風に吹かれすぎて

今日はどんな風が吹いているのでしょうか

老夫婦

2010年03月17日 | 雑感
街中なんかでも、とても仲のよい老夫婦に目が止まることがあります。
無駄なことはいわず、静かに微笑んでいるような、そんな感じです。
若いカップルがイチャイチャしているのとはまるで次元が違う仲のよさです。
おそらく、ギラギラした欲の類から抜け出たお二人の、信頼感やら慈しみやら安心感から醸し出される感じのよさです。
ぼくはそういう感じのよい夫婦になれる自信は丸きりありませんが、年の取り方の参考になります。

仕事やら子育てやらをやり切り、あらゆる不平不満・艱難辛苦を乗り越え、ようやく辿り着いた安心の境地に思えます。
自分が苦しんだからこそ人の苦しみが分かり、自分が逃げずに立ち向かったからこそ人にも頑張れと励ますことができる。
そういうことなんだろうと思います。

ときおり息子や娘からの迷いに満ちた苦境を聞くにつれ、心を痛めたりもしますが、孫の顔を見ればすべてを笑顔に溶かしてしまう。
そんな生きる術を持っているのでしょう。

白隠和尚の「坐禅和讃」にこんな一説があります。
「六趣輪廻の因縁は、己が愚痴の闇路なり」
人が迷いの六道を繰り返し歩むようになるのは、自分自身の迷いの心が創った闇に向かう道を歩むからだ、ということでしょう。
闇の道という道があるわけではありません。
心が迷っているために、闇の道と感じる迷いの道があるだけです。
自分の愚痴(迷いの心)がすべての苦しみの元です。
心が晴れ渡れば、目の前には清々しい大道が続いているはずです。
その愚痴を溶かしていくようにお互いに支えつつ生きながらえば、素敵な夫婦になれるのだろうと思います。

で、道場に提出する俳句を再度恥ずかしながら紹介します。


誰も来ず 手持ち無沙汰に 土筆煮る
夜が更けて 仕舞ったばかりの コタツ出す
桃の花 観音様も 頬染めて
酒臭い 人ごみを見ている 桜かな
問う我も 問われる我も 花吹雪