局の道楽日記

食道楽、着道楽、読書道楽  etc
生活色々を楽しんで暮らしている日々の記録です

源氏への誘い

2006-06-09 20:48:35 | 読む
今日は私の着物の師であるK先生の源氏物語の公開講義が某文学館であったので雨の中足を運んでみた。

源氏物語 日本人なら誰でも知っているだろう(名前だけは)だけど 読んでみようと勇気を奮うにはあの長さ、難解さは大きな壁である。現代語訳だって一人で読むのは結構かったるい。

私もそうだった。高校の古典で出てきた冒頭部分と若紫の部分くらいで辟易もんだった。でもK先生の講義に巡り合ってだいぶ眼を開かされた。
K先生の講義は 源氏の生活文化の面からわかりやすく語ってくれる事が多い。また、服飾の専門家として、十二単のかさね色が出てくると 実際に絹地に染めた色を重ねて見せてくださったり とても興味深いものだ。

それに少々下ネタ方面も上品にさらっと語ってくださり(源氏って気づかない所で下ネタの宝庫ですから)ちょっと眠い時も思わずがばっと身を起こしてしまうことも度々である。

今日は公開講義だったので、さわりの部分をピックアップしていただいたが、興味深かったのは 真木柱の抜粋である。髭黒の大将が源氏の養女玉鬘を手に入れて ルンルンしながら会いに行こうとし、元からの奥方(北の方)がそれを悲しみ錯乱して 香炉の灰をぶっかけちゃう所。若い彼女(と言うか一夫多妻だから合法的2号妻)に会いに行くのが見え見えなのに、その旦那の着物に香を焚き染める糟糠の妻。悲しいけど我慢してうちひしがれて が 爆発してその香炉の灰を出かける旦那の後ろから浴びせかけてしまう。
なんだか 今の時代にもありそうな話ではないか。人の心って言うのが どれだけの年月が経っても普遍的なものであるかがとてもよくわかるエピソードである。

後、冒頭での先生が抜粋された一節 

ーー殆ど誰でも知っていながら 殆ど誰も読んだことがなく (中略) 生きた文学として読まれることのこれほど少ない作家というのは、ほかに類例がないのではあるまいか。
だが欧米では、なるほど翻訳を通じてではあるにしても、「源氏」は生きて読まれている。日本ほど恐れをなして敬遠されてもいないし、偉大であっても手の届かない古典として祀り上げられてもいない。
そこで私は、日本人読者に申し上げたい気がするのである。紫式部(レディムラサキ)は今ではあなたがた日本人のものというより、むしろ我々欧米人のものとなりかかっているのではないかと。ーー

      エドワード・サイデンステッカー(米)
        東大で日本文学専攻・元コロンビア大学教授

だそうだ。アメリカ人にここまで言われてちと悔しいので 改めてこれからも勉強してみようと思った。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする