tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

日本人はもう少し「潔かった」のでは?

2022年11月21日 14時28分03秒 | 政治
日本人はもう少し「潔かった」のでは?
山際経済再生相、葉梨法相、寺田総務相と立て続けに3人の主要閣僚が辞任、更迭という異常事態が起きました。

岸田総理は任命責任を痛感する由の発言をしています。
岸田総理に人を見る目がないのか、自民党に本当に人材がいないのか理由は解りませんが、いずれにしても国民はこんな情景は見たくないと思っているのではないでしょうか。

それとも大臣という職に就くと、小人は、その地位と名誉にに恋々として、日本の伝統文化である「潔さ」などという概念は、自らの判断基準から飛んでしまうのでしょうか。

気になって仕方がないのは、こうした人たちが一様に、問題を指摘されても、様々な言い訳をして、何とかその職に留まろうと足搔く姿を毎日のマスコミ報道で、繰り返し、繰り返し見せられることです。

そして最後は、自分の発言や行動が間違っていたのではなく、偶々重要問題審議の「国会運営を妨げては申し訳ないから」と自分のお粗末な言動には触れず、国会運営のため、お国のためと考えて身を引くという筋書きは共通しているのです。

しかし、如何に取り繕ってみても、あらゆる言い訳をして足搔く姿を見せつけられれば見えつけられるほど、国民は、そこに寒々とした感じを受け、そんな人だったのかと思う人が増えるという結果が解っているのでしょうか。

この近頃の政治家の「潔さの欠如」は、このブログを書き始めてから、特に気になって来ていることで、何か、ますますエスカレートしているような気がします。

こんな人間の評価の様なことを書かなくてすめばいいのですが、その人が日本の国の在り方を決めるような立場のひとですから書いておかねばならないと思うのです。

振り返ってみれば、嘗てのこのブログ「改めて諺の大切さを知る」、「李下に冠を正して恥じない人」などと当時の安倍総理の言動について書いたころから大変気になっていたようです。

その後、「李下に冠を正しても「結構」、となりそうな日本」という事で、この時(2021年3月)に取り上げました武田総務相の国会審議の中での不規則発言も「隠すより現れる」そのものでひどいものでした。

そして今回という事ですが、考え込んでしまうのは、何故一国の閣僚という高度な責任と権限を持つ立場にある人が、こうも白を切る、言い逃れに終始するといったことが、こうも頻繁に起きるのかという事です。
考えて見ますと、「息を吐くように嘘を言った」といわれ、自らも「私は法に触れるような事はしておりません」と繰り返した安倍総理の言動から影響を受けている人が多いのではないかといった感じを受けています。(それでも総理在職は最長不倒でしたから?)

国葬で送られたリーダーの言動に影響を受けるというのは当然かもしれませんが、どちらかと言えば、国民の批判が多かったことではなく、優れた行動の方を見習ってほしいと思うところです。

それと同時に、やはり、日本の政治家であれば、日本人の伝統文化である、「潔さ」を尊ぶ心を、地位が高く責任が大きくなればなるほど大事すべきだと思うのです。

「潔さ」を大事にする心を持てば、それは、必然的に己の普段からの行動において、常に確りした規範意識をもつことに通じるのではないでしょうか。