All Photos by Chishima,J.
(硫黄島 以下すべて 2011年7月 東京都小笠原村)
(NPO法人日本野鳥の会十勝支部報「十勝野鳥だより176号」(2011年12月発行)に掲載の「小笠原・硫黄列島に海鳥を訪ねて(中編)」を分割して掲載 写真を追加)
7月8日(続き):おが丸は南硫黄島からの北上中だ。セグロやシロハラといった南方系ミズナギドリや珍しいクジラとの出会いに、時も忘れて夢中になっていたが、いつしかカツオドリやクロアジサシがメインになっている。順光の左舷側にいたため気付かなかったが午前9時前、船は硫黄島のすぐ南西まで到達していた。本やテレビで何度も目にしてきた擂鉢山が、そのままの形で聳え立っている。硫黄島に来たんだなぁと実感する。周囲約22kmのこの島は、標高169mの擂鉢山を除くと平坦な島である。戦前は1000人以上が生活し、農業や硫黄の採取を営んでいた(この時代にマミジロクイナが絶滅している)が、昭和19年に一般島民は内地へ引き揚げ、翌年2~3月の激戦では日米合わせて約27000人の戦死者を出した悲劇の島でもある。先の擂鉢山は、米海兵隊員が星条旗を掲げる有名な写真が撮られた場所だ。現在は自衛隊の基地として利用され、一般人の帰島は許されていない。船が島の周りをゆっくり航行すると、浅瀬には米軍が桟橋を作ろうとして沈めた揚陸艦が錆び付いた船体を現し、陸上の所々からは硫黄の蒸気が上がっている。
シロハラミズナギドリ
下面
上面
この島の周りにはクロアジサシが多い。属島の岩礁で集団繁殖しているためだ。そのためか他のアジサシ類も見られ、セグロアジサシが1羽飛んで行ったり(気付くのが遅く、後ろ姿を見送って終わった)、遠くの海上を飛ぶ白いアジサシに一同色めき立ったら(北と違い、南の海では白い方が珍しいことが多い)アジサシの成鳥で「なぜこの時期のこの海域に!?(*注1)」と憤ったりしていた。そしてクロアジサシにも飽きてきたという贅沢な気分になって来た頃、ひときわ黒く、頭の銀白色の目立つ鳥が飛んで来た。ヒメクロアジサシだ!属島での繁殖が近年確認されたのは知っていたが、まさか出会えるとは思ってもみなかった。黒色みの強い上面は、褐色みの強いクロアジサシとは顕著に異なっており、英語でクロアジサシを「Brown Noddy(*注2)」、ヒメクロアジサシを「Black Noddy」と呼ぶのも納得が行った。まさに百聞は一見に如かずである。他には範囲が広くより光って見える額から頭部にかけての銀白色は現地でもよく目立ち、小さいせいかクロアジサシより寸詰まりな印象を受けた。細長くて湾曲の大きい嘴は、主に画像で確認した。正確な数はわからないが、数羽はいたようだった。アジサシ類で盛り上がる甲板にも灼熱の陽光が容赦なく降り注ぎ、ウオッチャー達の顔にも疲労の色が濃くなってきた(何しろ高齢の方が多い)。そこへすかさず若いボーイが、クーラーボックスに入れたアイスを売りに来ると、瞬く間に人だかりが出来ていた。僕は見向きもしなかったが、ひとしきりアイスを売って船内に戻ったボーイ君が、今度はボックスにビールを入れて売りに来ると一目散に彼に走り寄った。
クロアジサシ
ヒメクロアジサシ
クロアジサシ(左)とヒメクロアジサシの比較
島を離れる前に献花と黙祷の時間。今日のこの紺碧の海と空の美しさを目の当たりにしていると、66年前ここが激戦地であり、そしてほとんど平坦で面積も決して大きくないこの島で数万人の戦死者を出し、地下にはまだ1万を超える遺骨が埋まっているというのがとても信じられない気分になる。合図とともに花を海に投げ込み、犠牲者の冥福と恒久の平和を強く祈った。
擂鉢山近景
海への献花
*注1:アジサシは、日本周辺ではロシア極東南部やカムチャツカ、サハリン等北方で繁殖し(本州で少数の繁殖例はあるが)、インドや東南アジア、ソロモン諸島等南方で越冬するため、春秋の渡り時期に通過するのが普通だからである。とはいえ、北海道近海でも冬鳥のハシブトウミガラスを夏場にもよく見るし、離島の海鳥コロニーにカツオドリが飛来した等季節や分布を外れた例を挙げればきりがない。海鳥にとって繁殖地での行動以外は適当な面があり、それが神出鬼没性にも繋がっているのだろう。
*注2:アジサシ類の英名は一般的にTernであるが、クロアジサシ類やハイイロアジサシには、このNoddyが用いられる。元々の意味は「おろかな、阿呆の」であり、繁殖地において人を恐れないことに由来する(アホウドリの和名と一緒である)。クロアジサシに至っては、学名の属名、種小名まですべて「おろかな」の意味である。
(続く)
(2011年12月 千嶋 淳)
以前の記事は、
小笠原・硫黄列島に海鳥を訪ねて③
小笠原・硫黄列島に海鳥を訪ねて②
小笠原・硫黄列島に海鳥を訪ねて①