All Photos by Chishima,J.
(オナガミズナギドリ 以下すべて 2011年7月 東京都小笠原村)
(日本野鳥の会十勝支部報「十勝野鳥だより175号」(2011年8月発行)に掲載の「小笠原・硫黄列島に海鳥を訪ねて(前編)」を分割して掲載 写真を追加)
7月7日:床に転がって寝た所為か、それとも神経が昂ぶっているのか4時前には目が覚めてしまった。南国の朝は遅く、外はまだ薄暗い。それでも水平線上は燃えるように赤く、朝の近いことを告げている。我らがおが丸は八丈沖で日没を迎えた後、深夜にアホウドリの繁殖地として名高い鳥島を通過し、一路南下を続けているはずだ。こりゃ鳥見開始はしばらく後かなと思ったが、一人二人と双眼鏡やカメラを持った鳥屋が甲板に集まって来る。そうなるとこちらも妙な対抗意識みたいなものが芽生え、改めて装備を用意して4時20分、観察開始。
白と黒のミズナギドリが飛んで行く。オナガかと思いきや頭は白く、オオミズナギドリである。観察開始からしばらくは本種が何羽か立て続けに現れた。学生時代この船に乗った時は、一日目のオオミズナギドリが二日目になると見事なまでオナガミズナギドリに代わっているのに驚き、世の探鳥ガイドにもそのことはよく書いてある。必ずしもそうとは限らないのだなと思ったが、冷静に考えるとフェリーでの探鳥を開始するのは普通、完全に明るくなった6時や7時からなのだから、4時から見ていればそれはオオミズナギドリもまだいるだろう。それだけ酔狂な時間からの観察ということだ。
僕を含む多くのバーダーは、風雨を凌げて且つ広い視野も確保できる、最上階の一つ下のAデッキで観察を行なうのだが、ここは一等船室に面しているため夜間から翌朝までは、船内との出入り口付近の狭いエリア以外閉鎖される。その狭いエリアに続々と鳥見人が集まって来る。朝5時には満員電車さながらの状態になってしまった。大きな三脚を広げて場所取りをする輩までいるから厄介だ。朝食を食べにも行きたいが、ここで離脱してしまうと4時過ぎから確保してきた場所を失うことになる。仕方なく、ザックに入っていたカロリーメイトで空腹を抑え、早朝の海面に目を凝らした。
混み合うデッキ
5時半頃より、数羽のカツオドリが船に付き出した。時には目線の高さで間近を通り過ぎる。目先から嘴の付け根が鮮やかな水色のオス成鳥も混じっている。彼らは無目的に、あるいは旅人に対する南国式の歓待として船の周りを飛び交っているわけではない。船の進路上にトビウオのいることがあり、船に驚いたトビウオは海上を飛んで回避しようとする。そこにカツオドリが突っ込むのである。鋭い嘴を海面に向け、翼をすぼめて矢のごとく勢い良く飛び込む。海面から豪快な飛沫が上がり、やや遅れてデッキから観察者の歓声が上がる。再度多量の飛沫を引き連れて浮上してきたカツオドリの嘴には、トビウオがあることもそうでないこともあるが、後者の場合でも引き続きトビウオを追跡できるので船に付くことは効率よく餌を取ることに繋がるわけだ。丁度アマサギが牛馬やトラクターの後に付いて、それらの追いだす昆虫等を捕食するのと同じ原理である。小笠原では外洋域を除き、ほぼ常にこのようなカツオドリがお伴してくれたおかげで、他の海鳥が少ない時でも飽くことなく過ごすことができた。
カツオドリ・♂成鳥
カツオドリ以外ではオナガミズナギドリやシロハラミズナギドリ、アナドリ等も出現したが、いずれも数は多くなく、船からの距離は遠かった。ただ、海鳥の採餌混群を幾つも見ることができたのは興味深かった。海鳥の採餌混群というと、北の海ではカモメやウの仲間、海ガモやウミスズメ類が主であるが、こちらではオナガミズナギドリ主体でそれにアナドリやクロアジサシ、カツオドリが加わって形成されていた。そこそこ沖合であるし、深く潜れる連中ではないので、おそらく表層近くの魚群を狙っているのであろう。季節によってはこれにトウゾクカモメの仲間が襲いかかったりしているのだろうか。
10時前、小笠原諸島の北端に当たる聟島列島を左舷に望む。現在では無人のこれらの島々はクロアシアホウドリの繁殖地にもなっており、この地で標識された鳥を2個体、釧路や根室の沖合で確認している。その島々を海上より眺め、何の関係も無さそうな遠く離れた北と南の海の「繋がり」を改めて実感する。ここでは2008年より伊豆諸島鳥島の繁殖地よりアホウドリの雛を移送して人工飼育し、将来それらが新しい繁殖地を形成することを目指す壮大なプロジェクトが山階鳥研を中心に展開されている。ちなみに、ここから旅立ったと思われるアホウドリも、今年の春に厚内の船頭が目撃している。
カツオドリ以外の海鳥が少なくなったと思ったら、父島の島影がすぐそこまで迫っていた。海は外洋域の黒みを失い、眩しいばかりのコバルトブルーである。11時半、二見港に入港。父島は諸島に二つだけの有人島の一つで、小笠原の中心地である。港に近接したメインストリートには小笠原村役場はじめ、商店や飲食店、宿等が居並び、旅人はここを拠点にクジラやイルカのウオッチング、ダイビング、島めぐり、トレッキング等を行なうことになる。こう書くと、小笠原の島々は原生以来の自然を豊かに残す桃源郷のように思われるかもしれないが、そうではない。小笠原は成立以来他の大陸と地続きになったことの無い海洋島(大洋島)である。それゆえ、そこに辿り着いた数少ない生物は独自の進化を遂げた。しかし、人間や人間が持ち込んだ生物が島に侵入した時、それらに対して海洋島の生態系は余りにも脆弱である。鳥を例にとっても19世紀の内にオガサワラカラスバト、オガサワラガビチョウ、オガサワラマシコそれにハシブトゴイが絶滅し、硫黄島では戦前マミジロクイナが絶滅した。ハシブトゴイやマミジロクイナは東南アジアや太平洋の島々に今でも同種が分布しているが、前3種は小笠原の固有種であり、数点の標本を残して地球上から永久に消え去ってしまった。移入種の問題も深刻だ。集落付近で群落を形成しているリュウキュウマツやギンネム、モクマオウ等の樹木は人為的に持ち込まれたもの。野生化したヤギが植生を破壊し、オオヒキガエルやグリーンアノールといった爬虫・両生類も外来種が多い。
父島・二見港入港直前
船を降りると多くのバーダーは夕方の出港まで、陸鳥を求めて蜘蛛の子のように散って行くが、僕はフェリーターミナルに残り、カメラや携帯電話を充電させてもらった。船内にも充電コーナーはあるものの、後に意識して見ると常に塞がっていたのでこれは正解だった。充電には思いのほか時間がかかり、終わった頃には空腹で足元がふらつく程だったので、メインストリートの寿司屋に入って島魚の刺身定食を頼む。カジキマグロやオナガダイの刺身をビールで流し込む。美味い!刺身には日本酒を慣わしとしているのだが、南国の昼に飲る時はやはりビールに限る。今度はほろ酔いでふらつく足元のままスーパーで缶ビールを買い込み、近くの公園へ。気温は30℃を超えているが、海洋性気候のため東京のような蒸し暑さはなく、木陰に入ると快適である。
島魚の刺身定食
腰を下ろし呆けていると、鳥の方から近くに来てくれる。まずは若いイソヒヨドリ、次いでメジロの一団。これにヒヨドリ(全体的に濃色な亜種オガサワラヒヨドリ)が、父島の集落周辺で出会う主な陸鳥である。郊外に行ってもウグイス(亜種ハシナガウグイスで、囀りは本土のものと比べて著しく簡素)やノスリ(亜種オガサワラノスリ)、トラツグミ等が加わる程度だ。陸鳥の種数が少ないのも海洋島の特徴であり、そこに辿り着くことがいかに困難かを物語っている。小笠原の場合、近代の絶滅も陸鳥の種数減少に拍車をかけた。集落周辺で見るスズメサイズの小鳥は、まずメジロである。このメジロだが、実は元からいたものではない。日本人が入植する1900年代まではいなかったと言われ、人為的に持ち込まれた伊豆諸島の亜種シチトウメジロと硫黄列島の亜種イオウジマメジロの交雑個体群と考えられている。それが100年を経た現在、島で最も優占する陸鳥となっている。そんなことを考えながら目の前を去来するメジロたちを眺めながら、ある一つの違和感を覚えた。それが何であるかはじきに判明した。ありとあらゆる場所で採餌しているのだ。本土のように枝先近くで餌を探すものもあれば、樹の幹や地上、空中等様々な場所に餌を求めている。特に地上での採餌は活発で、これほどの頻度で地上採餌するメジロを本土で見た記憶が無い。まるでスズメのようだ(スズメはこの諸島にはいない)。本土では多くの種が競争しながら共存しているため、各種のニッチ(*注3)はかなり局限されざるを得ない。しかし、この海洋島では競争する近縁種が少ないことに加えて固有種の絶滅によりニッチに大きな空白が生じ、そこをメジロが巧みに利用しているのかもしれない。
メジロ
巣立ち雛への給餌中
同じ通りにあるビジターセンターを見学したり(小笠原の自然と文化について手っ取り早く学べる)、硫黄クルーズから帰った後のツアー手配や買い物、最後は港近くで仕入れたパパイヤキムチ(まだ熟さないパパイヤの薄切りをキムチ風に漬けこんだもの)を肴に麦酒を飲んで、夕刻の出港を待つ。船客待合所に戻り、18時より旅程説明やスタッフ紹介等のオリエンテーションを経ておが丸に再度乗船。19時、今度は硫黄列島へ向けて出港した。船内では海鳥のレクチャーも行なわれていて参加したのだが、メモを取らなかったこともあり、一月を経た今よく覚えていない。然程印象に残らなかったか、昼からの酩酊で既に記憶が曖昧だったのだろうが、己のことだからたぶん後者であろう。レクチャー後は船室へ戻る。多くの客はそのまま小笠原に滞在するため、船室の人口密度は昨夜よりかなり低い。しかも、隣の人は別の船室にいる友人の所へ行くと場所を開けてくれたため、ようやく普通の2等船室並みのスペースを確保することができた。21時30分頃、明日に備えて就寝。思えばこれが今回唯一の正規の船室での就寝であり、この旅で唯一の自発的な(=酔いつぶれない)就寝であった。
父島のメインストリート
*注3 ニッチ(niche):生態的地位等と訳されることがあり、ある種の生活の場(生息場所や資源利用パターン)とか、ある種の個体群の適応の総体をあらわす言葉。「この2種はニッチが違う」というと、両者は一緒に住んではいるがどこかで生活の場を違えていることを意味する。
(2011年8月 千嶋 淳)
以前の記事は、
小笠原・硫黄列島に海鳥を訪ねて①