鳥キチ日記

北海道・十勝で海鳥・海獣を中心に野生生物の調査や執筆、撮影、ガイド等を行っています。

青春と読書⑤アホウドリ類

2012-06-21 21:18:33 | お知らせ
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All Photos by Chishima,J.
海面を蹴って飛び立つクロアシアホウドリ 2010年9月 北海道十勝沖)


 集英社の本のPR誌「青春と読書」に連載中の「北海道の野生動物」。5回目の7月号(6月20日発売)で取り上げたのはアホウドリ類。一見北海道とは関係なさそうな大型海鳥たちとアイヌとの意外な関係や最近の飛来状況、彼らが繋ぐ南北の海等について、北海道からの視野を主眼に書いてみました。興味のある方は御笑覧いただけたら幸いです。


着水寸前のコアホウドリ
2012年5月 北海道十勝沖
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(2012年6月20日   千嶋 淳)



小笠原・硫黄列島に海鳥を訪ねて③

2012-06-14 22:03:47 | ゼニガタアザラシ・海獣
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All Photos by Chishima,J.
アカオネッタイチョウ 以下すべて 2011年7月 東京都小笠原村)

日本野鳥の会十勝支部報「十勝野鳥だより175号」(2011年8月発行)に掲載の「小笠原・硫黄列島に海鳥を訪ねて(前編)」を分割して掲載 写真を追加)


7月8日:3時半には目が覚めてしまう。完全に興奮状態にあるようだ。昨日の経験から朝食のため甲板を離れる余裕は無いと考え、先に済ませてから甲板に向かう。暗い甲板には既に何人もがスタンバイしておられる。4時を回ると水平線が赤みを帯び、その直上を青く照らす。夜明け前というのに幾つもの積乱雲の子分のような雲が、水平線近くにモクモクと立ち上がっているのがいかにも南海らしい。
硫黄海域の夜明け
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 舳先方向を望むと、まだ小さいが黒く聳え立つ山がある。南硫黄島だ。6時には到達する。島を確認直後の4時52分、朝日が昇り始めた。一度姿を現すと全速力で駆け上がる太陽は、湿気を含んだ大気に熱を与え、漆黒の夜の世界を昼の青色に塗り替える。オナガミズナギドリやアナドリが飛び交い、クロウミツバメらしき鳥もいるが暗くてよく分からない。カツオドリは相変わらず数羽が船に付いて、その針路を虎視眈々と狙っている。セグロミズナギドリも何羽も現れては消えてゆくが、それらの観察や撮影を楽しむにはまだ光量が足りない。期待ともどかしさの交錯した、早朝の一時であった。
 5時半頃、何のアナウンスもなく、現れた船員が普段立ち入ることのできない、舳先付近の低いデッキを開放してくれた。そんなことは露知らずだったが、僕のいた位置はそのデッキへ通じる階段の目の前。咄嗟の出来事に頭は付いて行かなくとも足が先に動いてくれたおかげで、かなり良い場所を確保できた。そして、南硫黄の島影もかなり近付いた頃、1羽の白い鳥が船に近付いてきた。黒や茶色を基調とするものが多かったこの海域の海鳥の中で、全身純白の鳥はひときわ目立つものである。アカアシカツオドリの成鳥だ。ピンク色の目先や黒い風切も堪能できる距離を飛んだ後、鮮赤色の足を出してマストに止まった。近い!ただ、僕らのいる舳先デッキからだと真上に見上げる感じになってしまう。とはいえ今この場所を離れるのは惜し過ぎる。


アカアシカツオドリ成鳥
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 島が指呼の距離となった。南硫黄島は東京から南に1300kmの距離にある一方、その500km南方には北マリアナ諸島のウラカス島を臨む位置にある。島の周囲は7.5kmながら標高は916mもあり、東京の島嶼部では最高峰である。その頂は、これまで多くの写真や映像で見た通り、雲に覆い隠されている。海上で発生した水蒸気が斜面を駆け登る間に冷やされて雲になるという。風が絶えず雲の形を変え、それは一時として同じではない。山頂部から中腹までは、クロウミツバメやシロハラミズナギドリがその林床に営巣する濃緑色の森に覆われている。そこから下は荒々しい岩肌が剥き出しとなって、朝の光に白く照らされている。その厳しい地形ゆえ、これまで人が定住した記録が無く、学術調査も過去数回しか行なわれていない。そのため島の自然については未知の部分も大きいが、手つかずの自然の残る、世界的にも稀有な地域であることは間違いない。鳥に関してはオオコウモリが島で唯一の哺乳類であり、ネコやネズミといった捕食者も入っていないことから、2007年の調査でも10万羽を超える海鳥の繁殖が確認されている。また、小笠原では絶滅に瀕したアカガシラカラスバトやオガサワラカワラヒワの生息も確認されている。海鳥の捕食者の中でも、船や荷物に紛れて巧みに侵入するネズミ類は厄介な存在であり、その不在の意味するところは大きい。昭和50年に日本初の「原生自然環境保全地域」に指定され、人の立ち入りは禁止されている。もちろん世界自然遺産区域にも含まれている。
 また白い鳥が飛ぶ。アカアシカツオドリよりもスマートで、嘴は鮮やかな赤、そして尾の中央から赤く長い羽が突出している。アカオネッタイチョウだ!熱帯・亜熱帯の海に広く分布するペリカン目(*注4)の海鳥だが、国内では小笠原諸島だけで繁殖し、中でも南硫黄は最大の繁殖地となっている。島の付近を飛ぶ「点」でも構わないから、このエキゾチックな鳥に一目会いたくて硫黄列島まで足を伸ばしたようなものである。その後も何度か船の近くを飛んでくれたほか、島の崖伝いに飛ぶ「点」は多数見ることができた。もっとも船の上を飛んでくれた内の1羽は、撮影中誰かが「尾が無い!」と叫び、慌てて確認すると確かに赤い中央対が存在しなかった。若鳥だったのか。「アカオナシネッタイチョウやっ!」、また誰かが叫んだ。船に近付いて来る個体を見付けるコツは、通常の海鳥と違って頭上高くを気にすることである。


アカオ‘ナシ’ネッタイチョウ(アカオネッタイチョウ
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 アカアシカツオドリのコロニー(背の低い木の樹上)や島上空を飛ぶシロアジサシの姿も遠望できたが、こちらは最後まで本当に「点」だった。まあ、日本国内では通常見られない鳥たちなのだから、贅沢言っちゃぁいけない。島周辺を飛ぶ白い鳥を片っ端からシロアジサシと言っているバーダーもいたが、写真に撮ってみるとその大部分は後ろ向きや中央尾羽の無いアカオネッタイチョウであった。シロアジサシの数は、実際にはかなり少ないと思う。
 夢見心地のまま島を2周し、今度は北に60km近く離れた硫黄島を目指す。ここから暫くはこのクルーズ、否今回の旅で最も充実した時間であった。既に高い所から降り注ぐ陽光が群青に染める海を背景に、アナドリやオナガミズナギドリ、シロハラミズナギドリ等が次から次に海面を滑る。そして舳先に近いデッキにいるため、それらがフェリーとは思えない距離で観察できる。数が最も多いのはアナドリであろう。配色はウミツバメ類に似ているがれっきとしたミズナギドリ科の鳥で、間近で細長い翼や波間を上下にソアリングする飛び方を観察すると確かにミズナギドリ以外の何物でもない。ウミツバメならもっとひらひらと飛ぶ。圧巻はセグロミズナギドリ。現在の日本の分類ではセグロミズナギドリの一亜種とされているが、世界的にはこの海域のものを独立種とする考えも強く(*注5)、その場合の和名はかつて使われていたオガサワラミズナギドリが適当であろう。南硫黄島と小笠原の一部でしか繁殖しない希少種だ。小笠原周辺では数も少なく、今回も以前訪れた時も1~数羽しか見られなかったが、その鳥がここでは続々現れる。繁殖地である南硫黄の環境の良さを反映しているのだろう。翼開長がウミガラス類並みと非常に小さなミズナギドリで、飛び方も多くのミズナギドリのような悠然としたものでなく、羽ばたきは小刻みだ。その飛び方と、白黒ツートンカラーの体、下面の白が腰では上方まで及んで白斑のように見えるのが特徴だ。今回の旅では全部で50羽を超える本種を観察したが、飛翔時の顔の模様には2パターンあり、一つは図鑑にあるような上の半分近くがマスクを被ったように黒っぽいもの、もう一つは頭頂や後頸は黒っぽいものの顔の広範囲が白っぽいもので、これはウミバト冬羽・淡色個体の顔を連想させた。野鳥写真家のM氏によると、後者のタイプはミッドウェイやハワイでの画像に多く見られ、そちらの個体群の可能性もあるという。今後の分類研究の進展によっては別種とされる可能性もあろう。ちなみに、M氏とは申し合わせた訳でもないのに隣近所で観察している時間が長く、この海域の海鳥の出現状況や識別について多くを教えていただいた。某ツアーの特別講師として乗船されていたM氏は、他のツアー客との区別が付いてなかっただけかもしれないが。


アナドリ
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セグロミズナギドリ
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 前方で大きな飛沫が上がる。クジラがブリーチング(*注6)している。クジラは体の半分以上を水面上に投げ上げて、豪快なジャンプを繰り返した。ヒゲクジラ類ほど大きくはないようだが、イルカ類よりは遥かに大きい。グレーの体にピンク色がかった斑点が目立ち、吻部は嘴状に突き出している。オウギハクジラ属の一種だ。この仲間は識別が難しく、生物学的情報も漂着や迷入個体から得られることが多いので、生態や行動は謎に包まれている。今回のクジラは乗船していた鯨類の専門家はコブハクジラの可能性が高いと判断し、自分でも後日調べてみたが同種のオス成獣と考えられる。世界中の熱帯、温帯の外洋域に生息する種だが、日本では沖縄や静岡等での限られた漂着記録がある程度で、生態はほとんど分かっていない。多くの種について生態写真を掲載している図鑑でも、本種は飼育下や漂着時の写真しかない。どうやら海鳥に負けず劣らず貴重な出会いを果たしてしまったようだ。「海鳥も忘れないで」とばかりにアカオネッタイチョウやシロハラミズナギドリが船の傍を通り過ぎて行った。旅はまだまだ続く。


コブハクジラ
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*注4 ペリカン目:ペリカン科以外のペリカン目はネッタイチョウ科、カツオドリ科、グンカンドリ科等南の海鳥のイメージが強いが、ウの仲間も同目である。確かにカツオドリの顔のアップや、巣で暑さに喘いでいる姿はウを彷彿とさせるものがある。目の起源はオーストラリアからニュージーランドにかけての暖海にあるらしい。
*注5:学名はセグロミズナギドリの1亜種の場合Puffinus lherminieri bannermani(例えば「日本鳥類目録第6版」)、独立種とするとP. bannermani(例えば「Birds of the World Recommended English Names」)となる。
*注6 ブリーチング(breaching):鯨類が水面上に飛び上がること。なぜブリーチングするかは、寄生虫を落とす、威嚇や求愛、単なる遊び等諸説あるがよく分かっていない。日本ではザトウクジラやシャチでこの行動が有名。

(続く)


(2011年8月   千嶋 淳)

以前の記事は、
小笠原・硫黄列島に海鳥を訪ねて②
小笠原・硫黄列島に海鳥を訪ねて①


小笠原・硫黄列島に海鳥を訪ねて②

2012-06-09 22:02:30 | ゼニガタアザラシ・海獣
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All Photos by Chishima,J.
オナガミズナギドリ 以下すべて 2011年7月 東京都小笠原村)

日本野鳥の会十勝支部報「十勝野鳥だより175号」(2011年8月発行)に掲載の「小笠原・硫黄列島に海鳥を訪ねて(前編)」を分割して掲載 写真を追加)

7月7日:床に転がって寝た所為か、それとも神経が昂ぶっているのか4時前には目が覚めてしまった。南国の朝は遅く、外はまだ薄暗い。それでも水平線上は燃えるように赤く、朝の近いことを告げている。我らがおが丸は八丈沖で日没を迎えた後、深夜にアホウドリの繁殖地として名高い鳥島を通過し、一路南下を続けているはずだ。こりゃ鳥見開始はしばらく後かなと思ったが、一人二人と双眼鏡やカメラを持った鳥屋が甲板に集まって来る。そうなるとこちらも妙な対抗意識みたいなものが芽生え、改めて装備を用意して4時20分、観察開始。

 白と黒のミズナギドリが飛んで行く。オナガかと思いきや頭は白く、オオミズナギドリである。観察開始からしばらくは本種が何羽か立て続けに現れた。学生時代この船に乗った時は、一日目のオオミズナギドリが二日目になると見事なまでオナガミズナギドリに代わっているのに驚き、世の探鳥ガイドにもそのことはよく書いてある。必ずしもそうとは限らないのだなと思ったが、冷静に考えるとフェリーでの探鳥を開始するのは普通、完全に明るくなった6時や7時からなのだから、4時から見ていればそれはオオミズナギドリもまだいるだろう。それだけ酔狂な時間からの観察ということだ。
 僕を含む多くのバーダーは、風雨を凌げて且つ広い視野も確保できる、最上階の一つ下のAデッキで観察を行なうのだが、ここは一等船室に面しているため夜間から翌朝までは、船内との出入り口付近の狭いエリア以外閉鎖される。その狭いエリアに続々と鳥見人が集まって来る。朝5時には満員電車さながらの状態になってしまった。大きな三脚を広げて場所取りをする輩までいるから厄介だ。朝食を食べにも行きたいが、ここで離脱してしまうと4時過ぎから確保してきた場所を失うことになる。仕方なく、ザックに入っていたカロリーメイトで空腹を抑え、早朝の海面に目を凝らした。


混み合うデッキ
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 5時半頃より、数羽のカツオドリが船に付き出した。時には目線の高さで間近を通り過ぎる。目先から嘴の付け根が鮮やかな水色のオス成鳥も混じっている。彼らは無目的に、あるいは旅人に対する南国式の歓待として船の周りを飛び交っているわけではない。船の進路上にトビウオのいることがあり、船に驚いたトビウオは海上を飛んで回避しようとする。そこにカツオドリが突っ込むのである。鋭い嘴を海面に向け、翼をすぼめて矢のごとく勢い良く飛び込む。海面から豪快な飛沫が上がり、やや遅れてデッキから観察者の歓声が上がる。再度多量の飛沫を引き連れて浮上してきたカツオドリの嘴には、トビウオがあることもそうでないこともあるが、後者の場合でも引き続きトビウオを追跡できるので船に付くことは効率よく餌を取ることに繋がるわけだ。丁度アマサギが牛馬やトラクターの後に付いて、それらの追いだす昆虫等を捕食するのと同じ原理である。小笠原では外洋域を除き、ほぼ常にこのようなカツオドリがお伴してくれたおかげで、他の海鳥が少ない時でも飽くことなく過ごすことができた。


カツオドリ・♂成鳥
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 カツオドリ以外ではオナガミズナギドリやシロハラミズナギドリ、アナドリ等も出現したが、いずれも数は多くなく、船からの距離は遠かった。ただ、海鳥の採餌混群を幾つも見ることができたのは興味深かった。海鳥の採餌混群というと、北の海ではカモメやウの仲間、海ガモやウミスズメ類が主であるが、こちらではオナガミズナギドリ主体でそれにアナドリやクロアジサシ、カツオドリが加わって形成されていた。そこそこ沖合であるし、深く潜れる連中ではないので、おそらく表層近くの魚群を狙っているのであろう。季節によってはこれにトウゾクカモメの仲間が襲いかかったりしているのだろうか。
 10時前、小笠原諸島の北端に当たる聟島列島を左舷に望む。現在では無人のこれらの島々はクロアシアホウドリの繁殖地にもなっており、この地で標識された鳥を2個体、釧路や根室の沖合で確認している。その島々を海上より眺め、何の関係も無さそうな遠く離れた北と南の海の「繋がり」を改めて実感する。ここでは2008年より伊豆諸島鳥島の繁殖地よりアホウドリの雛を移送して人工飼育し、将来それらが新しい繁殖地を形成することを目指す壮大なプロジェクトが山階鳥研を中心に展開されている。ちなみに、ここから旅立ったと思われるアホウドリも、今年の春に厚内の船頭が目撃している。
 カツオドリ以外の海鳥が少なくなったと思ったら、父島の島影がすぐそこまで迫っていた。海は外洋域の黒みを失い、眩しいばかりのコバルトブルーである。11時半、二見港に入港。父島は諸島に二つだけの有人島の一つで、小笠原の中心地である。港に近接したメインストリートには小笠原村役場はじめ、商店や飲食店、宿等が居並び、旅人はここを拠点にクジラやイルカのウオッチング、ダイビング、島めぐり、トレッキング等を行なうことになる。こう書くと、小笠原の島々は原生以来の自然を豊かに残す桃源郷のように思われるかもしれないが、そうではない。小笠原は成立以来他の大陸と地続きになったことの無い海洋島(大洋島)である。それゆえ、そこに辿り着いた数少ない生物は独自の進化を遂げた。しかし、人間や人間が持ち込んだ生物が島に侵入した時、それらに対して海洋島の生態系は余りにも脆弱である。鳥を例にとっても19世紀の内にオガサワラカラスバト、オガサワラガビチョウ、オガサワラマシコそれにハシブトゴイが絶滅し、硫黄島では戦前マミジロクイナが絶滅した。ハシブトゴイやマミジロクイナは東南アジアや太平洋の島々に今でも同種が分布しているが、前3種は小笠原の固有種であり、数点の標本を残して地球上から永久に消え去ってしまった。移入種の問題も深刻だ。集落付近で群落を形成しているリュウキュウマツやギンネム、モクマオウ等の樹木は人為的に持ち込まれたもの。野生化したヤギが植生を破壊し、オオヒキガエルやグリーンアノールといった爬虫・両生類も外来種が多い。


父島・二見港入港直前
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 船を降りると多くのバーダーは夕方の出港まで、陸鳥を求めて蜘蛛の子のように散って行くが、僕はフェリーターミナルに残り、カメラや携帯電話を充電させてもらった。船内にも充電コーナーはあるものの、後に意識して見ると常に塞がっていたのでこれは正解だった。充電には思いのほか時間がかかり、終わった頃には空腹で足元がふらつく程だったので、メインストリートの寿司屋に入って島魚の刺身定食を頼む。カジキマグロやオナガダイの刺身をビールで流し込む。美味い!刺身には日本酒を慣わしとしているのだが、南国の昼に飲る時はやはりビールに限る。今度はほろ酔いでふらつく足元のままスーパーで缶ビールを買い込み、近くの公園へ。気温は30℃を超えているが、海洋性気候のため東京のような蒸し暑さはなく、木陰に入ると快適である。


島魚の刺身定食
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 腰を下ろし呆けていると、鳥の方から近くに来てくれる。まずは若いイソヒヨドリ、次いでメジロの一団。これにヒヨドリ(全体的に濃色な亜種オガサワラヒヨドリ)が、父島の集落周辺で出会う主な陸鳥である。郊外に行ってもウグイス(亜種ハシナガウグイスで、囀りは本土のものと比べて著しく簡素)やノスリ(亜種オガサワラノスリ)、トラツグミ等が加わる程度だ。陸鳥の種数が少ないのも海洋島の特徴であり、そこに辿り着くことがいかに困難かを物語っている。小笠原の場合、近代の絶滅も陸鳥の種数減少に拍車をかけた。集落周辺で見るスズメサイズの小鳥は、まずメジロである。このメジロだが、実は元からいたものではない。日本人が入植する1900年代まではいなかったと言われ、人為的に持ち込まれた伊豆諸島の亜種シチトウメジロと硫黄列島の亜種イオウジマメジロの交雑個体群と考えられている。それが100年を経た現在、島で最も優占する陸鳥となっている。そんなことを考えながら目の前を去来するメジロたちを眺めながら、ある一つの違和感を覚えた。それが何であるかはじきに判明した。ありとあらゆる場所で採餌しているのだ。本土のように枝先近くで餌を探すものもあれば、樹の幹や地上、空中等様々な場所に餌を求めている。特に地上での採餌は活発で、これほどの頻度で地上採餌するメジロを本土で見た記憶が無い。まるでスズメのようだ(スズメはこの諸島にはいない)。本土では多くの種が競争しながら共存しているため、各種のニッチ(*注3)はかなり局限されざるを得ない。しかし、この海洋島では競争する近縁種が少ないことに加えて固有種の絶滅によりニッチに大きな空白が生じ、そこをメジロが巧みに利用しているのかもしれない。


メジロ
巣立ち雛への給餌中
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 同じ通りにあるビジターセンターを見学したり(小笠原の自然と文化について手っ取り早く学べる)、硫黄クルーズから帰った後のツアー手配や買い物、最後は港近くで仕入れたパパイヤキムチ(まだ熟さないパパイヤの薄切りをキムチ風に漬けこんだもの)を肴に麦酒を飲んで、夕刻の出港を待つ。船客待合所に戻り、18時より旅程説明やスタッフ紹介等のオリエンテーションを経ておが丸に再度乗船。19時、今度は硫黄列島へ向けて出港した。船内では海鳥のレクチャーも行なわれていて参加したのだが、メモを取らなかったこともあり、一月を経た今よく覚えていない。然程印象に残らなかったか、昼からの酩酊で既に記憶が曖昧だったのだろうが、己のことだからたぶん後者であろう。レクチャー後は船室へ戻る。多くの客はそのまま小笠原に滞在するため、船室の人口密度は昨夜よりかなり低い。しかも、隣の人は別の船室にいる友人の所へ行くと場所を開けてくれたため、ようやく普通の2等船室並みのスペースを確保することができた。21時30分頃、明日に備えて就寝。思えばこれが今回唯一の正規の船室での就寝であり、この旅で唯一の自発的な(=酔いつぶれない)就寝であった。


父島のメインストリート
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*注3 ニッチ(niche):生態的地位等と訳されることがあり、ある種の生活の場(生息場所や資源利用パターン)とか、ある種の個体群の適応の総体をあらわす言葉。「この2種はニッチが違う」というと、両者は一緒に住んではいるがどこかで生活の場を違えていることを意味する。


(2011年8月   千嶋 淳)
以前の記事は、
小笠原・硫黄列島に海鳥を訪ねて①




小笠原・硫黄列島に海鳥を訪ねて①

2012-06-06 18:20:14 | ゼニガタアザラシ・海獣
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All Photos by Chishima,J.
南硫黄島 以下すべて 2011年7月 東京都小笠原村)

日本野鳥の会十勝支部報「十勝野鳥だより175号」(2011年8月発行)に掲載の「小笠原・硫黄列島に海鳥を訪ねて(前編)」を分割して掲載 写真を追加)


 海鳥に魅せられ、その姿を追い続ける者にとって憧れの海域というものが幾つかある。日本国内でその筆頭を挙げるならば、北海道は道東太平洋岸だ。沿岸ではエトピリカやケイマフリが繁殖し、沖に目を転じればアホウドリやミズナギドリの仲間がそれこそ世界中から集まる。高校三年の夏に釧路航路で出会った海鳥の乱舞とその後の道東の風景にすっかり惹かれてしまった自分は、18年を経た今も道東に棲んでいる。そんな憧れの海域の一つに、北海道とは対極の南に位置する硫黄列島(火山列島)周辺がある。東京から南に1000kmの小笠原諸島父島から更に南に300㎞。第二次大戦の激戦地である硫黄島を含み、現在では一般人の訪問は困難になってしまったが、戦前は集落もあり、籾山徳太郎(*注1)らによる精力的な鳥類調査もなされ、シロアジサシやナンヨウマミジロアジサシといった幻のような鳥たちも記録されている。小笠原までは10年以上前に一度行っているが、戦後閉ざされてしまった硫黄までは行くすべもなく、近年になって年に一度この海域を訪れるクルーズが行なわれていることは知っていたものの、参加は夢のまた夢と思っていた。
 しかし今年、7月頭に東京で開かれた野鳥の会全国会議に出席することとなり、調べてみると会議の数日後に硫黄クルーズが始まるというではないか。何という絶妙なタイミング!この機を逃しては一生行く機会は無いかもしれぬと思い立ち、参加を決意した。とはいえ、いつも通り申し込みは締め切り直前、宿の確保に至っては出発の前日に探し始めるという無計画旅行に変わりは無い。なお、このクルーズは小笠原群島へのフェリーを運航する小笠原海運株式会社が企画し、小笠原へ行くフェリーに乗り込んでそこから更に南の硫黄列島を目指し、途中小笠原での宿や旅程は自分で確保するという、半分団体ツアー、半分個人旅行みたいなものである。また、硫黄列島では島には上陸せず、船で島に接近しての観察となる。


カツオドリ♂成鳥
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7月6日:全国会議の後2日ほど群馬の実家で滞在し、久しぶりにコアジサシやゴイサギとじっくり付き合った後、昨日の午後東京に戻った。天気はずっと晴れ、気温は連日35℃前後まで上がっている。本来梅雨のこの時期は天気が悪く気温もそう高くはないはずだが、今年は空梅雨なのか。今朝も6時頃起床してホテルの窓を眺めると、眩しいほどの青空。コンクリートの街は既に灼熱の中にある。
 電車を乗り継いで竹芝桟橋へ移動。ターミナルに到着すると見渡すばかりの人、人、人…。伊豆諸島や小笠原への玄関口となるこの桟橋は混雑しがちなものだが、これほどの人は初めてだ。所々に「祝 世界遺産決定」の垂れ幕。そう云えば直前の6月24日に小笠原諸島が屋久島、白神山地、知床に次ぐ国内4番目の世界自然遺産に決定されたばかりである。それが効いているのか、とにかくターミナル内はごったがえしている。


おがさわら丸
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 何とか受付を済ませ、9時半近く「おがさわら丸(通称おが丸)」に乗船。おがさわら丸は6700トン、全長131mの大型の貨客船で、東京と父島を片道25時間30分で結んでいる。船は父島で3泊ほどして、東京出港の6日後再び帰って来るのが基本的な運航パターンである。したがって、小笠原を旅するには最低6日間が必要となる(繁忙期は増便もあるらしい)。10時竹芝桟橋出港。甲板は暑い上に人で混み合っているが、船が海面を滑り出すと舳先を渡る風が心地良い。レインボーブリッジやお台場、羽田空港等、普段テレビで見る景色を実際に眺めながら進む。観光客の多くは旅の解放感からか、午前中でありながらビールやチューハイの缶を片手に伴っている。無論僕とて例外でない。その中で異様な雰囲気を放っていたのは、巨大な望遠レンズ付きカメラを据えた三脚を大きく広げ、虎視眈々と周囲を伺っている一団である。鳥屋、否鳥カメラマンである。普段行けない海域に行けるこのクルーズには当然多くのバーダーも乗船しており、その大部分は某バードウオッチングツアー会社のツアー参加者だったようだ。当然といえば当然なのだが、彼らとは旅程の多くを共有する羽目になり、その面白い生態も垣間見ることになる。


東京湾を進むおがさわら丸
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 この時期の東京湾奥部の鳥はカワウにウミネコ、それに湾を横断するように飛んでいたチョウゲンボウくらいのものですぐに飽きてしまう。昼時となりレストランへ移動。多くの客はまだ甲板にいるためか比較的空いており、名物「島塩ステーキ定食」を食す。なかなかに立派な牛のステーキを小笠原の塩で頂く一品で、1300円という値段は船内にしては良心的だ。旅の終わりに打ち上げとしてと思っていたものの、可能な時に食べてしまおうという直感が働いてそうしたが、結果正解だった。以降はレストランの混雑や品切れでその機会は無かった。
 昼食を済ませ甲板に復帰すると、東京湾も終わりに近付いている。館山の洲崎灯台を過ぎ、右手には伊豆大島の島影。しかし現れる海鳥の大部分はオオミズナギドリで、たまにアナドリ。オオミズナギドリは夏から秋に道東近海でも多数見ることができるし、アナドリは小笠原近海に行けば沢山見られるはずである。テンションはいまいち上がらない。午後遅く三宅島や御蔵島沖を航行する頃にはカツオドリやオナガミズナギドリも現れ、繁殖地近海に浮かぶオオミズナギドリのラフト(*注2)も幾つも確認できたが、船はじき暗雲の中に入り、激しい風雨が甲板に叩き付けた。雨雲の直前、ミナミハンドウイルカとゴンドウ類(オキゴンドウ?)の混群を近くで見ることができたのはこの日の収穫であった。三宅島はアカコッコやイイジマムシクイ等鳥の島としてバードウオッチャーには名高いが、火山の島でもあり、2000年の噴火では全島民が島外へ避難した。御蔵島は三宅島の南に位置し、島を覆う原生林の林床は国内でも有数のオオミズナギドリの繁殖地となっている。


御蔵島
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ミナミハンドウイルカゴンドウ類
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 以降は船内で?みながら読書や昼寝をし、夕方6時頃八丈島と八丈小島の間を通過中とのアナウンスに再度甲板に立つ。八丈小島の属島ではウミネコやカンムリウミスズメが繁殖するというが、白波立ち暗雲垂れ込める海上に鳥の姿は無い。もっとも南の地ではカンムリウミスズメはもちろん、ウミネコも既に繁殖を終えているのだろう。じきに暗くなり、再度船内で一人宴。船内で酒を飲むのも人口過密のおが丸では一苦労だ。あてがわれた二等船室のスペースは寝返りも打てない狭さである。せめて両側が麗しき美女とかならそれでも結構なのだが、当然どちらも爺さんだ。仕方ないのでラウンジ等で飲むことになるが、その場所取りも中々に熾烈で椅子やソファーは常に埋まっており、床に僅かな空きを見付けて潜り込むのが精一杯。それでも両側の爺さんと触れ合いながらよりは良い夢が見れそうなので、この日はここを寝床とすることにした(要するに酔いつぶれたということだ)。

*注1 籾山徳太郎(もみやまとくたろう):日本橋の商家に生まれ、戦前には貿易で財を成し、伊豆諸島や小笠原諸島を中心に各地で鳥類標本の採集を行なって鳥類学者としても名を上げる。戦後は商売の失敗により苦労したが、明治神宮探鳥会の指導者として活躍したという。彼の採集した約8000点の標本の多くは山階鳥類研究所に所蔵されており、またフクロウの本州北・中部産亜種モミヤマフクロウにその名を残す。
*注2 ラフト(raft):海鳥や水鳥、ラッコ等が集団で水面に浮遊しているものをそう呼ぶことがある。元々の意味は「イカダ」。


八丈小島
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(2011年8月   千嶋 淳)



フルマカモメ(その1) <em>Fulmarus glacialis</em> 1

2012-06-06 15:47:15 | 海鳥
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All Photos by Chishima,J.
フルマカモメ暗色型 2011年7月 北海道厚岸郡浜中町)


 北太平洋と北大西洋で広く繁殖するミズナギドリ類。和名や英名、属名は、古ノルウエー語の「悪臭のするカモメ類」に由来する。「カモメ」というものの、嘴基部の上部に管鼻の開口する、れっきとしたミズナギドリの仲間である。本種には暗色型(Dark Phase)と淡色型(白色型;Light Phase)の2つの型が存在し、前者は全身灰褐色で下面はやや淡色、後者は上面が淡灰色で下面は白色を呈す。北太平洋では、アジア側でもアメリカ側でも分布域の南部で暗色型、北部で淡色型が卓越し、オホーツク海北部やベーリング海では淡色型が優占する。分布域の南限に当たる日本近海では殆んどが暗色型で、淡色型は稀に見られる程度であるが、根室海峡では淡色型の頻度がやや高いように思われる。
フルマカモメ淡色型
2011年8月 北海道厚岸郡浜中町
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 2つの型の分布は、南北の緯度だけでなく、淡色型は大陸棚と寒流帯、暗色型は深海域と外洋域を好む傾向のあることが、ロシア人研究者によって指摘されている。2つの型の南北による分布の違いは北大西洋では逆転し、南側ほど淡色型が多い。そのため、英国等で撮られた本種の写真には淡色型が多い。


フルマカモメ淡色型

2011年5月 北海道厚岸郡浜中町
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2008年5月 北海道目梨郡羅臼町
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 淡色型は内側初列風切と初列雨覆の白い部分が白斑を形成するが、その大きさは個体によってまちまちである。配色や飛び方は独特で、他種と見誤ることは少ないが、サイズや全体的な雰囲気がカモメ類のように見えることがある。


(2012年6月6日   千嶋 淳)