All Photos by Chishima,J.
(メグロ 以下すべて 2011年7月 東京都小笠原村)
(NPO法人日本野鳥の会十勝支部報「十勝野鳥だより177号」(2012年4月発行)に掲載の「小笠原・硫黄列島に海鳥を訪ねて(後編)」を分割して掲載 写真を追加)
2012年4月21日の記:当初、印象の鮮烈な内に2回に分けて連載するはずだったこの紀行も3回目となり、旅から9ヶ月以上が経過してしまった。ただでさえ記憶が薄れつつあるのに加え、先日、沖縄は八重山諸島という、大洋島とはまた異なる生態系を持つ南国へ旅してしまい、頭の中がチャンプルーになっている。しかも印刷まで24時間を切っての起稿であるため、以降は非常に大雑把なものになるだろう。ただ、硫黄三島クルーズが終了した時点で今回の旅は終わったようなものであり、あとは普通に小笠原でちょこっと鳥を見た以外は終始?んだくれていただけという、生産性の無いお話である。
7月9日:7時半に母島へ向かうフェリーに乗れば良いので、朝ゆっくり寝てても良かったのだが、習慣で5時には目が覚めてしまう。今回の母島は日帰りである。島の規模が小さいので、直前に探してももう宿が無かったからだ。父島から50km南に位置する母島へはフェリーで2時間を要し、9時半に着いた後、その日の内に父島に帰って来るためには14時半のフェリーに乗らなければならない。それでいて片道の船代は4460円だから、僅か4時間の滞在のために9000円近い金を払っていることになる。それだったらホエールウオッチングにでも参加した方が、海鳥をより近くで沢山見られるかもしれない。しかし、鳥屋としては、ここまで来たらそうまでしても母島に行かなければならない理由がある。それがメグロだ。世界中で小笠原にだけ分布するこの固有種は、かつては亜種ムコジマメグロが父島やその周辺にも生息していた。しかし、第二次大戦の前後に絶滅し、現在では亜種ハハジマメグロが母島とその周辺に生き残るのみである。何度も触れて来たように、この諸島では多くの種・亜種が絶滅やその危機を経験している。海洋島の生態系は、人間や外来生物の侵略に対して余りにも脆弱だ。かくして、21世紀の現在、メグロを見るためには多少の散財と強行軍を覚悟することになるのだが、父島ですら東京から船で25時間、しかも最低6日間の旅程を必要とする場所だ。次はいつ来れるかわからない。10数年前に一度見ているとはいえ、三途の川を渡っている時に「あぁ、あの時やっぱりメグロを見ておくんだった…」と後悔するのは嫌だ。
ははじま丸と混み合う岸壁
そんなわけで日帰り母島であるが、船に乗り込むにはちと早い。しかし、ドミトリーの大部屋は息苦しくて居心地が悪い。さっと荷物をまとめ、メインストリートや浜辺を逍遥する。南国は往々にして夜が遅い分、朝が遅い傾向があるようで、夜はとっくに明けているものの、こじんまりとした通りは人っ子一人見当たらず、静かなものである。通りの端に、何とビールの自販機を見付ける。この、本土では絶滅したか絶滅危惧ⅠA類に相当する施設を最後に見たのは、2001年、八重山諸島の黒島だったかいな。遮蔽物の無い島で、八重山のティダ(太陽)に焼き殺されかけてた僕にとって、それは砂漠の中のオアシスに見えたものだ。もちろん、小銭を数枚投入する。自販機に隣接して公園があり、その中には南国風の東屋まである。出来過ぎた演出とは、こういうことを言うのかもしれない。東屋から青い空と海を眺め、イソヒヨドリやメジロの声をBGMに朝の光に射られながら飲むビールの旨さは犯罪的ですらあった。
「東屋」の朝
気が付くと出航直前になっており、慌ててターミナルへ行くと、やはり混み合っていた。硫黄クルーズに参加した鳥屋が軒並み母島を目指すのと、世界遺産指定の相乗効果であろう、硫黄クルーズにはいなかった「一般人」の姿も多い。甲板に出ると既に大砲と三脚が林立している。出港後はアナドリやオナガミズナギドリ、セグロミズナギドリ等が立て続けに現れたが、流石にこの海域に入って3日目ともなると反応も鈍くなる。ほぼ常に船に付いているカツオドリに至っては、北海道におけるゴメ(*注1)と同じ扱いで、意識的に視界から除外している。いま思えば贅沢な一瞬である。
船の周囲を飛ぶカツオドリ達と、通り雨から回復中の母島
2時間後、母島に到着。いまいち脱力した僕は、すぐさまメグロ‐!!という気分でもなく、港近くでイソヒヨドリやメジロと戯れる。10分弱歩くと街だ。父島より更に小さな、商店2軒と郵便局だけのメインストリートがある。商店で食料を調達しようとするも、パンや弁当は既に売り切れている。ま、いいか。缶詰のソーセージとチューハイを手に入れて、浜を眼前に望む大木の下にあるベンチで飲食。樹を囲むような円形のベンチでは、子供を浜で遊ばせているお母さん方や散歩中の老人が他愛もない話に花を咲かせ、また去って行く。ゆったりとした島の時間。その流れの中に、一介の旅人として身を置くことの心地良さ。このまま帰るまで身を委ねていたいと思いかけたが、危ない危ない。ここまで来たからにはメグロと対面しないとね。
母島のメインストリート
イソヒヨドリ(幼鳥)
メグロとは、集落から高台に上がった神社で容易に出会うことができた。固有種というのは大体そんなもんである。1属1種で、かつてはヒヨドリ科やミツスイ科に分類されたこともあるが、近年のDNAを用いた研究ではメジロに近縁らしい。どこで見ていたのか、気が付くと周りには何人ものカメラマンが大砲を構えている。まあいいのだが、鳥の向こうからガイドに率いられた、トレッキングの一行がやって来た時のことだ。撮っていた何人かが向こうを牽制するような態度を示し、向こうのガイドが「鳥がいるのでちょっと待ちましょうか」的なことを言った。撮っていた連中はさも当然のような態度を取っていたが、それに頭が来たので「どうぞ通って下さい。鳥はまた戻って来ますから。」と伝え、通っていただいた。我々がメグロを見ているのは私有地でも何でもなく、公道でのことだ。そしてそれは、立派なことでも何でもなく、要は私利私欲だ。そのために一般観光客の通行を妨げる権利など、もちろん無い。そんなことは、ちょっと考えれば当たり前なのだが、いつからそんな増長こいた「鳥屋」が当たり前に蔓延るようになってしまったのか…。
昼なお暗い林内で出会ったメグロ
阿呆らしくなったので集落に戻り、ぶらぶらしていると写真家のMさんが、オガサワラカワラヒワが2羽、現れたと教えてくれる。数の少ない固有亜種ゆえ是非お目にかかりたいと待ったが結局出ず、それでもパパイアに群がるメグロやオガサワラヒヨドリを眺め、楽しい一時を過ごすことができた。気になったのは、ノネコが集落内を闊歩していたこと。数は多くはなさそうだったが、陸鳥類の繁殖に何がしかの影響を与えているかもしれない。
熟れたパパイアの実を食べるヒヨドリ(亜種オガサワラヒヨドリ)
*注1:浜言葉でオオセグロカモメのこと。
(続く)
(2012年4月 千嶋 淳)
以前の記事は、
小笠原・硫黄列島に海鳥を訪ねて⑤
小笠原・硫黄列島に海鳥を訪ねて④
小笠原・硫黄列島に海鳥を訪ねて③
小笠原・硫黄列島に海鳥を訪ねて②
小笠原・硫黄列島に海鳥を訪ねて①
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