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海外の都市の紹介、 その82の13 『ローマ』

2010年10月14日 | 海外の都市の紹介
『ヴァチカン博物館』です。
展示面積が約4万m2という広大な博物館で、システィーナ礼拝堂、ピナコテカ(絵画館)、ピオ・クレメンティーノ美術館、キアラモンティ美術館など幾つかのブロックに分かれています。
ヴァチカンは『ヴァチカン市国』と呼ばれる独立した一つの国です。
写真はピーニャの中庭です。 
中央にあるのは、アルナルド・ポモドーロの『球のある球体』が配置されています。
1990年にヴァチカン博物館のために作られたもので、直径が4mもあります。



『地図のギャラリー』です。
教皇グレゴリウス13世(在位:1572~1585)が描かせたイタリア各地の40枚の地図が廊下の両側に並んでいます。



ヴァチカン博物館は、16世紀初頭、ヴァチカンの教皇ユリウス三世がベルヴェデーレ宮殿の中庭に古代ギリシャの彫刻群を置いたことから始まり、歴代のローマ教皇は同時代の芸術家を手厚く保護し、また多くの美術品を収集しました。
19世紀にはエジプト美術館、エトルリア美術館、世俗美術館、キリスト教美術館等が次々に増設し、20世紀に至るまでヴァチカン美術館の拡大は続き、今や世界有数のコレクション数になっています。



『ボルジアの間』の天井画です。
教皇アレクサンデル6世がピントゥリッキオに装飾させた部屋です。



ピオ・クレメンティーノ美術館にある『ラオコーン像』です。
小学校の教科書にも載っていたように思います。
八角形の広場(Cortie Ottagono)と呼ばれる天井吹き抜けの屋内広場に設置されています。
その苦悶に満ちた表情は、蛇に噛み殺される苦悶の表情が描かれています。

トロイア戦争のおり、トロイの司祭ラオコーンが城内に木馬を入れないように主張したため神罰を受け、その場で子供たちとともに2匹のヘビに絞め殺されたという伝説の一場面です。
この像は1506年にティトゥス帝(在位79-81年)の宮殿跡(ネロの黄金宮殿跡の近く)から発見され、ミケランジェロも発掘現場に駆けつけたそうです。
ミケランジェロも絶賛し、教皇ユリウス2世が購入して、ヴァチカンに運ばれてきました。



『ベルヴェデーレのトルソ』です。
この大理石像には、前1世紀のアテネの彫刻家アポロニウスのサインがあるそうです。
トルソとは、腕・足、時には頭部のない、上半身部分だけの彫刻のことのようです。
発見されたときには、右腕と左手が欠けていましたが、ミケランジェロの工房で補完されました。



他にも、紹介しきれないほどの美術品があります。
詳細は、時間がなく調べきれないので、写真だけです。



エジプトのイシス神殿から持ち帰った王家の人々の像やミイラも展示されています。



ヴァチカン市国ってなんでしょう。
世界中のカトリック教徒を率いるローマ教皇は中世ヨーロッパでは各国の国王をも凌ぐ大きな権力を持っていました。
北イタリアにはローマを中心とした広大な領土も持っていましたが、近代になるとその権力も衰え1870年のイタリア統一の際にイタリア王国によって全ての教皇領土は奪われてしまいます。
教皇はバチカンの丘に立て籠もってイタリア王国と対立しました。

そんな中、1922年イタリアの政権の座についた時の独裁者ムッソリーニは教皇の権威をイタリア支配の為に利用しようとします。
そこで1929年イタリアと教皇サイドの間で「ラテラノ条約」が締結され、ローマ教皇の領土としてバチカン市国が誕生しました。



次回がローマ紹介の最後になるスペイン広場です。