tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

戦争をする国に舵を切るのか

2022年12月17日 14時22分34秒 | 政治
今朝の各紙は、昨日、政府が閣議決定をし発表した「安保関連3文書」を一斉に取り上げました。

見出しを見て瞬間感じたのは、戦前の日本の「戦争に進むとも、それが正しい道なのだ」と国民に思いこませようとした軍国日本の政府と同じ雰囲気でした。

当時まだ小学生だった我々は、その政府の方針が正しいものと信じました。
勢いに乗って戦争に突っ込み、310万の日本人が亡くなり、それまでの経済建設などは総て廃墟になった経験を通じて、得たものは「人類にとって大事なのは平和である」、「戦争は殺戮と破壊をもたらすもの」という実体験による認識でした。

ユネスコ憲章の前文には「戦争は人の心の中で始まるものであるから平和の砦は人の心の中に築かなければならない」と書いてあります。最も忌むべきは「戦争を起こす人の心」なのです。

今もウクライナで戦争があります。原因は「プーチンという人の心」でしょう、そして安易に「それについていけばいい」と考えている「人たちの心」でしょう。

今朝の新聞で上記「3文書」を見ました。そして「国家安全保障戦略」の「結語」を見て「ぞっ」としました。

そこには解りにくい言葉で、こんなことが書いてあります。
・日本は今、戦後最も厳しい安全保障環境の中に置かれている。
・世界は希望か困難と不信かの分岐点にあリ、選択は国際社会の行動による。
・国際社会の対立する分野では総合的国力で安全保障を確保する。
・国際協力すべき分野では国際協力する。

つまり、国際社会は民主主義と独裁専制主義が対立し、不安定で戦争が起きる可能性は大きいですから、日本は「総合的国力」で安全保障を確保するようにします。世界が協力するところでは協力しますという事でしょう。

平たく言えば、「戦争になるかもしれませんよ」と国民に恐怖心と被害者意識を植え付け、「共産圏の国々などは怖いですよ」、「だから『総合的国力』で国を守ることが必要です」と国民に申し渡しているのです。

『総合的国力』というのは多分日本だけでなくアメリカを含むのでしょう。しかし日本も相応の事をしなければというのは含意でしょう。
ですから、防衛費1.5倍、増税は当然で、国民は協力すべし、なのでしょう。

日本は、武力ではなく、外交によって平和国家としての責任を果たすという平和憲法の意識は、ここにはすでに「カケラ」もなく、積極的に戦争に参画することが義務といった認識に覆われた文書なのです。

誰が書いたか知りませんが、戦争の経験のある者にはこんなことが書けるはずはありません。戦争を知らない世代を恐れた田中角栄の言葉が、まさに現実になっているのです。

日本はいよいよ平和国家ではなくなるのだなという認識が世界に広まれば、世界の国や人の日本を見る目を大きく変えることになるでしょう。

日本は戦後積み上げた「戦争をしない国」という世界への印象を、一朝にして失い、改めて戦争をする国に「堕す」ことを自ら選択したようです。

日本国民はそれでいいのでしょうか。これは閣議で決めることではなく、日本人の総意で決めることではないでしょうか。