鳥キチ日記

北海道・十勝で海鳥・海獣を中心に野生生物の調査や執筆、撮影、ガイド等を行っています。

突然の冬

2008-11-30 21:09:18 | 鳥・冬
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All Photos by Chishima,J.
雪の海岸に憩うオオセグロカモメ 以下すべて 2008年11月 北海道目梨郡羅臼町)


 先週末より羅臼にいた。根雪の遅い十勝平野に暮らしていると、日ごと冷たさと強さを増す北風や、湖沼の結氷を気に留めながらも、褐色のままの大地と続く晴天に、つい心緩んで晩秋の延長みたいな気持ちになってしまう。羅臼への往路も然り。中標津あたりで日が落ちたが、路面は夏道そのものの快適なドライブ。ところが、標津を超えて右手に漆黒の根室海峡を望む頃、はらはらと白い粉が舞い始めた。「夕刻の通り雪?」。そう思ったのも束の間、五分と経たない内に視界も利かない吹雪の中で立往生していた。
 翌日は朝から断続的な降雪。風浪も一段と激しく、暗灰黒色の空から容赦なく叩きつける白い弾丸達は、眼前の海を覆い隠し、今が日中であることさえ時に忘れさせる。暗雲の切れ間から薄日が差した一瞬を衝いて海岸に出た。所狭しと羽を休める数千羽のカモメ類は、海上が更に過酷であることを物語っている。カモメたちは、この一時を逃すまいと、水浴びや羽づくろいに余念が無い。しかし、それもごく短い間のことで、再び世界が白いカーテンに閉ざされる直前、最後に見たのは皆一様に顔を背に入れ、丸くなって風雪を凌ぐ姿だった。
 海峡が平静を取り戻したその晩、沖には烏賊釣り船の灯が煌々と瞬いていた。春以降日本近海を、烏賊を追って北上してきた漁も、ここでシーズンの終盤を迎える。遠く水平線上に輝く灯と別に、エンジン音を伴って漁港に出入りする幾つもの灯がある。既に烏賊を満載し、水揚げするために帰って来たのだろう。それに釣られて、夜中だと云うのにカモメやカラスが騒がしい。不夜城と化した港で人と鳥とが織り成す深夜の喧騒は、一気に到来した本格的な冬に触発された、焦りと緊張に満ちた活気である。


夜の羅臼港
遠く水平線上に一列に並んだ灯が操業中の烏賊釣り船。その手前、橙色がかって見える灯は、帰港した、またはその途中の漁船。
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(2008年11月29日   千嶋 淳)


アザラシ島のラッコ

2008-11-19 09:41:57 | ゼニガタアザラシ・海獣
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All Photos by Chishima,J.
ラッコ 2008年6月 以下すべて 北海道東部)


 現代の日本人の大半にとってラッコは、水族館や遠い外国、或いはブラウン管の中で見る動物ではないだろうか。そんなラッコも江戸時代くらい昔には、松前藩の重要な交易品であったことや道内に幾つかの「ラッコ」地名が残されていることから、北海道近海でも身近な存在であったことが窺えるが、その後明治時代にかけての日本や諸外国による乱獲は、本種の分布域と生息数を大幅に縮減させ、人々の日常からその存在を消し去った。ところが、長年の捕獲禁止が功を奏したのか、近年北海道東部沿岸でのラッコの目撃例が少しずつ増えつつある。
 私が毎春~夏にゼニガタアザラシの調査に訪れるアザラシ島(仮称)でも、この10数年で出会いの機会は明らかに増した。初めての遭遇は1996年、島に通い始めて3年目の5月末だった。「自然に呼ばれて」腰を下ろした崖の上から見下ろした海上に、アザラシとは違うふさふさした褐毛の海獣を見付けた時の衝撃は、今でも忘れない。そして、それを他の仲間に伝えるのとカメラを取る目的で、テントまで全力疾走したことも。


遊泳中のラッコ
2008年6月
典型的な背泳ぎ姿勢。左手に石か貝を持っている。意外と大きく、成獣では体長1.5mを超えることも。
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 ただ、この珍客は悲しい結末を迎えた。同年7月、隣接した地区の定置網で同一個体と考えられるラッコが溺死したのだ。ロシアの自然保護区として海洋も含めて手厚く守られている南千島と違って漁業稠密海域の道東で、本種が生きてゆくことの難しさを思い知らされた。
 それでも、どういう訳か以降は毎年のように姿を現し、特に2000年代に入ってからはかなり高い確率で出現している。もっとも、数は多くなく、1~2頭である。唯一の例外は2003年5月上旬の3頭であるが、この年の冬は流氷の張り出しが例年に増して強く、根室半島先端の納沙布岬では流氷の押し寄せた3月中旬に7頭ものラッコを観察した(この時は我が目を疑い、暫くは事態を飲み込めなかったものだ!)ほどなので、それと関係あるのかもしれない。


移動中(ラッコ
2008年6月
このように島のごく沿岸にいることが多い。ある程度以上の速力で泳ぐ時には背泳ぎだけでなく、普通の獣のような泳ぎも交える。
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 島に現れるラッコの大部分は、頭部が中程度に白くなりかけたオスの亜成獣である。老齢個体や新生仔は観察されたことがなく、根室半島では比較的よく見られる、頭部まで黒褐色の幼獣は一度しか出現したことが無い。これらは、同じ個体が定着するのではなく、異なる個体が入れ替わり来ていることを示唆している。どうやら、オスの亜成獣の移動・分散のルート上にあるようだ。


幼獣と亜成獣(ラッコ
2006年6月
左側の個体は頭部まで黒褐色で、若い幼獣と考えられる。このような個体は島では滅多に見られず、大抵は右側のような頭の白くなりかけた亜成獣クラス。
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 ラッコは島の周辺では遊泳、毛づくろい、休息、採餌などの行動を示すが、海上での休息の際には体に海藻を巻きつけていることがある(海藻はカリフォルニアのジャイアントケルプのような巨大なものではなく、むしろコンブよりも小型のものが多い)。上陸は500m以上沖にある岩を中心に、数度確認されたことがあるに過ぎない。2頭での出現時には遊び行動を行うこともある。2006年6月の2頭(亜成獣と幼獣)は、海上で互いにマウントするような姿勢でじゃれ合うなど活発に遊んでいた。冬期の根室半島では、本種が海ガモ類をはじめとする海鳥をおそらく遊び目的に捕獲するのが度々目撃されているが、アザラシ島では観察したことが無い。季節的に海ガモ類が少ないか、発育段階や文化が異なるのであろう。


海藻を巻きつけて(ラッコ
2008年6月
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遊び行動(ラッコ
2006年6月
上の「幼獣と亜成獣」の2頭と同一個体。幼獣が亜成獣に乗りかかっている。
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 1999年7月から8月にかけて現れた2頭は、数日間にわたって島の沿岸で頻繁に採餌を行い、この時は採餌行動と餌生物をじっくり観察することができた。餌を捕えるための潜水時間は、成功、失敗に関わらず平均55秒前後であった。高度に海洋に適応はしていないので、長時間の潜水は困難なのだろう。118匹の観察された餌の4分の3は二枚貝類だった。種類は不明だが、島の沿岸で漁業利用されているものではないようだった。ラッコと言うとウニやカニなど「高級食材」を食い荒らすイメージが先行しがちで、襟裳岬では実際に定着したラッコが放流したウニを食害して問題になっているが、自然条件下では必ずしもそうしたものだけを食べているとは言えなさそうだ。


体を震わせるラッコ
2008年6月
潜水後や休息から移動に転じる際に、このようにして毛に纏わりついた水分を払いのける。
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 アザラシ島をはじめ道東のラッコは南千島(北方四島)からやって来ると考えられているが、同海域では最近ではウニやカニに対する漁獲圧、それも日本に向けてのものが増大して、資源が枯渇しつつあるという話も聞く。そうした話を聞くにつけ、道東への頻繁な来遊が、元来の生息環境の悪化によるものでなければ良いがと心配してしまう。20XX年、人間との軋轢を克服して定着したラッコの群れを、道東沿岸でも見ることができるようになる日は来るだろうか?


ラッコ
2008年6月
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ラッコのいる風景
2008年6月
道東各地でこのような光景が見られるように…なるだろうか?
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(2008年11月19日   千嶋 淳)


白黒逆転(11月13日)

2008-11-18 16:28:14 | 水鳥(カモ・海鳥以外)
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All Photos by Chishima,J.
ハクガン(手前の4羽)とヒシクイ 以下すべて 2008年11月 北海道十勝川下流域)


 いつの間にかすっかり遅くなった朝の光に射抜かれた牧草地の地表は、前夜の冷え込みで霜を白く纏い、じき訪れる白銀の世界の予行演習をしているかのようだ。その牧草地に数百羽のガンが降り立って、朝の食事や休憩の時間を送っている。多くはヒシクイだが、所々小型のマガンも混じっている。今期は24羽が渡来したハクガンの姿も、数か所に分かれて見える。昨秋16羽の幼鳥を新たに加えて25羽になったハクガンがそのまま右肩上がりに増えなかったのは、大型水鳥における繁殖開始齢の遅さと、殆どの鳥が繁殖に成功しないこともあるという極北の厳しい気候によるものであろう。
 ふと、いつも見ているハクガンとはどこか違和感を覚えた。一瞬首を捻った後、「そうか!」。普段なら緑の牧草を、或いは青い水面を背景に、はたまた遠く離れた紺碧の空中でさえも大変目立つ純白の鳥たちが、今朝は霜風景の中にごく自然に溶け込んでいるのだ。逆に、通常は原野や湿地の褐色と巧みに一体化している筈のヒシクイやマガンが、雪原上のカラスの如く一際目立ってしまっている。そういえばオオハクチョウやシロカモメなどの白い体色が厳冬期に思いの外保護色となることは経験的に知っていたが、春秋にのみ飛来するハクガンを、白い世界の中で見たことはなかったのかもしれない。


霜の中(ハクガンヒシクイ
手前の7羽がハクガン。背後のヒシクイは土くれのように目立つ。
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 一時間後、周辺での探鳥を終えて同じ牧草地に戻ってみると、麗らかな秋陽の下、霜は完全に解けて日常を取り戻していた。そして、その中で先程まで際立っていたヒシクイは背景に紛れ、ハクガンはいつも通り大いに浮いた存在に復帰していた。「ガハン、ガハハン」。安心を取り戻したのかヒシクイの声が、緑と褐色の景観の中で高らかに響く。今朝は束の間だった白黒逆転の時間が長くなり、大地が霜の代わりに雪を纏わんとする頃、ガン達はこの中継地を後にして越冬地を目指す。


霜が解けて(ハクガンヒシクイマガン
今度はハクガンの白が際立つ。
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晩秋の空を行くハクガンの群れ
左側に2羽、マガンが混じっている。
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(2008年11月18日   千嶋 淳)


2つのヒシクイ

2008-11-16 23:54:02 | 水鳥(カモ・海鳥以外)
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All Photos by Chishima,J.
ヒシクイの亜種ヒシクイ(右)と亜種オオヒシクイ 2008年11月 以下すべて 北海道十勝川下流域)


 文頭写真中の2羽のガンは、一見すると茶色の体に黒と黄色の嘴で、まったく同じに思えるかもしれない。しかし、よく目を凝らすと右側の個体は左側に比べて嘴が短く、頭の形が丸みを帯びている、首が短めであるなどの特徴を持っていることがわかる。2羽は種としてはどちらもヒシクイなのだが、亜種が異なっており、右側が亜種ヒシクイ、左側のより大型で嘴の長い個体は亜種オオヒシクイである。
 日本に冬期渡来するヒシクイの大部分はこの2亜種のどちらかであるが、その識別法や分布、生態などが明らかになったのは1980年代になってからで、それ以前は国内のヒシクイの大半は亜種ヒシクイであるとされていた。しかし、新潟県の越冬地で「ヒシクイ」を観察した「雁を保護する会」のメンバーが疑問を抱き、標本や飼育個体等から2亜種の識別法を確立し、更に分布や生態の研究を進めた。その結果、現在では北陸などの日本海側では亜種オオヒシクイが、宮城などの太平洋側では亜種ヒシクイが主流であり、渡来数の半分以上はオオヒシクイであることがわかっている。
 2亜種は渡りルートも異なるようで、十勝地方ではほとんどがオオヒシクイで、亜種ヒシクイはごく少数が見られるに過ぎない。一方、同じ道東でも釧路や網走に行くと亜種ヒシクイばかりだから不思議なものである。十勝では亜種ヒシクイは晩秋の、オオヒシクイが去る頃に若干多いような気がするが、数が少ないのでよくわからない。


早朝のデントコーン畑で(亜種オオヒシクイマガン
2008年10月
左奥の2羽のみマガン。長めの嘴から頭頂部にかけてのラインが一直線であることもオオヒシクイの特徴。
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舞い上がる(亜種オオヒシクイ
2007年11月
オオヒシクイはヒシクイの亜種中でも最大で、体重は5kgを超えることがある。
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 両亜種の最大の相違点である嘴は採食器官であるため、2者では採餌生態が異なることが予想されるが、実際に宮城県の越冬地では両者間の生態隔離が知られている。亜種ヒシクイが水田など陸上で掘り起こしやついばみによって餌を食べるのに対して、亜種オオヒシクイは沼地で泥や水の中の餌を、長い首を活用してハクチョウ類のように捕っているそうである。十勝では亜種ヒシクイが少ないためか、また開拓によってその大部分が失われた湿地だけでは十分な食料を賄えないためか、オオヒシクイも積極的に陸上の農耕地へ飛来して採餌する。それでも春先などマガンが乾燥した牧草地に多い一方で、オオヒシクイは融雪で冠水したデントコーン畑などで見ることが多く、やはり湿った場所を好む鳥であることを実感させられる。日本の各地に点在するヒシクイの古名には、「オカヒシクイ」や「ヌマタロウ」、「ヤチヒシ」など、両亜種の生態の相違を反映したような名前が残っている。昔の人は現代人よりもしっかり鳥を見ていたのかもしれない。


畑の御馳走(亜種オオヒシクイマガン
2008年10月
収穫の終わった畑に残っていたデントコーンを探り当てたが、その大きさゆえ持て余しているようだった(左の個体)。中央のみマガン。
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社会行動?(亜種オオヒシクイ
2008年11月
数羽が時々、このように首を突き出した前傾姿勢で対峙して鳴きあうことがある。挨拶なのか威嚇なのか?
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 2亜種の生態の違いは越冬中だけでなく、繁殖上でも存在し、その最たるものは繁殖環境である。亜種ヒシクイはツンドラ(木の生えない永久凍土地帯)で繁殖するのに対し、亜種オオヒシクイはタイガ(北方針葉樹林)を主要な繁殖環境としている。世界のヒシクイ5亜種は、オオヒシクイのような大型で嘴が長くタイガで繁殖する「タイガ型」(3亜種)と、亜種ヒシクイのようにツンドラで繁殖する小型の「ツンドラ型」(2亜種)とに大別されてきた。しかし、最近では一部の鳥類学者はこの2型を別種として扱っている。この場合、オオヒシクイを含むタイガ型3亜種がTaiga Bean-Goose, Anser fabalis、亜種ヒシクイを含むツンドラ型がTundra Bean-Goose, Anser serrirostrisということになる。この分類は世界的にはまだまだ少数派なものの、2007年にアメリカ鳥学会(AOU)が採用したことから、今後アメリカ系の出版物ではこの扱いが多くなってくることが予想される。


飛び立ち(亜種オオヒシクイ
2008年11月
牧草地での採餌を終えた一群が、晩秋の景色の中を休息地の沼に帰って行く。背景には電線や道路も見え、思いのほか人間の近くで暮らしていることがわかる。
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標識鳥(亜種ヒシクイ
2008年11月
首輪の色は種や亜種、放鳥した国などによって異なる。この個体は2003年にロシアのカムチャツカで標識放鳥されたもの。
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 生態や形態に差異がありながらもパッと見には同じような2つの「ヒシクイ」が別種なのかそうでないのか、分類学者でない私には皆目見当も付かないが、どのような扱いであれ、目に見える形や行動の違いに注目することは、日々の鳥見に知的好奇心というスパイスを与えてくれるだろう。


ヒシクイのいる風景

2008年3月
早春の夕刻、まだ厚い氷の残る沼でオオハクチョウと共に羽を休める。
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2008年11月
海に面したこの沼に群れが入るようになると、南への渡去も近い。
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(2008年11月16日   千嶋 淳)



秋の十勝のカモメ類

2008-11-11 19:17:34 | 海鳥
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All Photos by Chishima,J.
海岸を群れ飛ぶミツユビカモメ 2008年10月 北海道中川郡豊頃町)


 根室や釧路地方のような大規模な集団繁殖地を有さない十勝では、5月中旬に渡去前の終結が解散すると、日常的に見られるカモメ類はオオセグロカモメの非繁殖鳥(若鳥が大半)ばかりと寂しい日が続く。その状況が変化するのは6月末から7月初め。ウミネコの姿が日増しに多くなり、今年生まれの幼鳥も加わる。道東のコロニーではこの時期まだ巣立っていないため、どこか他の、それも繁殖ステージの早い南から漂行して来るのかもしれない。8月に入ると渡りの走りなのか、どこかで慎ましく越夏していたのかユリカモメやワシカモメを見ることがあるが、大抵は1羽である。

オオセグロカモメ(第1回夏羽の若鳥)
2008年7月 北海道中川郡豊頃町
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ウミネコ
2008年7月 北海道中川郡豊頃町
手前から成鳥夏羽、幼鳥、第2回夏羽。
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 9月。ヒシクイ初飛来を待ち侘びる上旬、オオセグロカモメとウミネコの濃灰色ばかりだった海岸に、背の色の薄いセグロカモメが混じり始める。セグロカモメは瞬く間に数を増し、9月下旬から10月上旬にかけてピークを迎える。この時期十勝中部の砂浜は、所々数十~百、時に数千の彼らの群れで埋め尽くされる。不思議なことに彼らは砂浜で特に何かをするわけではなく、日がな一日波打ち際近くに立っている。 また、渡来当初は成鳥ばかりの群れに、日を追うごとに少数の幼鳥が見られるようになるものの、その数は至って少ない。成鳥と幼鳥で渡りコースが違うのか、幼鳥はまっすぐ越冬地を目指すのかわからないが、遅い時期に幼鳥の大群が入ることは無い。


セグロカモメ(成鳥)
2008年10月 北海道十勝郡浦幌町
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大群乱舞(セグロカモメほか)
2008年9月 北海道十勝郡浦幌町
漁港に隣接した砂浜の大群を飛び立たせたのは、オジロワシかはたまたサケ釣りの人か…?
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 このセグロカモメの群れの中に、数羽から多い時で10羽以上、脚の黄色い個体が混在する。それらの脚の色は、セグロカモメの肉色に若干の黄色みを帯びた程度から鮮黄色まで、また背の色もセグロカモメと同程度に薄いものからオオセグロカモメ並みに濃色のものまで変化に富む。彼らの正体は不明だが、独立した一つの種とみなすには形質のばらつきが大きすぎる気がする。


黄色い脚(大型白頭カモメ・成鳥)
2008年9月 北海道十勝郡浦幌町
この個体は上面の灰色は周囲のセグロより少しだけ濃く、脚は鮮黄色。
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 9月の海岸はセグロカモメ、オオセグロカモメ、ウミネコの優占する状態が続くが、朝夕の空気が冷たく感じられる20日頃から、カモメやシロカモメもやって来る。また、ミツユビカモメが岸近くで観察できることが多くなり、時にはそれを襲撃するトウゾクカモメ類も姿を現す。
 10月中旬を過ぎるとセグロカモメとウミネコは目に見えて減少し、代わってカモメが優占種となってくる。海況等によってはミツユビカモメの大群が海岸や河口に入るのもこの時期である。ただし、外洋性の本種は遊動性が高く、大群が降りた海岸に翌日行ってみてもほとんど見られないこともある。


カモメ
2008年10月 北海道中川郡豊頃町
中央が第2回冬羽で、他は成鳥。
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ミツユビカモメ(成鳥冬羽)
2008年10月 北海道中川郡豊頃町
アジサシ類のような横に細長い体と短い脚が印象的。
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トウゾクカモメ(夏羽)
2008年8月 北海道目梨郡羅臼町
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 今までは海岸や河口、海跡湖の状況だが、秋の十勝では、海から40km以上離れた十勝川の中流域までカモメ類が飛来する。それはこの時期サケが遡上するためで、河原や浅瀬で朽ち果てた死体を突いている姿を見ることができる。8~9月は大部分がオオセグロカモメであるが、10月以降はカモメやユリカモメも現れる。これら小・中型のカモメはサケの死体だけではなく、サケが浅瀬に産み付ける卵も狙う。10月末以降はシロカモメも飛来するが、その数は非常に少ない。ウミネコは稀に山間部のダム湖等にも出現することがあるが、秋の十勝川中流域では観察したことが無い。食性や行動パターンが異なるのだろうか。内陸部へのカモメ類の飛来は、近年の千代田新水路の建設後、種・数とも顕著に増加した(中流域でのサケやその卵の捕食については、「命を潤す屍」「イクラ大人気」の記事も参照)。


サケの屍を前に(オオセグロカモメ・成鳥冬羽)
2007年11月 北海道中川郡幕別町
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浅瀬に集まったユリカモメ
2008年10月 北海道中川郡幕別町
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 北からの冷風が頬を切る11月の海岸はオオセグロカモメとカモメが主体で、冬の気配とともにシロカモメも多くなってくる。これら3種は晩秋から初冬にかけて十勝川を河口から数~10km程度遡上するが、それが何らかの魚種の移動と関連があるのかは不明である。セグロカモメ、ウミネコ、ユリカモメ、ミツユビカモメは厳冬期には殆どあるいはまったく見られない。ワシカモメは十勝南部の岩礁海岸と周辺の漁港では初冬以降数を増すが、他の場所では少ない。サケの遡上を追って内陸部まで飛来していたカモメ類は、遡上期が終わり、残された死体も凍結や水面の結氷で利用困難になるにつれ姿を消し、ハクチョウやカモ類の餌付け地に時折1~数羽が出現するだけとなる。


内陸に飛来したシロカモメ・成鳥冬羽
2007年10月 北海道中川郡幕別町
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ミツユビカモメ(冬羽)の飛翔
2008年10月 北海道中川郡豊頃町
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(2008年11月10日   千嶋 淳)