tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

民主主義と共産主義という問題の行方

2022年12月29日 16時36分13秒 | 文化社会
今年も今日を入れて3日、コロナもそうですが、国際紛争の問題も「暦」に関係なく困った状態は続いていきます。

戦争を含むあらゆる紛争は、ユネスコ憲章の前文にある「戦争は人の心の中で始まるものであるから・・・」という英国の故アトリー首相の言葉がすべてを説明しています。

そこで人間が何ゆえにそんな心を持つかと考えますと、その人は何か自分の心の拠り所となる考え方を持っていて、それが正しいことだと自分を納得させているからでしょう。
一般的に言えば、それは「イデオロギー」「主義主張」「思想信条」などの言葉で言われるものでしょうか。

この表題でも今、世界を二分するように言われる「民主主義国 vs.共産主義国」の対立も「主義」の違いに根差すものでしょう。

ところで、この民主主義国と共産主義国の対立というのも、実は、自分で書きながらあまり適切ではに様な気がしています。

民主主義に対応する言葉は、専制主義・独裁主義でしょう。これは「政治体制」の問題です。
旧ソ連邦や毛沢東の中国に見られるように、共産主義が往々にして独裁制に陥るという歴史の経験から民主主義と共産主義を対立概念となっているのでしょうか。

ロシアは典型的な独裁制で、プーチンの「心」が戦争を起こし、独裁性のゆえに国民がついて行っているという意味で、民主主義国は独裁主義国を認めないのも当然でしょう。

という事になりますと、共産主義に対応する言葉は資本主義という事になります。これは経済的に生産要素(人間・資本)をどいう配置するかという問題です。

中国は共産党一党独裁の共産主義国ですが、鄧小平以来、改革開放で生産要素の配置は大幅に自由化して資本主義型になっています。しかし、政治の形態は独裁制で、いざというときは政治の力で生産要素の配置はコントロールできるという事のようです。

しかしこれは元々馴染まないものを無理に馴染ませているようなもので、平穏無事の時は問題なくても、経済危機や国際紛争に際して独裁制が適切に機能できるか、いずれ問題になるなどと言われます。

香港では、長い間かなりの混乱がありましたし(今も潜在?)、今回のゼロコロナ政策では、政府は白紙運動を容認する民主的な政策をとっています。これは中国国民にとっては大きな成果でしょう。
白紙運動の容認は、国民の自由が政府の「ゼロコロナ政策」という規制を転換させたという事ですが、これはもう1つの主義の対立「自由と平等」の問題に繋がります。

「自由と平等」も一般的に使われますが、自由主義の反対は、統制(規制)主義のはずで、これは社会体制の問題です。
勿論、人間社会に統制や規制は必要ですが、その範囲は自由主義社会の人たちに任せましょう。

こう見てきますと今、世界を2分するような問題や、紛争、戦争を起こしている状況というのは
民主主義と独裁主義: 政治体制から見て
資本主義と共産主義: 経済体制から見て
自由主義と統制主義: 社会体制から見て
といった事になるのではないでしょうか。

〇〇主義というと、どうしても片意地張ったものになってしまいますが、並べてみれば、どちらが「住みやすい世の中を作か」は誰にも容易に想像がつくのではないでしょうか。

歴史を見れば、時間はかかっていますが、だんだん住みやすい方に動いているのですが、此の所一寸ゴタゴタしています。やっぱり「民主主義のトリセツ」のようなものが必要なのかもしれません。