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人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

李下に冠を正しても「結構」、となりそうな日本

2021年03月21日 17時12分13秒 | 政治
李下に冠を正しても「結構」、となりそうな日本
 このブログでは「李下に冠を正さず」という諺を何度か書いています。安倍前総理が、状況を見れば明らかにスモモをもぎ取っていると思われる場面で、堂々としらを切るものですから、桃李の魅力(桃李言わざれども、下おのずから蹊を成す)をその名前に掲げている成蹊大学出身の安倍さんですから、「李下に冠を正すような事」はしないのではないですか?といった趣旨でした。

 安倍さんもその諺はご存知で、自分はそのようなことはしていないと言っておられたようでした。しかし世の人達は冠を正すだけではなくて、実をもいでいるではないかと思っていたようでした。

 そして今度問題になっているのは、武田総務相の言動です。総務省の若い部下である鈴木電波部長が国会答弁で答弁席に行くために前を通った時「記憶がないと言え」と気合を入れたのではないかという件です。

 最初は誰が言ったか解らないという事だったようですが、国会中継のテレビが画像と音声をとらえていて、声を発したのは武田総務大臣に間違いないという事になるようで、野党からは声紋を調べろといった声もあったようで、これでは逃げ隠れしても結果は逃げ切れなくて、最後に認めるのではあまりに格好がつかない思ったのでしょうか結局名乗り出たようです。
 
 声の主は自分だったのではないかといった多少あいまいな言い方だったようでしたが、結果的には当然だれもが、多分そうだろうと理解することになったようです。
 そこで、今度は、意識的に言ったのではなく、無意識に出た言葉という弁明になったようです。
 人間「痛い!」とか「あちっ!」とかいった言葉が無意識(条件反射)に出ることはありますが、「記憶がないと言え」といった言葉が無意識にでることは夢遊病者でもない限り考えられません。

 鈴木電波部長は答弁で、ハッキリと「記憶が御座いません」と答え、武田総務相の「無意識の発言」については、答弁をするので緊張していて何も聞こえなかった」と言っているとのことです。(問題は東北新社からの外資の持ち株比率オーバーの報告を聞いたかどうかです、そんな大事な報告を忘れていたこと自体が職務怠慢でしょうがこれは今日の問題ではありません])

 「李下に冠を正さず」という諺から言えば、本来、「何もしていなくても、誤解されるようなことになった不徳が罰に値する」という潔さを善しとし、地位のある人の旨とすべき行動規範の厳しさを教えているものでしょう。

 武田総務相は、「スモモの木の下には行きました、冠を直す時にスモモの実も、もぎ取って食べたようです、しかし無意識だったのでよくわかりません。」 だから、悪い事をしたという意識はない、という弁明でしょう。

 安倍さんもそうですが、今回の武田総務相の言動も、責任ある地位の人の行動規範とはいかなるものかといった事にはまったく認識が欠如しているようにしか感じられません。

 日本人の道徳観や望ましい行動規範についての認識が、政府要人の中で、ここまで堕ちてしまったのでしょうか。
 何かの行き違いでこんなことになったが、実体は、もっときちんとしたものだといった説得力のある説明でもなければ、こんな行政のために税金を払っているのかと考え込んでしまう人も増えてくるのではないでしょうか。
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 (私語)最近批判がましい事が多くなって、我ながら嫌になるのですが、矢張り書いておくべきと思うので・・・。


 


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