風に吹かれすぎて

今日はどんな風が吹いているのでしょうか

迷路

2005年04月12日 | 雑感
中国・半島に反日の炎が燃え始め、プロ野球が盛り下がり、尿に糖が混じる今日この頃。
地球そのものが活動期に入ったという話も聞くし、日頃の心構えがますます大切になってきたように思います。

以前「前世療法」という本を読み、なるほど因果の世界は深いものだと感心した覚えがありますが、
自分の性格その他を省みるに、僕も前世療法を受けてみたい気になっています。
催眠中に前世にまで記憶を遡っていき、心身に受けた傷やトラウマを認識することにより、
現世の自分の持つ性向をきちんと把握する、ということです、簡単に言えば。

思うに、人の持つ独特の癖や考え方の方向性というのは、なかなか一筋縄では変えられない根深さを持っています。
なぜそうなのかも分からないまま、癖や方向性に引っ張られていきます。
良い癖や良い方向性というものもあますが、問題になるのは悪い癖や方向性です。
性格を構成する流れの、一番底流を流れるものであるがゆえに、ひとたびその流れに気づき、抜け出したいと思うと、
大いに人は苦しみます。
すべてはそのままでよいと、ニューエイジ風に肯定するわけにはいかなくなります。

理性のメスが届かない人間存在の闇でしょうか。
ひとたび光を当てれば、闇などは幻想に過ぎないことを知るのでしょうが、なにせ「光」がありません。
いや、「光」は常にあるのでしょうが、目が曇り、心が曇っているせいで、「光」のありかを見失っているのでしょう。
ともかくも、闇は光を当てれば、存在しえなくなる道理ではあるのです。
闇という存在があるのではなく、光の不在があるだけです。

大いなる偶然に導かれて、人は光を捜し求めます。
「青い鳥」なんだと知ってはいながら、複雑怪奇な迷路を歩き回ります。
歩きつかれて、迷路の抜け出たときに、昔懐かしい光を浴びて、ああこれがそうなんだと心から
思える日が来るのでしょうか。