鳥キチ日記

北海道・十勝で海鳥・海獣を中心に野生生物の調査や執筆、撮影、ガイド等を行っています。

ウミスズメ類の名付け親 パラス

2013-01-28 16:23:05 | 海鳥
1
All Photos by Chishima,J.
エトロフウミスズメ 2012年2月 北海道厚岸郡浜中町)


NPO法人日本野鳥の会十勝支部報「十勝野鳥だより179号」(2012年12月発行)掲載の「不定期連載学名に親しもう③ウミスズメ類の名付け親 パラス」より転載・写真を追加)


 前回この連載が掲載されたのは2009年4月発行の166号なので、約4年弱ぶりということになる。それで連載かとツッコまれそうだが、こうなるのを見越して「不定期連載」と銘打っておいたのは我ながら名案であった。次は次号かもしれないし、数年先かもしれない。閑話休題。学名は通常、属名と種小名の2語によって表記されるが、学術的な目録や専門書では例えば Hirundo rustica Linnaeus, 1758 のように種小名の後にもう1語と4桁の数字が付くことがある。これはその種を記載した人の名前と記載された年で、Hirundo rustica(ツバメ)はリンネ(*注1)が1758年に記載したことが分かる。Ficedula narcissina (Temminck, 1836)のように人名、年が括弧で括られている場合もある。記載時と現在の属名が異なる場合にこのような表記になり、テミンク(*注2)がキビタキを1836年に記載した時には現在とは異なる属名だったことが分かる。なお、記載者名と年はイタリックにしない。

 先日、ウミスズメ類についてこの記載者、年入りの学名を調べていたところ、Aethia cristatella (Pallas, 1769)(エトロフウミスズメ)のように、パラスによる記載の多いことに改めて気付いた。ゴマフアザラシの記載者でもあり、カワガラスの学名(Cinclus pallasii)(*注3)やオオマシコの英名(Pallas’s Rosefinch)にもその名を残すパラスがロシア帝国の偉大な博物学者であることは知っていたが、ここまでウミスズメ類を記載していたとは驚いた。ウミバト、ケイマフリ、マダラウミスズメ、アメリカウミスズメ、ウミオウム、エトロフウミスズメ、コウミスズメ、ウトウ、エトピリカの9種にも及ぶのだ。ウミスズメ科の現生種は、絶滅したオオウミガラス(*注4)も含めると世界で24種だから、実にその3分の1以上を記載していることになる。大西洋にのみ分布する3種(*注5)、大西洋と太平洋に分布するため早い時期にリンネらによって命名された4種(*注6)、アメリカの西海岸や日本周辺等ロシアの研究が及ばない範囲の3種(*注7)を除くと、北太平洋に固有な14種(*注8)のウミスズメ類の6割以上が彼の命名である。こうなると北太平洋のウミスズメ類の名付け親と言っても過言ではない。彼の生涯や業績について、もっと知りたくなった。私の知る限り、西村三郎「未知の生物を求めて 探検博物学に輝く三つの星」(1987年 平凡社)は日本語で読める唯一のパラスの伝記である。以下、同書を参考に彼の略歴を振り返ってみよう。


オオマシコ(オス)
2009年2月 北海道中川郡豊頃町
Img_5348


ウミオウム
2011年1月 北海道十勝沖
Img_9775


 パラス(Peter Simon Pallas)はドイツ人で1741年、有名な外科医を父にベルリンで生まれた。ヨーロッパでは産業革命や、後に市民革命へ続く啓蒙思想が広まりつつあった時代だ。日本は徳川の8代将軍吉宗の治下にあった。幼い頃から生物の好きだったパラスは13歳で大学に入り、動物学と植物学を特に熱心に勉強した。外国語にも才能を発揮し、ラテン語、英語、フランス語に堪能だったという。19歳でライデン大学から学位を取得し、その後はロンドンやオランダ、ベルリンを転々としながら研究を重ね、幾つもの著作を発表しながら博物学者としての名を上げてゆく。
 1767年、ロシアの科学アカデミーから探検隊のリーダーとして招聘され、同アカデミーの教授となる。当時のロシアは、進取の気性に富んだ女帝エカテリーナ2世のもと、教育、文化、産業等あらゆる面でめざましい躍進を遂げつつあった。その時代の流れの中で立案、計画されたシベリアから南ロシアまでの広大な地域の探検隊長に抜擢されたのだった。翌1768年にペテルブルグを出発した探検隊は、いくつかの班に分かれて北は北氷洋から南は北ペルシア、西はコーカサスから東はアムール川上流までの広大な地域を6年の月日をかけて探査し、ペテルブルグに戻ったのは1774年であった。調査対象は科学のほぼ全分野を網羅し、地質鉱学、自然地理や動植物学はもちろんのこと、薬学、民俗学、考古学、言語学等にも及んだ。
 探検から戻ったパラスはペテルブルグ科学アカデミーの博物学教授として、やはり分野横断的な研究に尽力し、多くの論文や図譜を残し、数多の生物の命名・記載も無論行なった。50歳を過ぎてからロシア南部のクリミア地方への調査旅行や移住を行なう等その精力的な活動は続いたが、1810年故郷のベルリンへ戻り、翌年そこで没した。彼がライフワークとして取り組んだロシアの動物相に関する大作は、死後「ロシア‐アジア動物図誌」として刊行された。一巻と二巻で哺乳類と鳥類、三巻で爬虫・両生・魚類を扱ったこの厖大な業績は、旧北区(*注9)の脊椎動物学全体を基礎付けたものとして高い評価を受けている。


ゴマフアザラシ
2013年1月 北海道厚岸郡浜中町
Img_0060


 さて、生涯を通じて厖大な新種記載を行ったパラスは、どのような経緯で多くのウミスズメ類の記載に携わったのだろうか?原記載を当たることができないので、ここからは推測である。記載された年に着目すると、種数の多い割に1769年と1811年の2年にすべてが記載されている。1811年は彼の死後に刊行された「ロシア‐アジア動物図誌」の中での記載である。ウミオウム、エトロフウミスズメ、エトピリカの3種のみ1769年である。1769年というと、かのシベリア探検中だ。この探検で重点が置かれたのは南ウラルや西シベリア、バイカル湖周辺等の大陸部で、ベーリング海やオホーツク海には他の班も含め到達していないらしいこと、パラスが探検の最中にも後の報告書の基礎となる執筆を続けるほど勤勉だったとはいえ、多数の標本や文献を渉猟する必要のある新種記載を僻地で行うのは困難であろうことを考えると、これらは前年の旅立ち以前に書いたものがこの年に出版されたと考えるのが妥当である。


エトピリカ(夏羽)
2012年6月 北海道厚岸郡浜中町
Img_7843_edited1


 科学アカデミー赴任直後のパラスは、ステラー(Georg Wilhelm Steller 1709-1746)が残した標本整理に情熱を傾けたという。ステラーもパラスと同じくドイツ出身でロシアに仕えた博物学者で、ベーリング(*注10)の第2次カムチャツカ探検に参加し、ベーリングが後に彼の名の冠された島で没した後は隊員を率いてそこから脱出、カムチャツカでも博物学資料の収集を行ったが、ペテルブルグへの帰還途上に37歳の若さで亡くなった。彼がベーリング海やカムチャツカで収集した標本類が、ほとんど手つかずの状態でアカデミーに残っていたのだから若きパラスが夢中にならないはずはない。そんな標本の中に、当時未記載だったウミオウム等を見出したのかもしれない。ちなみに、ステラーはその人となりはともかく、多くの動物名に今日も生き続けている。オオワシ(Steller’s Sea Eagle)やトド(Steller Sea Lion)の英名を聞いたことのある人は少なくないだろうし、発見から僅か27年で姿を消した大型の海牛類、ステラーカイギュウ(*注11)は絶滅動物を語る上で欠くことのできない存在だ。コケワタガモの英名(Steller’s Eider)や学名(Polysticta stelleri)にもその名を残しているが、これを記載したのは1769年、パラスである。1811年に記載された残りの種は、彼の生涯の集大成的な著作中であり、いつ、どのような形で収集されたものかは不明だが、産地の多くはカムチャツカやベーリング海である。ベーリングやステラーが集めたものだったかもしれないし、その後の探検で科学アカデミーに届いた標本だったのかもしれない。こうして見てくると、パラスは彼自身が記載した北太平洋やベーリング海のウミスズメ類の生きている姿を実際に見たことはなかったようである。しかし、たゆまぬ精進によって磨き上げられた直観や鑑別力がウミスズメ類に対しても大いに発揮されたことは、200年以上を経た今日でもその分類の生きていることが確かに証明している。


オオワシ(幼鳥)
2012年12月 北海道中川郡幕別町
Img_6267


トド
2009年11月 北海道目梨郡羅臼町
091130


*注1リンネ(Carl Von Linne 1707-1778):スウェーデンの博物学者。学名を属名と種小名の2語のラテン語で表す二名法を確立したのをはじめ、綱、目、属といった上位分類群を階層的に位置付ける等「分類学の父」として現在でも国際的に名を馳せる。
*注2テミンク(Coenraad Jacob Temminck 1778-1858):オランダの動物学者で、ライデンの王立自然史博物館の初代館長を務めた。シーボルトの「日本動物誌(ファウナ・ヤポニカ)」編纂に当たっては、同博物館のシュレーゲルと共に脊椎動物を担当し、日本の大型脊椎動物は彼らによって記載されたものが非常に多い。コマドリとアカヒゲを記載する際の手違いについては、本連載2回目「変更できない過ち」を参照。
*注3:カワガラスを記載したのは上記のテミンクで、パラスの死後の1820年のこと。パラスがシベリア探検で残した標本類の中に新種を見出したのだろうか?
*注4オオウミガラス:かつて北大西洋に生息したウミスズメ科鳥類。体長が75cmもあり直立していたので、その姿はむしろペンギンのようだったという。飛べなかったため肉や羽毛目当てに乱獲され、1800年頃までにほぼ絶滅した。わずかに残っていた個体も繁殖地の火山噴火や標本目的の採集によって追い詰められ、1844年に標本収集者の依頼を受けた水夫によって最後のつがいが殺された。目視記録も1850年代には絶えて地球上から絶滅した。
*注5:オオハシウミガラス(日本で1例の古記録はある)、ニシツノメドリと絶滅したオオウミガラス。
*注6:ウミガラス、ハシブトウミガラス、ヒメウミスズメ、ハジロウミバトで、ウミガラス以外の3種は1758年にリンネが記載している。
*注7:日本近海のカンムリウミスズメ(テミンクが1836年に記載)、北米西海岸のみに分布するセグロウミスズメとクラベリーウミスズメ。
*注8:パラスが記載した9種以外は北米側のマダラウミスズメ、コバシウミスズメ、ウミスズメ、シラヒゲウミスズメ、ツノメドリ。
*注9旧北区:生物地理区分の一つで、ヒマラヤ山脈以北のユーラシア大陸とサハラ砂漠以北のアフリカ大陸を含む広大な地域。トカラ列島南部の渡瀬線以北の日本は旧北区に属する。
*注10ベーリング(Vitus Jonassen Bering 1681-1741):デンマーク生まれのロシアの探検家。2度のカムチャツカ方面への探検を指揮し、ユーラシア大陸とアメリカ大陸が陸続きでないことを確認したが、第2次探検の際にコマンドル諸島の無人島に難破し、同地での越冬中に多くの船員と共に息を引き取った。ステラーは第2次探検に参加していた。現在、ベーリング海やベーリング海峡、ベーリング島等にその名を残す。鳥屋であればベーリングユキホオジロも脳裏を過るかもしれない。
*注11ステラーカイギュウ:かつてベーリング海に生息したジュゴン目(海牛目)に属する大型の海生哺乳類で、体長は5mを越え、体重は5-12tに達する現生では最大のカイギュウ類であった。暖かい海でアマモ等の海草を食べるジュゴン等とは異なり、豊富な皮下脂肪を蓄え、コンブ等の海藻を食べていた。ベーリングの第2次探検隊がコマンドル諸島で難破した際に「発見」され、生き残った隊員の貴重な食料源となった。動きが鈍く、人間に対する警戒心の薄いことが災いして乱獲され、発見から僅か27年後の1768年に捕獲されたのを最後に絶滅した。ベーリング島周辺の海底には、現在でも本種の骨が点在するという。


(2012年12月28日   千嶋 淳)



書評:「鳥 優美と神秘、鳥類の多様な形態と習性」

2013-01-23 22:58:25 | 鳥・一般
Oki5
All Photos by Chishima,J.
ツバメチドリ 2012年4月 沖縄県石垣市)

NPO法人日本野鳥の会十勝支部報「十勝野鳥だより179号」(2012年12月発行)より転載 一部を加筆・修正また写真を追加)

 この9月に、まだ真夏の暑さを引き摺る東京で参加した日本鳥学会100周年記念大会では、600名を超える参加者が連日議論を交わした。秋も深まった11月、千葉県にある手賀沼の畔で2日間に亘って開かれたジャパン・バード・フェスティバルでは、複数の会場で行われた企業や地方自治体、市民団体等によるブース出展やイベント、講演等は多くの人で賑わった。これだけ見ると学問として、また趣味として鳥に関わる人が大変増え、周辺環境も活発化していることが伺える。しかし一方で、鳥学や鳥類全体を広く概観できる人は増えないどころか寧ろ減っているのではないかと感じている。
 その理由の一つとして、鳥類についての幅広い情報を的確に伝える教科書的な書物の少ないことが挙げられる。比較的最近に出版されたものとして思い付くのが、M.ブライト「鳥の生活」(1997年)やF.B.ギル「鳥類学」(2009年)あたりだが、前者は生態にやや偏っている感は否めない。後者は鳥類学の分野を広く網羅しているものの、750ページ近い大部の書であり、また読み手は多少の生物学的な知識を必要とする。どちらも訳書である。日本人の手によるもので鳥を広く扱ったものとしては平凡社の「日本動物大百科」が1990年代のものだが、分類群ごとに専門家が分担執筆したもので、内容も生態中心である。また、「これからの鳥類学」(2002年)や「現代の鳥類学」(1984年)は鳥類学の専門書だが実際には論文集であり、系統立てて学べる類のものではない。この手の教科書が、昔から日本に皆無だったわけではない。大正15年に出版された内田清之介(*注1)の「鳥学講話」は、鳥の繁殖、渡りから始まって鳥と人生、鳥類の保護と云った章まで設けられ、自然科学の枠を超えた鳥学の教科書として、現代でも十分通用する。昭和16年出版の「鳥」は同書のダイジェスト版的な内容で、平易な文章で要点を纏めているので格好の入門書でもある。戦後、学問が細分化される中で広い視野を持った研究者がいなくなり、また過度の業績主義で研究者が論文ばかり書かねばならず、内田のような一般書や随筆を多く書ける人材が育たなかったのが、近年国内において同様の良書が存在しない理由であろう。


交尾直前のスズメ
2012年6月 北海道中川郡池田町
牛舎の屋根にて。左のメスは総排泄腔が見えている。
Img_4305


 本書は2008年に出版された「The Secret Life of Birds Who they are and what they do」の日本語訳である。4部と10の章から成り、500ページ近い大著の中に写真はなく、イラストもモノクロが時折ある程度なので字数はかなり多い。それでもすらすらと読めてしまうのは、著者のコリン・タッジ氏がケンブリッジ大学で動物学を学んだサイエンス・ライターであり、執筆や講演を通じて科学をわかりやすく伝えることに長けているからだろう。単なる科学的事実の記述にとどまらず、我々の感性に訴えかける姿勢は全体を通じて一貫している。また、樹木や農業・食糧問題の著作もある氏ならではのものとして、しばしば鳥以外の生物との対比があり、生物界や生態系における鳥類の位置付けが従来の類書よりも理解しやすくなっている。
 第Ⅰ部「一味違う生き方」は飛翔の功罪と鳥の起源について述べ、第2章「鳥の生い立ち」では最近の知見も交えて鳥の起源にかなり詳細に迫ってゆく。羽毛を持つ恐竜等、これまでの定説が次々と覆されているこの分野の、近年新たな発見が相次いでいる中国での発掘成果等も含めたレビューは読み応えがある。ちなみに、第2章を数ページ繰っただけでもホワイト(*注2)、ウォーレス(*注3)、ダーウィン、アガシ(*注4)、ハクスリー(*注5)等錚々たる博物学者の名を目にできるのは、長い博物学の伝統を持つ英国の、文化的な奥深さを感じざるを得ない。
 第Ⅱ部「登場人物」は鳥の分類に関するものだ。第3章「登場人物の把握‐分類は不可欠」では分類学について、近年盛んになりつつあるDNAに基づく研究も含めて紹介している。折しも2012年9月に発行された「日本鳥類目録第7版」がDNAによる研究成果を採用して、従来の分類が大幅に変更されたばかりなので、DNAによる分類とは何で、旧来の分類をどう変えたか知るには最適である。ただし、本書と「日本鳥類目録第7版」の分類が完全に一致しているわけではなく、例えば本書ではハヤブサ科をタカ目に含めているが、「日本鳥類目録第7版」はハヤブサ目としてタカ目から分けている。続く第4章では、系統樹に基づいた30の目を主な単位に、世界中の様々な鳥類を紹介してゆく。形態や系統を中心にユニークな種等も取り上げ、流れるように鳥類の多様性を俯瞰できる。化石による類縁関係の推定が詳述されているのが興味深い。エチオピア区(*注6)やオーストラリア区(*注7)、新大陸には目や科レベルで馴染みが薄いものも多いので、図鑑やインターネットでその姿を探しながら読み進めると良い。


オオタカ(左)とハヤブサ(いずれも成鳥)
左:2010年11月 北海道十勝郡浦幌町 右:2012年6月 北海道
従来タカ目に統合されていたハヤブサ類は、近年ではスズメ目により近い独立した目として扱われることが多い。
Photo


 著者が「本書の心臓部」と謳う第Ⅲ部「鳥の暮らし」は、採食、渡り、性と繁殖と云った主に生態的な部分を扱う。200ページを超える相当な情報量も、続々紹介される鳥たちの興味深い生態につい読み耽ってしまう。性や繁殖に関する部分では性選択や利他的行動等社会生物学の分野にも踏み込んでいるが、豊富な事例によってそれらを知らない人にも理解できるようになっている。第9章「鳥の心」の後半で扱う脳と社会性等については、最新の情報を日本語で読める数少ないものだろう。章の最後でそれらについて科学徒らしく「明言できない」と簡潔に答えながらも、後に続く「鳥類に心などないと主張するのはひねくれているとしか思えない。鳥類は間違いなく心をもっている。」からは、著者の鳥に対する深い愛情と慈しみの念を感じる。
 最終の第Ⅳ部「鳥と私たち」は、避けては通れない共存の問題である。有名なドードーやオオウミガラスだけでなく、いかに多くの鳥たちを人間が絶滅させて来たかに改めて愕然とする一方、未来への希望となる保全の成功例も紹介している。エピローグ「考え方の問題」ではダーウィニズムやこれまでの生物学を歴史や社会的背景の観点から捉え直して唯物論的思考や競争を批判し、協力に根ざした自然な経済を確立するために鳥類からは多くの学ぶべき点があると締めくくる。
 全体を通じて、翻訳やその校正に明らかな誤りが多いのは残念である。例えば、165ページにある英語でグレーファラロープ、米語でレッドファラロープのヒレアシシギは、アカエリヒレアシシギではなくハイイロヒレアシシギである。375ページの「ウミバトの仲間」は、その後の「断崖の岩棚に一つだけ卵を産む」という記述からウミガラスの仲間なのは明白である。ウミバトの仲間は岩礁の隙間等に2卵を産むのが普通である。ウミガラス類、ウミバト類とも英語ではGuillemotのため生じた誤訳であろう。漢字の誤りや段落が変わったのに行頭が下がらないといった校正の杜撰さは、随所に見受けられる。これらは全体的に硬めの訳文と相まってスムーズな読書を妨げている。


ウミガラス(左)とウミバト(いずれも冬羽)
左:2011年2月 北海道根室市 右:2011年3月 北海道根室市
米語ではウミガラス類がMurre、ウミバト類がGuillemotであるが、英語ではどちらもGuillemotだ。
2


 とはいえ、鳥類学の広範な分野に亘って最新の知見を豊富な事例とともに凝縮した本書は、すらりと読める鳥の教科書として類書のないものであり、その価値は高い。鳥類学に関心のある人だけでなく、鳥好きなら十分楽しめる内容である。探鳥から帰った休日の午後に紅茶を、あるいは深々と雪の降る冬の夜更け、ナイトキャップを片手に鳥たちの多様な世界を垣間見ることにより、日々の鳥見が更に豊かなものとなることは間違いない。


アカエリヒレアシシギ(夏羽)の群れ
2011年5月 北海道道央沖太平洋
Img_3609


ハイイロヒレアシシギ(冬羽)
2011年8月 北海道十勝沖
米語では夏羽の羽衣にもとづくRed Phalarope、英語では冬羽由来のGrey Phalaropeが用いられることが多い。
Img_6893


*注1内田清之介(うちだせいのすけ1884-1970):鳥類学者。東京・銀座の商家に生まれ、東京帝国大学で動物学を学ぶ。日本鳥学会の創設メンバーの一人。農商務省鳥獣調査室長等を歴任し、日本の鳥の分布や生態、渡りを研究。日本における鳥類標識調査の創始者でもある。鳥獣保護にも情熱を注ぎ、その著書は「日本鳥類図説」のような専門書から一般向けの「野鳥礼賛」まで幅広く、数も多い。中西悟堂と並ぶ、日本の鳥界における名随筆家だ。
*注2ホワイト(Gilbert White 1720-1793):英国の牧師、博物学者。身近な自然を風土と合わせて記録した「セルボーンの博物誌」は、ナチュラルヒストリーの不朽の名作として、今日でも燦然と輝きを放つ。
*注3ウォーレス(Alfred Russel Wallace 1823-1913):英国の探検博物学者。アマゾン川流域に続くマレー諸島の探検中に自然選択説に辿り着き、書簡を交換していたダーウィンと共同で、1858年のロンドンリンネ学会で発表された。インドネシアのバリ島とロンボク島の間に生物分布の境界線があることを発見し、後に東洋区とオーストラリア区の境界として「ウォーレス線」と命名され現在に至る。後年には心霊主義や環境問題にも関心を示した。探検記の「マレー諸島」は新妻昭夫による版をはじめ幾つもの邦訳があり、ウォーレスの足跡を辿った新妻の「種の起源を求めて ウォーレスの「マレー諸島」探検」もまた好著である。
*注4アガシ(Jean Louis Radolphe Agassiz 1807-1873):スイス生まれの米国の海洋・地質・古生物学者。氷河や海洋生物の研究を通じて大洋や大陸は太古から変わらぬ恒久的な存在と信じ、進化論の強固な反対論者であった。
*注5ハクスリー(Thomas Henry Huxley 1825-1895):英国の生物学者。進化論を強力に擁護し、「ダーウィンの番犬」の異名で知られた。カンムリカイツブリやアビの求愛行動等の研究で知られる鳥類学者のジュリアン・ハクスリーは彼の孫に当たる。
*注7エチオピア区:生物地理区分の一つでアラビア半島南部、イラン南部、サハラ砂漠以南のアフリカ大陸を含む。鳥類ではダチョウやホロホロチョウ科、ネズミドリ目等がこの区に特異的。
*注8オーストラリア区:生物地理区分の一つで、オーストラリア、ニュージーランド、パプアニューギニアや周辺諸島が含まれる。哺乳類では有袋類(カンガルーやコアラ)や単孔類(カモノハシ)、鳥類ではエミュー科やコトドリ科等が特徴的である。


Img


ISBN 978-4-7813-0522-6 C0045     体裁:四六判・509ページ
発行元:(株)シーエムシー出版      著者:コリン・タッジ
発行:2012年10月29日         訳者:黒沢令子
価格:3150円(3000円+税)


(2012年12月28日   千嶋 淳)


青春と読書⑪シャチ

2013-01-22 21:54:21 | お知らせ
Img_5107
Photo by Chishima,J.
シャチ 2012年12月 北海道厚岸郡浜中町)

 たいへん遅ればせながら、新年明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。
 さて、集英社の本のPR誌「青春と読書」に連載させていただいている「北海道の野生動物」。第11回となる2月号(1月20日発売)のテーマは、シャチです。実は別の動物を考えていたのですが、入稿直前に霧多布の海で見たシャチとイシイルカの緊張感に満ちた出会いに刺激を受けて一気に書き上げました。クジラやイルカを襲うことさえある海のハンターと、そんな彼らの習性をよく知っていた先住民族アイヌとの関係、最近の北海道での状況等を手短ながらも文章にしたためてみました。お近くの書店等でお手に取っていただければ幸いです。web上での購読申し込みや見本誌プレゼントもありますので、書店で手に入りづらい場合はそちらもお試し下さい。
 本連載もいよいよ次号(3月号)で最終回です。まだご覧になっていない方は、この機会に是非どうぞ!!

(2013年1月21日   千嶋 淳)