでしょうか

神話

2006年03月18日 | 雑感
雨がしとしと降っています。
心も晴れない土曜日です。
何があったということではないのですが、すっきりしません。
たぶん、疲れているのでしょう。
お客さんに昼食をご馳走になったのですが、半分残しました。
今日はお酒を抜きます。
せっかくの休日前に酒を抜くというのも、なかなかのタイミングです。

猫も気圧が低いと家の中で寝てばかりいますが、ぼくもそんな感じです。
気圧が低いとテンションが下がります。
一刻でも早く家に帰って、布団にもぐりこみたくなります。

ま、そんなことを言っても誰も同情してくれそうもありませんので、次に進みます。

ちょっと世界の神話の入門書みたいなのを読んでいたら、北欧神話にぼくの名前と同じ神様がいました。
ちょっと脳みその足りない怪力男みたいです(笑)
北欧神話というのは独特で、神同士が壮絶な戦いを繰り広げ、みんないなくなっていくんですね。
ひとりの偉大な栄光に包まれた神が天地を統治するという感じではありません。
神同士が騙しあったり、いがみ合ったり、殺しあったりという世界です。

ギリシア神話になると、女性の嫉妬というのが前面に出てきます。
ゼウスなんかしょっちゅう奥さんのヘラのご機嫌を伺っています。
神々の活動の動機も妙にヒューマニティに溢れています。
神々もラテン気質なのかもしれません。
隙さえあれば、電光石火で女の人に手を出しますし。

それに比べて、わが国の神話というのも、やはり独特の雰囲気を持っています。
殺し合いもありますが、収まるべきところに収まったら、あとは平和です。
北欧神話のようにお互いに滅びつくすというところまではいきません。
弟のスサノオの狼藉に心を痛めて、岩戸の中に閉じこもってしまうアマテラスというのは、なんかかわいいです。
そのアマテラスを岩戸から引き出すために、アメノウズメが裸踊りをし、回りの神々がどっと笑うというのも、平和です。
その騒ぎに興味を惹かれたアマテラスが、岩戸を開けてひょっこり顔を出すというのは、なんというか、無邪気です。
大体、スサノオの狼藉にしたって、田んぼに糞を撒き散らしたり、皮を剥いだ馬を家の中に投げ入れたりと、
昔のいたずら小僧のしそうなことです。
さすがに馬の皮は剥げませんが、昔の小僧はカエルの皮くらい剥ぐのは朝飯前でした。

こうみると、神話というのはその国の風土、気質を確実に反映しているとは言えましょう。
そもそも、その国の風土、気質を反映していなければ、神話として何代も語り継がれることもなかったでしょうから。

そうしますと、神話から抽出される日本人の気質というのが浮かび上がってきます。
無邪気で、ユーモアがあって、さっぱりしている。
北欧神話のロトみたいな、あまり陰険なのは出てこない。
落語なんかも聴いてみますと、やはりその日本人の特質が出ているように思います。
意地悪にしても、底が知れていて、かえってユーモラスです。

よく通俗向けの時代劇やなんかだと、悪辣非道な代官だとか侍が出てきますが、
例外は除いて、実際はああいうキャラクターはいなかったのではないかと思います。
ああいうキャラクターが平気で存在できるような風土、気質を日本人はもたなかったのではないかと思うわけです。
サムライはサムライとしての矜持を徹底的に仕込まれたわけですし。
その中でも私服を肥やそうとする者はもちろんいたでしょうが、蔑まれてお終いだったような気がします。

何も日本をことさらに持ち上げようという気はありません。
ただ、帰還するべき日本の美点があまりにも見失われているような気がするだけです。
自国の美点を認め、他国の美点をも認め、それでこそ自在に対話が生まれると思うのですが。

ま、とにかく、明日の野球は楽しみです。