tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

勢いのある経済、勢いのない経済:続

2021年11月11日 15時41分50秒 | 経済
前回の終わりに「元気のあるアメリカ経済、元気のない日本経済」、「さてこの経済活動の元気さの違いは何処から来るのでしょうか」と書きました。

という事で、いつも気になっていることを2つ挙げておきたいと思います。
一つはかなり長期的なもので、官民ともにその病理に侵されている問題です。
事の起こりは基本的にはプラザ合意(1985)です。

1980年代、当時絶頂にあった日本経済は、円高(1$=240円→120円)という環境変化の本質に気が付かないままに、真綿で首を絞められるように経済活動のやりにくさ苦しみました。
しかし、政府も日銀も、強いられた円高に対抗する手段を知らず、ただコストを下げ、身を縮め、縮小均衡で対応するだけでした。

2000年代に入って、塗炭の苦しみの先に、微かに明かりが見えた(コストダウンに6割ほど成功)中で頑張る日本経済に決定的なダメージを与えたのは、リーマンショックによる更なる円高(1$=75~80円)でした。

「コストダウンに頑張れば頑張るほど円高になる」という現実の中で、日本経済は進むべき方向感覚を失ってしまったようです。

この間30年余、政治家も企業の経営者も1世代を過ぎ、円高にもがき苦しんだ経験に苛まれた世代がリーダーにという回り合わせになってしまったようです。
その結果、現在不要なものはなるべくそぎ落として、まずは今日の生活だけに配慮するという風潮が、政治にも、企業経営にもかなり一般化したようです。

政治も、今いらないものは削減する、例えば、将来のための研究開発予算の削減、コロナ問題でいえば、保健所の数は大幅削減されていました。雇用面では、日経連の提唱した「雇用ポートフォリオ」が非正規雇用拡大いに利用され、人件費の削減に貢献したようです。

こうした政治家や産業人の「今日の生活を凌ぐことが大事」という近視眼的な思考は、30余年の間に、本能的なレベルにまでなって来ているようです。
コロナ対応が、後追いとバラマキに終始しているのも、その結果のように見えます。

一方アメリカを見てみますと、経済も財政も赤字を垂れ流しながら、研究開発から国民生活(賃金引き上げ消費行動まで、活発で、新技術も科学技術から企業活動まで、(良くも悪くも)元気で、GAFAやテスラが世界で活躍、ワクチンでも世界から信頼される元気と力を持っています。(もちろん基軸通貨国だから出来るという事でしょうか)

日本で事情が変わったのは、2013年、アメリカも日本のあまりの惨状に問題を感じたのでしょうか、日銀がバーナンキ流の金融緩和策を取り、円高の為替レートを購買力平価に近い水準まで正常化できた事からです。

このブログでは、これで日本の政治も、企業行動も、国民の意識も、かつての自信を持って前を向いていた日本に戻るという復元現象が起きるだろうと思っていました。
しかし、30余年、人間の一世代の間、縮小均衡ばかりを追い続けた経験は、すでに今の中枢の年齢層の習性にまで進化したのでしょうか、容易に変わらないようです。

この点、第2の問題点、国民の生活意識の変容を齎します。
国民生活は、政府や企業の行動様式に大きな影響を受けるのは当然でしょう。

為替レートは正常に戻り、外国から見れば日本は物価の高い国ではなくなりました。
しかし日銀は、常に円高を恐れ、ゼロ金利はいつまでも「当分の間このまま」です。

政府は当面の糊塗策としてのバラマキばかりで、世界トップクラスの債務を背負いながら財政再建は実質放棄、年金財政は審議会の答申の受け取り拒否などで、国民に将来不安、特に高齢化の中で、老後不安を煽る役割を演じてしまっています。

雇用政策では「働き方改革」の名で、企業に雇用の不安定化を認め、企業は、国内情勢の先行き不信からか「投資するなら海外で」という指向を強め、GDPは増えず、第一次所得収支(海外からの利子・配当収入など)の著増を見る状況です。

こうした中で、国民の家計は不安定雇用と低迷する賃金収入の下、将来不安・老後不安に備えて貯蓄に励み、まさに「自助努力」の結果として極端な消費性向の低下、消費不振による経済成長へのブレーキという悪循環をつくりだしてしまっています。
この悪循環への無策こそが、「勢いのない日本経済」の元凶ではないでしょうか。

この絡み合った2つの問題、政府、企業の近視眼化、国民の自衛本能による消費抑制・貯蓄志向という現状を、問題の本質に遡って解きほぐし、国民の安心と自信を取り戻さない限り日本経済は多分低迷から抜け出せないのではないでしょう。

岸田政権には能くその課題を克服し、日本の元気回復を実現してほしいものです。

勢いのある経済、勢いのない経済

2021年11月10日 14時56分00秒 | 経済
最初に経済成長と賃金と物価の基本的な関係を見ておきましょう。
経済成長(実質値)は、国民が今年1年働いて生産した付加価値(GDP)が、昨年より何%増えたかという事です。したがって、通常は経済成長の分だけ国民生活全体がが豊かになるという関係になります。

GDPは生産に貢献した人間(労働)と資本に分配され人間に分配された分(賃金)は主として消費に向かい、資本に分配された分(利益)は主として生産設備に投資されます。

労働への分配と資本への分配の比率が一定であれば、それは均衡成長とよばれ、「経済成長率≒賃金上昇率」になります。
従って賃金上昇率が経済成長率より大きければ労働分配率が高まり資本分配率が低くなります。その逆の場合は労働分配率が下がります(資本分配率上昇)。

しかし賃金上昇率の方が経済成長率より高くても、賃金上昇率に見合って物価を上げれば、実質経済成長率は同じでも名目経済成長率が上がり、労働分配率は変わらないということになります。いわゆる賃金インフレです。

数学的に最もまともなのは均衡成長ですが、現実にはそんなに巧くいかないし、少しインフレ気味にした方が、賃金も上る、物価も上るので、売り上げも給料も増え、景気がよいと感じられるのでその方が企業も国民も元気がが出るという考え方もあります。

今の日本政府と日銀が言っている「2%のインフレ」が望ましいという経済政策はその考え方を取っているわけです。しかし何故か上手くいきません。

経済成長と賃金と物価の、こんな関係を基本にして日本とアメリカの状況を見てみましょう。(この関係は、数字をすべて国民1人当たりにしても、基本的には同じです)

アメリカの経済成長と賃金

                  資料:OECD

先ずアメリカの場合ですが、2013年から2021年までの間に20%近い実質経済成長をしています。20年のコロナ禍がなければ20%を超えていたかもしれません。

そして賃金の方も、それに準じて伸びています。コロナ禍があっても賃金は当たり前に伸びていて成長率に一時的に追いついています。

しかし長期的な傾向としては実質成長より賃金の上昇の方が少なく、成長した分の分配は、コロナの時を除いて人間(労働)より資本の方に多く分配されていて、労働分配率は下がる傾向にある事が解ります(これは最近世界的傾向として論じられています)。

一方、前回見ましたように物価も賃金と同様に上がっています。つまり物価上昇は賃金インフレではないようで、資本への分配の方がかなり有利になっている(利益インフレ?)状態のようです。

そのせいでしょうか、ことしに入って、アメリかの賃金上昇率が大分高まっているということが報道されています。

一方、日本の状況を見ますと実質GDPは、2016年までに6%ほど成長しましたが19年は横ばい。20年はコロナでマイナス成長、21年は多少の回復予想ですが、この8年間でやっと5%ほどの成長と低迷状態です。

    日本の経済成長と賃金

          資料:国民経済生産、毎月勤労統計

経済成長率は随分差がありますが、賃金上昇率が実質経済成長率に達していない点は世界的な傾向と同じで、労働分配率は下がっています。賃金インフレの気配はないようです。

まさに、勢いのあるアメリカ経済、勢いのない日本経済と対照的です。元気のない日本経済では賃金上昇率も元気がありません。
さてこの経済活動の元気さの違いは何処から来るのでしょうか。

日本とアメリカ、賃金・物価を見る

2021年11月08日 16時22分05秒 | 経済
日本とアメリカ、賃金・物価を見る
アメリカでは物価の上昇が懸念され、インフレ下景気過熱の予防のために金融引き締め策をといく方向にあるようです。
そのせいでドルが買われこのところ円安傾向で、9月決算でも輸出企業の円高差益が目立つようです。

日本は相変わらず景気低迷で物価も賃金も上らす、アメリかを羨む声もあるようですが、アメリカ経済も相変わらずの双子の赤字で、内実は大変なようです。

そこで、国民生活の現実を見ようという事で、賃金と物価の動きを、日米両国について見てみました。

日本の為替レートが正常化した2013年から2021年(今年はまだ終わっれいないので推計値)までの動きを追ってみました。

先ず、賃金も上っているが物価も上っていると言われるアメリカについて見ました。
アメリカの統計については(日本の毎月勤労統計のような適切な統計がないので)OECDの統計を使いました。
 
2013年を100としてその後の動きをグラフにしますと下のようになります。

アメリカの賃金・物価の推移(2013年=100、指数)


青い線の賃金も結構上がっているのですが、赤い線の物価(消費者物価:CPI)も結構上がっていて、年によって交差しますが、だいたい同じ程度の上昇です。
ということは、賃金が上がっても、物価も同じぐらい上がるので、実質生活のレベルはあまり変わらないということになるようです。

では、日本の場合はどうかといいますと、これは毎勤統計と総務省の消費者物価ですが、下の通りです。
残念ながら、青い線の賃金より赤い線の物価の方が大分余計に上がっているので、生活レベルは下がっているということになります。

        日本の賃金・物価の推移(2013年=100、指数)


消費者物価はずっと上がり続けていて、その上がり方は賃金よりも大分大きく、しかも2019年以降は賃金は下がっています。2020年、21年の予想で見ると4%ポイント以上消費者物価の方が上がっているので、その分実質生活レベルは下がっていると読めることになります。

しかし、ここで気が付いて頂きたいのは、消費者物価の上昇には消費税の増税分が入っていることです2014年の4月に5%から8%に引き上げ、2019年の10月から現行の10%です。 

つまり、この間消費税率の上昇で5%程度の消費者物価上昇があっただろうという事です。
という事でこの分の上昇を差し引いたのが緑色の線(-消費税)で、これで見ますと、賃金上昇率は消費者物価の上昇率を上回ってその分実質生活は改善ということになります。

但しこれは、消費増税分が全て消費生活の改善のための政府の支出(例えば幼児教育の無償化)になっていると仮定した場合です。

そう願いながらグラフを見ていただくということでしょうが、もっと問題は2019年から2021年にかけて賃金が2%ほど下がっている点でしょう。
勿論これはコロナのせいですが、コロナに関わらず上っているアメリカとは対照的です。

この辺りの背景を見るという意味で、次回は実質GDPの動きとの関係を見てみたいと思います。

コロナ新規感染減少の背後にあるもの

2021年11月06日 16時39分29秒 | 文化社会
新型コロナが世界中に拡がったことで、世界のいろいろな国の人達が、コロナをどのように受け止め、どのような対応を取ったかという様子が、テレビの映像を通じて直接に入ってきました。

これはある意味では大変貴重な情報だったように思っています。
勿論、映像だけでなく、それぞれの国のリーダー、また国民がこのパンデミックをどのように受け止めているかも、多様なマスコミを通じて、時には解説付きで入ってきます。

最初に、「あれ、日本と違うな」と思ったのは。ヨーロッパやアメリカなどで、人の集まる場所、駅のホームや目抜きの道路などを消毒薬の噴霧器で万遍なく消毒している映像でした。

日本では机やドアの消毒の映像が一般的です。銀座通りや東京駅のホームを消毒薬で全面的に洗い流すといったやり方はなかったようです。

何が違うのか考えてみますと日本ではまず手の消毒、欧米では足(靴底)の消毒が大事だったのかなと思われます。
欧米と日本の違いは、欧米の下足のまま家に入る文化と、玄関で靴を脱ぐ日本の文化から来るのかなと思いました。

そこから推測したのは、玄関で靴を脱ぐ習慣は、対コロナでかなり役に立っているのではないかという事でした。

さらに最近の映像ですが、欧米では、最近、ヨーロッパがコロナ再蔓延の中心になりかねないと言われながら、経済活動重視に踏み切り、感染者増加も予断を許さない状態と言われる中ですが、何故か、マスクをしている人が異常に少ないという様子です。

几帳面と言われるドイツの映像でも、マスクはせいぜい2~3割のように見受けました。
もともとマスクに馴染みのないお欧米人かもしれませんが、マスクはコロナ対策の基本のはずです。

それに引き換え、日本の映像では、マスクは9割(99%?)以上でしょうし、飲食店などの消毒、清拭、通風などの衛生・環境管理のきめ細かさは異常と見えるほどです。

日本のワクチン接種率も、ようやく主要国に追いつき、遅々ながらさらに進む気配です。
新規感染者の発生の程度と経済活動のバランスをどの辺りと考えるかという国民のバランス感覚も日本の場合かなり厳しい感じです(GoToの失敗に学んだのでしょうか)。

こうした諸外国の現実の映像と、政策方針などの多彩な報道に直接接しながら考えてみますと、やはり日本人の真面目さは、まだまだ多くの日本人の中に確りと残っているのではないかといった感じを持ちます。

 一時、若者はワクチンを打たないといった風評が流れましたが、現実はそうではなく、多くの若者が、政府が若者のの接種を始めてみれば、多くの若者が積極的にワクチン接種に動いたという現実もあるのです。

 こうした日本人の行動は、スポーツ観戦の時の行儀のよさ、後片付けをきちんとして外国人から驚きの目で見られるといった、社会を構成する人間としての基本に忠実であろうとする、今も残る日本人の心根の表出なのでしょう。

コロナの新規感染者の急減の理由はもちろんワクチン接種率の向上にあるのでしょうが、政治や保健行政の面だけから分析しても理由は不明かもしれません。

何よりも、日本人の生活習慣を含め、対人関係の現場で働く、また接触する人たちの「現場」における行動に大きなカギがあるかも知れないといった事も、検討に値するのではないでしょうか。

こうした、日本人が一般的に持つ生活習慣、また日常の生活上の意識といったことは、対コロナでけでなく、日本人の社会活動、経済活動のいろいろな面でも、検討に値する重要な側面ではないでしょうか。

2021/9月家計調査:家計は緊縮

2021年11月05日 20時00分31秒 | 経済
新型コロナの新規感染者数のピークは8月中旬という所で下旬にかけて減り始めていました。

そのままここまで下がるとは、 多くの 専門家も予想外と言われるようですが、この新規感染者の減少傾向がはっきりしたのが9月ということになります。

ところでコロナの影響が顕著な、このブログで追跡している個人消費の動きはどうかですが。2人以上の全所帯で見ますと、前年同月(政府がGoToのキャンペーンを張っていました)比では1.9%の低下ですが、前月比では5.0%の上昇(季節調整値:何れも実質値)という事です。

去年の夏はGoToキャンペーンで政府も根拠のない楽観状態だったのですが、今年は第5波の感染急拡大で消費低迷、ただし9月に入って新規感染者が減少傾向になったことで少し元気を取り戻したかという感じです。

季節調整済み消費水準指数で言いすと、それでも去年9月が102.1,今年9月が100.1で去年の9月の水準に追いついていません。

去年は春が最初の緊急事態宣言で、消費は落ち込み、秋はGoToで上昇、今年は、春はコロナ慣れで回復かと思われましたが、その後の感染第5波で落ち込み、9月から回復に向かうか(10月からなまだ解りませんが)というところにさしかかったかなという感じではないでしょうか。

例月追っている勤労者所帯の平均消費性向も、あまり状況は良くありません。昨年9月は79.8%でしたが、今年の9月は75.9%で、3.9ポイントも下げています。

可処分所得の方は対前年同月比で2.4%増えているのですが、消費支出の方は2.8%減っている結果です。

この辺りはコロナ禍のせいか、それとも勤労者所帯では、将来不安が強く消費抑制、貯蓄志向が染みついているのかまだまだ判断の出来ない所です。

此の先、コロナの心配がこのまま小さくなっていくのか、それとも第6波が来るのか、どの程度のものになるのか、誰にも解らないようですが、10月以降の平均消費性向の動きで、その辺りも少しずつ見えてくるのかもしれません。

岸田新政権がどんな経済政策を提案してくれるのか、国民が将来に安心感を持てるような画期的な政策構想が出て来るのか、それとも赤字国債を原資にしたバラマキのような事の継続か、本格的な日本経済やり直しの構想を期待したいところですが、まださっぱりわかりません。

ひとつ言えることは、平均消費性向の低迷が続くような状態である限り、日本経済の本格的な回復はないという事ではないでしょうか。

晩秋の気配、ススキの穂ふくらむ

2021年11月04日 15時53分48秒 | 環境


昨日の文化の日は、明治節のころから 天候でいえば「特異日」でいつも晴れといわれていました。

そして、確かに晴れの日が多かったように記憶にも1残っています。多分気象庁の記録でもそうではないでしょうか。

昨日は真っ青な空で、もう11月ですから、窓から家の中に随分日が入り、部屋はサンルームのようになって、窓を開け網戸にして扇風機で外の空気を入れたりしていました。気候変動のせいか、未だ庭には蚊をはじめ結構羽虫がいるのです。

今日も有難いことに、朝から昨日に負けない好天で、部屋には陽が入り、着ている長袖ポロシャツの袖をたくし上げ、これを書いています。

その窓のすぐ先にススキの穂が燦々と注ぐ太陽の光を受けて銀色に輝いています。

今年は立秋を過ぎても暑い日が続きましたが、ススキは暦に従って確り穂を出してくれていました(8月10日のブログ)。

これから本当に長い間、ススキの穂は、雨の日はしおしおと、晴れの日は風のとおりに揺れながら、旧暦8月の中秋の名月、翌月の13夜、通称「芋名月」「栗名月」にも風情を添えてくれ、未だに秋晴れの午後の日差しに燦然と輝いて、狭い庭をお明るくしてい呉れています。

しかし、よく見ると、一本々々の穂も先端の方から次第に柔らかく膨らみ始め、銀色に輝く爽やかな穂も、だんだんぼやけて来ている様子です。

もう少しすると、雑司ケ谷の鬼子母神のお守りのミミズク(フクロウ?)のようにボワボワの穂になるのでしょう。

毎年夏から秋にかけて楽しませてくれるススキですが、今年もそろそろ根っこからて刈り取ってコンポストに入る時期になるようです。

今日は、何日か後には、老骨に鞭打っての刈り取り作業のことを考えながら、「今年も有難う」とススキにお礼を言うタイミングという事になりそうです。

文化の日に:日本文化の発信を!

2021年11月03日 15時27分57秒 | 文化社会
今日は文化の日です。もともとは明治天皇の誕生日で「明治節」でした。

偶々この日が日本国憲法の公布日でになりましたので(公布が1956年11月3日、施行が半年後の1957年5月3日)、11月3日を国民の祝祭日として残したいという事だったのでしょう、「文化の日」になったのが1948年です。

戦後の日本では「文化国家」というのが新しい国家建設のための重要なスローガンでした。「文化」という言葉は「平和」にも通じるからでしょう。
平和憲法の公布日が文化の日になったことには国内では、(当時の駐留米軍からも特に異論はなく)スムーズに決まったようです。

その後日本の文化は経済成長とともに多様な面で世界でも認められるようになり、順調に向上してきていると言ってもいいでしょう。

この30年ほどは長期不況のせいで経済や科学技術では多少遅れを取っていうようですが、コロナ前の状況で見れば、円レートの正常化以来、「インバウンド」という言葉で知られる海外からの日本への観光客は急激に増え、日本人が気付かない様な多様な観光資源のあることも解ってきました。

漫画やアニメ、ジャパニーズ・クール(かわいい)といった、サブカルチャーなども含む分野でも世界の人気を集めました。更に、フランスやイタリアの食文化に伍して、日本食がユネスコの文化遺産に指定され、ビックリです。
そう言えば、最近は、日本中どこで何を食べてもそれなりの味だと私も気が付きました。

そんな中で問題の一つは、4年前の今日「文化の日」に書いた「争いの文化」と「競いの文化」に関わる問題です。

人の噂も75日と言いますが「戦争の記憶も75年」でしょうか、田中角栄が「戦争を知らない世代がリーダーになると危うい」と言っていますが、日本をもう一度「戦争をする国」にしようという動きが出て来ていることは最大の注意事項でしょう。

「競いの文化」は高め合う事を可能にする文化ですが、「争いの文化」は破壊と停滞(退歩)の文化でしょう。アインシュタインは「第5次世界大戦は石と棍棒でやることになるだろう」と言っています。

戦争(争いの文化)日本には青銅器・鉄器の文化と共に入ってきた外来文化ですが(縄文時代には戦はなかった日本です)、その後1945年まで、日本は「争いの文化」に侵され続けました。

縄文時代の1万有余年、戦のなかった日本だっだからこそ、平和憲法を違和感なく受け入れた日本人なのでしょうが、改めて戦争という外来文化を舶来崇拝で受け入れようというのでしょか。

年2回文化の日と憲法記念日だけではなく、この問題はまさに一般国民の日常の問題として、十分に日本の伝統文化の中で、さらに言えば、縄文時代の日本列島より人類にとって狭隘になった地球の表面上で、確り考え、それを日本文化として世界に発信していくことが必要なのではないでしょうか。

コロナ感染者の急減の理由は不明ですが・・・

2021年11月02日 15時01分23秒 | 文化社会
新形コロナの新規感染者の数が急減しています。

昨日の東京の新規感染者は僅か9人、大阪も7人、関東一円の感染者の数も一様に急減。0人が21県です。

確かにワクチンの接種者の割合は増えています、1回終了という方は77%に近づき2回終了という方も71%を超えて来ています。

しかしこの所の接種率の伸びは何か遅々として、特に2回接種の方の比率はほとんど伸びていないような状況です。

にも拘らず、この新規感染者著減は喜ばしい中にも何か不安を感じさせ、専門家の方がたはどう見ているのか、ネットで検索したりするのですが、残念ながら専門家の方がたのご意見も「やっぱりよく解らない」という事のようです。

専門家の方がたの挙げておられる意見では、ワクチン接種率が上がったのが大きな効果をもたらしたというのは共通ですが、そのほかいろいろな意見がみられます。

ワクチンのお陰で、感染しても軽症が多いので気づかずに過ごしてしまうとか、感染防護策が上手くなって来ているとか、夜間の人出が減っているとか、若者で増えたが若者のワクチン接種が増えたとか・・・。

そのほかにも、季節要因として外気が過ごしやすい水準になって密室の会合が減った、店舗や会場などの対策が徹底してきた、などの意見から、ウィルス側の事情として変異を重ねて感染力が落ちたのではといった本当なら嬉しい意見もあるようです。

しかし、第6派の可能性という事になりますと、ほとんどの専門家が、寒くなると危ない、変異株の出現の可能性は残る、時間がたって抗体の減少の可能性が出てくる、流行には周期性がるので要注意などといった警戒を言われる方も多いようです。

もちろんワクチンの接種はそれなりに進んでいますから、今迄の様な事はないという前提が多いようですが、大なり小なり第6波の可能性の警告はされています。

ただ、どうにも心もとないのは、どの程度安心できるのか、それとも今迄通りの注意が必要なのかと言う判断が出来るような情報がない事です。

相手がウィルスですからそれは生姜ないと言われればそれまでですが、やっぱり最大限の防御策を講じながら、少しずつ行動範囲を広げるという事以外に対策は無いのでしょうか。

国際的にみれば日本の数字は主要国の中では何とか優等生と言えるのではないでしょうか。
ワクチンの積極的接種と、日常の衛生的な生活習慣を通じて、国家間の戦争は放棄しても、コロナウィルスとの戦いには何とか頑張って立派に勝利を収めたいものです。

岸田総理の宿題? 自民党の宿題?

2021年11月01日 11時27分56秒 | 政治

選挙が終わって、自民党政権が継続することが決まりました。

日本は、まさに自民党の長期政権ですが、野党が細かく分かれているのに比べて、自民党は細かい点では意見が違っても大同につくという感じで大きな組織になっていることも理由の一つでしょう。

同じ自民党でも、政権担当派閥が変われば、方針も変わるという面があって、その故に、組織内革新も可能で、長期政権の維持が可能になっていたという点も大きいように以思うところです。

今回はどうでしょうか。安倍カラーから岸田カラーに変わったと思わせた事も今回の選挙では有利に動いたという面もあったのではないでしょうか。

安倍政権への批判で、あたかも呪文のように言われる「モリ、かけ、サクラ」それに日本学術会議の任命問題は、選挙戦ではあまり触れられなかったようですが、数ある日本に残された宿題?の中で、経済活性化や財政再建や改憲問題、日米、日中という大きな問題は、新政権の宿題というより、これからの日本の重要課題というとこでしょう。

それに対して、「モリ、カケ、サクラ、学術会議」といった問題は、政策レベルの問題というより政権の行動に関する「倫理の問題」で、政策といった次元以前に、政権の人間性のレベルの問題でしょう。

その意味で、これらは、自民党の政策云々の問題ではなく、派閥が変わり、リーダーが変わり、人間性が変われば、当然是正されてしかるべき倫理上の問題という事になるのでしょう。

その意味で、このブログでも、新らしいリーダーである岸田総理の倫理観の中で解決されなければならない宿題という位置づけにしたわけです。
そしてそれは同時に、自民党の倫理観の是正にもつながることが望ましいという意味でのタイトルにしたものです。

森友は、総理の個人的政治生命維持のために公文書の改ざんが行われ、一人の生真面目な公務員の命が失われた問題と多くの国民から理解されています。

加計学園は、総理の名を騙って許認可と補助金を引きだし、大学を作ったことを、総理が黙って見過ごしている問題と多くの国民から理解されています。

桜を見る会は、国民の税金を、総理が地位を利用して自らの選挙運動に一部転用してしまったという理解が多いでしょう。

学術会議の問題は、多くの国民に理解できない決定を、党の慣例を破って行い、国民に何の説明もしないという問題です。

繰り返しますが、これらは総て政策論争をするような問題ではなく、自民党のリーダーが自らの倫理観に則って対応すべき問題でしょう。そしてそれは、だまって追従してきた自民党全体の中に蟠った宿題の解決でもあるという事ではないでしょうか。