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古い曲が気になる

今夜は、越路吹雪

2015-11-10 | 日記・エッセイ・コラム

 

 ユーミン、ハイ・ファイ・セット、赤い鳥、トワ・エ・モワ…………散歩しながらそんなアーティストのことを考えていた。もちろん、みんな、村井邦彦さんがプロデュースしてヒットしたスターたちだ。

 1967年ころかな、山手線に乗っていて、田町で車窓から見えるアルファ&アソシエーションのビルは、当時はとてもオシャレだった。

 あとで、わたし自身、荒井由実のコンサートの打ち合わせで何度か行くことになるのだが…………。

 

 そんなわけで、アルファー・ミュージックのアーティストのことを考えて歩いていると、東芝EMI(むかしは、東芝音楽工業、いまEMIミュージックかな)のことをいろいろ思い出すわけ。

 ユーミン、ハイ・ファイ・セット、赤い鳥、トワ・エ・モワもみんな、東芝レコードで発売していた。『朝まで待てない』『月光仮面』『たどり着いたら雨降り』の、モップスもまた東芝レコード(モップスのドラマー、鈴木幹治さんが浜田省吾のプロデューサー。井上陽水のアレンジャー、安全地帯のプロデューサーは、モップスのギタリスト、星勝さん)。

 

 なぜ、今夜、越路吹雪、コーちゃんを聴いてるかというと、わたしは、帯広のレコード屋だけじゃなく、札幌もふくめた北海道全域をテリトリーにするプロモーターだった。興行師だね。(ソロになった矢沢永吉の北海道のプロモーターも、じつ、わたしだ。函館も、旭川も、札幌アイスアリーナのコンサートも、わたしの仕事なのよ、じつは………)

 はじめたころは、音楽業界のプロたち、そして、北海道のメディアのやつらにさんざんバカにされたもんだ。

 「井上陽水、何それ? 札幌厚生年金会館をとって(アホじゃないか)、大ホールにお客入るのか?(帯広の田舎者は、わかってないわな!)」と。

 モップスも、陽水も、荒井由実も、浜田省吾も、まぁ、札幌のやつらにはバカにされたものだ。

 ”やつら” というの新聞社、放送局の、ヤツラだ。HBCとか、STVとか、道新とか、あるわな、そういうヤツラだ。

 

 札幌でコンサートをやるので、番組で告知してくれませんか? とか、新聞社や放送局に行くわけ。コンサートの招待券を、読者、聴視者にプレゼント、とか、記事・告知放送をよろしく、と。

 「井上陽水! なにこれ、知らんな。ダメだよ、こんなの」

 「荒井由実? なにがいいんだか、わからんな。帯広の人(田舎者)の考えてることは、わからんな。道新ホールでコンサートをやるの? 赤字でしょ。告知記事? 書けないしょ。こんなものん」

 

 「また、浜田省吾、札幌でやるの? 前も言ったしょ、こんなもん、売れんよ。帯広(のクソ田舎者)のレコード屋だから、わかんないのだろ‥‥‥‥こんなもの……浜田省吾なんか、売れんよ」

 と、札幌でさんざんバカにされたものだ。わたしは、強烈に記憶力がいいので、そのテレビ局のやつ、ラジオ局のやつ、新聞社のやつらの名前も、顔をよく覚えているが…………忘れやしない!

 浜田省吾の前、荒井由実&ダウンタウン・ブギウギ・バンド・コンサートを道新ホールでやったときも、札幌のメディアのやつらに、強烈にバカにされたものだが………………。

 

 『スモーキン・ブギ』のダウンタウン・ブギウギ・バンドと、デビューしたばかりの荒井由実のジョイント・コンサートは、帯広、釧路、旭川・札幌、というコンサート・ツアーだった。もちろん、当然、大赤字であった。

 それら、興行の金銭的なリアルな話は、近日公開だな。面白いよ。

 

 で、越路吹雪の話にもどる。

 わたしが、東芝レコードの、モップスや荒井由実や、浅川マキやハイ・ファイ・セットを北海道でライヴ展開をするとき、東芝レコードのスーパースターは、越路吹雪だった。

 越路吹雪は、じつに偉大な歌手だと思う。わたしは、宝塚っぽい歌手は、いまひとつ、なにだが、越路吹雪の表現は凄い。

 

   越路吹雪 誰もいない海  https://www.youtube.com/watch?v=gt-nBUGjLio 

 


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