tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

「自家製デフレ」脱出のチャンス! その1

2022年11月05日 16時38分53秒 | 経済
自家製インフレ(homemade-inflation)という言葉はありますが、「自家製デフレ」という言葉はないようです。

言葉はないのですが、それが実際に起こることはあるようです。

2013~2014年の黒田日銀総裁の超金融緩和政策、いわゆる2発の黒田バズーカで、円レートが$1=80円から120円になって、やっと日本経済は正常な為替レートの下での経済という事になりました。

日本経済は1985年の「プラザ合意」でその後2年で為替レートが2倍の円高になって、結果的に円高デフレ不況に20年以上苦しんできたのですが、これでやっとまともな経済活動に回復できると思いきや、その後もずっとさえない経済を続けてきました。

円高デフレは解るのですが、円が正常のレートに戻っても、正常な経済活動が10年近くも戻ってこないというおかしなことが起きたのです。

経済指標で見ますと、この間ほとんど物価が上がっていません。円高が解消してもデフレだけ続いているというのは大変奇妙です。

世界中の国は殆どが数%程度のインフレです。IMF(国際通貨基金)の統計で見ますと2021年の平均インフレ率がマイナスの国は193か国中7か国、日本は-0.24%で日本より低いのは3か国(バーレーン、チャド、サモア)で、193か国の平均は4.70%ですから、世界中の国は大体インフレが一般的ということが解ります。

何故日本はそんなに奇妙な国の仲間入りをしてしまったのでしょうか。
実は、日本も、1970年代まではインフレが当たり前の国でした。その中で1973年第一次石油危機が来ました。

原油は海外依存の日本の経済成長は突然0%に、石油関連製品、洗剤やトイレットペーパーは店頭から消え、20%の超インフレです。その中で労組は頑張って33%の賃上げ、1974年には石油と賃金のコスト上昇でピーク時26%のインフレになりました。

日本の労使は反省しました。輸出立国の日本がこんなインフレをやっていたら、数年で日本経済は破綻する。日本人は真面目ですから、労使ともに「経済成長がなければ賃上げしても物価が上がるだけだ」と理解したわけです。

その結果、第2次石油危機では日本経済は安定成長、欧米諸国は相変わらずインフレ,スタグフレーション化、『ジャパンアズナンバーワン』(E・ボーゲル著)の世界でした。

日本はインフレ抑制に成功、欧米主要国はインフレからスタグフレーションですから、これが数年続いた結果、日本の国際競争力はダントツ、まさに「ナンバーワン」です。

然しそんな状態を欧米主要国は許しません。日本の一人勝ちは「許さん」という事でしょうか、冒頭にも書きました「プラザ合意」で日本に円高容認を要請、日本は気前よく「OK」と言ったので円レートは2年間で2倍になりました。

折角賃上げを抑制し、インフレを抑えた日本ですが、為替レート2倍で、賃金も物価も全部2倍になりました。「ジャパンアズナンバーワン」は取り消しです。

これは経済外交の大失敗ですが、政府は「失敗」とは言いませんでした。日本人は従順で真面目ですから「これも仕方がない」と2013年まで円高不況で賃上げもできず、世界一高くなった物価を下げる苦労、泥沼の「長期不況」を我慢したのです。

冒頭に帰りますが、起死回生の「2発のバズーカ砲」で泥沼から脱出、「円レートの正常化(円安)」を果たしたのは黒田日銀の功績です。円レートの正常化にも拘らず「なぜかその後も不況が続いてしまった、これが「自家製デフレ」です。

日本は、ここから多くの事を学ばなければなりません。その中から、黒田バズーカ後も「自家製デフレ」をつづける日本の、そこからの脱出法が見えてくるはずです。(以下次回)