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Photo by Chishima, J.
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アミメキリンの親子 2015年8月 北海道帯広市おびひろ動物園)
(FM JAGAの番組 KACHITTO(月-木 7:00~9:00)のコーナー「十勝の自然」DJ高木公平さん 2015年10月21日放送)
昨日ご紹介したカケスとドングリのように、一つの生物の変化が引き金となって別の生物も変わってゆくことを共進化(きょうしんか)といいます。共進化は生物間の複雑な相互作用をわかりやすく説明し、ユニークで面白いので、観察会や講演でも時々ネタとしていますが、進化について一般の方々の中に誤解の多いことをしばしば実感させられます。
最も多いのが進化に目的があるという誤解。カケスとドングリの例ですと、ドングリがカケスに自身を運ばせて分布を広げる「ために」進化したと勘違いされがちですが、現在の関係はあくまで「結果」であって、それを目的に進化が起こったわけではありません。昔は軟らかいドングリや赤いドングリだって存在した可能性があります。しかし、それらは地面へ貯えるのに適していなかった、動物が好む味でなかったなどの理由で子孫を残すことができず、絶滅してしまったかもしれません。いま繁栄している生物の裏には、その何千、何万倍もの、化石すら残さず消えて行った系統があるのです。
それと関連して、キリンが高い所の葉を食べるために何世代もかけて首を長くしたというような、親が獲得した有利な形質が遺伝しながらの進化もよくある誤解です。後天的に獲得した形質が遺伝しないことは科学的にも確かめられており、ダーウィンに始まる現代の進化論では、遺伝子の突然変異と自然選択(自然淘汰とも呼びます)が進化の原動力で、それらは偶然に左右される、目的や方向性のないものと考えられます。
また、繁殖や闘争、その過程で時に見られる自己犠牲的な行動は「種の保存のため」というのも誤解です。多くの進化学者が自然選択の単位は種などのグループではなく、個体、ひいては遺伝子であり、一見利他的な行動も実はそれらを通じて自己の遺伝子を少しでも残そうとしているにすぎないとの説に同意しています。
もっとも、進化には未解明の部分が多く、新しい発見や理論も相次いでいますから、今日のお話自体が数十年後には誤解となっているかもしれません。
(2015年10月20日 千嶋 淳)