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局の道楽日記

食道楽、着道楽、読書道楽  etc
生活色々を楽しんで暮らしている日々の記録です

続・ジジイの啓蒙

2011-02-18 22:40:33 | 読む
vol.1から読んでね ★ 

さて 去年の春ごろから仲良しになった団塊シティーオヤジたち。その中のまとめ役オジは大学もなぜか二つ卒業していて 某所で教鞭をとり文筆もしているという文化度の高いオジである。
当然かなりの読書家である。
そのオジとひょんなことから本の話で盛り上がった。E・ケストナーの話だった。
ワタシの幼少の頃、かなり好きだった児童文学者である。
ワタクシ今まで生きてきて 男性と「飛ぶ教室」について盛り上がったのは初めてであった。あちらもそうだったらしい。
以前も書いたけど まったく利害関係もなく もちろん恋愛感情もない異性友達と昔読んだ本の話ができるというのは新鮮な体験であった。

そこでそのオジと昔読んだ本の話から、さらに今読んでいる本の話にもなった。日本の小説部門では三浦しおん氏の「仏果を得ず」 山本兼一氏の「利休にたずねよ」偶然最近読んで良いと思った本の趣味も一致した。
 ← これも実におもしろい

世の中には数多の本が出ているのに ここまで趣味が一致するのは珍しいことである。

ところが、私が「その人のは読んだことないですよ」と言った作家。そのことでオジは大変残念がった。「局さん 読んでないんだ ぜひ読んでみて」と
「は~い じゃ 今度買うね」と言ったら 「あっ いいよ買わなくて ちょっと待ってて」と言われた。

そしたらこのほど本の宅配便が送られてきた。ご丁寧に読む順序までレクチャーしてある。



百田さんを知らないのは不勉強であった。こちらを読んでくださる方の中には愛読している方も多いと思う。

ちょうどこのたびの胃腸風邪ですべての予定をキャンセルして家にいなくてはならなかったこの二日、スポーツドリンクとオジがくれた本を枕元に置いて ひたすら読書にふけったのであった。

まだ 永遠の~ と Boxの二冊が読み終わったところだけど、久しぶりにページをめくるのがもどかしくなるようなストーリー運びのうまさと 読んだ後の静かな感動(永遠の) すがすがしさ(BOX)に心をあらわれたわね。

わざわざここで比較の対象として名前を出すのも性格が悪いと思うが 最近実家に帰ったら、弟より 「ねーちゃん これ、おもしろいよ」と渡されたのは 去年の文春の「このミステリーがすごい」で選ばれていた 貴志OO氏の 「悪の経×」であった。厚い上下巻の本だが、確かにどんどん読み進める本であった。
サイコパスの高校教師が教え子を次々に殺していくというストーリー。描写もうまいし、やはり読み出したら止まらない面白さのある話なんだけど 読後感の悪い事・・・ 「あ~ 面白かった だけど なんなの?」
教師の鬼畜度が常軌を逸していて何も感情移入できないってところもあるけど、作者がこの殺戮話を通して何を伝えたいのかさっぱりわからず、刺激的な殺傷場面におしまいには頭の芯が疲れて「あっ もう読み返すこともないや」と思った。 考えてみるとバトルロワイアルの焼き直し感もあったしね。

しかし この百田氏の二冊。
ホントにいいよ。泣けたよ。感情移入できるよ。作られた登場人物ながら、「あ~ あなたたちに会えて良かった」と思える人たちに会えた気がする。

これは片っ端から私の気の合う人たちにおすすめしたい本である。
手始めに家族に 「読め 読め」とおしつけてある。

これについては もう一冊を読んでからそのうちここでまとめてみたいと思う。







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おまけつき

2010-11-15 00:06:09 | 読む
もう二週間以上前のことになるが。

宝島社からglowという雑誌が創刊された。40代向き 女子(笑いどころ)雑誌でした。
結構鳴り物入りだったので私も気になったわけです。
朝の国営放送でも取り上げられていたし、その前の日の番組でも その付録の事を主に取り上げられていたそうだ。

ローラ・アシュレイの「豪華BOXバッグ」ですってよ奥様。

このところ書店の雑誌コーナーの平積み部分を見ると女性(あっすべからく女子と呼ばせたいらしい)向きの雑誌の殆どに「おまけ」がついている。この傾向は何時頃からなんでしょうねえ?

もちろん私世代にとっても 付録ってのは懐かしさを喚起させるものではあるのだ。

アラフィの皆様、小中学校の時 学研の学習と科学なんて読んでませんでした?私にとって読み物としては学習の方が面白かったけど付録の面白さは科学だったなあ。 今でも大豆から豆腐を作る付録でなんだか苦味のある豆腐を作ったのが記憶にあるもん。楽しかったし。
また りぼんって月刊マンガ雑誌もあった(今もあるの?)ウチの母親は案外教育ママって部分があってマンガは病気で学校を休んだ時にしか買ってくれなかったんだけど熱を出して寝ている枕元に近所の本屋さんからりぼんが届けられるのは(昔ってなんでも御用聞き制度があったのだ)すんごく楽しみであった。

まっさきに紙で作った他愛ないものだったけど付録を広げて色々組み立てたり、飽きるとマンガを読んで今頃みんな掃除してるのかな?なんて自分の居ない教室に思いを馳せるのも楽しかった。

そしてウチの母や祖母も主婦の友の一月号だけは付録の家計簿のために毎年購入して生真面目につけていたみたいだ。

だから他の国は知りませんが 雑誌業界に付録ってのは昔からつきものではあったのだろうけど。あの頃の付録ってのはあくまでも本が主体としての添え物という位置をきちんとキープしていたと思う。

最近の「まず付録ありき」みたいな売り方ってのはどうもねえ。
大出版社の編集者のみなさまって高学歴で高収入でそこに就職するのはものすごく困難で、一般から見ると「エリート」なはずなのに 自分たちが編集して作り上げていく「本の内容」についてプライドはないのだろうか?と老婆心ながら思ってしまう部分もあるのだ。

と前置きが長くなったけど。

この本。ちょうどその番組を見た日に用があったので会社の最寄の駅の書店に寄った。目的のものを買って雑誌のコーナーを見ると見覚えのあるローラアシュレイのバッグが壁にはりつけられていた。本体の本はと見ると売り切れ。

「へ~~ 売れてんだ」と思って隣のビルの書店の前の雑誌コーナーも確かめてみると同じく売り切れであった。

こうなるとなんだか欲しくなるのが女心ではないか(笑)
まあ意地になって捜すつもりもなかったが 仕事が終わって近くのコンビニのATMに行ってふと脇を見ると一冊だけ残っているではないか? 
まんまと買わされた私であった。



本の内容は 特に他のこの年齢雑誌と変わり映えしなそう。ファッションとコスメとアンチエイジングが適当に散りばめられて、申し訳程度に女性の生き方が付け加わっている感じ。確かにこの内容じゃ付録の吸引力に頼って売るしかないかもねえ。
表紙の二人が「最強の40代女子」なんだそうでこの二人が読者を牽引するんだそうだ。

別に私とてこの二人が嫌いなわけじゃないし、牽引されたい40代女子もたくさん居るのだろうが この表紙のファッションはどうなんだろ?
ゆうの全身銀ラメのワンピースに毛皮のベスト・・・どうも毛皮のベストを見ると「マタギ」とか「ごんぎつねの兵十」とかを連想してしまうのは私だけ? 非常に危険なファッションアイテムだと思うのだけど・・・
キョンキョンの履いているのは絶対駅まで歩けないピンヒールのブーツで豹柄の毛皮が唐突にかぶさっている いい年こいた黒足と中途半端丈のワンピースっつーのも好きじゃないのだ。
どうせ高いブランドのものなのかもしれないけど素敵!と思えないのは私だけであろうか? 

こういうファッションに牽引されて力尽きない40代ってどのくらい存在するのか知りたいものである。

そして話題の付録である。



680円の本の付録にしては使えるとは思う。



ちゃんとマチと内ポケットもある。

とは言え680円は680円なりで私はこのバッグをメインとして電車に乗って出かける気にはならないな。しかもこの花柄の飽きがくるのは早そうである。
犬の散歩用(携帯とティッシュとうんち回収袋入れ)として使い倒すことに決定。

しかしこのバッグを使い出す前に どのくらいこの本が売れたのかちょっと調べたくなったのである(私もなんだかんだ言ってヤジウマね)そしてビックリ アマゾンも楽天ブックスも完売 中古市場で新品美品ってのが2000円くらいで売ってるではないか。
へ~ 一通り読んじゃったけど別に汚したわけじゃなし私も出品しちゃおうかな など取らぬたぬきの・・・を思った矢先・・・

この本を濡れた台ふきんで拭いたダイニングテーブルに置いたため表紙がぴったりとテーブル表面に癒着してしまい、はがそうとしたらホレ



悲惨な姿になってしまった ゆうとキョンキョンすみません。















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ぜいたくな読書

2010-10-20 00:55:00 | 読む
東京での上村松園展が終わってしまった。ホントこの絵とこの作者にはインパクトを受けた。

九月に行ったのだがもう一度行きたいと思っていた。
なぜなら 彼女の最高傑作と言われる序の舞が見られなかったから・・・
この展示会は せこくて 焔 序の舞が会期別で展示されていたのである。
ワタシが行ったのは前期で焔は見られたが序の舞は後期なので見られなかったのであった。
そして日経やNHKで特集が組まれて話題になったせいか 後半はかなり混んでいるというのでめげた。
最終日に行った 舞台友Nは入場制限にあったと言っていた。

それの代わりにといっちゃなんだけど
この本を読んでいる。

宮尾登美子 序の舞

上村松園女史の生涯が描かれている。
宮尾さんの女性の生き方を描いた本は昔から好きでこれも以前に図書館で借りたのだが、改めて最近文庫で購入した。

そして今回の展覧会で購入した図説との並行読み。



宮尾氏の本では登場人物の名前こそ違うが 松園の描いた絵の題はほぼ同じに書かれている。

だから図説を見ると小説に出てくる絵を確かめることができる。
この絵を描いた時の松園の背景、人間関係などが宮尾氏の眼を通してだが目の当たりにできる。

両方が補い合って非常に楽しい読書になる。

買ってよかった この図説。

あまりにこの形式の読書が楽しいので全部一気に読むのがもったいなくて・・・

 途中図書館で借りてきた三浦しおんに浮気したりして

自分にオアズケをしつつ少しずつ楽しんでいる。

秋の夜長、ベッドにもぐりこんで好きな本を読めるって至福ですね。
ワタシは引きこもるのも嫌いじゃないんです。
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余計なお世話だけど野麦峠を思い出したこと

2010-06-14 20:58:55 | 読む
久しぶりに暇な日曜日だった昨日。

娘は出かけたあと オットと二人でのんびりとしたブランチを食べてTVでサンジャポなどを見るともなしに眺めていた。

しょっぱなのニュースが A☆B48の総選挙wの話題。
政権も代わり管総理の所信演説、亀の辞任  口蹄疫の拡大ニュースをも押しのけて一番先に取り上げられた話題・・・

別に日本は平和だとか危機感がないとか今更文句言うつもりもない。

しかし、今まで名前は知っていたけどまるで興味はなく 踊っている同じ年頃の少女たちの顔の区別もつかずにいた私が曲がりなりにも この前まで一位だったのがM田あっちゃん 次の子が今度は逆転して一位になったなど知ってしまったということからも ある種のメディアの力ってもんは恐ろしいもんだなと妙に感心してしまった。
ちなみに 一位、二位の子は第一印象としては なんだか「したたか」って感じが先行して見えて、私は4位のI野って子の顔が好みだと思った。(別にそれはどうでもいいんですが)

一位から転落した子 二位から逆転した子の 二人の決定した瞬間の映像、口惜しさと嬉しさに泣く少女の映像。それをプロデュースするA元氏の映像・・・

流された映像を見て 気がつくと眉間にシワが寄っていたのを感じた私・・・
ついついため息をついた瞬間に オットがつぶやいた。

「女工哀史みたいだな・・・」


話を変えるつもりはありませんが、オットと夫婦でよかったなって思う瞬間は 「嫌いなものが共通している」と言うことである。
別に好きなもの 熱中しているものは共通しなくてもかまわない。共通しているにこしたことはないかもしれないが、好きなことが別々という事は 「こういう事が対象でも人生熱中できるんだ」という新しい発見。視野も広くなるというメリットにもなりうる。

しかし 自分が嫌だと思う事柄について一方が「いいね~」なんて言って感動された日には イライラが募るってもんじゃありませんか?

と 話を戻すが 「女工哀史」の一言でオットが私と同じような感慨をもったことを感じてホッとしたのである。

女工哀史と言えば代表的なノンフィクションの作品はこれよね ☆クリック

抜粋いたしますと

13のとき、岡谷の山共製糸というとこへ7年契約で入ってな。姉4人といっしょで、姉はみんな百円工女やったもんで、オリ(私)も負けんように働いたもんやさ。みんなで稼いだ銭で、ツォッツァマ(お父さん)は毎年田んぼを買いなたと思うんやさ。たしか、あのころ1反(10アール)で100円か 150円くらいやと思うけどな」(明治24年生)

「岡谷の大和製糸へ14のときから8年の間、野麦峠を越えて通ったんやぜな。入ったときゃ10円、2年目は25円、3年目には45円、8年目にはたしか95円もらったと思うけどな。そのほかに、賞与として1円、2円、3円、5円などを毎年ちょっとずつもらったんやさ」(明治31年生)

以上の話しでもわかるように、1年間働いて100円もらえる人は優秀な人で、だれでも1日も早く100円工女になれることを願っていました。

こうした涙ぐましい女工達の働きによって、国は生糸の輸出を増やし、娘を出した農家では、現金収入を得ることができたのです。(参照 郷土古川より)

 女工哀史は粗悪な食事、長時間労働、低賃金が定説になっているが、飛騨関係の工女は食事が悪かった・低賃金だったと答えたものはいなかった。長時間労働についても苦しかったと答えたのはわずか3%だけで、後の大部分は「それでも家の仕事より楽だった」と答えている。それもそのはず、家にいたらもっと長時間、重労働をしなければ食っていけなかった。
(ああ野麦峠より)



もちろんAK☆のメンバーたちは好きでやってる人が大半だろうし、自分で稼いで親の暮らしを助けようとか、まして口減らしなんていう動機ではないのでしょうが。

しかし、この時代のいたいけな少女たちの働きを 富国強兵という目的で軍備のために吸い上げていた明治政府の力。
それと同じようにA☆Kで一生懸命活動する少女たちのウラで働くなんらかの力を感じて 私とオットは 女工哀史を連想したんだと思う。

確かに生きている以上競争はあるのは当然、舞台芸術の世界だって上手で衆目を集める人が主役を務めるのは当然ではある。
むしろ伝統芸能の世襲で固めた世界よりはこうやってファン投票で立ち居地が決まるというのは公平なことかもしれないけどさ。

でもなんとなく この総選挙というシステムと異様にしつこいメディア報道にもやもや感とか後味の悪さを感じるのは私だけ? 単に私がプロデューサー氏が嫌いなだけかもしれないけど。



参考までに 

映画にもなったけど (初々しい 大竹しのぶ 原田美恵子 小手川祐子さんたちが演じていてこれも面白かった)この本は日本の近代化の陰に犠牲になった少女たちの埋もれていた記録を掘り起こしたって意味からも偉大なノンフィクションだと思います。



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虞美人

2010-05-06 17:08:08 | 読む
殆ど家にいなかったG.W.

Fさん別荘での色々エピソードも忘れないうちに記録しておきたいけど

留守した後始末だの 仕事だので今日は追われて時間なし

それにこれから 宝塚花組です。

項羽と劉邦の話 

歴史や漢文は好きだったが 大学が理系だったもので知識は高校で止まっている。

今回の宝塚のために予習してしまった(この熱心さ 世のために使うべきであろうか?)



結構覚えてるもんですね。 虞美人の最後とか・・・

司馬遼太郎さんのストーリーの間で語る歴史観とか人物観が好き。

今日までに読み終えようと思ったが まだ中巻の途中である。(まあだいたいの背景は思い出したけど)

さて これから観劇行ってきます。

コメントお返し 色々つけたしは明日!
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読書備忘録 

2010-03-31 23:23:45 | 読む
最近また図書館に通いはじめた
買うほどじゃなくて軽く読める本を借りている(リハビリの帰り道バスと電車でヒマなので)
読み流すと内容をすぐ忘れちゃうので備忘録として借りた分くらい読書記録をつけてみようと思う。

風が強くふいている 三浦しおん



陸上では無名の大学の陸上部が補欠もなしで寄せ集めの10人で箱根駅伝に出場する話。
ワタシ 珍しくこういった青春もので素直に感動しました。
天才ランナー走の走る時の描写がよかった。夏のオリンピックでも思うんだけど、神から与えられた走る才能を持った人間がその自分の能力を最大限にいかした姿っていうのはなんと感動を呼ぶ美しさであることか・・・・ 描写からそんな感動を思い起こさせる筆力。
大きな声では言えないが、ワタシ一人で涙しました。
10人のキャラもそれぞれで登場人物であることの必然性を感じた。
体育会系のウチの子供たちにも読ませたいと思った一冊

無銭優雅       山田詠美



多分同年代だと思うけど、やっぱりこの人も年取ったな~と思った。
数年前の風味絶佳(登場人物がブルーカラー系の話)はおもしろかったのに。
ワタシが感じる彼女の持ち味はちょっと不良テイスト、しなやかで強い年齢に関係しない若々しさだと思っているから方向転換にとまどってしまった。
描かれている死も影響があるのか? なんだか彼女が死生観を語るのがワタシのイメージにそぐわないのかも?
あと出てくるオトコ(恋人)が魅力的じゃない。タダの情けないオタクにしか思えない。
主人公周りの生活が無銭優雅っていう題名のわりには優雅に見えない。


マイマイ新子 高樹のぶ子



昭和30年ごろに小学生低学年を過ごした少女(多分作家の投影)の話。
あとがきにワタシなりの赤毛のアンを目指したとあった。となると続編もあるのかしら?
それなりにおもしろかった。
まだ戦争の爪あとを引きずって日本が貧しかった時代だけどたっぷりの自然の中で子供たちはのびのびと遊び、今より濃い家族との絆もあったんじゃないかと思いおこさせる。
少女のが幼いなりに、感じ、戸惑い、悩む。そうそう子供って子供なりに色々考えてるんだよねって思い出す。
作家っていうのは感情の記憶力がすごいもんだなと思ってしまう。

この人の普段書くもの(日経に連載されててオヤジが喜ぶようなものもあったよね)って性描写がとってもエ☆いと思うんだけど、少女時代の風景や人間や心情などが細やかに描かれているってのは鋭い感受性のなせるワザなのね~とも思った。
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シャネル色々

2009-10-14 22:43:32 | 読む
実はオットが急に職場より呼び出された日曜日、ヒマになった私は同じくヒマだった親友Aと映画を見にいったのである。
今更ながら ココ・アヴァン・シャネル 先日レディースデイの時銀座で見ようと思ったが果たせなかったリベンジであります。

映画はよかった。背景となる画面は美しく、主演のオドレイ・トトゥは不思議な存在感でよかったと思う。少なくともダヴィンチ・コードのときよりよほどはまり役だったと思う。

で、Aと別れて家に帰る途中にちょうどメールをよこした舞台友Nにその旨を伝えた。
すると、

「シャーリー・マクレーンの方は見た? あっもう終わっちゃったか」 と 

「うん。今日のを見ると見たくなるよね。DVDが出るまで待つしかないよね・・」 と返信すると

翌日に どさっと宅急便が届いた。

資料館長 Nの実力をまたもや思い知らされた

 ココ・アヴァン・シャネル ~ オドレイ・トトゥ主演の映画のパンフレット (関係ないが トトゥは息子の彼女に似ているw)

 ココ・シャネル ~ シャーリー・マクレーン主演の映画のパンフレット

 ガブリエル・シャネル ~ 大地真央主演のミュージカルのパンフレット

 獅子座の女シャネル ~ ポール・モラン著のシャネルの伝記

 シャネルの生涯とその時代 ~ エドモンド・シャルル・ルー著の資料集

これは写真が多くて見てるだけで楽しい

  

それにしても、いつもながら OOと言えばたちどころにこれだけの物が揃うNの実力 ある種文化に対する貪欲さってのは大したもんである。こういうヒトがそばにいるのはありがたいことです。

ところでNによれば、今年の映画、舞台の三つの中ではシャーリー・マクレーンのが一番よかったと思うな~ 大☆さんのはね~ シャネルって感じじゃなかったな。あのヒトはいつまでたってもスカーレットだね だそうだ。

で、私も夜な夜なパンフレットを眺め資料集のページをめくり 伝記を読んでいるところ。

しかしさ、シャネルって19世紀末生まれの人なのね。
それに改めてびっくりしてしまう。
日本はまだ江戸のなごりをひきずっていた頃じゃないか。フランスでもその頃は厳然とした階級社会が形づくられていた頃であろう。
その時代に、孤児院で育った一人の女性が服飾に革命を起こし、そして女性の生活の形態にまで影響を与えたということに しみじみびっくりしてしまったのである。
そして彼女が当時デザインした物が決して古びず、洗練されたシンプルさの系譜をもって現在にまで継承されていること・・・

すんごい女性だったのね~~ などと
秋の夜長にワイン片手に読書を楽しんでおります。





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嫌だ嫌だは やっぱり嫌い

2009-01-28 00:45:09 | 読む
いやだいやだと思っているものをつい覗いてみたりしたくなることありません?

私にとって そういう対象の作家は 渡辺O一氏である。

さすがに本を買って氏に印税をもたらすのもしのびないので図書館で借りることにしておりますが・・・

「あじさい日記」 講O社

(多分40半ばの)開業医が主人公。自分のクリニックに勤務する医療事務の20代の女の子と浮気中である。
 ひょんな事から 妻の書いている あじさいの模様のついた日記帳を見てしまう。 そこには客観視された自分の姿が書かれている。浮気の事も勘付かれていることを知る。 
 妻はやがて夫の愛人のマンション(主人公がお金を出して借りてやっている)に乗り込み修羅場。その時の妻の本音も日記により知る。
 やがて妻が気分転換にと源氏物語の講座に出かけることになり、その講師である元師事していた大学教授と再会。
 今度は妻が教授と親しくなり浮気に走る。 それも妻の日記で経緯を覗き見てあせる夫。

と言うお話。

この主人公の医者ったらホントに嫌な奴なんですわ。
自分がさんざっぱら浮気しているのにもかかわらず 妻の浮気は 「不潔だ」と決めつける。普段の言動もオレサマタイプである。
妻もねちっこいと言うか女っぽすぎるというか、めんどくさそうで友達にはなりたくないタイプの女性である。
まあ 渡辺氏の小説ってこういった感じの男女が多いのですけどね。きっと氏自身の投影と好きなタイプの女性なのであろう。

だいたい妻の日記を盗み見るって設定も嫌だし、こういった嫌な男女が夫婦になってしかもお互い浮気していることを知りつつセレブ生活をしているといった嫌な設定なんだから嫌な話になるはずである。(だったら読むなですが冒頭の理由ゆえ)

500ページあまりの長編であったが、読み進んだ推進力は他人の家の揉め事を盗み見るといった下世話な興味だけだった気がする。
最後も夫が盗み見している妻の日記で終わり 「・・・お互いが相手の立場をいかに寛容に理解し、許しあえるかで、夫婦の、そして家族の幸せが決まっていく。 たとえそれが仮面でも、そうすることが、社会の枠組みのなかで円滑に家庭生活を続けていくための知恵なら、避けることはない・・・」
これが結論ですか? 陳腐だね~ ムカつくね~

大筋もこういったところだが、細かいところも突っ込み所が満載であります。

会話や単語に作家の年代、世代が表れてしまうものだが、登場人物を40代に設定したならその年代にふさわしくしゃべらせたらいかがなもんであろうか?

「ワイフです」なんて馴染みの焼肉屋で言うかい?
「先生に接吻されたわたし」 アラフォが接吻なんて言うかい?
小学校の子供が 「ママ 今 なにか口ずさんでいたよ。いいことあったの?」
なんて言うかい?

奥さん・母と言えども 最近の小中学生のママたちのキャピキャピしてて若くて軽いのを知らないのだろうか? だいたい「あじさい」の柄の日記帳なんて買わないだろうさ。
とにかく会話はダサすぎ。作者にはイマドキの携帯小説でも読んで会話部分を勉強されて欲しいわ。まだしゃべり言葉に限っては荒唐無稽の携帯小説の方が現実的であろう。(もっとも恋空を10話まで読んで気分が悪くなって撤退した私なので詳しくは存じませぬが・・・)

加えて彼の小説の主人公は医者が多いけど、医療現場も渡辺氏が現役だった頃(昭和40年代?)の雰囲気で時が止まってるんじゃなかろうか?
やたらナースやパラメディカルを下に見てるし、いくら自分のクリニックだとはいえ昨今は先生様じゃやっていけないであろう(私の知り合いの開業医の先生はスタッフのおやつを用意するために自らコンビニに買い物に行くらしいw)
平成20年代の医療現場の人間関係ってもっと希薄だし、医者が威張ってられないと思うよ、多分。

普通に生活してれば違和感を感じる小説内のこういう事って誰か指摘しないの?
大講O社の編集者の人たちって 御大の渡辺先生には物も言えないの?

読後一番の感想はそこでありました。

これが文芸作品と銘打たれて書店に一時的にでも平積みされるのってねえ・・・


文句ばかり垂れましたが、私 氏のイニシエの小説 「阿寒に果つ」 好きでしたね。
自死した早熟だった女流画家、彼女をめぐる男たちの視点から見た小説。
クリスタルのように繊細な少女画家が相手によって違う姿を見せていた様。
北海道の自然の中で自己陶酔の内で美しいままで死んでいった少女が脳裏に浮かび、それがいまだに残っているような 忘れがたい作品だった・・・のにな。

年の取り方は色々なんだなあと考えさせられる本であった。

長々毒舌すみませぬ。

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嵐の前の

2008-10-02 23:22:35 | 読む
今週は予定していた行事や約束がことごとくキャンセルとなって比較的時間があいた週である。
おかげでチャイナペイントなど再来週分も受講してしまった。
仕事も毎日行ってしまった(月後半さぼろうと思って)

近所の区民センターの図書コーナーに何年振りかでいってしまった。
子供の本や自分の本を借りに 5年ほど前にはよく利用していたが、区長が代ってから急にケチになって新刊本が入りにくくなったので足が遠のいてしまっていたのである。
案の定5年ぶりの棚は見覚えのある本が大半だったが、中には読みたいと思いつつ読んでないのもあったので借りてみた。



東野圭吾 三冊。 「赤い指」「殺人の門」「たぶん最後の御挨拶」
さらっと読めるし、そう繰り返して読もうとは思わないので図書館で借りる向きの本だと思う(失礼な感想ですね)
ドラマにもなったガリレオなんかは典型的だけど、理系の人が書いてるな~ って感じの論理的で情緒に走らないのも気に入っている。

借りた中にはエッセイが一冊 それが 「たぶん最後の御挨拶」である。
江戸川乱歩賞をとって仕事をやめて上京しての作家生活。書いても売れなかった時代と売れ出して作品が映画やドラマになりはじめた最近までの話と、自著の解説など。

それによると 彼はエッセイを書くのは嫌いなんですと。
彼の大学生活を書いた 「あの頃ぼくらはアホでした」なんて面白かったけどね。
大阪人らしい 自分をネタにして笑いをとる精神があふれてて イケ面なのにナルシストっぽくないおもろい作家としての印象が残ったのだけど。
そして これだけ素人がブログを書いてる時代、自分がエッセイを書く意義と言うのはどこにあるのか? 自分の表現手段は今後小説だけにするということも書いておられた。

確かに 作家(それも大御所)であるってだけで 代表的週刊誌なんかに何十年とダラダラエッセイ書いてる作家もいるけど、読んでて これが何?何を伝えたいのかい?と思う回もありますもんね。
こうやって エッセイ書かないぞ宣言っていうのも潔いもんだわね と思った。

ソファに寝転がって犬なんかはべらせながらさらっと読める本のページをめくるのも秋の夜って感じでいい時間である。

本来、私って引きこもりもできるキャラなんですよね(みんな信じてくれないけどぉ)
しかし、来週から 今週のキャンセルの振り替えと本々入っている予定がせめぎあって怒涛の日程となりそうである。
ちょっと西の方面にも旅するしさ♪

こうやって今年も暮れて行くんだろうな・・・
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中山国交相辞任で思い出した本

2008-09-28 23:16:16 | 読む
中山国交相が早くも辞任するそうだ。
色んなこと言うじいさまだと思っていたが、「日教組はガン」発言が一番の要因であろう。
こういう事を確信犯的に言うのが麻生政権にどのような影響を与えるかをどのくらい考えたかは知らないけど 大臣としてどういうもんかいな?ってことは別として、私は今年読んでかなり感銘をうけたこの本を思い出した。

前から書こう書こう思っていたが、考えがまとまらず(つーかめんどくさくて)後回しにしていたんだけど・・・・

  滝山コミューン1974 原 武史 著 講談社

詳しくはアマゾンのページを参照されたい

著者は私とほぼ同年代 1970年代に小学生時代を西武線沿線の団地で過ごした人である。
その小学校時代に 日教組のおそらく急進的なグループだったのであろう全生研という思想的グループに所属していた、ある意味情熱的な教師による支配を受けた記録である。

全生研というのは旧ソ連の教育学者マカレンコの思想をうけて『学級集団づくり』という集団主義教育をおこない、それを「民主的集団」と位置付けた教育である。
具体的には本を読んでもらえばわかるが 学級内に班を作り、班長を決めてほかの班と競わせ、成果がでないと ボロ班、クズ班とのレッテルをはられる。
一人の個性より 集団としての力の結集というのが第一とされる。

その急進的思想をもって学校全体を支配しようとしていた一人の教師と それに影響される彼のクラスや親たち。それを息苦しく感じる 当時の原少年。

彼は当時四谷大塚に通って のちに慶応中等部に進学することになるが、塾通いが当時の楽しみだったというのが皮肉なものである。


私はここまで極端な思想をもった教師にあたったことは幸いにしてないが、時代背景は同じなので、学校以外の集団(合唱団とかYMCAとか)の指導者たちに このような熱血教師(片山先生)の系譜の人たちがいたことは覚えている。

確かに彼らは 一人の小さな手 とか 鬼のパンツはいいパンツ なんて歌わせるのが大好きであった。

当時からその手の集団遊びが好きはなく、何かと言うと「みんなで」「作り上げよう」と鼓舞する指導者たちの胡散臭さを感じていた私も 滝山小学校のような所に居たら著者のように居心地が悪い思いをずっと我慢をしなければならなかっただろう。

今の日教組ってものがどのような集団なのかわからないが、あの当時の急進的な一部の人たちは 本当に 一言でいえば 気持ちの悪い集団だったと思う。

民主主義という美名のもとに集団が個人をさいなむ。感じやすい個が悲鳴をあげているのを感じなかった もしくは あえて無視して自分のやりかたを押し通した教師が居たことには恐怖を感じる。

また彼らの教育というのが 現在の一部マスコミ、教育者に根深く影響してるんじゃないんかいな~ と 思ってしまうところもまた恐怖でもあるのよね。

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とってもお薦め~奇縁まんだら

2008-05-05 20:36:52 | 読む
一月ほど前 友人のお父さんが亡くなって実家方面に帰りお通夜に参列したことはこのブログにも書いた。
確か 86歳で男性の平均寿命も越えて大勢の子どもと孫に囲まれての大往生だった。
ただ、そのお通夜で気になったのは参列されている友人らしき人がいなかったことだった。やっぱりあんまり年をとると友達って亡くなってしまって段々少なくなるんだなあと思ってしまった。
まだそんな事考えるのはせっかちすぎるからかもしれないが 私はまだ友人が元気なうちに早めに逝って惜しまれる(惜しまれないかもしれないけどさ)方がいいなあ なぞと考えてしまった。

しかし この本を読んでそれがかなり利己的で、やっぱり私って人間が小さいなあと思ってしまった。長く生きて色々な人々と縁を結びそれを語り継ぐという役目が人にはあるということに気づかされたから・・・

「奇縁まんだら」 日経に週一で連載されていた瀬戸内寂聴さんのエッセイです。寂聴さんがその人生で交流を持った人々の話。殆どが作家、芸術家であるが、その人とのかかわりからのエピソードやそれからうかがえる素顔などがとても興味深い。
ざっと 書き出すと  島崎藤村 正宗白鳥 川端康成 三島由紀夫 谷崎潤一郎 佐藤春夫 舟橋聖一 丹羽文雄 稲垣足穂 宇野千代 今東光 松本清張 河盛好蔵 里見 荒畑寒村 壇一雄 平林たい子 平野謙 遠藤周作 水上勉

明治から平成にかけて活躍したそのまま文学史になるような人々が綺羅星のごとく並んでいる。 なんと豪華で贅沢な交遊録・・・・

しかし ここに記されているのは殆ど故人であり、寂聴さんがその死まで間近に見た例も少なくはないが、どれも淡々とした筆致である。
川端康成 三島由紀夫両氏とも少なからず交流してその自殺に際して身近にかかわっているのにあくまでも淡々と客観的に記されている。
やはり 宗教家という立場で死というものの捉え方が凡人とは違うのだろうか?

その死にあたって 哀切の情が一番感じさせられたのは 遠藤周作氏の病死だった。キリスト者とであっても病苦を恐れて 日頃から「死にとうない」 と語っていたという遠藤氏。そうとうな病苦の末に亡くなって30分後に夫人は 天国で先にいった人たちに会っているよ と言う声を聞いて、死に顔が穏やかになったのを見たと言う。
じ~んとしたエピソードだった。

「はじめに」の部分で寂聴さんが書いていらっしゃるが、長く生きた余徳はこれら人々の肉声を聞き 表情をじかに見たこと。 それらの記憶を呆けないうちに書き残すチャンスを与えられたことの喜び。書いているうちに彼らの声が生き生きと書斎を訪れ、その声に助けられて 奇縁まんだらを書き続けてきること。
それは この先達たちのことを一人でも多くの人に覚えていて欲しいからとある。

これを読んで、メーテルリンクの「青い鳥」を思い出してしまった。本が手元にないし、記憶はおぼろげなのだけれど、チルチル ミチルが死者の国に行って 自分たちの亡くなった祖父母に会うこと。彼らはこの世の生者が思い出すたびに その国で眠りから覚めて動き出すこと。生きている人が死者を思い出す限り、彼らは本当に死にはしないというくだり。
作家はもちろん自分で生み出した作品と言うものが後世に残るが、その人そのものもこうやって語りついでもらえることも幸せなのではないだろうか?

長くなってしまったけど、この本の中で私が爆笑した描写を紹介いたします。
文芸評論家の平野謙氏の章。寂聴さんは 小説 「花芯」 を発表して彼に酷評されて一時文壇から干される(後には和解されたのだが) そしてその時 同時期に「太陽の季節」で酷評された石原慎太郎氏から 「気にすることないよ ぼくの小説は傑作なんだ 瀬戸内さんのも悪くないんだろ?」という電話をもらう。

・・・・・言うだけ言うと電話は切れた。実に爽やかな自信に満ちた声だった。たぶん編集者の誰彼から、私が相次ぐ酷評に身悶えして怒っていると聞いたのだろう。その頃の慎太郎さんは、弟の裕次郎さんなんかよりもずっと整ったハンサムで、颯爽としていた。政治家になると、とかく器量は落ちるものらしい。

この本でまだ生存している人が出てくるのは珍しいのだが、この遠慮のない書き方に吹いた。さすがの都知事も苦笑してしまうのだろうな。寂聴さんにかかったら小生意気な弟分くらいの位置づけなのではないだろうか・・・

また横尾忠則氏の装丁、挿絵も傑作です。色がそれぞれの人物にマッチしていて 心に残る画です。

また この頃の作家ってホント いいオトコ多いのね。って言うか 寂聴さんて絶対に面食いだと思う。以前どこかで書斎に飾ってある過去の恋人たちの写真を見たことあったけど 特に小田仁二郎氏の渋さなんてすごいもんでしたから、人選の結果かなのかもね・・・

やっぱり読むならイケ面が書いた小説読みたいよね、顔文一致が何よりと私は思うわ。


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野外でアイロン

2008-03-13 20:36:15 | 読む
今日の日経の文化欄に見慣れない記事が出ていた。

エクストリームアイロニング・・・極限状態で衣服にアイロンを掛ける競技だそうだ。例えば山頂で、ある時は波乗りしながら、切り立った岩肌でスリルを求めながら アイロンかけするんだうな。。 その心は そこにシワがあるから(笑)

取材されていたのは 松澤等さんという会社員の方だった。彼はオーストラリア留学中にホストファミリーからアイロンかけを習い 彼の地で山登りや岩登りに親しんでいた。日本に帰国後、管理された日本の自然にカルチャーショックを受けたことがきっかけで エクストリームアイロニングというイギリス人が始めた競技を筑波山でやることを思いつき実行する。そしてはまる。

ホント こういう力の抜けたバカバカしさといっては失礼ですが、ユーモアの香り漂うお遊びって好きだわ。
山登りなどのアウトドアの場面に相反するアイロンかけといったドメスティックな作業をドッキングさせる。
これを読んだとき、アイロンかけに限らず、茶道とか香道とかといった日本伝統趣味なものを山登りに組み合わせるのもよろしいんじゃないかと思ったが、茶道は野点ってもんがあるからさほどものめずらしさには繋がらず、香道なんかは 自然の中の森林やオゾンの匂いの中で敢えて香木という自然のもたらした産物とはいえ、そこにないはずの場違いな香りをくゆらすのも粋じゃないかもね と思い直した。

そしてアイロンかけという短時間で達成感のでる家事。これが編み物なんかじゃ時間がかかりすぎてしまうだろう。
山登りの途中 アイロンとアイロン台を担いで行くというなんともとぼけた行程も想像すると一人でにんまりしてしまう。

こういうスポーツ?だったらやりたいわ。

先日 飲み仲間の同窓生からゴルフに誘われた。ここ数年一年に数回集まってプレイしているらしい。女人数が少ないらしい。
ゴルフはねえ・・・父に誘われて大学一年のひと夏だけプロに何度か教えてもらったが おもしろさがわかる前に飽きてしまった。っていうかあれってどうも 商談つきって先入観あるためか 功利的なイメージがつきまとうのよね。
あれだけたくさんの人がやってるんだから楽しいのでしょうけどさ・・・・

だからこの先もいくら誘われてもゴルフは始めないだろうなと思う。

だけど仮に このエクストリームアイロニングを誰か音頭をとってやり始めようって言い出したら参加するであろう。
こういうことを真面目にやるっていう遊び心ってステキだと思うわ~

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LEONで笑う

2008-01-27 20:41:55 | 読む
昨日は美容院に行った。
デジタルパーマをかけてきた。
髪もかなり長くなってきたが、私の年でストレートのロングヘアと言うと ともすれば宗教系(オウムにいましたよねOO大姉とかさ)とか菜食主義系(玄米しかとらず、ヨガが趣味)みたいな外観になるからそれなりにケアが必要になってしまう。
年取ると自然でいいっていう範囲が少なくなってそれなりにお金かかるからイヤだわ、まったく。

で、デジタルパーマってのは時間がかかる。何度もパーマ液をかけたり、ロット巻いて熱を通したり、その間で結構雑誌が読める。
この美容室の雑誌というのも微妙な問題でですね。自分が選べるのなら問題ないが、アシスタントが客の外見その他で推し量ってどのような雑誌を持ってくるかというのは興味深いところである。
私の行っているのはまあおしゃれ系なので女性週刊誌などはもちろんなく、分厚いファッション雑誌ばかりなのだが、何冊か持ってきて選らばせるその雑誌の種類云々でアシスタントが女性客をどのくらいの年齢かと見ているかが逆にこちらから推し量られるのは面白いもんである(そんなん面白がってるの私だけか)
いきなり家庭画報なんかだとちょっとムカつくが プレシャスだのオッジだのいわゆるOL向けばかりだと 「見る目ないねえ もうちょっと勉強しておいで」とも言いたくなるし(うるさいオバサンよね 我ながら・・)

と 前置きは長くなったが、昨日は予約していったにもかかわらず、施術までずいぶん待たされたので普段手に取らない男性雑誌を見てみた。

チョイ悪オヤジブームを作った(らしい)LEON であります。

今月号の目次↓ 


LEON(レオン)

□ 2008/01/24発売号  (現在発売中の号)
◆お洒落オヤジに必要なのはこの3着
モテる春のアウター選びは使い勝手と軽さがキモ!
◆モテるホテルのこなし方
◆モテるオヤジは股浅ホワイトデニムをロールアップ
◆淡色なのに強印象!がコロガシオヤジのエレガンス
◆仮面に酔いしれた艶男&艶女の物語

たまげましたよ。「モテ」っていうのは JJ CANCANの女子大生OL雑誌だけでなくオヤジ雑誌のコンセプトになってる時代なんですね。

50代?くらいのツルっぱげ(高年齢の読者層にシンパシー与えるためなのかと邪推)をの外人モデルのおじさんがある時は70万のスーツで決め、ある時はホワイトデニムを足首で巻き上げたのとジャケットなどとあわせて着くずし、などである。まあ鍛えているっぽい胸厚の身体だから似合うかも 外人だし。
まあそこらの日本人のオジさんがやってたら ジーパンの丈直してもらわなかったのけ? と思われるのがせいぜいであろうから注意されたい。

まあ それは女性雑誌も同じだけどね。

私が噴出しそうになったのはモテるホテルのこなし方でした。
グランドハイアット パークハイアット ペニンシュラなど比較的新しい高級ホテルを舞台に女性をエスコートする際の使いこなし方講座である。

詳細まで覚えてないが、同伴の女性をいかにして喜ばせるか(金を使って)、いかに自分が場慣れしているかをその相手に見せ付けられるか をコンセプトとしているように見受けられる。
まあね、日本のオヤジ年齢層の方たちはまずレディーファーストなんて概念はないに等しいから、エレベーターなんかでで女性を先に乗せる、後からくる人のためにドアを押さえておくなんて配慮はほぼナッシングですから、こういう配慮を喚起させる役割を担うとしたら存在価値はあると思う。

しかし、どうもこの記事に関しては 若いねーちゃん(ニキータだってw)を連れ込んで、金にものをいわせて、オヤジの物慣れたさまを見せつけて ねーちゃんをどうにかしちゃいましょうという目論みが見え隠れしてしまうのですよ。
例えば、30秒(だったかな?)でチェックアウトするノウハウ(クレジットカードを預けておいて、あらかじめ部屋で電話しておくんだとさ)など、ニキータを待たせていらつかせないスマートな方法っていいますが、そんなにいらつくのか?ニキータって人種は?
別に高級ホテルのロビー 連れが多少モタモタしていたって、行きかう人を見ながらソファーに座ってるのも楽しいだろうよ と私は思う。

それより、周りに先んじてチェックアウトを終えて どうだ俺って物慣れてるだろう なんて鼻の穴をふくらませて内心威張られた日にはしらけると思いますけどね。

まあ いいや。チョイ悪オヤジのターゲットは若めニキータみたいだから 私はおよびじゃないでしょうから。
それにしても 仮に50代オジがそんなにもてようって目的はなんなんだろう?

私の周りのおしゃれオバ仲間がせっせとサロンに行ったり高い服を買うのはたいていモテようと言うよりは自己満足が目的なんだけど、オトコって言うのはまだ狩猟本能が残っていて女性をモノにして満足という本能の発露ってところなんだろうか?
この辺はジェンダー論になってしまって収拾がつかなくなるからやめますが・・・

しかし、仮に若いニキータが網にひっかかったとしても ちゃんとデキルノカってのは年齢的には疑問が残る問題である。
チョイ悪オヤジって元気なのねえ・・・

それにしても この編集部って本気なんだろうか? 私は冗談で作っている雑誌としか思えなかったんですが。

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素敵なプレゼント

2007-11-27 21:09:04 | 読む
先月 早稲田に緒形拳一人芝居 白野 を見に行ったことをブログに書いた。

その時、友人がプログラムに緒形さんのサインをもらって後で送ってあげるよと言われて 預けていたのだけど 今日それが手元に届いた。



私の名前も入れてくださり直筆のお礼状も添えられていて いい記念になった。
しかし 味のある字ですね。

それと一緒に やはりサイン入りで送ってもらったのがこの本



この左ですが 「地球徒歩トボ」 緒形拳 ・写真 岡田満世 ・Gakken刊

NHKの「プラネット アース」のロケ地で見た光景を 写真と文章でつづられた本である。

これがよかったのよね。

私は残念ながら見ていなかったのだけどプラネットアースと言う番組 その中で緒形さんは サハラ砂漠を歩き ロッキー山脈に登り 深海にもぐる その一年あまりのロケ地を旅行する時 彼は本も読まず、映画も見ず、ただ 白野の台本を持っていたそうだ。



どの写真と文章もいいんだけど このメキシコの山中の森で蝶とたわむれる緒形さん  

「体験することがいのち 目にすることがいのち」 と現実を見据え 
「何億匹の蝶が乱れる、いま俺はこの世にいるのか、あの世にいるのか、そこの途中なのか 彼岸・・・」 と夢現を表現する。

後 一番私がいいなと思ったページは ↓ 



ロッキー山脈で忽然とあらわれた オオツノヒツジとの遭遇である。

緒形さんはそこに古代からの地球の歴史の凝縮を見 自分の前に現れたヒツジの茫洋とした姿に 師であった辰巳柳太郎さんを見る。

こうした地球の果てを旅しながら、白野は緒形さんの中で熟成されて行ったんだろうなと感じられた。

俳優さんの人生体験がインプットなら 舞台はアウトプットなのだろう。
この本と先日の舞台と、その両方を見られたことが 私にとってとても幸運だったと思う。

改めてもう一度 白野を見たいな・・・
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男の子のバカは可愛い~団地ともお

2007-10-28 20:18:49 | 読む
息子から「ぜってえ おもしろい」とすすめられて読んだマンガがこれ。
 団地 ともお 小田扉作 小学館

多分東京都下のマンモス団地に母と姉と住む 小学生のともお  父は単身赴任中。

その団地の周りの人々や小学校の友達や先生などの何のことがない生活を描いたマンガなんだけど、確かに面白かった。

ほのぼのと言うよりはもう少しクセがある。ともおはひたする能天気だけど周りの人々は どこにでもいそうだけどそれぞれの生活感やキャラクターに あ~いるいる こういう仕事してこういう性格の人ってって思わせる描き方をされている。それがイヤミじゃないけど時に辛口部分もある。

ともおの周りの同級生も たまには自意識過剰で屈折した男の子もいるけど やっていることは小学生。 家の近くの公立の小学校の帰り道の男の子がやってること、その時代家の息子や周りの友達がやっていたこと 共通項があって実に面白かった。

道路に引いた白い線を踏んで家まで帰ろうと決心して 白い線が途切れると立ち尽くしてしまうともお。男の子ってどうして役に立たない事を自ら考え出して実行するんだろう。

家の近くの子の通学時を見ていても、雨の日に壊れた雨どいからじゃあじゃあ流れる雨水の下にかさを差しかけて遊んでいるなんていうのは、たいてい男の子である。

家の子が小学生だったころ いつも家の目の前に7、8人が集まって 息子が出てくるのを待って一緒に学校に行っていたものだったが、みんなが集まるまでのそのわずかな時間でも 男の子っていうのはじっとしていない。しゃべりながらも 何か 「悪さ」をする隙をうかがっている様子を窓から面白く眺めていたもんだった。
女の子たちが集まると行動はもっと「実務的」になる。無目的に何かをやるってことは少ないと思う。同じように育てたつもりでも 自然に性差って現れるんだなあって、男女を育ててみて感じさせられたもんだった。

4巻の最初に 夏休みの一日中 ともおが海パンを履いて一日中過ごすという話があった。結局それで風邪をひいて熱を出してしまうんだけど、家のアホ長男もいまだに半そでアロハで通学している。来年は嫌でもスーツの毎日だから今年は着ていられる限界までアロハで居るんだそうだ。
「さすがに夜は寒いわ」と言って帰ってくる息子。風邪ひくからやめたら と 言っても聞かないのでほっておいている。

ともおが成長した姿と暮らしている母であります。
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