![1 1](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/73/ca/c0c091919d53200d03f7e22475cc3313.jpg)
All Photos by Chishima,J.
(
至福の一時 以下すべて 2011年7月 東京都)
(
NPO法人日本野鳥の会十勝支部報「十勝野鳥だより177号」(2012年4月発行)に掲載の「小笠原・硫黄列島に海鳥を訪ねて(後編)」を分割して掲載 写真を追加)
7月9日(続き):そうこうしている内に4時間はあっという間に過ぎ、旋回するオガサワラノスリに見送られながら、僕は再び船上の人となっていた。大部分の鳥屋さんは母島に宿泊するため、この旅で唯一の甲板独占状態。カツオドリ数羽を引き連れての、贅沢な南国タイム。
父島に戻っても、南国の陽はまだ高い。ならばとばかり、メインストリートに数件ある商店を物色して鮪と発泡酒をゲット。目指すはもちろん朝の東屋。鮪は近海産の鮮度の良い物で、本来なら日本酒のアテとしたいところだが、このオープンエア‐の空間、温度、湿度では喉越しの軽い発泡酒が丁度良い。海からの風が軽く頬を撫でる。至福の一時。思うに強行軍の多かった今回の旅の中で、唯一ゆったりとした時間を楽しんだ夕暮れだったろう。今となっては南硫黄の雲を被った山頂や、セグロミズナギドリの軽々した飛び方同様、旅の中のハイライトとして脳裡に焼き付いている。いつかまた、あの東屋で?むことができたなら、こんな幸せはないだろう。
いったん宿に帰った後、近所の居酒屋へ繰り出し、海亀の刺身や焼きそばで晩酌。宿に戻った後は、テラスに椅子とテーブルがあったので、そこでラム酒を?みながら旅程を振り返る…はずだったのだが…
7月10日:「ゲッ、ゲッ、ゲッ…」、ヤモリの声が聞こえる。月が照らしている。自分の片側と接している地面が固く、冷たい。はて、ここはサークル棟かゼニ部屋か(*注2)??否、北海道にヤモリはいない。そうか、父島だ!!カメラは!?幸いカメラは大事に抱えていたようで問題ない。雨天や湿度の高い場所でなくてホント良かった。南国の午前4時は真っ暗で、まだ夜の延長だ。昨夜、ラム酒を?みながら旅を振り返る内に酔いつぶれ、挙句椅子からも転がり落ちたらしい。テラスに隣接してある部屋の、昨夜はまだ帰ってなかった客も、テラスに横たわる意識不明の男を見て、さぞかし驚いたに違いない。
残ったラム酒を片付けたり、洗濯をしながら早朝の一時を過ごす。
8時半、島にいくつもある業者のツアーの一つに参加して南島へ向かう。南島は父島から船で15分程度の距離にある無人島で、海と砂の美しい島だ。10年以上前に訪れた時はまだ無法地帯で、勝手に上陸して繁殖しているカツオドリやオナガミズナギドリを手直に眺めたものだが、その点は流石に規制が入ったようで、現在では東京都認定ガイドの同行を条件に1日100人までの入島規制があり、島内での行動範囲も、定められた道のみとされている。更に島内随一の景勝地である扇池の手前では履物を脱ぎ、外来植物の種子等を持ち込まないようにする等、その対策は徹底している。ただ、実際に島に上陸してみると島内は父島のメインストリート以上に混雑しており、果たしてこれで1日100人以下の入島で収まっているのだろうかとの疑問も残った。世界遺産に指定されたことで、今後も観光客は増え続けるだろう。それらに対して、この、国内でのエコツアー先進地域がどのように取り組むのか、大いに注目したい。
南島の扇池
南島の後は兄島の沿岸に停泊し、多くの人がシュノーケリングを楽しんでいたが、自分は装備が無いのと朝から酩酊しているので、水に入るのは止めておいた。色とりどりの魚が群がる海中の様子は、船上からでも手に取るように見ることができた。帰りには西島近海で10数頭のハシナガイルカの群れと出会うこともできた。ハシナガイルカは英名をSpinner Dolphinというが、その名の通り高くジャンプして船上や海中(一部の客はドルフィンスイムに挑戦していた)からの歓声を集めていた。
海面から跳躍するハシナガイルカ
ハシナガイルカ近影
昼近く、父島に戻り、メインストリートの寿司屋で島寿司やアオリイカの炒め物を肴に軽く?む。島寿司はサワラ等の切り身を醤油で漬けて握り寿司にした小笠原の郷土料理で、薬味は辛子がよく合う。沖縄の大東諸島にも、「大東寿司」という同様の料理があることを最近知った。島寿司は、直後に頼んだ人が品切れになっていたので、ギリギリであった。ひとしきり?んだら、あとは帰るだけだ。14時、おが丸は父島二見港を出港。もっとも、この出港が小笠原の旅における一大イベントでもある。普段はツアーやダイビングをやっているボートが10隻近く、フェリーと併走して別れを惜しみ、興が乗った人々は次々と海へ飛びこむ(もちろん、飛びこむのはボートの方の人である)。「南洋踊り」を披露する船もあれば、取材なのかヘリコプターまで飛んでいる。そんなお祭り騒ぎの中、ビールを?みながら僕は誓っていた。また来よう。
おが丸出港時の見送り
船が外洋に出て、見送り船団が引き返すとまた海鳥観察の時間だ。クロウミツバメをようやく、納得のゆく形で見ることができた。シロハラミズナギドリやアナドリも続々現れるが、慣れというのは実に恐ろしい物で、数日前には遠くの「点」へもカメラを向けていた海鳥がデッキのすぐ脇を飛んでも、にんまりしながらビールを飲んでいる。夕刻には聟島列島の幾つもの島を眺める。これらの島々は、実は北海道とも強い結び付きがあるのだが、この時の僕はまだその重要性に気付かずに、ただ漫然と眺めていた。
クロウミツバメ
夜は、これまた小笠原の地酒ともいえるパッションフルーツのリキュールを飲んでいたことくらいしか記憶がないが、どうせそれをしこたま飲んで適当に酔いつぶれたのが関の山であろう。
7月11日:夜が明けると船はもう伊豆諸島海域。鳥はオオミズナギドリとアナドリばかりだ。たまにカツオドリが出ても、船には寄って来ない。「昨日までとは違うんだなぁ」という思い。大島沖ではるか彼方にマッコウクジラの小群が現れたが、メスや若獣のようで北海道で大型のオスを見慣れている身にはどうも迫力を欠く。そんなこんなであっという間に東京。蒸し暑さがコンクリートジャングルで増幅されて、小笠原より余程暑い。飛行機の時間の関係でこの日は東京泊まりだったが、結局外に?みに行くこともなく、部屋で八丈島の地焼酎「磯娘」を、赤イカの塩辛、焼きクサヤ(すべて下船した竹芝桟橋で購入)など肴に飲み、この濃密な旅を振り返っていた。
東京湾よりスカイツリーを望む
後日談:ネッタイチョウやカツオドリ、ミズナギドリ類といった普段見ることのできない南の海鳥を堪能し、硫黄三島の海鳥の繁殖状況とネコ、ネズミの分布のような実例を、実際に現地を訪れて知ることができただけでも大収穫と思っていたが、その後、思わぬ形でこの海域との「繋がり」を実感することとなる。8~9月に厚内や苫小牧の海上で青いカラーリングを装着された数羽のクロアシアホウドリを撮影し、山階鳥類研究所に照会したところ、それらはすべて小笠原諸島聟島列島の聟島鳥島または嫁島で標識されたものだったのだ。前年の確認例も含めると、5羽以上が小笠原から北海道近海にやって来ている。当然、知識としては太平洋の低緯度海域の島で繁殖したものが飛来するということはわかっているのだが、実際に個体の移動が確認され、更にその繁殖地の海を一週間近く見て来たのとでは「実感」の度合いが異なる。「海鳥が繋ぐ南北の海」をキーワードに、何か面白いことができないかと考えあぐねている今日この頃である。
虹に霞む聟島列島嫁島
*注2:サークル棟は帯広畜産大学内にある建物で、自分が学生の頃、自然探査会のコンパはこの2階に或るフロア(今は無い)で行なわれていた。一応、新聞紙は敷いてあるものの、酒や●●で湿った床は冷たく、酔い潰れて再度覚醒した身には何とも悲しく感じられたものである。ゼニ部屋は同大内のゼニガタアザラシ研究グループの部室で、こちらは炬燵やカーペットがあり、サークル棟よりは快適に酔い潰れることができたが、建物自体が2009年に取り壊されてしまった。現在のゼニ部屋はサークル棟にあるが、窓が無い、狭い、床が冷たく硬い等、学生が健全な飲酒生活を送るには難点の多い環境である。
(完)
(2012年4月 千嶋 淳)
以前の記事は、
小笠原・硫黄列島に海鳥を訪ねて⑥
小笠原・硫黄列島に海鳥を訪ねて⑤
小笠原・硫黄列島に海鳥を訪ねて④
小笠原・硫黄列島に海鳥を訪ねて③
小笠原・硫黄列島に海鳥を訪ねて②
小笠原・硫黄列島に海鳥を訪ねて①