鳥キチ日記

北海道・十勝で海鳥・海獣を中心に野生生物の調査や執筆、撮影、ガイド等を行っています。

沖縄本島での7日間~やんばるエコツアー+αな日々(前編)

2009-04-29 21:19:38 | 
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All Photos by Chishima,J.
ソリハシセイタカシギ 2009年1月 沖縄県豊見城市)


(文章は、日本野鳥の会十勝支部報「十勝野鳥だより」166号(2009年4月発行)より転載、一部加筆・修正)


 やんばるツアーへの参加を決め、折角の機会なのでフリーという立場を利用して、早めに現地入りすることにした。本来ならこの期間に、石垣島をはじめ八重山の島々を回りたかった。都会や米軍、自衛隊といった喧騒に曝されずに「島の時間」を満喫でき、なおかつカンムリワシやムラサキサギ等ご当地の鳥も楽しめるからだ。しかし、この計画はあえなく潰えた。那覇から石垣へのフェリーが、先年をもって廃止されていたのである。夜那覇を出港し、朝石垣に着く船便は、安く移動できる上宿代の節約にもなって、僕のような貧乏旅人は大いに重宝したのだが。飛行機での短期訪問ができるほど懐に余裕は無い。こうなったら沖縄本島をできる範囲で楽しもう。とりあえず、ツアーと合流する日までのレンタカーの手配だけして、あとは宿もろくに予約せぬままの、いい加減な旅立ちであった。
1月19日:朝起きると十勝は大雪だった。荷造りもそこそこに、妻に空港まで送ってもらう。カウンターで確認すると、帯広空港の除雪待ちで飛行機の到着は遅れるものの、運航とのことで胸を撫で下ろす。結果、45分遅れでの離陸。羽田から予定していた便には間に合わないが、事情が事情なので次便に変更してもらい、16時過ぎには無事那覇に到着した。この間、大の飛行機嫌いの僕は、少しでも恐怖心を和らげようと呑み続けていたので、到着時にはかなり酩酊していた。空港から市内までモノレールで移動。以前は時間通りに来ることの無いバスか、タクシーしか無かったため、必然的にタクシーになってしまったものだ。ホテルに荷物を放り込み、牧志界隈に繰り出す。まずは公設市場へ。この、あまりにも有名な市場は観光化されている印象は否めないが、それでも所狭しと並べられた豚の面の皮や、青や赤だの原色の魚を眺めていると、あぁ己は沖縄・那覇にいるんだなぁとの実感に捉われる。市場の2階は食堂。刺身盛り合わせにオリオンビールを注文。刺盛にサーモンが入っていたのには閉口した。もっとも、その後ツアーで立ち寄った、ある道の駅では「北海道産ホッケ」を大々的に売っていたから、こうした傾向はここだけではないのだろう。国際通りの泡盛屋さんで試飲させてもらう。適当なコメントを付しながら、最後は一本一万円以上する古酒まで飲ませてもらった。泡盛屋のお兄さん、あの時僕が発した「また一週間後に来て、その時買います」という言葉は、決して出まかせではなかったのですよ。予定変更が重なって、再訪できなくなってしまったんです。この後更に、宿近くの居酒屋で地魚の刺身とともに泡盛を、ボトルで頼んだ気がするが、この辺になると、記憶が不鮮明で詳述できないのが残念である。


イソヒヨドリ(オス)
2009年1月 沖縄県豊見城市
海岸をはじめ、市街地や公園など平地の開けた環境でもっとも普通に見られる小鳥の一種。熱い太陽の照らす、エメラルドグリーンの海を背にこの鳥の朗らかな歌声を聴くと、南国情緒満点だ。
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1月20日:おもろまちの沖縄DFSで、レンタカーを借りる。ここはレンタカーの手続きと配車の場所がかなり遠く、しかも互いの場所がわかりづらく、非常に不便を感じた。何とか車を借りた後は那覇市内を横断し、最初の目的地である三角池を目指す。那覇市内の交通マナーは酷い。ウインカーを出さずに車線変更など普通である。しかし、人間の適応力というのは実に恐ろしいもので、数日後には僕自身がこのような運転をしていた。三角池は道路に囲まれた、ホントに小さな調整池。それでも、水辺が貴重な本島南部では、水鳥の楽園となっている。到着すると早速30羽ほどのセイタカシギの群れが出迎えてくれる。その中に異様に白いのが1羽。双眼鏡を当てると嘴が上に反っている。ソリハシセイタカシギではないか!思わぬ珍客に気を良くし、その後廻った南部の干潟や河口でも、クロツラヘラサギやハジロコチドリといった顔ぶれに出会え、初日から満足の行く鳥果となった。この日の泊まりは中部のうるま市。午後には移動を開始し、途中沖縄市の総合運動公園に立ち寄った。ここの海側は、埋め立て問題で名高い泡瀬干潟。埋め立て箇所は鉄条網で囲まれ、出入り口には厳重なまでの警備員。沖縄本島の海岸では、何ヵ所もでこのような光景を見て来た。開発問題云々の以前に、関係者以外の立ち入りを何としてでも拒否しようというこのような姿勢は、見ていて悲しくなる。それはそうと、この公園では比屋根干潟で水辺の鳥を、公園内で小鳥類を多く見ることができるので、探鳥地としてはお勧めである。日没まで園内をほっつき歩き、うるま市のゲストハウス(旅人向けの安宿)へ。宿のオジィと泡盛を傾けながら、いつの間にか話は泡瀬干潟にも及ぶ。彼曰く、「人間に計り知れない恵みを与えてくれる海を、どうしてそうまで埋め立てるのか」。こうした意見の人と、これまで数多く会って来た。それなのに一向に埋め立てが止まらないのは何故だろう…。


シロガシラ
2009年1月 沖縄県糸満市
八重山諸島には自然分布するが、沖縄本島の個体群はおそらく人為的に導入されたものが、南部で1976年頃より増え始め、現在はかなり北部まで分布を広げている。
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キジバト(亜種リュウキュウキジバト)
2009年1月 沖縄県沖縄市
キジバトやシジュウカラ、ハシブトガラスなど見慣れた鳥の、亜種が異なるのも沖縄での鳥見の楽しみである。「リュウキュウ」や「オキナワ」が付く亜種の多くは、このキジバトのように、九州以北のものより濃色だ。
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泡瀬干潟
2009年1月 沖縄県沖縄市
此処だけでなく、多くの海岸や干潟が埋め立てや開発の危機に曝され、そして失われて来た。
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1月21日:朝から金武町の億首川河口周辺で鳥見。ここはツアーの最終日にも訪れたが、河口にはマングローブと干潟、周辺には田イモ畑や水田が広がり、水辺の鳥が大変多い場所である。それに加えて、鳥との距離が極めて近いのが魅力で、この日もシギ・チドリ類をはじめ、サギ類やクイナ類、セキレイ類などを、普段では信じられないくらいの距離で観察・撮影できた。ちなみに、この日の昼食は近くのコンビニで調達した「フーチャンプルー弁当」。前日は「ゴーヤーチャンプルー弁当」だった。「チャンプルー」はフやゴーヤ(苦瓜)、ソーメン等を、野菜、卵、豆腐等と炒めた沖縄料理で、それぞれメイン具材の名を冠している。午後遅くにうるま市に戻り、まだ時間があったので勝連半島の、照間付近の水田を目指す。現地に到着した時点で、空を覆い始めていた暗雲からの雨により、殆ど探鳥できないまま終了せざるを得なかった。冬の沖縄は、東シナ海から湿った空気が入ることもあって、基本的には天気が悪い。それにしても、以前(2004年)訪れた時より湿田が大きく減少したのを痛感させられた。沖縄では近年、農地の花卉や果樹への転作が盛んで、イネや田イモ、イグサ等の水田は大幅に減少している。名物の泡盛だって、輸入米に頼っているのが現実である。食糧自給、また生物多様性を確保する場としての水田に、生産者だけでなく国民全体がもう少し価値を見出せないものだろうか。夜、妻より電話があり、身内に不幸があっため沖縄には行けない、かといって今からキャンセルも出来ないので、漂着アザラシの会若手のT嬢が代わりに来るという。考えてみれば初めから予定変更ばかりの旅だった。こうなったらなるようにしかなるまい。


ヒバリシギ(冬羽)
2009年1月 沖縄県国頭郡金武町
夏羽や幼鳥ではない、完全な冬羽のシギ・チドリ類が多く見られるのも、冬の沖縄の魅力である。
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ムナグロ(冬羽)
2009年1月 沖縄県国頭郡金武町
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クロサギ(黒色型)
2009年1月 沖縄県糸満市
サギといえば白いと思われがちだが、この海に住むサギは真っ黒である。クロサギには普通に黒い黒色型のほかに、白い白色型(白いクロサギ)もいる。
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(続く)


(2009年4月10日   千嶋 淳)


学名に親しもう①色

2009-04-22 00:19:49 | 鳥の学名
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All Photos by Chishima,J.
ヤマゲラ(オス) 2007年2月 北海道札幌市)


(日本野鳥の会十勝支部報「十勝野鳥だより」165号(2008年12月発行)より転載 一部加筆・修正)

 鳥を見ている方なら、「学名」という言葉を一度は耳にしたことがあるかと思います。そう、大抵の図鑑で和名の後にアルファベットで綴られているアレですね。ですから、図鑑を眺めながら普段から目にしているはずですが、日本では鳥の学名は、バードウオッチャーの間でも馴染みが薄いのが一般的です。それは、多くの日本人にとってラテン語やギリシア語に由来する学名の意味がわからず、意味を持たない呪文と同じにしか感じられないからだと思います。

 鳥を見始めた頃、ただの「小鳥」の名前がわかった時、一気に親しみを感じられるようになったように、学名も意味がわかれば親しみを感じられないでしょうか。また、学名は万国共通の名前であるため、世界が広がります。たとえば洋書を読む時、それが自分の知らない言語で書かれているものであっても、学名がわかればその鳥が何であるかはわかります。また、外国人、特に欧米のバードウオッチャーは学名を諳んじている人が多く、彼らとの会話でも有効です。11月の十勝川エコツアーに参加された方は、フランス人バーダーが鳥を呼ぶ際に学名を用いていたのを覚えているでしょうか。以前、旅先で出会った英国人の鳥屋と、学名と簡単な会話・ジェスチャーだけで、汽車を待つ3時間以上もの間、鳥の話をしたことがありました。
 学名そのものについては、図鑑の語彙集や鳥の本にも書いてあるので、ここではごく簡単に触れるにとどまります。学名はラテン語で表わされる万国共通の生物名で、属名と種小名の二語をもって記されます(二名法)。たとえば、マガモの学名は、Anas platyrhynchos で、Anasがマガモ属の属名、platyrhynchosがマガモの種小名となります。属は科よりも小さな近縁種の集まりで、マガモはオナガガモ(Anas acuta)やコガモ(Anas crecca)とは近い仲間で、ホオジロガモ(Bucephala clangula)とは同じカモの仲間でも近縁ではないことがわかります。
 それでは、実際に学名の意味をみていきたいと思いますが、今回は色にちなんだものを紹介します。和名でもアカゲラやアオバト、キセキレイ、クロガモなど、鳥の色彩に由来する名前がたくさんありますが、学名でも同様です。紹介する学名は、特に断りのない限り種小名の方です。

①白:ラテン語で白はalbusalbaです。生物の白化個体を「アルビノ」と呼びますが、同じ語源です。ダイサギ、ミユビシギ、ハクセキレイなどは、albaそのものが種小名になっていて「白い」という意味です。ミコアイサのalbellusも「白っぽい」の意です。他の語と複合して表わされるものに、albicilla(白い尾;オジロワシ)やalbifrons(白い額;マガン)などがあります。ギリシア語の白、leukosに由来する学名もあります。多くは複合語となって、leucotos(白い耳;オオアカゲラ)やleucorhoa(白い腰;コシジロウミツバメ)などにみることができます。


ハクセキレイ(オス夏羽)
2008年4月 北海道中川郡幕別町
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オジロワシ(成鳥)
2007年3月 北海道中川郡池田町
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②黒:ラテン語にはaternigerがあり、前者はそのままヒガラの種小名です。オオバン(atra)、クロガモ(nigra)は、それぞれが女性形に変化したものです(ラテン語の名詞・形容詞には男性、女性、中性の3つの性があるのですが、ややこしくなるので省略します)。黒色人種のことをネグロイドというのは、後者の語と同じ語源です。複合語の例に、nigricollis(黒い頸;ハジロカイツブリ)、nigripes(黒い脚;クロアシアホウドリ)などがあります。ギリシア語ではmelasで、しばしばmelano-として複合語を作ります。melanotos(黒い背中;アメリカウズラシギ)などがその例です。この語は、実は「メラニン色素」という言葉で、我々の日常生活にも入り込んでいますね。オオミズナギドリのleucomelasは「白と黒の」の意味で、この鳥の色彩をよく現わしていると思います。カワウ、ケイマフリのcarboは、本来の意味は「炭」ですが、これは炭のように黒いことから付けられた名前です。


クロアシアホウドリ
2008年7月 北海道目梨郡羅臼町
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③赤とその近縁色:ラテン語rufusにちなんだ名前に、ruficollis(赤い頸の;カイツブリ、トウネン)が、ギリシア語erythros由来のものにerythropus(赤い脚;カリガネ、ツルシギ)があります。近縁の色として、肉色(carneipes;肉色の脚;アカアシミズナギドリ)、炎色(flammea;炎色の;ベニヒワ→英語flame(炎)の語源)、バラ色(roseus;バラ色のヒメクビワカモメ、オオマシコ)なども登場します。


アカアシミズナギドリ
2008年9月 北海道目梨郡羅臼町
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ベニヒワ(メス)
2009年2月 北海道十勝郡浦幌町
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④青:ハクガンの種小名caerulescensが、ラテン語の青に由来すると聞くと驚かれるかもしれません。でも、本来ハクガンには白色型と青色型の2型があり、この種小名は青色型(ブルーグースと呼ばれることがあります)の体色に因んだものなのです。ギリシア語kyanosは、ハイイロチュウヒ(cyaneus)やオナガ(cyana)に使われており、cyanurus(青い尾;ルリビタキ)は複合語です。オオルリのcyanomelanaの意味はわかりますか?melan-は先ほど登場しましたね。そうです、「青と黒の」の意味で、オスの体色からのネーミングです。

⑤その他の色:他にも色彩に因んだ学名は多く、複合語を形成しないものだけでも、以下のように枚挙に暇がありません(そして、これでもほんの一部です)。cinereuscinerea(灰色の;アオサギ、ソリハシシギ、キセキレイなど)。canus(灰白色の;カモメ、ヤマゲラ)。flava(黄色の;ツメナガセキレイ)。purpurea(紫色の;紫→英語purpleの語源)。ferruginea(鉄さび色の;サルハマシギ)。fusca(暗色の;ビロードキンクロ、ヒクイナ)。

                   *
 そういえば学名の発音については、触れませんでしたね。ラテン語は基本ローマ字読みなので、小学校で習ったローマ字のように読めば大体通じるはずです。もちろん、英米人は英語風に、フランス人はフランス語風に、ロシア人はロシア語風にそれぞれアレンジして読むので戸惑うことはありますが、要は通じればいいのです。口頭で伝わらなければ筆談に切り替えればいいので、そんなに深く考えなくてもいいと思います。

詳しく知りたい人は…

内田清一郎.1983. 鳥の学名. ニュー・サイエンス社. (グリーンブックスの一冊で、見た目は小冊子ながら中身は濃い。今でも書店で購入可能。788円。)

Jobling,J.A. 1991. A Dictionary of Scientific Bird Names. Oxford University Press.(世界中の鳥の学名の意味が、辞書形式で調べられるようになっていて、非常に重宝するが、手に入りづらく、値段も高いのが難点。)


ツメナガセキレイ(冬羽)
2009年1月 沖縄県国頭郡金武町
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ヒクイナ(亜種リュウキュウヒクイナ)
2009年1月 沖縄県国頭郡金武町
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(2008年12月28日   千嶋 淳)


内陸コース

2009-04-21 17:37:07 | カモ類
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All Photos by Chishima,J.
オオハクチョウの飛翔 2009年2月 北海道中川郡豊頃町)


 私事であるが、昨年11月末に帯広市から池田町に引っ越した。もっとも距離にして20㎞強、打ち合わせや買い物、飲み会などで週に一回以上は帯広に出るので、あまり環境が変わった感じはしない。十勝岳からトムラウシ山に端を発し、平野部を駆け下りて来た十勝川はこの池田町で利別川と合流し、下流域の様相を呈するようになる。ガン類やハクチョウ類、タンチョウ、ワシ類といった十勝川下流域の名物的な鳥たちも、季節には町内で普通に観察できる。

小麦畑の招かれざる客(オオハクチョウヒシクイ
2009年3月 北海道中川郡池田町
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 元々それらを帯広から見に行っていた私は、「こりゃフィールドが近くなった」と喜んだものの、この3月から4月にかけては溜め込んでいた机仕事が幾つも重なり、ロクに野外に出られない日々が続いた。すぐ近くに鳥がいるのに会いに行けない、生殺しの状態であった。そんな精神衛生上よろしくない日々の、ちょっと買い物や犬の散歩に出た時、目・耳に付くのがオオハクチョウであった。遠方から「コホー」と甲高い声がかすかに聞こえたと思うと、数分後には数十羽の群れが編隊を組んで上空を通過してゆくのに、何度も出会った。家でパソコンに向かっている時、上空から声が降って来ることもあった。
 そうしたハクチョウたちは、大抵利別川に沿って上流側へ飛んで行った。利別川には十勝川下流域のような河跡湖や湿地は少ないのだが、この時期川や周辺の農耕地ではオオハクチョウやヒシクイが少なからず見られる。特にオオハクチョウは、上流側の足寄や陸別までいることがある。これらのハクチョウやガンを見ていると、どうもそのまま上流側へ飛んで行って、オホーツク海側へ抜けるルートがあるのではないかという気がして来る。かなり内陸を通ることになるが、彼らの飛翔力をもってすれば、このルートを利用することによって数時間でオホーツク海側に出ることが可能ではないだろうか。ガン・ハクチョウだけではない。以前、春先に足寄町のダム湖でカモ類の大群を目撃し、しかもマガモやコガモといった内陸部にも進出する種だけでなく、スズガモやミコアイサ、ウミアイサなど内陸ではあまり見られない種も含まれていて驚いたことがある。また、コウノトリやハジロカイツブリなど通常内陸の山間部には出現しないような種も、足寄町周辺から記録がある。これなども、オホーツク海と太平洋を最短で結ぶ渡りルートの存在を示唆しているのではないだろうか。くわえて近年通水した幕別町の千代田新水路に、工事中から多くの、以前には見られなかったシギ・チドリ類が飛来したことも、十勝の内陸部を通る渡りルートがあることの裏返しと考えられる。


ミコアイサ(右メス;左オス)
2009年4月 北海道中川郡豊頃町
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コウノトリ
2008年3月 兵庫県豊岡市
写真は野生復帰のために放鳥された個体。
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ハジロカイツブリ(磨滅した夏羽)
2008年9月 北海道中川郡豊頃町
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 幸い机仕事は一段落して野外へ出る時間を割けるようになり、またその必要も出てきた。明日は道北方面への移動である。三国峠はこの天気では雪で路面も凍結しているだろうから、足寄・陸別を経由してオホーツク沿岸を北上するのが良いかもしれない。きっとその上空を飛んでいるだろう、水鳥たちに思いを馳せながらの道中になるはずだ。


オオハクチョウ(成鳥)
2009年1月 北海道河東郡音更町
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(2009年4月21日   千嶋 淳)


解けゆく沼の脇役たち

2009-04-09 22:00:59 | 海鳥
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All Photos by Chishima,J.
沼に戻って来たマガンの群れ 2009年4月 北海道十勝川下流域)


 午前10時過ぎ、夜明けから近くの農耕地へ採餌に出ていた数百羽のマガンの群れが、休息地の沼に帰って来た。「カハハン、カハハン」と賑やかに鳴き交わしながら、幾つものV字編隊が水面に降下する。朝はまだ白い氷に覆われていた沼も、燦々と降り注ぐ陽光がそれを解かし、いまやすっかり青黒く、満面に水を湛えている。壮観だ。
 今日帯広では最高気温が15℃を超えたという。この暖かさにつられて、十勝川沿いの河跡湖や海岸の海跡湖では、一気に解氷が進んでいることだろう。解氷期の湖沼は、これから始まる生命の躍動を予感させるが如く、様々な鳥たちで賑わう。その主役は、冒頭で紹介したガン類やハクチョウたちである。この時期その圧倒的な飛来数で水面を賑わすカモ類も、主役級の存在感といえる。
 それらとは別に、この時期の湖沼を確実に賑わす、幾つかの脇役たちがいる。その筆頭はワシ類であろう。北海道を代表する鳥の一つであるワシ類に「脇役」とは何事かと言われそうだが、この時期湖沼に現れるワシは、やはり物量の差か、ガンカモ類ほどの強烈なインパクトは感じられない。また、オジロワシ成鳥は早いもので3月上旬から繁殖に入り、オオワシも成鳥は3月末までに渡去するものが多く、両種とも幼鳥や亜成鳥が主流である点も、存在感を薄めているのかもしれない。しかし3月末から4月頭の十勝の湖沼には、時として50羽を超えるワシ類が集結することがあるのは、意外と知られていない。


贅沢な光景
2008年3月 北海道十勝川下流域
氷上に3羽のオジロワシが休み、背後の水面にはヒシクイオオハクチョウが泳ぐ。今時分の十勝川下流では珍しい風景ではない。
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 もう一つは、カモメ類、特にカモメである。十勝の内陸部に飛来するカモメ類は、オオセグロカモメやユリカモメが多いが、この時期だけはカモメが、開きかけた湖沼を探してかなり内陸にまで飛来する。海跡湖では数千羽に上る大群になることもある。また、シロカモメというと海岸やその付近で見られる印象が強いが、この時期には海岸から30㎞以上離れた湖沼まで少数が飛来する(もっとも、十勝では秋期にもサケの遡上を追って河川中流域まで飛来する)。カモメやシロカモメが内陸の湖沼にまで出現するのは、日本の他の地域ではあまり無いことではないだろうか。


カモメ(成鳥)
2009年4月 北海道十勝川下流域
シャーベット状に解けた沼の上を、餌を求めて飛翔する。
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シロカモメ(幼鳥)
2009年2月 北海道目梨郡羅臼町
この写真は漁港で撮影したもの。
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 ワシ類とカモメ類に共通しているのは、魚食性鳥類という点である。実際に魚を捕食する姿が、早春の湖沼では頻繁に観察される。どうやらウグイなどの魚類が、浅い水域で死んだり弱ったりして氷漬けみたいな状態になっていて、それが出てくるようなのだ。だから、水面が現れ始めると恐ろしい勢いで集結してきたワシ類やカモメ類も、数日で分散し、解氷程度の遅い他の湖沼に移る場合が多い(ただ、干潟が露出するような海跡湖であれば、そこで餌が捕れるようで滞在する)。アオサギやトビ、カラス類、また水深のある箇所ではアイサ類も一緒に見られ、やはり魚目当てに集まっているものと思われる。厳寒に敗れた魚たちの命が、春とともにこれから北上する鳥たちを養っているのだ。


魚を掴んで飛ぶオジロワシの亜成鳥
2009年4月 北海道十勝川下流域
魚はおそらくウグイ属の一種。
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早春の海跡湖
2009年4月 北海道十勝川下流域
地面に降りているのは、黒いカラス類以外はすべてオジロワシオオワシ。この日は50羽以上が観察された。周囲をカモメトビが飛び交う。
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 早朝にも氷が張らず、午前遅くから強くなる日高おろしが水面を駆け渡って黄緑色に色づき始めた岸辺のヤナギを揺らす頃には、ワシ類やカモメ類の姿は減り、かわってディスプレイに興じるアカエリカイツブリの声が高らかに轟くようになる。湖岸ではオオジュリン、周囲の農耕地ではヒバリやノビタキ、オオジシギがそれに共鳴するように歌い、冬の気配は日一日と薄まってゆく。


夕暮れ(マガン
2008年4月 北海道十勝川下流域
日没後、淡くなった残照が遠い町の灯に取って変られようとする頃、塒の沼に概ね集結したマガンの大群に、更に数羽が加わった。
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(2009年4月9日   千嶋 淳)


忘れ得ぬ大群

2009-04-03 01:57:56 | カモ類
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All Photos by Chishima,J.
オナガガモのオス(右)とメス 2008年3月 北海道河東郡音更町)


 例年に無く多かった積雪で、弥生の月を迎えても依然銀世界を呈していた十勝平野も、この十日余りの暖かさですっかり季節を進行させた。今日久しぶりにまともに野外に出たところ、あれほどあった雪は概ね消え失せ、浅い沼から徐々に氷は解け、それらを見下ろす青空からは、愈々本格的に囀り出したヒバリの歌声が、眠気を誘うほど快適な陽光と共に地上に降り注いでいた。鳥の方も、つい先頃までは方々で見られていた冬の小鳥たちは姿を消し、ガンやカモと云った水鳥が氷の緩み始めた水域や、その周辺の農耕地に集合し、繁殖のための北帰に備えながら、着々と栄養を蓄えていた。
 この時期集まって来る水禽類を目にすると、どうしても忘れられぬ、ある風景を思い出してしまう。それは2001年3月30日のことだった。いつもの如く、友人たちと十勝川下流域で鳥見をしていた。野帳を紐解くと、キジバトやモズ、ユリカモメ等が記録されているから、この年の春の訪れは例年より若干早かったのかもしれない。「かもしれない」と付さねばならぬほどの年月が経過しているのに、この日の最後に出会った光景は、未だ昨日の出来事のように瞼に焼き付いている。
 十勝川の河口近くで、少し離れた地点の空を埋め尽くさんばかりの鳥の群れを見つけた。ガンの大群だろうか?ともかく私らはその場所に急行した。到着した場所は牧場、否、確かに夏期は牧場として牛が放たれているのだが、今はその姿も無く雪解けにより冠水している、広大な荒地・原野と呼ぶ方が相応しい環境だった。そして、そこに無限に敷き詰めたかのように点在するカモ、カモ、カモ…。どう表現したら良いのやらわからない。目を細めて見ると、恰も大地が意思を持って蠢いているような、といった陳腐な表現でその凄さが伝わるのか疑問なくらい、とにかく凄かった。数を把握しようと試みたが、2万羽は軽く下らないだろうという結論が限界だった。群れの半分以上はオナガガモで、ヒドリガモがそれに続き、以下主だった淡水ガモ類の殆どが含まれている大群だった。冠水した草地で採餌や休息に耽っていたが、獲物に魅かれて集まった数羽のオジロワシのいずれかが飛ぶと、それに釣られて群れが舞い上がり、最初の出会いは偶々そこを発見したものだった。
 常軌を逸した規模の群れを、半ば呆気に取られながら観察し、満足して帰ったが、その興奮が忘れられず二日後の4月1日に現地を再訪したが、水がかなり引いてすっかり牧場らしくなった原野には、一昨日の10分の1程度のカモ類しかおらず、がっかりしたものだった。


オナガガモ(メスまたは幼鳥)
2007年11月 北海道河東郡音更町
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ヒドリガモのオス(右)とメス
2008年4月 北海道河東郡音更町
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オジロワシ(幼鳥)
2009年2月 北海道中川郡幕別町
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 北上するカモ類にとって、早春の北海道への渡来はかなり冒険的なものであろう。辿り着いたところで淡水という淡水は、氷に閉ざされているかも知れぬ。きっと適当な環境が無かったのだろう、漁港の水面で所在なさげに休息するオシドリの小群を見たことがある。そんな感じだから、早春のカモ類は何とか休んだり餌を取れる数少ない淡水域を探し、そこに密集することになる。2001年3月末の、凄まじいまでの大群は、周辺の雪や氷の状態、前後数日の気象条件、カモの渡りのタイミングその他色々な条件が偶然重なりあった挙句に披露された、一つの奇跡なのであろう。
 伝説の再来を夢見て、時期になるとそわそわしながら同じエリアに通い続けているが、あれほどの群れにはその後とんと出会えていない。いつかは…。


河口部に飛来したオナガガモの群れ
2008年3月 北海道中川郡豊頃町
手前の水面の黒い粒がオナガガモ。それでも文中の群れには遠く及ばない。樹林の背後に太平洋を望む。
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オナガガモ(オス)の飛翔
2008年3月 北海道河東郡音更町
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(2009年4月2日   千嶋 淳)