鳥キチ日記

北海道・十勝で海鳥・海獣を中心に野生生物の調査や執筆、撮影、ガイド等を行っています。

ウミスズメ(その3) <em>Synthliboramphus antiquus</em> 3

2012-07-27 15:42:20 | 海鳥
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All Photos by Chishima,J.
以下すべて ウミスズメ 2012年7月25日 北海道十勝沖)

 本種のヒナはきわめて早成性で、孵化後2日ほどで巣を離れて海上生活を送る。そのため、繁殖の確認や調査は困難で、北海道では天売島と根室市のハボマイモシリ島、また道外では岩手県三貫島で繁殖が確認されているものの、現状や繁殖生態には謎が多い。道東ではハボマイモシリ島で1987年に巣卵が確認されて以降、繁殖の直接の確認はなく、現状は不明である。写真の家族群は十勝沖で観察・撮影したものであるが、海流に乗れば飛翔力のないヒナでも南千島を含む道東方面から来遊することも可能と思われ、十勝での繁殖かは不明だが、北海道近海で繁殖したものには違いないだろう。


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 ヒナが小さいうちは、2羽の親鳥が前後または左右にヒナを挟む形で泳ぐことが多い。左側の成鳥は周囲の海上を警戒し、右側の成鳥に2羽のヒナが付いて泳いでいる。


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 ヒナはまだ全身が綿羽に覆われ、孵化後1ヶ月未満と思われる。本種の繁殖期は地域によってかなり異なり、朝鮮半島南部・中央部では3月中旬、ロシア沿海地方のピョートル大帝湾では4月中旬から産卵が始まる一方、南千島の色丹島での産卵は6月上旬から始まる。道東での繁殖ステージに関するデータはないが、これまで道東から十勝の海上で家族群(4群)を観察したのがいずれも7月中・下旬であること、正羽のほぼ生え揃った幼鳥だった1群を除き、すべて綿羽のヒナだったことから、色丹島同様6月以降の産卵、7月以降の孵化と思われる。ヒナはいずれも2羽だった。ヒナの嘴は短く、黒い。すべての早成性鳥類と同様、ヒナの段階から足が大きく、孵化直後のヒナの跗蹠長は成鳥の93.5%にもなるが、海上では通常見えない。


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 手前の幼鳥は鳴いている(声は聞こえなかったので、どんな声かは不明)。成鳥はヒナに給餌するため頻繁に潜水し、霧や波の出ることも多い海上では、声は重要な伝達手段である。また、成鳥の白い下尾筒は波の高い時や薄暮時にもよく目立ち、ヒナに対して目印となっているようだ。ヒナは少なくとも1ヶ月以上、親鳥による給餌を受け、自力での採餌と飛翔が可能になるには1.5~2ヶ月程度かかると考えられている。ロシア沿海地方での観察によると、ヒナへ給餌された餌生物は魚(ニシン、サンマ、シワイカナゴ)の幼魚、小型甲殻類、多毛類(ゴカイ類を含む多毛綱の動物の総称)であった。


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 生後すぐに巣を離れ、絶えず活動しながら海上で生活する本種は、他のウミスズメ類より体温調節や行動のためのエネルギーを多く消費する必要がある。そのためには多くの高カロリーの食物を摂取し、また効率的なエネルギー消費に適応しなければならない。1~1.5ヶ月齢のヒナの食物要求量は、成鳥の体重の70~90%に相当し、これはウトウの同大のヒナの3.5倍にもなる。ヒナの、首をほとんどいつも縮めている、羽衣をやや膨らませている、脇腹の羽毛は翼前部を覆うといった形態的特徴は、冷たい北の海上での熱損失を防ぐための適応である。羽毛に覆われない足からは熱損失が生じやすいため、ヒナは片方の足を交互に羽毛の下に入れて、片足で泳ぐ。


(2012年7月27日   千嶋 淳)

本種に関する過去記事
ウミスズメ(その2) Synthliboramphus antiquus 2
ウミスズメ(その1) Synthliboramphus antiquus 1


「北海道・海の動物たち」展&講演「海鳥たちの交差点・北海道太平洋の海」in 襟裳岬のお知らせ

2012-07-21 15:32:03 | お知らせ
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All Photos by Chishima,J.
風の館より望む襟裳岬 2012年7月 北海道幌泉郡えりも町)

 帯広百年記念館、浦幌町立博物館に続き、十勝エコロジーパークでも開催させていただいた展示「十勝沖・海の動物たち」は、7月18日に無事終了いたしました。会場に足を運んでいただいた方は、どうもありがとうございました。続いて今度は十勝を飛び出して、襟裳岬「風の館」にて「北海道・海の動物たち」として展示させていただきます。十勝から北海道へとスケールが広がったことで、ラッコやシャチ、ツノメドリ、チシマウガラスなど新たな写真も追加し、計86点の写真で北海道の海で見られる鳥や獣たちを紹介します。また、8月5日は講演会「海鳥たちの交差点・北海道太平洋の海」を開催し、世界中から海鳥の集まる北海道の海の魅力について、写真や資料を多数用いながらお話させていただく予定です。
 この会場の素晴らしい点は、何といっても海獣や海鳥の展示をご覧になってすぐに、実物を観察できる点にあります。展望窓の外に広がる岩礁帯はそれだけで一大パノラマですが、そこは国内最大のゼニガタアザラシ上陸場。そしてそれを観察するための望遠鏡も、ふんだんに用意されております。昨日の設営作業時には、数百頭のアザラシにくわえてラッコを見ることもできました。海鳥の群れが岸近くにやって来る日もあり、エトピリカやクロアシアホウドリを観察したこともあります。近辺の方、旅行でえりもを訪れる方は是非、襟裳岬の絶景と実物大海鳥の待つ会場へお越し下さい。冊子「十勝の海の動物たち」も販売しております(500円)。

・展示「北海道・海の動物たち」
会場:襟裳岬「風の館」
会期:2012年7月21日(土)~8月19日(日)
主催:漂着アザラシの会


・講演会「海鳥たちの交差点・北海道太平洋の海」
日時:2012年8月5日(日)13時30分~
演者:千嶋淳
会場:風の館映像ホール


*展示の見学や講演会の参加には、風の館入館料が必要です。

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(2012年7月21日   千嶋 淳)



青春と読書⑥エトピリカとケイマフリ

2012-07-21 14:00:44 | お知らせ
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All Photos by Chishima,J.
エトピリカ・成鳥夏羽 2012年6月 北海道厚岸郡浜中町)

 集英社の本のPR誌「青春と読書」に連載中の「北海道の野生動物」。早くも6回目となる8月号(7月20日発売)では、エトピリカとケイマフリについて書いてみました。およそ日本語ぽくない和名の由来から、2種の海鳥が辿って来た悲運、それに対して地域ぐるみで取り組む町の事例等を紹介しています。興味のある方は、手に取っていただけたら幸いです。


海上にエトピリカ(奥)とケイマフリのデコイ(誘致用の模型)を浮かべる保護関係者
2011年5月 北海道厚岸郡浜中町
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(2012年7月20日   千嶋 淳)








小笠原・硫黄列島に海鳥を訪ねて⑦

2012-07-20 21:50:32 | ゼニガタアザラシ・海獣
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All Photos by Chishima,J.
至福の一時   以下すべて 2011年7月 東京都)

NPO法人日本野鳥の会十勝支部報「十勝野鳥だより177号」(2012年4月発行)に掲載の「小笠原・硫黄列島に海鳥を訪ねて(後編)」を分割して掲載 写真を追加)


7月9日(続き):そうこうしている内に4時間はあっという間に過ぎ、旋回するオガサワラノスリに見送られながら、僕は再び船上の人となっていた。大部分の鳥屋さんは母島に宿泊するため、この旅で唯一の甲板独占状態。カツオドリ数羽を引き連れての、贅沢な南国タイム。
 父島に戻っても、南国の陽はまだ高い。ならばとばかり、メインストリートに数件ある商店を物色して鮪と発泡酒をゲット。目指すはもちろん朝の東屋。鮪は近海産の鮮度の良い物で、本来なら日本酒のアテとしたいところだが、このオープンエア‐の空間、温度、湿度では喉越しの軽い発泡酒が丁度良い。海からの風が軽く頬を撫でる。至福の一時。思うに強行軍の多かった今回の旅の中で、唯一ゆったりとした時間を楽しんだ夕暮れだったろう。今となっては南硫黄の雲を被った山頂や、セグロミズナギドリの軽々した飛び方同様、旅の中のハイライトとして脳裡に焼き付いている。いつかまた、あの東屋で?むことができたなら、こんな幸せはないだろう。
 いったん宿に帰った後、近所の居酒屋へ繰り出し、海亀の刺身や焼きそばで晩酌。宿に戻った後は、テラスに椅子とテーブルがあったので、そこでラム酒を?みながら旅程を振り返る…はずだったのだが…
7月10日:「ゲッ、ゲッ、ゲッ…」、ヤモリの声が聞こえる。月が照らしている。自分の片側と接している地面が固く、冷たい。はて、ここはサークル棟かゼニ部屋か(*注2)??否、北海道にヤモリはいない。そうか、父島だ!!カメラは!?幸いカメラは大事に抱えていたようで問題ない。雨天や湿度の高い場所でなくてホント良かった。南国の午前4時は真っ暗で、まだ夜の延長だ。昨夜、ラム酒を?みながら旅を振り返る内に酔いつぶれ、挙句椅子からも転がり落ちたらしい。テラスに隣接してある部屋の、昨夜はまだ帰ってなかった客も、テラスに横たわる意識不明の男を見て、さぞかし驚いたに違いない。
 残ったラム酒を片付けたり、洗濯をしながら早朝の一時を過ごす。
 8時半、島にいくつもある業者のツアーの一つに参加して南島へ向かう。南島は父島から船で15分程度の距離にある無人島で、海と砂の美しい島だ。10年以上前に訪れた時はまだ無法地帯で、勝手に上陸して繁殖しているカツオドリやオナガミズナギドリを手直に眺めたものだが、その点は流石に規制が入ったようで、現在では東京都認定ガイドの同行を条件に1日100人までの入島規制があり、島内での行動範囲も、定められた道のみとされている。更に島内随一の景勝地である扇池の手前では履物を脱ぎ、外来植物の種子等を持ち込まないようにする等、その対策は徹底している。ただ、実際に島に上陸してみると島内は父島のメインストリート以上に混雑しており、果たしてこれで1日100人以下の入島で収まっているのだろうかとの疑問も残った。世界遺産に指定されたことで、今後も観光客は増え続けるだろう。それらに対して、この、国内でのエコツアー先進地域がどのように取り組むのか、大いに注目したい。


南島の扇池
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 南島の後は兄島の沿岸に停泊し、多くの人がシュノーケリングを楽しんでいたが、自分は装備が無いのと朝から酩酊しているので、水に入るのは止めておいた。色とりどりの魚が群がる海中の様子は、船上からでも手に取るように見ることができた。帰りには西島近海で10数頭のハシナガイルカの群れと出会うこともできた。ハシナガイルカは英名をSpinner Dolphinというが、その名の通り高くジャンプして船上や海中(一部の客はドルフィンスイムに挑戦していた)からの歓声を集めていた。


海面から跳躍するハシナガイルカ
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ハシナガイルカ近影
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 昼近く、父島に戻り、メインストリートの寿司屋で島寿司やアオリイカの炒め物を肴に軽く?む。島寿司はサワラ等の切り身を醤油で漬けて握り寿司にした小笠原の郷土料理で、薬味は辛子がよく合う。沖縄の大東諸島にも、「大東寿司」という同様の料理があることを最近知った。島寿司は、直後に頼んだ人が品切れになっていたので、ギリギリであった。ひとしきり?んだら、あとは帰るだけだ。14時、おが丸は父島二見港を出港。もっとも、この出港が小笠原の旅における一大イベントでもある。普段はツアーやダイビングをやっているボートが10隻近く、フェリーと併走して別れを惜しみ、興が乗った人々は次々と海へ飛びこむ(もちろん、飛びこむのはボートの方の人である)。「南洋踊り」を披露する船もあれば、取材なのかヘリコプターまで飛んでいる。そんなお祭り騒ぎの中、ビールを?みながら僕は誓っていた。また来よう。


おが丸出港時の見送り
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 船が外洋に出て、見送り船団が引き返すとまた海鳥観察の時間だ。クロウミツバメをようやく、納得のゆく形で見ることができた。シロハラミズナギドリやアナドリも続々現れるが、慣れというのは実に恐ろしい物で、数日前には遠くの「点」へもカメラを向けていた海鳥がデッキのすぐ脇を飛んでも、にんまりしながらビールを飲んでいる。夕刻には聟島列島の幾つもの島を眺める。これらの島々は、実は北海道とも強い結び付きがあるのだが、この時の僕はまだその重要性に気付かずに、ただ漫然と眺めていた。


クロウミツバメ
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 夜は、これまた小笠原の地酒ともいえるパッションフルーツのリキュールを飲んでいたことくらいしか記憶がないが、どうせそれをしこたま飲んで適当に酔いつぶれたのが関の山であろう。
7月11日:夜が明けると船はもう伊豆諸島海域。鳥はオオミズナギドリとアナドリばかりだ。たまにカツオドリが出ても、船には寄って来ない。「昨日までとは違うんだなぁ」という思い。大島沖ではるか彼方にマッコウクジラの小群が現れたが、メスや若獣のようで北海道で大型のオスを見慣れている身にはどうも迫力を欠く。そんなこんなであっという間に東京。蒸し暑さがコンクリートジャングルで増幅されて、小笠原より余程暑い。飛行機の時間の関係でこの日は東京泊まりだったが、結局外に?みに行くこともなく、部屋で八丈島の地焼酎「磯娘」を、赤イカの塩辛、焼きクサヤ(すべて下船した竹芝桟橋で購入)など肴に飲み、この濃密な旅を振り返っていた。


東京湾よりスカイツリーを望む
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後日談:ネッタイチョウやカツオドリ、ミズナギドリ類といった普段見ることのできない南の海鳥を堪能し、硫黄三島の海鳥の繁殖状況とネコ、ネズミの分布のような実例を、実際に現地を訪れて知ることができただけでも大収穫と思っていたが、その後、思わぬ形でこの海域との「繋がり」を実感することとなる。8~9月に厚内や苫小牧の海上で青いカラーリングを装着された数羽のクロアシアホウドリを撮影し、山階鳥類研究所に照会したところ、それらはすべて小笠原諸島聟島列島の聟島鳥島または嫁島で標識されたものだったのだ。前年の確認例も含めると、5羽以上が小笠原から北海道近海にやって来ている。当然、知識としては太平洋の低緯度海域の島で繁殖したものが飛来するということはわかっているのだが、実際に個体の移動が確認され、更にその繁殖地の海を一週間近く見て来たのとでは「実感」の度合いが異なる。「海鳥が繋ぐ南北の海」をキーワードに、何か面白いことができないかと考えあぐねている今日この頃である。


虹に霞む聟島列島嫁島
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*注2:サークル棟は帯広畜産大学内にある建物で、自分が学生の頃、自然探査会のコンパはこの2階に或るフロア(今は無い)で行なわれていた。一応、新聞紙は敷いてあるものの、酒や●●で湿った床は冷たく、酔い潰れて再度覚醒した身には何とも悲しく感じられたものである。ゼニ部屋は同大内のゼニガタアザラシ研究グループの部室で、こちらは炬燵やカーペットがあり、サークル棟よりは快適に酔い潰れることができたが、建物自体が2009年に取り壊されてしまった。現在のゼニ部屋はサークル棟にあるが、窓が無い、狭い、床が冷たく硬い等、学生が健全な飲酒生活を送るには難点の多い環境である。


(完)


(2012年4月   千嶋 淳)


以前の記事は、
小笠原・硫黄列島に海鳥を訪ねて⑥
小笠原・硫黄列島に海鳥を訪ねて⑤
小笠原・硫黄列島に海鳥を訪ねて④
小笠原・硫黄列島に海鳥を訪ねて③
小笠原・硫黄列島に海鳥を訪ねて②
小笠原・硫黄列島に海鳥を訪ねて①




小笠原・硫黄列島に海鳥を訪ねて⑥

2012-07-19 21:53:46 | 海鳥
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All Photos by Chishima,J.
メグロ 以下すべて 2011年7月 東京都小笠原村)

NPO法人日本野鳥の会十勝支部報「十勝野鳥だより177号」(2012年4月発行)に掲載の「小笠原・硫黄列島に海鳥を訪ねて(後編)」を分割して掲載 写真を追加)


2012年4月21日の記:当初、印象の鮮烈な内に2回に分けて連載するはずだったこの紀行も3回目となり、旅から9ヶ月以上が経過してしまった。ただでさえ記憶が薄れつつあるのに加え、先日、沖縄は八重山諸島という、大洋島とはまた異なる生態系を持つ南国へ旅してしまい、頭の中がチャンプルーになっている。しかも印刷まで24時間を切っての起稿であるため、以降は非常に大雑把なものになるだろう。ただ、硫黄三島クルーズが終了した時点で今回の旅は終わったようなものであり、あとは普通に小笠原でちょこっと鳥を見た以外は終始?んだくれていただけという、生産性の無いお話である。
7月9日:7時半に母島へ向かうフェリーに乗れば良いので、朝ゆっくり寝てても良かったのだが、習慣で5時には目が覚めてしまう。今回の母島は日帰りである。島の規模が小さいので、直前に探してももう宿が無かったからだ。父島から50km南に位置する母島へはフェリーで2時間を要し、9時半に着いた後、その日の内に父島に帰って来るためには14時半のフェリーに乗らなければならない。それでいて片道の船代は4460円だから、僅か4時間の滞在のために9000円近い金を払っていることになる。それだったらホエールウオッチングにでも参加した方が、海鳥をより近くで沢山見られるかもしれない。しかし、鳥屋としては、ここまで来たらそうまでしても母島に行かなければならない理由がある。それがメグロだ。世界中で小笠原にだけ分布するこの固有種は、かつては亜種ムコジマメグロが父島やその周辺にも生息していた。しかし、第二次大戦の前後に絶滅し、現在では亜種ハハジマメグロが母島とその周辺に生き残るのみである。何度も触れて来たように、この諸島では多くの種・亜種が絶滅やその危機を経験している。海洋島の生態系は、人間や外来生物の侵略に対して余りにも脆弱だ。かくして、21世紀の現在、メグロを見るためには多少の散財と強行軍を覚悟することになるのだが、父島ですら東京から船で25時間、しかも最低6日間の旅程を必要とする場所だ。次はいつ来れるかわからない。10数年前に一度見ているとはいえ、三途の川を渡っている時に「あぁ、あの時やっぱりメグロを見ておくんだった…」と後悔するのは嫌だ。


ははじま丸と混み合う岸壁
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 そんなわけで日帰り母島であるが、船に乗り込むにはちと早い。しかし、ドミトリーの大部屋は息苦しくて居心地が悪い。さっと荷物をまとめ、メインストリートや浜辺を逍遥する。南国は往々にして夜が遅い分、朝が遅い傾向があるようで、夜はとっくに明けているものの、こじんまりとした通りは人っ子一人見当たらず、静かなものである。通りの端に、何とビールの自販機を見付ける。この、本土では絶滅したか絶滅危惧ⅠA類に相当する施設を最後に見たのは、2001年、八重山諸島の黒島だったかいな。遮蔽物の無い島で、八重山のティダ(太陽)に焼き殺されかけてた僕にとって、それは砂漠の中のオアシスに見えたものだ。もちろん、小銭を数枚投入する。自販機に隣接して公園があり、その中には南国風の東屋まである。出来過ぎた演出とは、こういうことを言うのかもしれない。東屋から青い空と海を眺め、イソヒヨドリやメジロの声をBGMに朝の光に射られながら飲むビールの旨さは犯罪的ですらあった。


「東屋」の朝
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 気が付くと出航直前になっており、慌ててターミナルへ行くと、やはり混み合っていた。硫黄クルーズに参加した鳥屋が軒並み母島を目指すのと、世界遺産指定の相乗効果であろう、硫黄クルーズにはいなかった「一般人」の姿も多い。甲板に出ると既に大砲と三脚が林立している。出港後はアナドリやオナガミズナギドリ、セグロミズナギドリ等が立て続けに現れたが、流石にこの海域に入って3日目ともなると反応も鈍くなる。ほぼ常に船に付いているカツオドリに至っては、北海道におけるゴメ(*注1)と同じ扱いで、意識的に視界から除外している。いま思えば贅沢な一瞬である。


船の周囲を飛ぶカツオドリ達と、通り雨から回復中の母島
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 2時間後、母島に到着。いまいち脱力した僕は、すぐさまメグロ‐!!という気分でもなく、港近くでイソヒヨドリやメジロと戯れる。10分弱歩くと街だ。父島より更に小さな、商店2軒と郵便局だけのメインストリートがある。商店で食料を調達しようとするも、パンや弁当は既に売り切れている。ま、いいか。缶詰のソーセージとチューハイを手に入れて、浜を眼前に望む大木の下にあるベンチで飲食。樹を囲むような円形のベンチでは、子供を浜で遊ばせているお母さん方や散歩中の老人が他愛もない話に花を咲かせ、また去って行く。ゆったりとした島の時間。その流れの中に、一介の旅人として身を置くことの心地良さ。このまま帰るまで身を委ねていたいと思いかけたが、危ない危ない。ここまで来たからにはメグロと対面しないとね。


母島のメインストリート
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イソヒヨドリ(幼鳥)
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 メグロとは、集落から高台に上がった神社で容易に出会うことができた。固有種というのは大体そんなもんである。1属1種で、かつてはヒヨドリ科やミツスイ科に分類されたこともあるが、近年のDNAを用いた研究ではメジロに近縁らしい。どこで見ていたのか、気が付くと周りには何人ものカメラマンが大砲を構えている。まあいいのだが、鳥の向こうからガイドに率いられた、トレッキングの一行がやって来た時のことだ。撮っていた何人かが向こうを牽制するような態度を示し、向こうのガイドが「鳥がいるのでちょっと待ちましょうか」的なことを言った。撮っていた連中はさも当然のような態度を取っていたが、それに頭が来たので「どうぞ通って下さい。鳥はまた戻って来ますから。」と伝え、通っていただいた。我々がメグロを見ているのは私有地でも何でもなく、公道でのことだ。そしてそれは、立派なことでも何でもなく、要は私利私欲だ。そのために一般観光客の通行を妨げる権利など、もちろん無い。そんなことは、ちょっと考えれば当たり前なのだが、いつからそんな増長こいた「鳥屋」が当たり前に蔓延るようになってしまったのか…。


昼なお暗い林内で出会ったメグロ
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 阿呆らしくなったので集落に戻り、ぶらぶらしていると写真家のMさんが、オガサワラカワラヒワが2羽、現れたと教えてくれる。数の少ない固有亜種ゆえ是非お目にかかりたいと待ったが結局出ず、それでもパパイアに群がるメグロやオガサワラヒヨドリを眺め、楽しい一時を過ごすことができた。気になったのは、ノネコが集落内を闊歩していたこと。数は多くはなさそうだったが、陸鳥類の繁殖に何がしかの影響を与えているかもしれない。


熟れたパパイアの実を食べるヒヨドリ(亜種オガサワラヒヨドリ)
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*注1:浜言葉でオオセグロカモメのこと。


(続く)


(2012年4月   千嶋 淳)


以前の記事は、
小笠原・硫黄列島に海鳥を訪ねて⑤
小笠原・硫黄列島に海鳥を訪ねて④
小笠原・硫黄列島に海鳥を訪ねて③
小笠原・硫黄列島に海鳥を訪ねて②
小笠原・硫黄列島に海鳥を訪ねて①