風に吹かれすぎて

今日はどんな風が吹いているのでしょうか

感触

2010年03月16日 | 雑感
陽光がかなり眩しかったのでコートを着ないで家を出ましたが、夜になって急に冷え込んできました。

もうすでに弥生も半分を過ぎました。
弥生の意味は、いよいよ生き栄えるという意味みたいです。
今日ベランダのコンクリートの上で、団子虫が一匹死んでいました。
生き栄えようと地上に張り切って出てきたものの、思わぬ寒さにやられたのかもしれません。

ベランダからは、なんの木かは分かりませんが、とても大きな木が数本聳えている庭だか、公園だか、空き地だかが見えます。
風が強いときなどは、見事に打ち揃って身を揺らします。
とても堂々とした格好の良い木々です。
おそらく高さは10~15メートル以上はあるでしょう。
人工的に作られた公園やらなんやらではお目にかかれない類の木々です。
おそらくそこからでしょう、今朝は鶯の鳴き声が聞こえました。

五感をフルに使って季節の流れを感じるのは本来日本人が得意とするところです。
季節の花を見、旬の食材を味わい、鶯や蝉の声に季節を感じます。
でも、現代日本で失われつつある感触が、嗅覚と触覚なのかもしれません。
目の不自由な人が人の気配や気持ちまでも察するのは、嗅覚によると何かで読んだ覚えがあります。
犬がご主人の気持ちに敏感なのは、嗅覚が発達しているからなのかもしれません。
あとは触覚です。
絹の手触り、綿、麻の手触りの違いについて語れる人はますます少なくなる一方でしょう。
茶の世界でも、茶碗の造詣もさることながら、その手触りをとても大事にしました。
伊羅保(いらほ)茶碗というのがありますが、その肌がぶつぶつしていて、イライラするから名づけられた釉薬の様式だそうです。

花の香りを嗅ぐのもいいですが、大気の匂いというのは日々違うものです。
雨の日、晴れの日、雪の日、みな匂いが微妙に違います。
石油製品やらなんやらの人工物で取り囲まれた生活をしていますと、いちいち周囲のものの匂いなど気にしていられませんが、
昔は木や漆喰や鉄やそんな自然物に囲まれていたわけですから、匂いの世界がきっちりあったのでしょう。
木というのはその種類によってその匂いにはっきり違いがあります。

あとは触覚です。
やはり人工物を触っても、感動が薄いです。
語るべき感動がありません。
鉄の感触、木の感触、生きた魚の感触、生身の人の感触、死体の感触。
とても大切な何かを伝えてくれるように思います。