tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

「家族」と「国家」の共通点と問題点

2016年07月25日 14時51分51秒 | 国際関係
「家族」と「国家」の共通点と問題点
 人間社会の一番大きな単位は国、国家でしょう。それに対して最も小さな単位は家、家族でしょう。
 この2つは極めてよく似ています。その中間の、企業とか学校とか地域社会とか、社会組織はいろいろありますが、これらは便宜的な人間社会の契約によるものです。家族と国家は全く性格が別で、人間の本質(本能)にかかわる問題を持つように思われます。

 それぞれの人にとって、家族と国家は、本来自分で所属を決めることはできません。どの家の子として生まれたい、どこの国民として生まれて来たいといっても、叶わないことです。それは、生まれたときに決まるわけで、黙って受け入れるしかないのです。

 すべての人はそれを受け入れて育ち、大人になっていきます。もっとお金持ちの誰々さんの家に生まれたかったとか、何々国の国民に生まれたかったなどと考える人は通常いません。
 
 しかし人間というものは良くしたもので、どこの家に生まれようと、どこの国民として生まれようと、大抵の場合は、自分の生まれた家、自分の生まれた国に愛着を持ち、家族の絆は生涯続き、生まれた国は、母国、祖国と言って愛国心を持つようになるのです。

 今、問題になっているのは、国の方で、国家間の人の移動の問題です。国際化、グローバル化が進む中で、自分の好きな国に住みたいという人が次第に増え、特に自分の国で紛争があり、難民になるといった問題も急激に増加しています。

 アメリカやヨーロッパは、これまで移民に比較的寛大で、多民族を包摂する方向へ進んでいたように見えていました。
 難民などの認定に厳しい日本は、国内でもその厳格さに批判が出ることも少なくありませんでした。

 ところがここにきて、イギリスの国民投票の結果や、米国のトランプ現象など、国家間の人間の移動を問題視する意見が、移民先進国で、改めて強まっています。
 そして、国家間の人間移動を厳しくしようという意見は、通常、愛国心と一体になって進められることが多いようです。

 これは、ほとんどの人間は生まれた国への愛着を持ち愛国心を持つようになるという本来の人間の想いからすれば当然なのでしょう。

 家族と国は、人間の出入りについて、基本的に家・家族と同じ立場に立つべきなのか、それとも、国については、次第に国家内の社会組織(学校、企業、地方組織)のように、移動の自由を広げていくべきなのでしょうか。

 混乱と紛争多発の今日の地球社会のなかで、何があるべき姿なのか、人類の本来の性質は容易に変わることはないでしょう。
 それもわきまえたうえで、現実の問題への対処のためにいかなる選択があるのか、人類の知恵が問われる深刻な問題のにように思われます。