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局の道楽日記

食道楽、着道楽、読書道楽  etc
生活色々を楽しんで暮らしている日々の記録です

むかつく本の方が感想は書きやすい不思議

2016-03-12 01:44:28 | 読む
実家往復の電車中の時間+ちょいと遊ぶ気力がなくて引きこもり時間 で 読書の時間が増えた。

で、最近読んだ本



はぁ 久々にむかつき と言うか 胸におさめてられないのでブログアップしてみようと。

背景のモデルとなったのは1990年におこったルワンダの内戦時、政府軍による虐殺である。
その時その地に赴いていた修道女の話。

  貧困と動乱の大地・アフリカ。日本人修道女・鳥飼春菜はアフリカのとある最貧国の修道院に赴任する。この国では多数派ながら貧困にあえぐフツ族と、かつて特権的地位を得ていたツチ族が微妙なバランスの中で共存していた。そして修道院内部もフツ、ツチ、その混血、外国人と多種多様な人種で構成されていた。
現職大統領の不自然死は、この国をフツによるツチと、ツチとの関係が疑われたフツへの部族虐殺の惨劇へと導く。巧妙にツチへの虐殺を教唆する国営放送。民兵とは名ばかりの、強奪を目的とする集団の横行。教会の存在はまったく無力であった。
逃れてきたツチの難民の受け入れを拒む修道院長。神学校に乱入した民兵は、生徒も難民も修道女さえも惨殺した。そして教会にも軍隊と暴徒が殺到した。その先頭には、アフリカの呪術師のいでたちをした現地人牧師の姿があった。春菜は混乱の渦中で、修道院の庭師に陵辱される……。
100日間で100万人が虐殺されたという大混乱の中、春菜は信仰も、人間への信頼もすべてを失う。隣国へ脱出した春菜は日本人画商・田中一誠に助けられ、帰国する。しかし、春菜はあの庭師の子を身ごもっていた。修道院を去った春菜は田中の援助で、一人で子供を産む決心をする。
 田中へのほのかな愛。しかし、田中には自分が起した事故で失明させた妻がいた……。
 飽食と見せかけの繁栄の中、日本人が見失った生きることの悲しみと喜びの原点を描く、曽野文学、不滅の金字塔。ファン待望の長編小説。アマゾン解説より


上巻はおもに内戦というかフツ族によるツチ族への虐殺の話。アフリカの貧国を背景に、もともと日本の道徳律がとてもじゃないけど基準にならない世界なんだけど、どんなひどいことが行われたかがこれでもかと描写される。その中に聖職者の身勝手とか裏切りとかも書かれる。
食欲が落ちそうな描写もあるけど、ここはまだガマンして読めた。

問題は下巻。日本人の修道女は、その混乱の中で、修道院の庭師にレイプされてしまう。その後白人のスールとともに隣国に逃れてそこで出会った日本人画商に助けられてからの話。

この画商の一誠ってオトコがほんっとにむかつくたってないんですね。
曽野文学に出てきがちな男性って 高身長 高学歴 高所得(おそらく)の教養人 で、ちょっと浮世離れしている。男性的魅力もあるけど決してガツガツしてない。でも自分の魅力は十分承知。ついでに心に傷持ってる ってパターンが多い気がする。
(こういう点、故 渡辺○一先生が好んで描くところの、オトコから見て都合のいいオンナの類型に似ている。
どっちも 「いねーよ、こんなの」って点で。

帰国した修道女 春菜は身体の異変に気付く。運悪くレイプされた時に妊娠してしまっていたわけですね。修道女が妊娠、それも相手は自分を暴力的に犯したオトコ、しかも黒人。修道院に暮らしている彼女にとってそれがどんな運命をもたらすかって言わずもがなですね。

いくらカトリックが堕胎を禁じていてもこればっかりは仕方ないと思える、彼女もいったんは堕胎を決意する。
しかし、その決心をくつがえさせたのは一誠。それも「あなたは運命を受け入れる人だ」とかなんとか。
一応ね、修道院を出てきた彼女に自分の会社の保養所を世話したり、翻訳の仕事を頼んだり、当面のお金を渡したりはするわけね、有能な秘書(♀)を通じて。

しかし春菜の自分への思慕を知っていながら敢えて会ったり電話に出ようとしない。

嫌な感じ。

春菜は自分の母親や姉に妊娠したことは話すが詳しい話はしない。母は「どんな子供でもあなたの子供ならうれしい」と言うけど、真実を知ったら、そんな過酷な運命を娘に選択させるように誘導した一誠を恨むと思うよ。自分は高みの見物してって感じで。

そう、彼はいつも高みの見物。自分のせいで失明した妻という絶対守らなければならない存在を盾に春菜を近づけることはしない。

なぜそうなったかイマイチよくわからないのだけど、突如赤坂の料亭で二人で食事することになる。

その時の一誠の上から説教もムカついたのでした。

憎むべきオトコの子供を愛せないかもしれないという春菜に 愛せなければ愛するふりをすればいい。とアドバイス。その方が普通に愛すべきものを愛するより人間として崇高なんだとか(意訳)
そして、最悪なパターンで妊娠しちゃった修道女であった彼女にも性の喜びみたいなモンを経験できるといいね、ボクは妻がいるからその資格ないんだなぁ みたいな(意訳)
実はボクね、君に逢うのこれで最後にするつもりだったけど、青年になった頃のお腹の子も見たいし、その頃の君にも興味あるから20年たったらまたこの料亭で逢おうね!(意訳)

ホントに許せん、この男は!
許せますか?特にムスメを持ってる女性のミナサマ! 


あ~ 書いてちょっとすっきりした。

あっでもこの本のラストの情景は美しいよ。偶然街に出て秋葉原で山手線に乗って目黒に向っている春菜が並行して走っている京浜東北線の中に一誠とその盲目の妻を見つけるのね。電車は数駅、追いついたり追いつかれたりしながら殆ど一緒にホームに入る。見つめ合う二人。
そしてその電車がやがて違う方向へと行ってしまう事を承知している読者としては、ちょっと固唾を飲んでその行方を見守る。
そのまま涙を流しながら離れて行く電車の中何もできなかった春菜。情感あふれるラストシーンだと思った。

    ☆ ☆ ☆


また別のムカツキ話だが、関連あるのでもう一つ さきほどyahooニュースを読んでいたら、こんな記事を見つけた。

  AFP=時事】国連人権高等弁務官事務所(OHCHR)は11日、南スーダン軍が民兵への報酬として、女性へのレイプを許していると述べ、南スーダンを「世界で最も恐ろしい人権状況の一つ」と評した。

【AFP記者コラム】「レイプキャンプ」の衝撃、南スーダン内戦

 OHCHRは、新たに発表した報告書で「評価チームが受け取った情報によると、(政府軍の)スーダン人民解放軍(SPLA)と合同で戦闘に参加している武装民兵たちは『できることは何をやってもよいし何を手に入れてもよい』という取り決めの下で、暴力行為を繰り返している」と述べた。

「それゆえ若者たちの多くが、報酬として畜牛を襲い、私有財産を盗み、女性や少女たちをレイプしたり拉致したりした」と報告書は付け加えた。

 また、OHCHRは報告書の中で、反政府勢力を支持していると疑われた民間人らが、子どもたちを含めて、生きたまま火を付けられたり、コンテナの中で窒息死させられたり、木から吊るされたり、バラバラに切り刻まれたりしていると述べた。

 ゼイド・ラアド・アル・フセイン(Zeid Ra'ad Al Hussein)国連人権高等弁務官は、残忍なレイプが「恐怖を与える道具、そして戦争の武器として」組織的に用いられていると指摘し、南スーダンは「世界で最も恐ろしい人権状況の一つ」だと述べた。【翻訳編集】 AFPBB News


先ほど紹介した本の上巻で描かれている事が、今現在地球上で行われている。
痛ましすぎて言葉もないが、それもまた事実らしい。

それでムカついたのは 国連が先日日本に文句つけてきましたよね。夫婦別姓を認めろ、従軍慰安婦問題をとにかく認めて謝り続けろ、直前に削られたらしいが女性天皇認めないのは女性差別などとに皇室問題まで口を挟んできたこと。
こんな内政干渉してるより、もっと急いでやんなきゃいけない女性差別以上の要件ってあるのじゃないですかね?

言いやすい所にだけ文句つけるんじゃねーっての。ホント日本って人がいいよね。




コメント (2)
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読んでから行くか 行ってから読むか?

2016-01-25 23:46:14 | 読む
小説に(限らずだけど本一般ね)出てくる場面、土地、建物などに行ってみたくなることはないだろうか?

ワタシはかなりその願望が高い人のようである。
例をあげると、高橋克彦氏の北斎殺人事件を読んで無性に小布施に行きたくなったり、京都を歩いて源氏ゆかりの場所を訪ねる旅なんてのにも参加した。軽井沢や小諸も然り、数年前には少女時代から好きだった赤毛のアンの世界を味わいにプリンスエドワード島までいっちまったほどである。

だからね、当然、これを読んだら





美術館に行きたくなりましたよ。

  乙女な心を持つ美術系男子のラブコメディ!

有名政治家を父に持つ遠明寺(おんみょうじ)美智之(みちの)輔(すけ)は、子どもの頃から絵を描くことが好きな乙女な男の子。恋愛対象が同性の美智之輔は、同級生の高瀬君に憧れていたが、思いを告げることもないまま、日本の美大を卒業後、憧れのパリへ留学していた。
ある日、アルバイト先のカフェで美智之輔は、ぼさぼさのおかっぱ髪でベース形の顔が目を惹く羽生(はぶ)光(み)晴(はる)という女性と出会う。凄まじい勢いでパソコンのキーボードを打つ彼女は、偶然にも美智之輔が愛読している超人気ハードボイルド小説の作者。訳あって歴史あるリトグラフ工房idemに匿われているという。
過去にはピカソなどの有名アーティストが作品を生み出してきたプレス機の並ぶその工房で、リトグラフの奥深さに感動した美智之輔は、光晴をサポートしつつ、リトグラフ制作を行うことになるが……。

【編集担当からのおすすめ情報】
小説『ロマンシエ』に登場するパリのリトグラフ工房“idem”とコラボした展示会がを開催します(2015年12月5日から2016年2月7日まで、東京・丸の内のステーションギャラリーにて)。小説を読んでから展覧会に行くもよし、展覧会でリトグラフを楽しんでから小説を読んでもよし。小説(フィクション)と展覧会(リアル)がリンクした初の試みをお楽しみください。(アマゾンのサイトより)


実のところ 「楽園のキャンパス」などに比べるとちょっとおちゃらけすぎ、軽すぎとは思ったこの小説だけど、パリの空気、あの独特な雰囲気を持った自分の仕事に誇りをもった様々な分野で働く職人さんたちの様子、そして見た事がないリトグラフ工房idemに憧れる気持ちはとても駆り立てられる本であった。

これが行かずにはいられるであろうか?いや、いられまい。

ってことで出かけたのは

東京駅に直結している美術館





ここ、いい空間ですね。丸の内北口改札から徒歩数秒だからちょっとした電車の乗り継ぎの時間を利用しても見られそう。








中もね、重要文化財らしいレンガの壁なんてそのまま上手に使われていて重厚かつモダンな雰囲気。

レンガとかタイルってどうも惹かれるのよね。レンガの頑丈さってのは「三匹の子豚」の童話から刷り込まれたのか?おおかみが来ても大丈夫!



窓から外を見ると丸ビルやkitteが見え



内側に目をやれば、駅につながるドームが見える。
駅っていいですね、何か物語が始まったり終わったり





原田マハさんも書いてらしたけど、日本人ってのは「版画」に対しての親しみの心ってのを持ち合わせているのではないか?
江戸時代から浮世絵って文化もあったし。

小学校の図工の時間なんかも何度も色んな種類の版画って作りませんでしたか? 
そういえば、パソコンやスマホで作る年賀状が普及する前はこぞって「プリントごっこ」で年賀状を作っていましたよね、我々。

「国民行事だ、プリントごっこ」とまで言われていたではないか・・・ あれって手間がかかったけど何色か版を重ねたりしてみなさん結構芸術作品を作ってましたよねえ。

ってことで、この美術展 楽しめた。ワタシはフランソワーズ・ペトロヴィッチって人の少女の図やJRって人の目をあらわした作品なんかにとても惹かれた。
idemの工房の中や作業の様子のフィルムもおもしろかった。もしまたパリに行く機会が持てたら、中には入れないまでも工房の入り口くらいは覗いてみたいものである。



ギャラリーショップもなかなか面白い品ぞろえだった。

美術展にまつわるものだけじゃなくて東京駅グッズも豊富。鉄っちゃん鉄子さんへのプレゼントとか地方や外国への方のおみやげにもなりそうな品ぞろえ。


マウスパッドを探していたオットにお土産



久しぶりに丸ビルの青ゆず寅で銀だらの西京焼きとマグロの頬肉の揚げ煮の昼定食。



眼もお腹もご馳走さまでした。
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時差ぼけ対策の本

2015-10-28 13:33:15 | 読む
ヨーロッパに来るととにかく早く目が覚めてしまい、一旦そうなるとなかなか寝付けないので、ホテルのベッドでの時間つぶしには、普段の生活ではなかなか手にとらない分厚いヤツを読むことにしている。

今回の時差ぼけの友は



ジェーンオースティンのマンスフィールドパーク

これがまぁおもしろいこと。

舞台は18世紀初頭のイギリスである。

その頃に作られた建築や町並みが普通に残り、同じように世界各国に植民地を持っていたという共通項があるこのポルトガルという国で読むことの、ある意味臨場感。

何百年の時の隔たりがあっても、人々の喜怒哀楽の原因は変わらず、自分と他者との関係を鑑みながら、時には親切心にあふれたり時には意地悪をしたり。
賢者も俗物も同じように恋をすれば悩む。
その普遍性をより楽しめるのがこちらでの時差ぼけタイム。

ついその世界にはまりこみ、感想まで書きたくなってしまった。

○○鏡無しで読むには中公文庫は活字がちっちぇいけど分冊されても荷物になるのが痛し痒しってところ。
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花子とアンと太陽と

2014-07-19 23:59:55 | 読む
今週の花子とアンはなかなか盛り上がった。

花子がついに村岡氏と結婚! そのあとはさらりと妊娠、出産。

一方蓮子様もついに不倫相手の宮本龍介氏とかけおちである。

木曜日の花子とアン、その蓮子の出奔の回は圧巻だった。龍介とのかけおちを控えて、何食わぬ顔で夫の買ってきたきんつばを食べる蓮子。
約束の時間がせまるところで夫は一緒に花子の出産祝いに行くかと言い出す。内心あせる蓮子。
しかし夫に用事が入って、予定通りに蓮子は恋人の元へ向かう。

約束の場所へはやる気持ちと一緒に足を運ぶ蓮子、迎える龍介、しっかり抱き合う二人。

そのBGMに美輪さんの 「愛の賛歌」が長尺で入ってるんだもの。

この回は永久保存にしようと思いますです。



我が家の本棚にこんな本がある。1979年発行の 別冊太陽 
もちろん独身時代、本好きな少女だった頃のワタクシが買った本である。

明治、大正、昭和の「恋愛」の話。純愛も不倫も心中も色々とりあげられているが、選者は瀬戸内晴美(まだ寂聴と名乗っていない)

冒頭は はるかなり恋の路 という題名で 恋愛はいつ、人類の中に始まったのだろうか。という結構大上段にかまえた文章から始まる。

明治編には例えば

・自由民権演説家 岸田敏子のプラトニックラブ
・樋口一葉のかなわぬ思慕
・柔肌の熱き血汐 晶子、鉄幹
・北原白秋 人妻恋愛事件

大正編

・お蝶夫人三浦環の愛の遍歴
・夢二の描いた三人の女
・有島武郎、美人記者と情死

昭和編

・岡本かのこの複数的同棲生活
・愛のコリーダ 阿部定事件
・国際スパイ、ゾルゲの愛・・・・etc


これが当該の人たちや新聞記事などの写真とともに解説が書かれている。
おもしろそうでしょ?

そして我らの蓮子さまは大正編に登場している

筑紫の女王、柳原白蓮の出奔



これは白蓮と炭鉱王 伊藤伝右衛門の結婚写真である。権力と財力があるが教養がなく、乱脈な女性関係で白蓮を悩ませたという伝右衛門というが 結構渋い九州男児っぽい骨のありそうなオヤジではないかw
当時、その手の男が妾を持ったり女遊びをするのは当たり前のような風潮だったろうからそう彼が突出して悪いってわけじゃないとも思う。
そして、十年後に白蓮に去られ、コキュとなった上に、絶縁状まで全国の新聞に公開されて大恥かかされて、まあかわいそうと言っちゃかわいそうなオジサンである。



白蓮と その相手龍介。

白蓮はさすがに大正三大美人の名にふさわしく美しい。
しかし龍介氏・・・ ワタシはこの写真を見た時、あなごさん(サザエさんの登場人物 マスオの会社の同僚)を思い出しガッカリしたのである。ワールドカップの南アフリカ大会の時の日本人監督もそうだが、ああいう出っ歯系の唇の厚いオトコは好みじゃないのよね(どーでもいいが・・)

出奔した後の白蓮は結構苦労されたらしい。当時は姦通罪ってものがあったから伝右衛門から告発されれば、白蓮、龍介とも獄に下ることになったろうけど伝右衛門はそれをしなかった。一時は軟禁された白蓮だったが関東大震災をきっかけに出奔して二年後、やっと宮崎家に入れたらしい。しかしその後、龍介の結核が再発したため、白蓮は看病と二人の子供の子育てを 原稿執筆を生活の糧にしながら頑張ったそうだ。

出奔前後は色々な見方もできるが、多大な夫の富を捨てて、今までに経験のしたこともない貧しい暮らしに飛び込み、最後まで愛する男のために一生をささげたという所をみると この恋愛はホンモノだったんだろうなとも思う。

これからドラマの方もどんな風に描かれるのか楽しみである。
仲間ゆきえの着物姿もホントに綺麗。
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秋風が運んできたもの

2013-10-19 00:11:12 | 読む
珍しくウツっぽい一週間であった。

主な原因は↓




イヤミスって言葉があるらしいが(湊かなえ氏などの面白いけど読後イヤーな気分になるミステリーを指すらしい)、この本はワタシにとってイヤ小説であった。

 アマゾン ☆ 

 家の中は綿埃だらけで、洗濯物も溜まりに溜まり、生え際に出てきた白髪をヘナで染める時間もなく、もう疲労で朦朧として生きているのに母は死なない。若い女と同棲している夫がいて、その夫とのことを考えねばならないのに、母は死なない。ママ、いったいいつになったら死んでくれるの?親の介護、姉妹の確執…離婚を迷う女は一人旅へ。『本格小説』『日本語が亡びるとき』の著者が、自身の体験を交えて描く待望の最新長篇。

↑内容の紹介より

ねっ イヤそうでしょ。
主人公とその母の年齢が我が身と似通ってるあたりでもイヤだ。
別に私の母が毒親ってわけじゃないし、オットに若い女がいるわけじゃない(多分w)けど。

それにしても他人事、お話じゃすまされないリアリティがありすぎるわけね。

それに加えて悪いことにこの一週間で立て続けに かなり親しいと言える範疇の友人三人から悩みをうちあけられてしまった。
曰く
「姉妹のつれあいが事業に失敗して借金多額 住む所もなくなる 年老いた母親に告げるのがツライ」
「ダンナがもう三年仕事がない。さすがに別れようと思うけど相手が無職ってのは理由にならないんだって」
「離婚されちゃった 家庭内離婚だったんだけど修復できると思ってた」

↑重いよ・・・
幸せ自慢も時にはうんざりするけど、まだそっちの方がいい。これだけは誇れるけど私自身他人の不幸は蜜の味と思える人種じゃないのである。むしろ幸せな人からおすそわけもらって生きていたいちゃっかりさん。

それにしても50女の悩みってのはなんて救いようがないんでしょうか?
若い子たちだって悩むけどね、 失恋、進路なんかで。

でも母の遺産の主人公も言ってたけど、若いうちは本当にやり直せるリセットができやすいけど この年になると本当のリセットってできないものなのよね~。
身体的なおとろえもあるし、積み上げてきた半世紀は否定できるものじゃないし、そこで生じたシガラミは切り捨てられるもんじゃないしさ。

その状態で読み始めたこの本は鬱々気分に拍車をかけてくれた。だったら読むなだけど読ませるだけの筆力があるんだもの。この人の本格小説(題名です)もおもしろかったな。日本版 嵐が丘みたいで。

オットはこのところ多忙をきわめ、日曜以外の週に半日×2の研究日もほぼ出勤。こういう時に自分のウツ気分を話してもめんどくさがられるのがオチなので話せないし。
気分転換しなきゃね。

ってことで
明日は若いワイン友たちと遠足行ってきます。







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朝の怒り

2013-02-03 22:39:56 | 読む
日経朝刊の最終面に 私の履歴書という記事がある。

色んな分野の方が一か月にわたって自分の半生を記し、大半は興味深いコーナーでもあるのだが・・・

一月担当は あのジジであった(またこのジジの悪口かよ、と思われる方はこのブログを長く読んでいる方である) ☆ ここらへん 

作家 渡辺○一

こんなに私の神経を逆なでする作家はいない。嫌なら読むなよだけど嫌だ嫌だと思って読んで誰かとその感想を共有したくもある。

一月も終盤、なぜか彼の履歴書はまだ昭和40年代であった。
今までの内容はを箇条書きいたしますと(ああ、ワタシもヒマね)

☆ ざっと祖父母や両親のこと 小学校時代からお勉強ができて作文や短歌の才能があった自慢

☆ それから高校になっての自死した天才画家とのかかわり(これは小説にもなってるしさんざんどこかで同じようなネタは読んだ)そんな重要な出来事であり大切な出会いと別れのはずなのに、画家の名前を間違ってましたという訂正が次の日に記載されていて失笑

☆ 京大の哲学科に行きたかったけど、母に説得されて医学部に行く

☆ 解剖の授業で人間が一皮むけばみな同じ(乱暴なまとめかただがだいたいそんなもん)これも良く新潮のエッセイのネタにされてる繰り返し

☆ 医者になって整形外科教室へ

☆ そこで可愛くて仕事もできたらしい看護婦とデキちゃう。

☆ 妊娠もさせちゃう(いくら整形の医者でも国試で産婦人科の勉強くらいやったろうに)

☆ しかしまだ大学院生だし、ここで子供ができたら 母もびっくりするだろうと堕胎させる

☆ 看護婦さん多少狂乱(無理もない)

☆ それがうざくなって遠ざかる

☆ 母にすすめられたお見合いで医者の娘と結婚

☆ 結婚式で中絶させた看護婦さんが乗り込んでこないかとおびえる

☆ 和田教授による日本初の心臓移植手術が行われる

☆ 地方の病院でこの快挙!と有頂天で新聞にも投書

☆ レシピエント死亡と移植手術の問題性があらわになってきて焦る

☆ 医局をやめる 小説も書いていて何度か賞の候補にもなっていたのでそれで生きて行こうと思う

☆ 単身で上京 バイトで医者も続ける

☆ そこでまた彼女を作る

☆ 彼女浮気する 部屋にオトコが居るのを見つけて糸鋸でドアチェーンを切断を試みるも警察に通報されて逮捕されそうになる(自分は結婚しているくせに)

☆ 直木賞受賞 一番喜ばせたかったのは母(糸鋸事件の時の警察官にもあの時のオレがこうして直木賞を取ったんだぞと言いたかったんだと、これもホントにバカかと思った)

記事を引っ張り出して確認する手間を惜しんでいるので不正確な部分があったらお許しを

まあこの流れから、人間正直だから良いってもんじゃないなあとつくづく思うのである。

まあこのジジももう70代も後半? 人生今更怖いものもないのかもしれないが、そういう恥も外聞も捨てての開き直りの境地ではなく自分のしたことが「恥」と認識していないのではないかと感じられてしまうのである。
元々そういう感性なのか加齢によるある種のボケ症状なのかは定かでないが・・・

この中絶させられた看護婦さん、上京後の浮気相手、これを読んだらどう思うだろうか?
そして余計なお世話であるが、このジジの奥さんや子供(直木賞がとりたくて直子と名付けたお嬢さんがいるらしいw)ってイヤじゃないんだろうか? 

ざっと一連の流れもさることながら、細かい所でホントむかつくのw

中絶看護婦さんと仕事をしていた時も 朝の入院患者の見回りの時に
「いくぞっ」と声をかけると 彼女が
「はいっ」と答えて包交車かなんか引っ張ってついてきてくれたんですと。 いくぞっ ハイっ だってよ。気持ちわりい。

何でむかつくって言うとさ、この人の小説ってこの頃の医局感っていうか医療現場感をそのまま引きずって現在のこととして書いてるってこと。
今時こんなに都合の良い看護師さんなんていないっつうの。まともな医療現場はもっとお互いを尊重してるっつの。

これはこのジジの他の女性観も同じ。妙にしおらしく男をたてる都合の良い女がいつも主人公。そのくせ尻軽ってのが共通項。
オトコにはもてるかもしれないが一緒に働く女からはうざがられるタイプね、妙に粘着質で。

そして二言目には「母が」「母が」
人生の方向性を決めてくれたのも母 一番喜ばせたいのも母。

そりゃー親を大事にする人間の方が ないがしろにする人間よりはましなのは確かである。

しかしこのエッセイに現れる母への依存性はこのジジの精神構築に深くかかわってるのではないかと推察される。

直木賞とってを一番知らせたかったのは母 なんていうダンナだったら怒るよ 私が妻なら。

気を取り直して続けると

☆ 直木賞後に書いた小説は、「花埋み」「無影燈」「阿寒に果つ」「冬の花火」「遠き落日」
この頃の作品群は私も先入観ない感想を述べると面白かった。この辺の一連の作品が面白かったから私はこのジジを認識したんだもの。
その後ベストセラーになったエロ路線よりよっぽどマシだと思う。

☆ そして、東京に家族を呼び寄せたジジは作家として一本立ちして今まで通りに新宿で飲んでたら同年代のオトコに絡まれたんだって。直木賞とったくせにこんなところで飲むなって。
そうだ新宿っていうのは作家やディレクターになりたいけど志を遂げられない輩の集まるところ、こんな所で直木賞とったオレ様はいちゃあいけないと銀座で飲むことにする。
この上から目線 新宿で飲む自由業の皆様、怒りましょう。

☆ で、遊び場を銀座に移す。銀座では作家の御大たちが美しいホステスをはべらせ楽しそうに飲んでいる。そうだこれからは銀座だ! あの大作家たちのように銀座の女性と親しくなり、堂々と愛を語り合いたい。(愛を語るってホステスさんを口説くっていうのと同意語なんですかね?このジジの作家としての日本語使いはかなりの違和感が・・・)
しかし銀座は高い!お金を得なきゃ!ベストセラーを書かなきゃ!

☆ それが文学のためとか、よりよき小説のため、などというもったいぶった理由なぞいらない。それより、いい小説を書いて、銀座のいい女をゲットしたい。そんな俗な理由が、まずわたしをふるい立たせ、わたしの能力をかきたてた。(これは原文まま)
ってことはジジの本を買うってことはジジの銀座遊び代に貢献するということなんですね。ぜってー買いたくない。

☆ わたしは今、自分が常識人でなく、作家になっていることを自ら実感し、納得してもいた。(これも原文まま)

確かに芸術家とか文学者ってものは世間一般の常識で計れないものだと思う。しかしそれって人を感動させる作品を作り出すこと前提で、しかも他人が評価するもんじゃないだろうか?「あああの人は芸術家だから仕方ないね」といった具合に、尊敬と畏敬とともに・・・。

自分の非常識を勝手に納得して開き直る口実にしていただきたくないものである。

☆ そして連載最終日、結局直木賞をとったその後のことは書いていない。作品を読んでもらえばわかるんだそうだ。「その意味では、わたしは私小説作家であるのかもしれない。」そうで失楽園だの愛の流刑地などの大作も、それなりにモデルがあり、その主人公と同じ思いに深くとらわれたことは、まぎれもない事実である。
自分の作品を大作呼ばわりするのもかなりの違和感があるが、その後の「 ただ一点、「失楽園」の主人公は最後に毒薬を服(の)んで心中し、「愛の流刑地」の主人公は恋人を殺して刑務所に入るが、わたしがそのとおりの人生を歩んでいないことはたしかである。 しかし、小説を書いているときは、まったく、主人公と同じ思いであり、ともに死にたいと思い、さらに愛する女性を殺したい、と思ったことも事実である。これらはまさに身に沁(し)みた実感である。」にさらに違和感が・・・

結局このジジって愛だ恋だ不倫だって言いながら、家庭と作家としての地位は保全して何一つ失ってないんだもの。これは賢いというよりズルいと映る。
同じ不倫の恋でも 身一つで故郷に夫を捨てて出てきた宇野千代さんその他の女流作家たち、色々なものを捨ててその辛さや喪失感、多少の後悔などを作品に昇華させていった人たちのように人の心を打つものは書いてないんじゃないの?

結局このジジが愛したのはご自分と御母堂なんだなと連載終わって思っただけ。

なんだかんだ言って毎朝必ず読んでしまったワタシもバカね。

しかしこうやって日経も連載し、週刊新潮も毎週こっつまらないエッセイを長々連載、こうやってみると日本ってまだまだ世の中全体が古臭いオヤジ脳なんだなとちょっと失望を感じてしまう。








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人はさびしいと・・・

2012-07-21 22:47:32 | 読む
凶暴になる・・(あっ ワタシだけか)

思い返せばM子との結婚が決まった時も ☆ この辺 おめでたい事と思いながらも、理屈に合わない寂しさをしばしもてあましていた時期があった。

そして今度のドラ夫婦の旅立ちを前にして・・・
今度も理性では図りしれない寂しさってものがひしひしと押し寄せている状況である。

私はドラを傍に置きたいと思って育ててきたわけじゃなかった。また、もし傍から離れないように育てようとしたとしてもドラは収まるようなタマではなかったと思う。
ドラが憧れ、運よく入れた中高の学校も、世界に雄飛するにたえる人物を作るというのが理念の一つで、私もそれに対して大いに納得したのであった。

なのにね~
オットなんて「いいじゃないか今あいつにとって行くのはベストな時期だろ」と言うが、そんなこたぁわかっとるわい。 その冷静さが却ってむかつく私である。


今日はドラの引っ越し準備のために午後は空けてあったが、倉庫に運ぶものと赴任先に持っていくもの、廃棄するものはシールを貼っておくと業者がやってくれることになっているらしい。
「別に今日は手伝ってもらうことないよ。明日一緒に飯でも食おう」とのことで拍子抜けである。

午前中は都心まで行く用事があったので、今年はまだ何も見ていないバーゲンでも覗いて帰ろうかと表参道から新宿に出て伊勢丹と周りのブティックをブラブラはしてみた。
なんとなくぱ~っと買い物でもすれば気も晴れると思ったのである。

しかし、こういう時に限って物欲が刺激される物も見つからず、足は疲れ、季節はずれの肌寒さと突然の雨にイライラがつのる。

その上新宿と言う街がやたら電気屋に占拠されていくことにもイライラする。気に入っていた新宿三越ALCOTビル 15 minutesっていう簡単メイクをしてくれる店とパン屋のジョアン お菓子作りやパン作りの材料や器具がそろっている店 ちょっと一人お茶するカフェなどがビッ☆カメラになってしまった悔しさ。
ヨ☆バシだのヤ☆ダだのがもう何店舗もあるんだからいいじゃないか みんなそんなに電気屋が好きなんか!

移動の地下鉄と駅の乗り換え中にも同じくイライラがつのる。

私は元々平和を好むヒトであります(ホントだってば) それに公共の場所では極力他人に迷惑をかけないように自分では努力もするヒトである。電車ではシルバーシートに座らないようにしてるし、前に年寄が立ってたら席は譲る。デパートで服を広げたら必ず元の通りに畳んで戻すような・・・ 一応は他人に気を遣って生きているのである。
しかし、それだけに(というか自分が未熟故かもしれないが)公共の場での迷惑行為や傍若無人の人たちは目に着いてしまう。
いつもは (哀れな人たちだね)と憐れんですませるが、今日はやたら攻撃的オバになっている自分を発見した。

地下鉄のドアの前で降りる人が後ろに立っているのにゲーム機に夢中になってとおせんぼしていた中学生くらいの男の子4人。
私と一緒に降りようとしたじいさんが、「失礼」と言ったのに動こうとしないのにムカつき 「邪魔っ!」と言ってどかした。
ゲーム機からやっと目をあげて一瞬おびえたような顔をしていたので溜飲が下がったが、向こうとしたらこんなに小さいオバに怒鳴られて後になって悔しかったであろう。 お前らが悪い。

乗り換えのホームで、私の嫌いなショートパンツから太い足を黒いレギンスで包むというスタイルで、ズルズルとミュールをひきずるような歩き方で歩いている若い女の子が、蛍光ピンクのガラガラバッグをひきずって人の直前を横切り、それにつまずきそうになったので、「あら 危ない」と言いながらガンをつけた。
いつも思うのだが、あのガラガラバッグは人混みの中では せめて自分の脇にぴったりつけて歩くべきではないだろうか?あれにつまづいて転んだ人は結構居ると思う。

そして始発の駅で停まっていた私鉄に乗った時。車内は比較的すいていたが、目に見える空席はなかった。私はかなり歩き回って足が疲れていたのでできれば座りたいと思って端の方まで歩いていたら、周りに立っている人がいるのに荷物を置いて座席を二人分占領しつつスマホに夢中のオトコ発見。いつもは諦めるが 「す・み・ま・せ・ん」とやっぱりドスを利かせた声と眉間のしわつき表情で荷物をどかさせ座席を確保。
そいつは最初すまなそう、その後私の攻撃的態度にかなりムカついた表情をしていたようだったが知らんこっちゃない。

あ~ 誰か止めて!このままじゃいつか刺される。

結局 今日の買い物は・・・



ミレニアムⅠ (上下)

移動の友に図書館で借りた 「別冊図書館戦争」を読んでいたのだが、あまりに甘すぎて(堂上と郁の恋愛期間が主軸故)というか 今の気分にあまりにもミスマッチだったので ちょっとハードなものを読んで精神バランスをとりたくなったのである。

攻撃的女のお手本みたいなリスベットの存在で心を慰めw 凶暴な自分を収めることにしようっと

そうでもしないと ホントに刺される。






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最近読んだ本

2012-04-25 21:45:54 | 読む
病院というのはとても待ち時間が長いもので・・・ まして付添として行くと、自分が見てもらうわけじゃないので移動の他は殆ど何もすることのない時間である。携帯もつかえないし。

で、母の付添中に読んだ本で印象に残ったものを記しておこう。(画像はアマゾンから借りました)

まずはご夫妻の作品





先日クマ牧場で檻を抜け出したひぐまがパートの女性二人を殺害した事件があった。
 こちら ☆で書いたがこの本が現実になってしまったようで気の毒な事件であった。
その関連で読んだのが吉村氏のドキュメンタリーである。熊牧場やファントムピークスじゃなくてほんまもんの野生のヒグマが人を襲った話である。
大正時代の話だが、入植して厳しい北海道の自然と戦いながら生活を育んできた村に巨大なひぐまが襲う話。息を詰めて読んでしまうような迫力があった。

吉村氏の緻密な筆致。もっと他の著書も読んでみたいと思いながらも書く世界があまり私の興味の範疇外なので今まで敬して遠ざかってたけど力のある作家さんの作品てのは興味外の対象を書いてもひきつけられるものと改めて感じさせられた。チャレンジしようっと。

奥様の津村節子さん この方は着物の会の先生も講義の中で著書を紹介してくださる。絹織物、染め織り、伝統工芸など着物周りの世界を記した著書が多いので読んでいたが、こちらはご主人の舌癌から始まる闘病と死に至るまでの私小説である。
身内に癌患者がいるタイミングで読むのもなあとも思ったが勢いで図書館で借りてしまった。
作家としての活動をしながら、気難しそうな夫を支えた数年間の記録。戦って戦って最後は自分で点滴を抜いて死に至った吉村氏の最後の描写、その時に叫んだ筆者の言葉には泣けた。



450ページという長編 単行本だから重いので持ち運んで読めなかったこともあるが、読み進むのがつらかった本。
これはかなり強烈な母親との葛藤を記した半自伝的私小説である。
幼い頃から母親から期待されていた反面、押さえつけられ、それを陰で裏切るかのように女子高時代の同性愛、男遊び、結婚と離婚と再婚。
その母親は現在認知症でわけがわからなくなっているようで、だからこれを書けたのだろうけど・・・
ムスメもいる我が身としてともすれば母親というのはここまで我が子を呪縛してしまうものなんだろうか? この母娘が特殊と信じたいと思ってしまった。
途中何度も読むのをやめようと思いながら彼女の語りの展開や文章の巧みさにひきつけられて最後まで読んでしまったが読後はすっきりしなかった本である。






これは違う意味で読み進むのを躊躇した本。 なぜって?・・・・

読み終わるのが惜しかったからである。いいわ~ 有川さん! はまった。

簡単に言ってしまうと東京の小劇団の財形再建の話である。

シアター

小劇団「シアターフラッグ」―ファンも多いが、解散の危機が迫っていた…そう、お金がないのだ!!その負債額なんと300万円!悩んだ主宰の春川巧は兄の司に泣きつく。司は巧にお金を貸す代わりに「2年間で劇団の収益からこの300万を返せ。できない場合は劇団を潰せ」と厳しい条件を出した。新星プロ声優・羽田千歳が加わり一癖も二癖もある劇団員は十名に。そして鉄血宰相・春川司も迎え入れ、新たな「シアターフラッグ」は旗揚げされるのだが…。
←サイトより


シアター2
 「2年間で、劇団の収益から300万を返せ。できない場合は劇団を潰せ」―鉄血宰相・春川司が出した厳しい条件に向け、新メンバーで走り出した『シアターフラッグ』。社会的には駄目な人間の集まりだが、協力することで辛うじて乗り切る日々が続いていた。しかし、借金返済のため団結しかけていたメンバーにまさかの亀裂が!それぞれの悩みを発端として数々の問題が勃発。旧メンバーとの確執も加わり、新たな危機に直面する。そんな中、主宰・春川巧にも問題が…。どうなる『シアターフラッグ』!?書き下ろし。

しっかりもののサラリーマンの兄・司と幼い頃大層ないじめられっこだった巧。巧は売れない役者で貧乏をこじらせて死んだ父から演ずるということを教えられた。シアターでは司の鉄血宰相ぶりに惚れたワタシだが、2ではそれぞれのメンバーの恋愛模様も織り交ぜてあり、へ~ここがこうくっつくんだと意外だけど納得するキャラ構成にこれまたひきつけられる。

あとね、登場人物たちの会話の巧みさ。
それぞれキャラ立ちしている人物たちだが、会話もそのキャラならこうしゃべるだろとそのまま違和感がない。
またもしつこく書いてしまうが 某渡辺○一の作中の会話のあり得ないひどさ。この人物設定でこんな言葉使いするわけねえだろといつも突っ込んでしまうが、そういったことはこの作品では皆無である。作者に年代が似ている人物だけでなく、司の上司のアラフィフの部長や客の上品奥様も納得する言葉づかいとしゃべりである。こういうのってとても読んでいて安心なのだ。人間観察が鋭い証拠だね。

それにね、さっき紹介した津村氏の本と違った意味で泣けるの。シアターフラッグのメンバーの演劇にかける情熱、最初もうけもでない劇団として苦々しくみていた司が、巧の作品の中の自分の投影に気付くところなんて・・・ ホントじんわり来る。お涙ちょうだいじゃないところでずきゅんと心に沁みるってワタシ好みだわ~

東京ってところは案外身近に役者さんって人種がいるところで、ジムに行けば往年の☆沢映画にも出ていた俳優さんが自転車漕いで汗を流していたり、子供の学校関係の父兄にも今現在TVや舞台で活躍している人もいる。
そういうメジャーな人とからむのもミーハー心が刺激されて楽しいが、もっと身近なところに もうちょっとでメジャーになるかな?というまさしく中堅どころの劇団の俳優さんの妻がいるのである。
彼の作品や客演する舞台はなるべく見に行っているが、コンスタントに仕事があって家族を支えていけるようになるまでは大変だったらしい。
妻にこの作品の話をしたら
「すっごい身につまされますよ~ 絶対読んでみます。ダンナにも読ませます!」と言っていた。彼女とダンナの感想を聞くのも楽しみである。

さっき読み終わるのが惜しかったと書いたが、このシリーズはまだ完結でなく3まで出る予定らしい。
早く読みたいな、シアター3!








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面白かった本・むかついた本

2012-03-14 20:37:51 | 読む


1時間ほど電車にのるのでヒマつぶしにと駅の書店で何気なく購入したこの本。
宮部みゆき氏絶賛という帯に惹かれもした。
本州の山間部で居るはずもないヒグマに人々が襲われる話。
いや~面白かった。淡々としているが端正な文章がとても好ましい。
残虐な場面もあるが、自然を冒涜した人間の傲慢さに対する警告として私は受け止めた。
この作者の他の本も読みたいと思ったら、もう若くして亡くなっているのですね。

心から残念・・・・ ご冥福をお祈りします。




以前からこのブログをお読みのみなさん。
またこの作者の悪口かよ、局もしつけえな 嫌なら読むなよ。と言われるかもしれないが・・・w
源氏物語を読むサークルにも入っていたワタクシ、平安って時代と今期の大河ドラマの伊東四朗の名演技に惹かれて手に取ったのが運のつき。
あ~ あまりにもつまらん。もちろん買わずに図書館で借りたが、あまりのつまらなさに(ページを開くと寝てしまう)返却予定日を超えてしまったではないか。
つまらない以上に腹もたつエロ描写。「よいか」「ください」には吐き気がしたぞ。
じじいが若い女性と結婚するのが流行りの昨今。作者のその手の願望は非常に嗅ぎ取れた。
それにしても「史実は調べたもんね」っていう意味なく思える事実の羅列だけが目立つが人物描写の独りよがり。
前も書いたけど、編集者ってなんでこんなもん本にするの?

心から残念・・・・ ご引退をお願いしたいです。
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旅心

2011-12-01 23:05:14 | 読む
11月半ばからずうっと忙しい。

予定入れすぎの自業自得ってところもあるが、ドラ入籍 引っ越し 式準備などイレギュラーな用事も結構入ってくるもんだ。


思い返すと今年は外国に行かなかった。震災の影響もあってなんとなくその気にならなかったのが原因のほとんどだけど新しい家族MダックスのGちゃんを迎え入れたことも大きい。
もうすぐ1歳だけどやってくれるんだもの、こいつが・・・



この可愛い顔(はい飼い主バカですが)に似合わず色々やってくれること。身が軽くてどこでも飛び乗るので今まで油断して置いていたものが被害にあうこと。
春から今までに何足の靴がゴミと化したことか。
留守番するといやがらせなのか 本や書類などもビリビリにしてくれる。それも大事なのに限ってやるのである。この前は図書館の本を破壊されて新刊を買って弁償する羽目になった。

困ったもんだ(その分癒されるけど)


話は変わるが

 最近買ったこの本。

万城目学氏による傑作、鴨川ホルモー続編 「ホルモー六景」である。
今私がもっとも好きな作家である。
前作もそうだったが、こちらは時代をまたいでホルモーの歴史にまで言及され、他の大学のメンバーにもスポットが当てられている。
続編や番外編を読んでがっかりってこともたまにはあるが、この本は万城目氏の教養に裏打ちされて計算された娯楽性ってもんがパワーアップして非常に楽しめた。
ネタバレするが その中の「もっちゃん」とい章。もっちゃんは彼の梶井基次郎氏がモデルになっているのだが、その章では泣いた。
淡々として書かれているが、京都の丸善が閉店する時に店の中に数知れない檸檬が置いてあったというエピソードで である。

またホルモーの歴史の中で 北大のクラーク先生が同志社の創始者の新島襄氏に当てた手紙が存在することなどワクワクする伏線、それが現在にからんでストーリーが構築されていくところ。なんてうまい作家さんなんだと感動する(今更なんですが)

ってことで、この連作で出てくる大学、神社、通り、などを読むと無性に京都に行きたくなった。

そう思っていたところで マイミクの(ここでもコメント書いてくださってる)YUMAMAさんが京都に行った日記を読んだり、友人のチョイ悪オヤジより 毎年恒例の京都もみじ狩りの写真が送られてきたりで

 



(夫婦水入らずもいいですねっていうノロケだか達観だかのコメントつきw)

無性に京都に行きたい私。 そうだ 来年そうそう京都に行こう。


ってその前に一つこの時期恒例になった旅行もあるんだけど。
今年は一泊で駆け足だけどそれも楽しみ♪


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嫌だ嫌だはやっぱり嫌い vol.2

2011-08-17 08:29:31 | 読む
vol.1はこちら ★

予想はしていたもののやはりあちこちひっかかって腹を立たせてくれました。
ここまで予想があたるとむしろ爽快であります。

今回はこれ ↓




結構新聞や週刊誌の書評で取り上げられて(案外好意的だったような気がする)いたので図書館にあったら借りようと思っていた。

団塊の世代のオヤジの定年後の話。

オヤジ(威一郎氏)は大手の広告代理店で執行役員にまで出世したが 最後に取締役になり損ねて大阪の関連会社の社長職を提示されたにもかかわらずブチ切れて60定年で退職する。
これから悠々自適 あれもしよう、これもしようと思っていたのに現実は思うように行かず、日常に楽しみも見つけられない。
一方オットの不在に慣れていたツマと今更共に楽しむすべもなく、ツマが自分の用事で出かけると帰宅時間をしつこく尋ねたりで嫌がられ、あげくの果てには夫婦喧嘩になって独立した娘の所に家出されてしまって一人で取り残される。
そこでインターネットでデートクラブを見つけて27歳のOL小西佐智恵と出会う。自腹を切って高いホテルのレストランで食事させて懐柔しようともくろむが、自宅に来させて家事は手伝ってくれるまでにはなったものの恋人としてには発展せず。
やがて家出したツマは戻ってきて 佐智恵も結婚することになってチャンチャン。

つまんねえ話w

発行元の集英社の宣伝文句 ↓

「なんと 男とは 孤独な 生きもので あることか。」

仕事ひとすじだった人生から一転。
定年退職したとたん、すべてがギクシャクとしだした。
今まで知らなかった妻の日常。
かわいかった娘も独立し・・・・。
「俺はそんなに厄介者なのか」

寄る辺なくさまよう威一郎は一人の女性と出会い、再び、輝き始める。

定年後の夫婦のかたちを問う、著者渾身の長編小説。

だそうで。

↑こんな男の悲哀感も伝わってこないし こんな主人公たちに定年後の夫婦のかたちを問われたくないですぅ。

一番違和感を感じたのは 威一郎の年代設定である。
60定年後何もやることがなく生き生きと自分の時間を過ごす50代半ばの奥さんに対しての態度 
団塊の世代のオヤジ友達はいるが、こんなに情けないオトコはいないなあ。
あの世代ってもっとしたたかでもっと若々しくて小ずるいと思うのですが・・・

まして50代のツマの出歩きに文句を言ったり いつ帰るのかしつこく尋ねたりするさまは私の感覚では私の父親年代 少なくみつもってもover70の感覚である。(個人差もあるんでしょうけどね)

vol.1にも設定の違和感ってことで登場人物の会話が変って書いたんですけどね。
40代の人妻が「先生に接吻された」だのその小学生の子供が「ママ 何か口ずさんでいたね」とか 変でしょ。
この作者ってのはどの年代 どの職種を書いてもなんか一律に自分の年代と自分の価値観に持ち込んでしまっているような気がしてならない。
そうそう、この本に出てくるデートクラブの27歳の女性なんてのもそうとう変だよ。デートクラブに登録して客のオヤジのマンションについてきながら妙に潔癖な貞操観念をお持ちで、妙に言葉づかいが綺麗で、妙に家庭的。それでいてこれから結婚するにもかかわらず その後も会う気満々。変なの・・・

それに大手の広告代理店の執行役員までやったオトコなら当然時代を読む目ってのがもっと鋭いんじゃないだろうか?
甘いヴィジョンで会社を辞めて、定年後にたくさんの時間を過ごすのが見えているはずのツマとの関係をどうするかも想定せず 悪化するにまかせている。
といっても自分の財布もツマに握られこづかいもままならず。(2000万超の年収があった設定なんだし、退職金もたんともらったんだろうからその辺もどうにか対策を講じてなかったのであろうか?)

と 何しろ疑問だらけの話であった。ホント 編集者って何してんの? 「ちょっとおかしいっすよ先生 」とか言えないの?

それにさ、小説ってのは作品は作品と単独で見て評価するべきものかもしれないけどさ、この作者って医師を途中でやめて作家になった人ですよね?
多分若い頃からあまり人には頭を下げないで済んできたはずだし(今の医者ってのは淳一先生の頃より患者に気を遣い、パラメディカルにも気を遣いでもっと大変とは思うが)その上未だに現役で稼いでらっしゃってるんですよ。

サラリーマンの悲哀なんて経験せずに過ごしてきたお人である。
こういう人が定年後の悲哀を描くからどっか他人事つーか上から目線になって主人公のみじめさを書いてるから読んでるこっちの不快感をも催させるんじゃないかいな?

同じ境遇の団塊オヤジたちは怒っていい本だと思います。










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通り過ぎた時代を思い出す

2011-05-23 10:08:54 | 読む
桐島 部活をやめるってよ




この作者の生年月日を見てびっくり!1989年生まれだって! 平成だよ、平成。
岐阜県生まれで高校まで岐阜で過ごし、早稲田大学に進学して20歳の時に書いたこの小説がすばる新人賞をとる

以前、新聞か週刊誌の書評で読んで、題名が印象に残っていたので図書館の書棚で発見して借りた本。

桐島くんをめぐる高校生のオムニバス形式の小説。ただし 桐島本人は登場人物の口を借りて語られるだけで登場はしない。
バレー部のキャプテンであった桐嶋くん 爽やかで頼れる人柄で誰よりもバレーが好きだったはずなのに、なぜか周りから浮いてしまってバレー部を休むかやめるかしてしまっている状態。彼をめぐる部活やクラスの高校生たちの群像である。

私は面白かったな。
軽い語り口ですぐに読めてしまうので軽い話と受け取ってしまうかもしれないけど、そうでもなかったな。

ちょっと見 同じような制服を着て、同じように見える高校生の群れ、ところが学校内では上と下っていう見えない序列がある。
この小説で書かれているのは かっこよくてあか抜けていて目立つ男の子(たいていスポーツが得意)が上だとしたら ちょっとオタクっぽくて目立たない男の子が下ランク。
女の子は、可愛くておしゃれでやはり目立つ子が上 そうでない子が下。という序列ある世界。
もっとさっぱり言い換えると 異性にモテルかモテないかが序列になっているかもしれない。

そういえば この時代の序列に言及した話は桐野夏生氏の「グロテスク」でも描かれてましたね。あっちはもっと特殊な慶☆女子高がモデルの話だったし、もっと陰惨だったけど。

こちらは田舎の進学校が舞台なのである意味普通ではある。だからこそ色んな付加価値からフリーでその子の見かけや生まれながらにして持ってるものが評価の対象になっちゃっているのかもね。

で、「上」も「下」も色々それなりに考えはしているのだ。自己肯定してみたり これでいいのか?と反省してみたり、時には家庭に深い事情があってそれと闘ったりしながらも・・・
しかし、あまり深刻なことを口に出したり、他人と深くかかわったりするのを避ける風潮なのか、ちょっとした違和感は飲み込んだり、自分自身に対しても気づかないふりをして通り過ぎたりして過ごしているのだ。

私自身の高校時代(もうとお~~~くなっちゃったけど)共通している部分もある。今思うときらきらしていてまぶしかった反面、どこかひりひりしていた感覚は普遍的なものなのかもね。

しかし この年になると 高校時代 あれほど輝いてた男子が ハゲメタボのオヤジになっていたり、学年一の美少女と言われた女子が、なぜかダメンズウォーカーで子供を連れて離婚してきてから宗教にはまってエライ地味な格好で選挙前にお願いに来たりとか 人生の変遷ってものを目の当たりにしてきちゃっているのよね。

この小説のように「俺たちって高校の序列では「下」だもんね。どうしても「上」にはなれないんだもんね。」と下を向いていじけてる子たちに 「君たち 人生なんて今のクラスの中の序列が続くわけじゃないんだからね」とついつい声かけしてあげたくもなる。

また それとはまるで反対の感情だけど、あの一瞬の高校時代だからこそ 輝いている「上」の若者たちの傲慢さは許してあげたくもなる。

と、過去を振り返ったり登場人物を知人に置き換えてみたりして色々考えてしまったのだ。





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風が吹くとき

2011-03-31 20:40:22 | 読む
土曜日には能天気な飲み会で楽しみ、日曜にはちょっとばかりの二日酔いが残ったが、この日の夜には実家に帰らなくてはならなかった。月曜日の朝から母の外来の付き添いがあったから。
ガソリン不足の折に一人で高速に乗って行くのも申し訳ないが、実家近くのJRの間引き運転のひどいこと。元々鉄道網には恵まれていない市なのだけど 2時間に一本、または運休というテイタラクらしい。どんだけ田舎だよ であります。
ここ20年余りで急速に衰退した市なんですが・・・

ってことで日が落ちてから高速に乗ったが道の暗いこと。元々東名なんかほど照明がない道路なんだけどそれが半分になっている上に車の数も少ないから余計暗い。神経を使いながら実家についた。

実家の両親は地震の時は二人とも家に居て 築60年の家はかなり揺れたらしいがそれほど被害はなかったらしい。瓦屋根の昔の耐震基準の家だから普段から心配はしているのだけど どうやら大丈夫 震度5強までは耐えられることがわかった。
両親も怖かった~と言いながらも元気である。

しかし、未だに東京よりも寒い我がふるさと。しっかり計画停電の対象地区になっている。この週も何日か停電していたそうだ。

「不便でしょ?」って言ったら 二人口をそろえて

「まあ不便は不便だけど なんてことはないよ」との返事。

ご飯は停電の前に作っておけばいいし、リヴィングに老夫婦二人と犬一匹、ろうそく一本あればどうにかなるし、トイレに行くときには このカンデラ風のろうそく立てが活躍しているらしい。



どうしても火を使いたければ母がお茶をやっている関係で風炉はあるし消し炭もたっぷりあるんですと。
「秋刀魚を焼くときの練炭もあるんだよ」と母。
「わかったから一酸化炭素中毒にだけは気をつけてね」と言っておいた。

ファンヒーターは使えないので大昔のアラジンの石油ストーブも物置から引っ張り出してきたらしいが、一部屋にいれば3時間くらいはそれがなくともガマンできるらしい。
父は「ほれ これを着てりゃあったかいぞ」と弟のメキシコ土産のポンチョを羽織ってなんだか嬉しそうだった。国籍不明の怪しいじいさん味をかもしだしていた。
母も大昔 ウチで扱っていた真綿なんかも引っ張り出してきて ヒートテックと組み合わせれば暖房なんていらないよ とこちらも得意そうであった。
弟ともつくづく話したのだが、戦争を経験した世代は大したものである。 ちょっと不便だと音を上げる私たちの世代はやっぱり脆弱なのかもね。

楽天的にこの状況に耐えている老夫婦と犬一匹。エラいっちゃエライ。ある意味微笑ましいって言えば微笑ましい。

しかし 私は嫌な連想もしてしまったのよね。



レイモンド・ブルックス作 風が吹くとき  ☆ クリック

スノーマンとかさむがりやのサンタなどの著書のある絵本作家
あのほのぼのとした絵柄は誰もが目にしたことがあると思う。

しかし この本は怖いですよ どんな原爆や放射能の怖さを告げる啓蒙本や小説より私は怖いと思った。

手元に本がないので詳細はよく覚えてないんだけどイギリスの片田舎に住む老夫婦が平和な余生を送っているところに 突然 核実験?ミサイル?で放射能に汚染されてしまう。政府の広報を信じてシェルターに避難して助けを待ちながら楽天的に暮らしていくが、だんだんに放射線に犯されて衰えていく様子。

あのほんわかした絵柄で淡々と日常を描いた話がとてもとても怖くて 子供たちに読んであげようと思って購入した本にもかかわらず、私は一度しかそれを読んであげられなかった。

今現在の福島原発。 最初は政府も東電も保安院もNHKの解説委員や東大教授も 「まぁ 大丈夫じゃないかな~・・・」ってニュアンスだったはず。それが今頃になって 空焚きだプルトニウムだ 憂慮すべき事態 なんて言われてもね~


この本は次世代に薦めたいとともに こんな事態になる前に もう少し真面目に悲観的危機感をも持ちながら、核とか原発とかに向き合っていなきゃいけなかったんじゃないかと思う。

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またもやLEONで笑う

2011-02-28 00:29:16 | 読む
以前もこの雑誌を読んで笑ったことがあるがが、今回は新聞広告でも笑えたので 再度しつこく  以前の記事はこちら ☆ 



先日新聞のページの下の方の雑誌の広告欄に目をひかれた。↑ この広告。

春のオヤジは 脱ブナン なんですってよ、奥様。

☆脱ブナンなジャケットは男らシックなラベル
☆ブナンじゃないのはパンツじゃないデニム
☆脱ブナンには紺が効く!
☆縞柄シャツは 「小柄」か「ワントーン」
☆ドレスなオヤジは胸元が脱ブナン
☆ポール・ウェラー気分で風、はらませて

しょっぱなから男らシック っていう造語をかましたところで この見出しの作者の「ドヤ顔」が思い浮かんでしまった。

色々ツッコミどころはあるが、ドレスなオヤジって カタカナ名詞+オヤジで形容詞的に使ってる日本語センスがイヤ。

さらに 最終行 ポール・ウェラー気分で風、はらませて の句読点「、」の位置に注目してね。
写し間違いじゃないんですよ そこに 風、←で一呼吸置かせるんだよ の 見出し作者の再度の「ドヤ顔」の真骨頂を感じたね。
まあ はらませるのは風だけにしてね。決してその辺のオネーチャンにはらませないように。

まっ とにかく伝わったわよ。

もてるためには この春 オヤジたちは ブナンから脱さなくてはいけないらしい。さあ みなさん 脱ブナンですわよっ!

そこで再度 さっきの広告写真をご覧くだされ。

脱ブナンファッションで決めたオヤジ、モノクロだからよくわからないけど 確かにその辺の休日ゴルフズボンオヤジよりはかっこいいとは思いますが・・・

このぬいぐるみは どうしたもんか?

確かに究極の脱ブナンだよ。 だけどこんな風にぬいぐるみ下げたオヤジが電車にでも乗り込んできたら 脱ブナンすぎて満員電車でも人の群れの中で 空間が作られると思うよ。

それにしても、考えてみれば、そうスペースも広くないモノクロの広告のわりにはインパクトが大って事では、広告としての役割は果たしているわけですよね、このコピーも。
私なんぞ、わざわざブログまで書いちゃってるではないか、気がつけば…
まぁ、絶対自分じゃ買わないだろうけど。
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続・ジジイの啓蒙

2011-02-18 22:40:33 | 読む
vol.1から読んでね ★ 

さて 去年の春ごろから仲良しになった団塊シティーオヤジたち。その中のまとめ役オジは大学もなぜか二つ卒業していて 某所で教鞭をとり文筆もしているという文化度の高いオジである。
当然かなりの読書家である。
そのオジとひょんなことから本の話で盛り上がった。E・ケストナーの話だった。
ワタシの幼少の頃、かなり好きだった児童文学者である。
ワタクシ今まで生きてきて 男性と「飛ぶ教室」について盛り上がったのは初めてであった。あちらもそうだったらしい。
以前も書いたけど まったく利害関係もなく もちろん恋愛感情もない異性友達と昔読んだ本の話ができるというのは新鮮な体験であった。

そこでそのオジと昔読んだ本の話から、さらに今読んでいる本の話にもなった。日本の小説部門では三浦しおん氏の「仏果を得ず」 山本兼一氏の「利休にたずねよ」偶然最近読んで良いと思った本の趣味も一致した。
 ← これも実におもしろい

世の中には数多の本が出ているのに ここまで趣味が一致するのは珍しいことである。

ところが、私が「その人のは読んだことないですよ」と言った作家。そのことでオジは大変残念がった。「局さん 読んでないんだ ぜひ読んでみて」と
「は~い じゃ 今度買うね」と言ったら 「あっ いいよ買わなくて ちょっと待ってて」と言われた。

そしたらこのほど本の宅配便が送られてきた。ご丁寧に読む順序までレクチャーしてある。



百田さんを知らないのは不勉強であった。こちらを読んでくださる方の中には愛読している方も多いと思う。

ちょうどこのたびの胃腸風邪ですべての予定をキャンセルして家にいなくてはならなかったこの二日、スポーツドリンクとオジがくれた本を枕元に置いて ひたすら読書にふけったのであった。

まだ 永遠の~ と Boxの二冊が読み終わったところだけど、久しぶりにページをめくるのがもどかしくなるようなストーリー運びのうまさと 読んだ後の静かな感動(永遠の) すがすがしさ(BOX)に心をあらわれたわね。

わざわざここで比較の対象として名前を出すのも性格が悪いと思うが 最近実家に帰ったら、弟より 「ねーちゃん これ、おもしろいよ」と渡されたのは 去年の文春の「このミステリーがすごい」で選ばれていた 貴志OO氏の 「悪の経×」であった。厚い上下巻の本だが、確かにどんどん読み進める本であった。
サイコパスの高校教師が教え子を次々に殺していくというストーリー。描写もうまいし、やはり読み出したら止まらない面白さのある話なんだけど 読後感の悪い事・・・ 「あ~ 面白かった だけど なんなの?」
教師の鬼畜度が常軌を逸していて何も感情移入できないってところもあるけど、作者がこの殺戮話を通して何を伝えたいのかさっぱりわからず、刺激的な殺傷場面におしまいには頭の芯が疲れて「あっ もう読み返すこともないや」と思った。 考えてみるとバトルロワイアルの焼き直し感もあったしね。

しかし この百田氏の二冊。
ホントにいいよ。泣けたよ。感情移入できるよ。作られた登場人物ながら、「あ~ あなたたちに会えて良かった」と思える人たちに会えた気がする。

これは片っ端から私の気の合う人たちにおすすめしたい本である。
手始めに家族に 「読め 読め」とおしつけてある。

これについては もう一冊を読んでからそのうちここでまとめてみたいと思う。







コメント (4)
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