日本は「普通の国」に堕すのか?
文字にするのもつらいことですが、今回のバングラデシュの事件は多くの日本人の心を暗くしたようです。
バングラデシュの発展のために、率先して献身していた人達が、何故にあのような運命を辿らなければならなかったのか。
バングラデシュは親日的で、私の経験では、気持の優しい人々の国といった印象です。今回の報道の中でも、バングラデシュの人々が「申し訳ありません」とか「済みません」と言っているのを何度も聞きました。
犯行はISの活動の一環ということですが、私の気持ちをまさに「暗澹と」させたのは、自分たちは「日本人だ」という発言が無視され「有志連合の一員」と決めつけられた様子が報道されたことです。
マスコミ上では「日本人が狙われた」などというものまであります。
「日本人だ」といった背景には、「日本人なら理解してもらえる」という意識があったはずです。その背後には「日本は戦争をしない国で、我々は、この国の役に立つために来ているのだ」と理解してもらえるのではないか、という気持ちがあったことは明らかです。
しかし、今、ISの頭の中ではすでに「日本は敵」「戦争の相手国」という意識になってしまっているのでしょうか。
アフガ二スタンで医療や灌漑・農業の進歩のために、正に献身している中村哲さんという方がおられます。その方は
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
日本は、軍事力を用いない分野での貢献や援助を果たすべきなんです。現地で活動していると、力の虚しさ、というのがほんとうに身に沁みます。銃で押さえ込めば、銃で反撃されます。当たり前のことです。でも、ようやく流れ始めた用水路を、誰が破壊しますか。緑色に復活した農地に、誰が爆弾を撃ち込みたいと思いますか。それを造ったのが日本人だと分かれば、少し失われた親日感情はすぐに戻ってきます。それが、ほんとうの外交じゃないかと、僕は確信しているんですが。
武器など絶対に使用しないで、平和を具現化する。それが具体的な形として存在しているのが日本という国の平和憲法、9条ですよ。それを、現地の人たちも分かってくれているんです。だから、政府側も反政府側も、タリバンだって我々には手を出さない。むしろ、守ってくれているんです。9条があるから、海外ではこれまで絶対に銃を撃たなかった日本。それが、ほんとうの日本の強味なんですよ。
www.magazine9.jp/interv/tetsu/tetsu.phpより
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・‣
と言っておられます。銃を撃たない、武器輸出もしない日本という、世界に向けてのソフトパワーが日本を守ってくれているという意識は日本人のどこかにあるのではないでしょうか。
それは、私の気持ちからすれば、争いの無かった縄文1万有余年の、日本人形成のプロセスが記憶された日本人の海馬の働きと共存しているように思われます。
今、日本では、ソフトパワーに頼ることをやめ、ハードパワーを持つ国になるべきだとの考え方が台頭しています。かつてそれで大失敗したのに・・・。
それは「日本が普通の国になることだ」といった主張もあります。しかし日本は普通の国ではなかったのです。「私は日本人だ」という叫びにそれは明らかに表現されています。
喧嘩があれば、その一方に加担するのがいいのでしょうか。
日本には「喧嘩両成敗」という伝統があります。どちらが悪いというのではなく「両方が悪い」というのが公平だという知恵です。
日本は争いのなかった縄文の原点、喧嘩両成敗という知恵、さらに和を以て貴しとなすの気持ちを具現した(100年先の世界を見た)誇るべきものを持った国で、「普通の国」に成り下がってはならないというのが、日本人の本当の気持ちなのではないでしょうか。
文字にするのもつらいことですが、今回のバングラデシュの事件は多くの日本人の心を暗くしたようです。
バングラデシュの発展のために、率先して献身していた人達が、何故にあのような運命を辿らなければならなかったのか。
バングラデシュは親日的で、私の経験では、気持の優しい人々の国といった印象です。今回の報道の中でも、バングラデシュの人々が「申し訳ありません」とか「済みません」と言っているのを何度も聞きました。
犯行はISの活動の一環ということですが、私の気持ちをまさに「暗澹と」させたのは、自分たちは「日本人だ」という発言が無視され「有志連合の一員」と決めつけられた様子が報道されたことです。
マスコミ上では「日本人が狙われた」などというものまであります。
「日本人だ」といった背景には、「日本人なら理解してもらえる」という意識があったはずです。その背後には「日本は戦争をしない国で、我々は、この国の役に立つために来ているのだ」と理解してもらえるのではないか、という気持ちがあったことは明らかです。
しかし、今、ISの頭の中ではすでに「日本は敵」「戦争の相手国」という意識になってしまっているのでしょうか。
アフガ二スタンで医療や灌漑・農業の進歩のために、正に献身している中村哲さんという方がおられます。その方は
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
日本は、軍事力を用いない分野での貢献や援助を果たすべきなんです。現地で活動していると、力の虚しさ、というのがほんとうに身に沁みます。銃で押さえ込めば、銃で反撃されます。当たり前のことです。でも、ようやく流れ始めた用水路を、誰が破壊しますか。緑色に復活した農地に、誰が爆弾を撃ち込みたいと思いますか。それを造ったのが日本人だと分かれば、少し失われた親日感情はすぐに戻ってきます。それが、ほんとうの外交じゃないかと、僕は確信しているんですが。
武器など絶対に使用しないで、平和を具現化する。それが具体的な形として存在しているのが日本という国の平和憲法、9条ですよ。それを、現地の人たちも分かってくれているんです。だから、政府側も反政府側も、タリバンだって我々には手を出さない。むしろ、守ってくれているんです。9条があるから、海外ではこれまで絶対に銃を撃たなかった日本。それが、ほんとうの日本の強味なんですよ。
www.magazine9.jp/interv/tetsu/tetsu.phpより
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・‣
と言っておられます。銃を撃たない、武器輸出もしない日本という、世界に向けてのソフトパワーが日本を守ってくれているという意識は日本人のどこかにあるのではないでしょうか。
それは、私の気持ちからすれば、争いの無かった縄文1万有余年の、日本人形成のプロセスが記憶された日本人の海馬の働きと共存しているように思われます。
今、日本では、ソフトパワーに頼ることをやめ、ハードパワーを持つ国になるべきだとの考え方が台頭しています。かつてそれで大失敗したのに・・・。
それは「日本が普通の国になることだ」といった主張もあります。しかし日本は普通の国ではなかったのです。「私は日本人だ」という叫びにそれは明らかに表現されています。
喧嘩があれば、その一方に加担するのがいいのでしょうか。
日本には「喧嘩両成敗」という伝統があります。どちらが悪いというのではなく「両方が悪い」というのが公平だという知恵です。
日本は争いのなかった縄文の原点、喧嘩両成敗という知恵、さらに和を以て貴しとなすの気持ちを具現した(100年先の世界を見た)誇るべきものを持った国で、「普通の国」に成り下がってはならないというのが、日本人の本当の気持ちなのではないでしょうか。