All Photos by Chishima,J.
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こちらに近付いてきたゼニガタアザラシ 2006年10月 以下すべて 北海道中川郡豊頃町)
数年前から豊頃町の漁港に出現している1頭のゼニガタアザラシが人を噛んで新聞沙汰になった。事の仔細は北海道新聞等を参照していただくとして、大事に至らなかったのは不幸中の幸いである。第一報を聞いた時の正直な感想は、「ついにか…」というものであった。このアザラシがテレビや新聞で大々的に取り上げられて「コロちゃん」の愛称で呼ばれ、見物人が殺到しだした昨年くらいから、このような事態の発生は危惧されていた。何しろ、野生動物を野生動物とも思わないような振る舞いが日常的に行われてきたのだから。今回の事故は起こるべくして起こったともいえる。
そうした振る舞いの一部は新聞にも書かれているが、ここでは自分が実際に目撃した2例を紹介しておこう。其の一。マスコミで大きく騒がれた昨夏のある昼下がり。いつものように港の一角に上陸していたアザラシは、10人以上の見物人に取り囲まれていた。見物人たちはしばらく物珍しげにアザラシを見ていたが、アザラシが熟睡して微動だにしないため、じきに飽きてきたようだ。とその時、近くにいた近所のおじさん風の男性がおもむろにアザラシに近付くと、その体をぺしぺし叩き始めた。アザラシは同種でさえ他個体との接触を嫌い、上陸場ではそれによる小競り合いが耐えないほどである(
この写真を参照)。当然体を起こし、それに抗議する。アザラシが動いて観客が歓声を上げたことに満足したおじさんは、アザラシの顔を叩いたり前肢を掴んで「握手」する等行動をエスカレートさせていった。見かねた私は「危険だから止めた方がいいですよ」と言ったが、まるで聞く耳を持たない。アザラシは鋭い歯を持っていること、噛まれれば感染症の危険もあることを説明したが、「こっちは毎日触ってんだ」と更にアザラシを叩いたり蹴ったり。「これは言っても無駄だ」と思い、その手をアザラシから遠ざけようとすると、件の男性それを力強く振り払い、またぺしぺし。これ以上何かしようとすれば「事件」に発展しかねない雰囲気を察した私は、少し離れた場所にいたパトロールの警官に事情を話し、事態の収拾を依頼するとその場を離れた。非常に後味が悪かった(ちなみにこの晩、私は自宅での晩酌にも関わらず記憶を失くし、畳と格闘したり酒瓶に話しかけていた…らしい)。
ゼニガタアザラシを取り囲むヒト
2006年8月
まさかお盆だからという訳ではないだろうが、リンゴとペットボトルに入った水が備えてある。意味不明。
ゼニガタアザラシに触れるヒト
2006年8月
ビニール袋を手袋にしているつもりなのだろうが、アザラシの牙の前には素手に等しい。
其のニ。冬の終わりだったと思うが、仲間数人と鳥見に出かけ、漁港に寄った時のこと。例のアザラシが岸壁にいたので近くで談笑しながら観察していたところ、犬の散歩中のおじいさんが近付いてきた。何か嫌な予感がしたが、予想通りおじいさんは犬をアザラシに嗾けようとしている。犬は脅えていて腰も引けているのだが、おじいさんは無理やり綱を引っ張ってアザラシの傍へ連れてゆく。犬は恐怖心からか吠え始めたが、アザラシは当然迷惑そうに上体を起こして威嚇していた。上の事例もあり言っても無駄だろうと思ったので、無言のまま即座に帰った。
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こんな有様なのだから、これまで何も起きなかったのがむしろ不思議なのだ。こうした状況の中、町はアザラシが鋭い歯を持っていて噛まれれば感染症の危険もあることを記した看板を設置したが、設置場所はアザラシがいつもいる場所からはやや離れている上に文字ばかりでとても一般人が読むとは思えないような代物である。具体的に慎むべき行動(触る、犬を嗾ける等)も書かれておらず、あまり真摯な対策とは思えない。
豊頃町の設置した看板
2006年9月
ただ、行政による規制には限界があるし、人の行動は制限できないものであり、結局は個人の自然観、野生生物観の問題に行き着く気がする。現代社会では、人間と野生動物が素で接する機会は非常に少ない。その理由として一つには動物の数が減った、あるいは生息域が狭まったことにより出会いの機会が乏しいことがあり、また一方で人間の側も自然の中に入ってゆく機会が少なくなったことも挙げられるだろう。しかし、この情報化社会では実物でない野生動物を、我々は頻繁に目にしている。それは、テレビをはじめとするマスコミを通しての出会いである。
テレビでは動物番組をいくつもやっているし、ニュースや新聞でも動物記事はかなりの頻度で登場する。しかし、そこに出て来る野生動物は可愛く、あるいは精悍に脚色された映像や画像であり、野生動物が本来併せ持つ臭さであるとか危険さというものは存在しない。そのような動物に慣れすぎてしまった結果、実物とイメージの間で剥離が生じてしまっているのではないだろうか。アザラシは確かに可愛いが、臭い糞も尿もするし、咆哮も上げれば同類に噛み付きもする。そうした「臭いもの」には蓋をされた可愛い・愛らしいだけのものと思い込んでいる人が多いのではないだろうか。これでは、アイドルはウンコもシッコもしないと信じ込んでいる子供と同じレベルではないか!
最近のマスコミにおける野生動物の扱い方は、無論全部ではないが、そうした剥離を助長するようなものが多いように感じる。例えば、この一月くらいの間にいわゆる動物番組に登場したアザラシやその仲間を思い返してみると、一つは芸能人が部屋でアザラシと一緒に生活するという企画だったし、もう一つはセイウチの顔の真前で芸能人が写真を撮るというものだった。どちらも水族館の個体で野生下ではありえない状態であるが、こんな番組ばかり見せられ、たまに登場する野生動物が観光地や公園で餌付けされたハクチョウやらリスやらだったりしたら、目の前に寝転がって逃げないフレンドリーな(と勝手に人間が思い込んでいる)アザラシに手を差し出してしまう人も、それは出るのではないか。
砂浜で休息(ゼニガタアザラシ)
2007年6月
しかし、よく考えてみると可笑しなもので、知らないイヌと出会った時にいきなり手を差し出したり、べたべた触る人がそうそういるだろうか?まずはイヌの表情や尻尾、行動等を観察して、「怒っているから近付かないでおこう。」とか「喜んでるな。撫でてみようか。」と判断する人が大部分だろう。ましてや他のイヌを嗾けたりはしないだろう。これは、多くの人がこれまでの人生の中でイヌを飼ったり、イヌと遊んだり、或いは噛まれたりした経験があって、それを通して体得したもののはずだ。なのに、野生のアザラシは何の疑いも無く触る。やはり実物とイメージの剥離が起きているとしか思えない。人は知らないものには警戒心を抱くのが普通である。とすれば多くの人が間近でなんか見たことの無いアザラシと至近距離で出会えば警戒するはずなのに、テレビやアニメで刷り込まれた「アザラシは可愛く人懐っこい」というイメージが先行してしまうのだろう。
本稿執筆中に、同じアザラシが更に数人を噛んでいたというニュースが飛び込んできた。マスコミはこれまで自分たちが作り上げてきたアザラシ可愛いというイメージが実は一面に過ぎないことを認め、その危険性や野生動物との接し方などニュース性は無くとも重要な情報は発信すべきである。上記2例の人たちも悪意があってあのようなことをしたわけではないだろう。サービス精神からなのであろう。しかし、結果として最悪なことをやっている。野生動物はペットでもなければ、人間に都合よく動くおもちゃでもない。そのことをもっと喧伝すべきだ。
欠伸(ゼニガタアザラシ)
2007年3月
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豊頃のアザラシは、そのサイズから今年5歳前後と推測している若いオスである。3~5歳前後のオスのゼニガタアザラシは、個体同士で遊び行動を活発に行う。そのメニューの中には相手を軽く噛むとか、引っ掻くことも入っている。通常は水中での行動ではあるが、そのような行動に及びやすいことは念頭に置いておく必要がある。
5歳を超えたオスの多くは性成熟を迎え、この頃から繁殖期にはオス同士の闘争の結果と思われる傷を負うようになる。これまでの長閑な遊び行動から熾烈な闘いの世界に飛び込んだこの年齢のオスは、大変神経質且つ攻撃的になっていることが多い(野生個体の個体識別調査結果より)。豊頃の個体は他個体との社会的な干渉が無いと考えられるのでこうした傾向が当てはまるかは不明だが、もしホルモン等の具合から当てはまり、それでもこれまで同様の接し方をしていたら…。
人間の無知・不注意によって、人間と野生動物の双方が不幸になるような愚行は、厳に慎まねばならない。そして、リアリティの欠如した膨大な垂れ流しの情報に踊らされて判断力を喪失し、現実と自己のイメージが剥離してゆくことにも、これはアザラシのことだけでなく、注意を払いたいものである。
コンクリートの枕(ゼニガタアザラシ・ヒト)
2007年5月
ヒトの傍にいると安心するらしく、大抵は釣り人と一緒にいる。どこかで飼われていた経験があるのだろう。
熟睡中(ゼニガタアザラシ)
2007年2月
野生動物に干渉は無用。そっと見守りたい。
(2007年7月9日 千嶋 淳)